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 飯田のHPにもどる | 過去の今日の話題

(2000/2/11 金)

画像処理

<色、補正、モニタ>

 ウィーンの美術館で撮影したものはフラッシュを使ってない。美術館の中ではフラッシュなしなら撮影してもいいところが多いのだが、問題は画面が暗いことにある。写真は一枚か数枚やいて自分のなっとくできるところで明るさやコントラストや彩度をコントロールできるがコンピュータはそうはいかない。私の場合でも、ノートパソコンの液晶と15インチモニタ液晶ディスプレー(Apple Blue)とiMacのガラスモニタではそれぞれ異なる表示となる。iMacのモニタはくらくてはっきりしないので画像処理をするとやりすぎてしまう。逆に15インチ液晶ディスプレーはあかるいのでこれで調整するとiMacでみたときなんだか冴えない。PowerBookではなんだか黄色い色がついている。ということはみなさんのモニタの調子は私に分からない以上、ある方にはベストな状態でみてもらっていたり、逆に暗い写真だとか思われている可能性があるということだ。

もちろんAppleにはカラーシンクという技術があるにはあるが私のアップル純正画面でも補正できていないんだからお笑いぐさでさえある。それはともかく昨日のロマネスクのプレビューの獅子(聖マルコ)の画像補正を15インチ液晶モニタでやりなおした。その結果画面は暗くなったかもしれない。しかし、いったいどうしたらいいんだろうか?自分の環境内でも調整できないとは。

<サイズ>

 もう一点。画像ファイルのサイズの問題。私がwebをつくりはじめたときホームページサービスはたかだか5メガだった。それにモデムも144とかだった。現在では10-20メガが当たり前だしうまく選べば40メガや100メガのプロバイダもあると思う。それにモデムも32kが当たり前で最近では56kが標準になっている。また、表示領域も640x480ピクセルが現在はノートでさえ800x600。フルサイズノートや15インチ液晶なら約1000x800。17インチブラウン管なら1200x1000というわけだろうか。つまりネットや表示の環境はどんどん良くなるはずだ。まさか私のサイトをiMode対応にする必要はないので、もうデジカメの写真のサイズをおとしたり写真をスキャンしてもなるべく大きくしておいたほうがのちのちものたりなくなるということが少ないと思う。torideにおいていた古い画像はほとんどが不満である。そんなわけで今後私のロマネスク関連は一つのファイルが200kくらいになることもありますので状況があわない方は御容赦下さい。

とはいえウィーンは来週にでも応用美術館をアップ。2回連続。そのごヒエロニムスボッシュやアドルフ・ロース。そしてイタリア、ミラノ!じつのところはやくイタリアに入りたい。。。。

ひさびさにヤナーチェック/アルバンベルクカルテットを聴く。「クロイツェルソナタ」「内緒の手紙」か。切ない音楽。なに?切ない?そう感じたのははじめて。ヤナーチェックは当時の現代音楽大好きでアルバンベルクの作風を研究していたこともあったとか。

 そしてモーゼとアロン。ブーレーズの新しいディスク。酒井さんにコンサルタントをうけてひいたインシュレーターは見事に音を変化させてこういう複雑に音がつまったディスクにつまってもがいていた音が「ひらけごま」とばかりにでてきて、目の前に見えるようである。いままでも面白い曲だったのがさらに微妙な息遣いまで聴こえてきそうだ。

 今?ガーディナー/ベートーベン8番。明朗で輝かしいジュピター交響曲にもおとらぬくらいのダイナミックな音の運動を見せる曲。

愛知県芸術劇場でセザンヌ展がやっていて見に行きたいのだが、家人と時間の都合があわない。セザンヌの「トランプをする男達(?)」は男2人が向かい合ってトランプをしているのだが、その対称/非対称な画面の作り方は全くすばらしい。中央に置かれたビン、男2人のそれぞれの服の色の違い、背景の家の様子のくずしかた。すべてがあやうい対称性と非対称性をもたせているので画面は動的に見える。実のところあれらの色がおかれているだけで男だったりビンだったり背景だったりする必要はまったくなくて抽象的な構造がじっくりと練られた作品である。とポスターで思ったのではやく見に行きたいな。セザンヌは水彩がすき。彼の水彩には思わぬ色の組み合わせがある。

(2000/2/12 土)

新ウィーン楽派のページを更新します。今回は

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このサイトの著者の一人松平 敬氏
(シェーンベルクの1903年から1908年までの歌曲 執筆)が

H. ラッヘンマン 「マッチ売りの少女」

2000年34日(土)6:10p.m. サントリーホール

演奏会形式・日本初演

指揮:秋山和慶

に出演。松平氏に曲の魅力をかたってもらいました。以下をどうぞ!

<http://home.fwi.ne.jp/~arts/matzdaira/play/lachenmann.shtml>

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です。東京に3/4聴きにいきます。チケットとらなきゃ。

今日は昼においしいうなぎをたべました。私はおいしくないうなぎをたべるとあとで気分がわるくなります。おいしいウナギならそうなりません。ぜいたくといわれます(爆)それで夕食はマグロの目玉を煮ています。はじめはまぐろの目玉でした。煮込むと目玉の周りの部分が縮み目玉がとびでてスプラッタ映画みたいでなかなかえぐいです。

ブーレーズのモーゼとアロン。CBSの古い録音もききました。やっぱりインシュレータいれてCDの音質があがって曲にわくわくする躍動感が加わったように思います。音像がしまってクリアになりました。

今?シュトックハウゼンのヘリコプター四重奏曲を聴いています。ピチカートとかいい感じです。

そうそう大阪のタワーレコードではシュトックハウゼンが入荷していたのはいいのですがさらに値段があがって一枚5000円以上します。

明日は父の一周忌の法事です。S14年生まれ。命日は2/27。合掌。

(2000/2/13 日)

昨日付けでロマネスクのページを更新しました。

先日のプレビューのコンプリートです。ごゆるりと御覧下さい。ただし写真をクリックすると200k近くの画像データが落ちてきます。

ウィーン応用美術館の

ロマネスク時代の聖衣(上)

ウイーン応用美術館は内部空間もすばらしい上にロマネスク様式の聖衣や椅子もあって御満悦。

マーラーの交響曲9番の第4楽章をきき交響曲10番を聴きたくなる。で、聴いてます。レナードスラットキン。

音楽について語りうるか。

「音楽批評も、ほとんど物の役に立たない。批評家と作曲家が同じ次元で出会うのは、ごくたまの例外のことである。大方の批評家は、野心的な新しい総譜を、その内的な整合性や、形式のレベルや、本来の力を目安に評価する能力を、実際的な習練を積んだ音楽家たちほどにも持たない。彼らはおおむね自分の偶然的な好悪の念とか、ジャーナリスティックなどの情報などの代用品で、お茶をにごしている。」

 こういうみもふたもないようなこと書いちゃう人ってだれかわかる?

 アドルノ/不協和音(平凡社)/新音楽の老化 p292

でした。ほとんど僕が音楽についてかけなくなってしまったのはこういうこと感じていて解決する方法を見つけていないからです。ロマネスクのものでは写真にそって写真の説明を述べていくという方法を学んでとりあえず書き続けるという次元では解決できました。でも音楽については書けないのです。

(2000/2/14 月)

今日はバレンタインデーですね。ダイエットの敵のチョコレート爆弾が職場で4つふってきました(爆)。おねえさま方からいただきました。ありがとうございました、ってこのページみてないって。

投稿論文のゲラ刷りがとどいてなおしたんだけど、原稿を電子的に入稿していないからミスが散見されます。OCRで適当にやった感じ。48時間以内に直せっていなかったらどうするんだろ。今日は臨時に共著の恩師にもってきます。共著の大学院の学生さんはもうはたらいてるから見てくれへんだろうし。

北高同窓会のてこ入れをしています。最近なんとかつながってきた感じ。メーラソフトウエアでML化してしまえばボタン一発で100人にメールを送信できるのではやくやればよかった。このメーラ何人までそういう登録できるんだろ。MSOE5です。MacOSXのメーラは早く使ってみたいなあ。人数ふえたらML化しようっと。

朝日新聞のサイトをみていたら以下の記事がありました。

新ボンドガールのソフィー・マルソー
http://iij.asahi.com/0213/news/personnel13002.html

 「ヨーロッパの映画は、監督の個性が色濃く反映されるけれど、ハリウッドはプロデューサーが実権を持って、取り仕切っています。ハリウッドでは、映画が、お金もうけの手段であることを隠そうとしないでしょ。それは文化の違いであって、まったく違う映画の世界があることにひかれます」(12:53)

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そうかひかれちゃうんだ。拒絶するひとが多いのかと思った。フランス人ってアメリカきらいっていうし。

思うに昨日のアドルノのことばをひっくり返して

彼らはおおむね自分の偶然的な好悪の念とか、ジャーナリスティックなどの情報などの代用品で、お茶をにごしている。

彼らはおおむね自分の偶然的な好悪の念とか、ジャーナリスティックなどの情報などの代用品をうつくしく書くことによって印象批評を作り上げた

といってもいいのかな。印象批評は・・・・できたらさけたいです。作品にスペシフィックでなくなるから。

(2000/2/16 水)

クセナキスの音楽

 クセナキスのEonta、Pisoprakta、Metastesys(だったかな?)を聴いた。

CDは有名な?

XXXXXXX

XXXXXXX

XENAKIS

とかかれたもの。

 家人に、「よし、音楽を聴こう!どれがいいか選ばせてあげよう。ノーノ、シュトックハウゼン、ブーレーズ。どれにする?」「・・・・」「しょうがない、もう一度オプションをあげよう。クセナキス、メシアン、シェーンベルク」「クセナキスならいいよ」ということでクセナキスにした。家人がいうにはテレビドキュメントを見たことある人なので親近感がわくからだという。まあ、理由はなんでもいい。さてメタステシスだ。ぶーん、ぶーん、ギューーーーーン。チン(爆笑)チン、ぎゃぎゃぎゃ、、、、以下略。

 酒井さんのおかげで高解像度になったCDプレイヤーからの情報量はかなり激しい。音が運動していう感じである。クセナキスは音の運動を自然界になぞらえるために、自然科学の方程式を利用した。たとえばブラウン運動や包絡線といったアナロジーを音楽に持ち込んだ。ネタはばれてしまえば、科学や工学を学んだものからすればたいしたことない。むしろ原始的なシュミレーションを音で聴いているようなものだ。とはいえ彼の音楽の響きは心に共鳴する。音は暴力的であるかのようで美を感じさせる。漆黒の闇の中で色彩がとびかう。

 エオンタはピアノの出だしがとんでもなくこんなものきいたことないというはちゃめちゃさである。高橋悠治のピアノ。演奏もさすがである。調性というものは最初からない。調性という概念がないのだ。まったくあたらしく聴こえるのはそのためである。従来の音楽のアナロジーで調性という意味では調性/無調というレベルでは聴いてはいけないのだ。金管楽器の音がさくれつするがこれはピアノのまわりを動いているそう。そのうごきもきっとブラウン運動かなにかで計算された動きなんだろうか。

 メタステシスは冒頭の弦のグリッサンドが包絡線になっている。微分積分ではおきまりのあの線である。各楽器のグリッサンドを重ね合わせていけば包絡線がでてくるという。そのため浮遊感がある。最初は周波数が低いので早く周波数が上昇するのだが、高いところにくると周波数の増大は飽和してあまり増大しなくなる。ここで周波数分散を基本周波数のまわりで広げていけば音に厚みがでてくる。このやりかたをもっとエレガントにしたのはリゲティだ。彼はさらに音域をコントロールするので非常にらりったような音楽がアトモスフェールなどではきくことができる。

 これらの音楽にはメロディはない。彼の主張はトータルセリエリズムのたどりついた音楽は複雑で、結局のところ聴き取ることができない。ではなにをきいているのか?そのときの音の分布を聴いていることになる。だからこの分布を法則にあてはめて作曲しようとした。確率分布である。確率の時間発展を利用した。そういう方程式は幾らでもあるが実はある種の時間発展を導くには方程式だけではきまらなくて境界条件や初期値が大事である。方程式が美しくもすべてを導出できるのはまさにそのためである。方程式をいかに美しく解くかというアナロジーをクセナキスの音楽に当てはめていえば彼は本当にエレガントにパラメータを設定し方程式の解を導いた。

 メタステシスの冒頭30秒をきけばその流れの巧みさの一端がわかる。グリッサンドのあとは音域のせまいが不明確なベルをならすことによりグリッサンドの音の分厚さや進行の方向性を対比している。この曲は10分足らずだがスケッチして考えるのは面白いかもしれない。

 このグリッサンドのきれいさは、あるアニメ(たしかもののけ姫)でものが落下するシーンをコンピュータで計算して落下スピードをきめたときいたことがあって、そいいうシーンは自然に見える。そういうきれいさだ。

 なお、クセナキスはこれらの曲にもちいる方程式の解をもとめるためにコンピュータを使用している。まだ1950年代のことである。できる人は方法論も作品も一流ということがよくわかる。なお、彼は建築家でもあり、ル・コルビジェのもとでリヨンにあるラ・トゥーレット修道院のファサードを設計している。このファサードの間隔は包絡線を投影した間隔(すなわち三角関数で定義できる。みそはところどころランダムな間隔を導入しているところだ)日埜さんのページに写真あるかとおもったけど見つからない?

    ●昔書いたクセナキスについて(3/1&6)。

名古屋豪雪。論文校正をアイルランドにFAXするも通話中(涙)。

New iBook発売。まだまだ。MacOSXが標準のマシンがでるまでハードは我慢しよう。

(2000/2/17 木)

日比さんのページを更新しました。今回は日比さんの本がラジオで朗読されるおしらせと次回掲載予定原稿のタイトルです。なお次回原稿の表紙には山本君の絵を使いました。

 ● 日比さんの梅原猛氏との往復書簡の本
「魂の言葉」(PHP)の最終章がラジオにて朗読されます。

 時間:2000/2/18(金)深夜25時
    (すなわち2/19の午前1時)

 番組:NHK第一ラジオラジオ深夜便
    (FMラジオでも同時間にきけます。)
    時間は30分。楽しみですね!

 ● 3月はじめより
  日比さんの新作「母、午前3時の」
  を開始します。

クセナキスの建築

 昨日話題にしたクセナキスの建築なのですが、ボス?のコルビジェのために計算した「ラ・トゥーレット修道院」のファサードの「光の波動面」の写真がインタネット上にありました<http://www.mirai.ne.jp/~okuda/eurd/corbusier4.html>。トップは◇ヨーロッパ20世紀建築紀行です。

 光の波動面は正面のガラス窓の非等間隔の縦の線の間隔を確率分布(くわしいことは?)で求めたもの。徐々に端から等比数列?っぽく細くなっていっていることが分かると思います。

 ここにもあった。<建築回廊ラ・トゥーレット>これは中からみたもの。

 う、うーん見れば見る程美しい。これはいつかいかねば。

 現代音楽の解説もクセナキスでちょっとひっかっかってきた。Intercommunicationのこのページ<音楽/ノイズ>。ただしかなりせわしない。あまりに総説的すぎ、キーワードすぎていることがさびしさを誘発している。この寂しさはキーワードからぬけでたものこそ面白いというだれでもしっていることから発している。

 聴きにくいと音楽が深い/難解というのは異なります。現代絵画を思い出せばそんなにシリアスに音楽をきくということがなりたたないことはもう承知しているでしょう。楽しみましょう。

Nikkeiマックによると

Jobs氏は「我々の目的は常に『世界最高のコンピュータ』を作ることにある。テクノロジーはどんどん進化しており,終わりのない仕事だ。つまり,最終的なゴールはなく,Appleの革新にも終わりない」

 とのこと。Appleはどうでもいいんですが「テクノロジーはどんどん進化、終わりのない仕事、最終的なゴールはない」というのがいいですね。研究プレゼンでもつかえそうなフレーズですね。

(2000/2/18 金)

卒論発表が大詰め。今年は事情により卒論指導がはやまり論文自身ははやくできていたのだけれど発表はいつもどおり。月曜日は大学にいかなきゃ。

クセナキスのことかいてたら頭がクセナキスの音ばかりになってしまい、ちょっとこまりました。なかなか聴く時間がとれなかったので昨晩聴いたらこれまたいい音楽でした。重症ですね。

ひさしぶりにnewsサイト<fj.rec.music.clasical>と<japan....>.に投稿。松平さんのラッヘンマンの記事を読んでもらうため。newsはまた人口が違うからね。ちょっと難しい人もいるし。

ZDNNによると
PC業界は脳死状態,Appleはイノベーションを追求jobs2.html

Jobs氏の発言として

現在のPC業界は「脳死状態」で,新しいアイデアが生まれてこない。iMacを発表した当時は,なぜFDDがないのかと批判されたが,DellやGatewayの新しいマシンはiMacを参考にしている。われわれのアイデンティティは,イノベーションを追求しながら製品開発を継続して行っていくことだ。

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これもそのまま研究をつづけていくのに使えることばですね。

これはこれでクラシカルなビジネスだねえ。

秋葉原はお祭り騒ぎ! Windows 2000ついに発売

購入したユーザーには,1999年No1レースクイーンの牛川とこ嬢らと記念撮影できる権利も与えられた。・・・美女に挟まれての記念撮影はまた格別のようで,購入者のカオもゆるみっぱなしだった。

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僕も参加すればよかったかな?でも、バグにカオをひきつらせないように。

お昼前に測定装置がこわれたので処置してもなおらず夕方に起動したらなにごともなかったように起動した(泣)。

(2000/2/19 土)

日比さんの本がラジオで朗読された。日比さんの梅原猛氏との往復書簡の本
「魂の言葉」(PHP)の最終章。朗読ははじめ情感がこもってないようで淡々としている感じを受けた。もっとナイーブに読んでほしかったというのが第一印象だったが、進行するにつれその淡々さが逆にここちよくなっていった。まさしくプロの仕事だった。中間部分が一番良かった。後半にかけては比喩がでてくるのだが、気をつけなければいけない。日比さんの比喩はニーチェ譲りだ。やや思いつめたような文体はリルケ譲りかもしれない。そういうものが日比さんのなかで熟成されて作品になっていっていることが私にはわかる。この本は日比さんの他の本の種明かしでもある。次の作品の連載が成功するといいのだが。

 いずれにせよ昨晩の朗読は日比さんの作品へのあらたな一歩をしめした。僕は感動して言葉を失ってしまい寝れなくなってしまった。「これから」があると実感できた。

   ●日比さんの手記のページ

今晩から大坂。明日は家人の属する芦屋交響楽団のマーラー9番。

(2000/2/20 日)

芦屋交響楽団のマーラー9は大変な熱演でした。演奏者の愛情がなければ全曲演奏しとおすだけでもできないでしょう。

 第一楽章は小波、小波、大波、小波というくらいにひきのばされたり圧縮されたりしながらタイミングがずれながら感情の塊というべきものがおそいかかってくる曲。第2、第3楽章のオリジナルというべき作品のコアを提示する場所。この波は非常に厄介で音がえんえんとクライマックスをい続けていったり、ぴたっととまったりとテンポがからんでくる。ここはアンサンブルの難所というかどこも難しいだろうけどばれやすいところ。はじめの小波はややはずした。大波ではその後のしずかになるところで演奏者が切り替えできずにつっこんでいってしまった。テンポの強調は最小限で歌わせるところもあっさりとおりすぎていった感じ。第一楽章のおわりまじかでの「フルート協奏曲」は立派な演奏だった。

 第二楽章ではかなりのってきてアンサンブルの楽しさが満喫できた演奏でした。テンポちょっとはやめになった感じもします。実際たのしい曲ですよね。

 第三楽章では音楽そのものが破たんしている印象をうけました。というと演奏が悪いような印象を与えそうですが演奏は第二楽章からののりですんなりとした演奏でみごとにやってくれました。ブルレスケという楽想なんですがやっぱりグロテスクな楽章でした。

 第四楽章はこれまでの楽章とはまるで別物。私ははじまって感動でしばらく涙があふれてしまいました。音楽はもちろん第4楽章で結実する音楽内容になっているのですが、その深まり具合は強靱な統一感を必要とします。実際非常に無駄のない音楽になっていて私にとってはあっという間のできごと。コーダにはいって、え?もうコーダ?このあともう一盛り上がりするんじゃなかったっけ?とおもったらやっぱりコーダだった。体感時間3分でした。

 この曲は私が高校生の頃から聴いてきた愛すべき曲。ようやく生できけてよかったです。いろいろな楽器の組み合わせで様々な音色をつくり出す様子とか、小さな音でモチーフをあちこちで演奏していて、こういうのはCDでは絶対きけないもの。またあちこち音が飛び回る様子もよかったですし、第4楽章の室内楽的演奏は特にビジュアルがあるといいですね。

 今回は席が2階席でオーケストラを見渡すことができ音も直接音よりは間接音をきくことになっていたのでしょうけどこれはこれでよかったと思います。第2バイオリンは向かって右、すなわち第一の奥でした。ちょっと残念。あとはチェロとコントラバスもできたら全然べつのところにおいてくれた方が面白いのですが。まあ、これはますます音の分離を狙ったものなので各パートがよりクリアに聴こえてしまうので技術的に難しいのだと思います。

 目立ちやすい管楽器のミスも私にはほとんどきにならない程度で非常によかった、こういうミスって全体ののりを下げてしまうからね。

 演奏がおわって指揮者がタクトをさげるまで拍手もおきませんでした。これはマーラーの慣例なんでしょう(笑)。私はもう頭がくらくらしてしまってほんとに楽しみました。

 またこの曲聴きたいなあ。

 そうそう、指揮者は黒岩英臣氏。モーツアルトPコンは東誠三氏。

 

 

メール:romanesque@mac.com

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