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(1999/04/11 日) 9233  表紙へ日比さんBBSロマネスクBBS

中国の古いことわざに人間万事塞翁が馬ということわざがあるが、最近このことばが気に入っている。人生への教訓ということではなくこれは物語論としてとらえたほうがおもしろい。物語は最後におちがあって、どんでん返しがあったり、それまでに進行していた伏線が絡んでくるんであるのだが、ともかく最後は意味のある結論があることが要求される。そのためねたばらしは厳禁とされ結末はお楽しみにということなのだ。

 だがそれはある一つの物語の進行モデルでしかないはずだ。それ以外の物語のあり方もあっていい。エピソードの繰り返しが弱い相互作用をもつこのことわざはそういうひとつだ。もちろんオチとして人生どうなるのかわからん、というものがあるので実はあの話ははなりたっている。もしそれがなくて日本人の解釈を徹底させるなら、悪いようになったときにはバチがあたった、という概念をいれなければならない。

 それはともかく結論をなくすとどうなるか、音楽でミニマルミュージックがどうなるかといえばフェードアウトでおわるという一つのありかたがある。ミニマルにくり返してそれらのかさねあわせをきくのであればなおさら最後の一点というのは特異点である。その点開始も特異点だがその前には物語がないのだから結論とは性質がことなる。

 結論が明確に存在するが音楽ではフーガという方法も古くからある。逆にソナタ形式は最後を強調するように作ってある。ソナタ形式のモデルはオペラからきているらしい。それゆえ物語のモデルの影響を強く受けている。モチーフの生成と発展、最後まで聴き、モチーフの相関について理解することがソナタ形式なのだ。ではフーガは?もちろんフーガの技法の凝ってきたものはわからないが同じモチーフが5度変化して提示していくはずである。

 無調様式も終止形をつかわないことからおわったのかおわらないのか、よくわからない形式である。このため歌曲と結合して曲の進行をたすけたという。

 結論がないとなぜこまるか?結論がないと全体のなかでのクライマックスなどが定まらずしたがってどこでも同じようにみえてしまうことである。すべての要素は結論がはっきりすることでヒエラルキーが決められる。重要な伏線、重要でない伏線。だが、私達の日常モデルを考えてみよう。どこにも結論はないし、ただ毎日がつづき、その中でなにか自分には決定できないこと自分を規定するなにかとともに毎日を決定していくしかないのだ。だから日常から抽象化された物語りという形式にはカタルシスとして明瞭な結論の出ることが要求される。ただし、結論を放棄したようないわゆる前衛、純文学というのはある。僕はユリシーズがすき。ただしこれだって進行モデルとしてオデュセイアーをとっているけれど。

 で、ここでなにが書きたかったかという結論を書くのはあまりにパラドックスなんだが、物語りを批判しているのではなくて、我々自身の知覚、認識モデルというのはかなり限定されたものにすぎなくて、それにあてはまらないものは拒否している可能性が高いということ。そういうものを目指して作られたものは商業ベースには乗りにくいこと。

日比さんのページの更新は今日かあした。

一年前の日記にはマーラーの大地の歌の感想がかいてあった。一年たってもそうかわってませんね。

(1999/04/12 月) 9263  表紙へ日比さんBBSロマネスクBBS

日比さんのページの更新、

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美しきもの (不相変の冬)

「ダ・ヴィンチ」

 さて今日も又此の部屋の真中に落ち着いて何も映らぬブラウン管を眺めて居る。

 僕は昨日日本語にとって最も大切なのはメロディーだと書いたけれども、ブラウン管の中の君はどう解釈してくれただろうか。僕の言うメロディーとは視覚的にも聴覚的にも美しい言葉のことである。 例えばダ・ヴィンチの描いた水のデッサンに在る雄大な流れを常に、言葉は含んでいなければならぬ。雄大にして美しい水の神秘、今突然僕の頭を取り巻いたのはあの断片的な水のデッサンだ。・・・(1999/4/11 更新)

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しました。是非お読みください。

天国と地獄理論

 天国と地獄というメタファーは天国や地獄が実在するかという以上に我々に影響を与えている。たとえばゴミの処理。目の前から消えてなくなれば我々のすむここは天国なのである。すなわちいやなものは存在させない、という論理はすべて天国は地獄におしつけることで処理しようとする。

 しかし、ゴミや下水は確実に我々の首をしめようとしている。下水は下水処理をするも大量のヘドロが残る。その中にはダイオキシンなど有害な化学物質が濃縮されているという。ゴミは捨てるところがない。なのに、過剰包装のものがほとんどである。しかも我々は今のところゴミをもっていってくれたり下水はながれていくので、それがすんだ瞬間考える必要がなくなってしまう。ところがことゴミや下水は天国と地獄は大地でつながっているのである。

 民俗浄化運動も同じことだ。

(1999/04/13 火) 9283  表紙へ日比さんBBSロマネスクBBS

ロマネスクのページに追加。モワサックのタンパンである。今回は気に入った原稿がかけた。また扉引用文をデュビー氏のものに代えた。だが、氏にロマネスクのころにフーガという音楽様式はなかっただろっていってみたい。

なんとiMacが333MHzになったそうだ(というはなしは10日にきいた)。5色になってからはほしくてほしくてしょうがないのだが買えずにいる。というかノートを買いたいので買えないのである。しかし、333MHzだよ。

このサイトにわざわざコンピュータねたを読みにくる人もいないと思うがウインドウズがオープンソース化とかいってるし。

神田川

 有名な歌。でも彼女よりも長風呂をする彼氏って、ちょっと?

(1999/04/14 水) 9318  表紙へ日比さんBBSロマネスクBBS

「クラシック招き猫」さんが「クラシック井戸端会議室」から名称変更したそうです。

水野さんとの共著の新ウィーン楽派のページの更新をしました。

今回は水野さん著

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「ポートレート・シェーンベルク」(CBS MPK45695)

《月に憑かれたピエロ OP21》、《弦楽三重奏曲 OP45》

シェーンベルク(Cond),コーリッシュ(Vn),ストイアーマン(Pf)etc

ジュリアードQメンバー

《ピエロ》は声楽部分の自由度が高いため、作曲者がどのようなものを目指していたかを知るためにもこの自作自演盤は一度は聴いてみたいと思っていました。この《ピエロ》の録音はライナーノートには何の記載もありませんが、手元にある本によれば1942年に行われたもので、メンバーはヨーロッパより亡命してきた人達だそうです。

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ってことは次は僕?

日比さんBBSへ最近の音楽評論家のCD評のひどさについて愚痴をかきました。はっきりいってあんなのよんでたらゆっくりと感受性がなくなっていきます。環境ホルモンににているかもしれません。もちろん、まれにいいのはある。でもそういう人って他に仕事見つけていなくなっちゃうみたい。

ロマネスクBBSへ宮本輝氏の錦繍のコメントをいれました。

シェーンベルクマニアかって?いやそうではなくてシェーンベルクに僕らは救われたのです。

(1999/04/15 木) 9344  表紙へ日比さんBBSロマネスクBBS

Toriちゃんから原稿がきた。これは今週末にでも。

中世のころから信仰と理性という問題は哲学者にはなやみだったようだ。真理とは真理を真理と認定する手続きがあってはじめて真理となる。その真理の産出の手続きを調べることこそおもしろい。

ちょっと仕事の話し。光合成の研究会について2件お知らせがきたので光合成のページにはっておいた。興味ある人は見ておいて下さい。

(1999/04/16 金) 9368  表紙へ日比さんBBSロマネスクBBS

Toriちゃんの書評のページを更新

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『鳥頭対談』   群 ようこ ・ 西原 理恵子 著  朝日新聞社

 「ここまで書くのか!自分の身内の恥を!」というふれこみのインタビューを何かの雑誌で読んでいたので本屋さんで見つけた時に、ついつい購入してしまいました。

 群氏も西原氏も辛口エッセイにも定評ありですが、この二大女傑のトークは確かに爆笑モノです。

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う、西原 理恵子氏の4コママンガはよく目にした気がする。

Toriちゃんはいそがしくていそがしくて、てんこまいまいだそうです。

洗濯機をまわしてテレビ見ながら食事をしていたら、あ、洗濯機に洗剤入れるの忘れてた!

(1999/04/17 土) 9397  表紙へ日比さんBBSロマネスクBBS

音楽作品についてかたるのはどうしたらいいのだろうか?

作曲された時の背景をかたればよいのか?背景はたしかに大事だ。だが、それで作品が理解できるかというのは違う。せいぜい得意な浪花節的理解に陥るだけだ。そういう手合いのものは皮肉でさけるのがこのページの流儀というものだ。では作品のインフォメーションをどう表現したらいいのか?一つはいろいろの解説本から引用してカタログ化してみることである。

 作品について語るのは実に難しい。モーツアルトの交響曲40番と41番をかき分けることができるだろうか?

 作品の解説を書くために集められてきた言語の部品。40番は悲しくて41番は朗らかで楽しいっちゅうのが一番ただしい解説かもしれないが、あきらかにそんなことはwebにのせるには「どうでもいいこと」に属してしまう。

 この曲について考えると私はいつもやはりコンビとして扱われている弦楽五重奏を思いだす。実際それぞれの雰囲気がコピーしたかのように再現されている。モーツアルトもベートーベン同様楽器規模が小さくなっても曲の構成感がちっとも小さくみすぼらしくない作曲家である。室内楽でも巨大な曲を書いた名手であった。

 作品はそれぞれに存在するのにそれを解説する作品にはそれぞれ存在しないのだ。これではポストモダン鑑賞というやつが発揮できていない。ポストモダンのもっとも正しい聴取は作品をうけとりあらたに書くことによって作品を作ることである。としてもそれは実に難しい。

 私が楽譜をよめればもっとまともな解説がかけていいのかもしれない。

 先日、シェーンベルクのピアノコンチェルトをブレンデル/ギーレンでライブ録音したものをNHKで放映していたものをテープにとってあったのを思いだして、ひっぱりだして聴いてみた。コーダのヘンにすごくランダムにピアノをたたいているように聴こえるところがあって、私はそこで真冬に見事な星空をみている気分になって、車の運転中ひとり恍惚となっていた。

 だからなんだというのだ。そういう気分を書いたら音楽作品の作品について書いたことになるのだろうか。なるわけがない。

 というわけでシェーンベルクの曲の紹介が遅れているのです。すいませーん。

W. カンディンスキー氏によると芸術生成の内的必然性は次の3つの要素だという。

1、創造者としての芸術家は、彼独自のものを、表現しなければならない。

2、時代の子たる芸術家はこの時代に特有のものを、表現しなければいけない。

3、芸術への奉仕者たる芸術家は芸術一般に固有のものを表現しなければならない。

「抽象芸術論 芸術における精神的なもの」西田秀穂訳

だらだらした一日。ごみをだすのをわすれた。

(1999/04/18 日) 9397  表紙へ日比さんBBSロマネスクBBS

日比さんのページの紹介

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「中原中也」

   私の上に降る雪は

   真綿のやうでありました

 中原中也の名詩の一節だが、丁度今真綿のような雪は降り止んだ。昨夜から降り続いた雪は一体、僕の窓辺に何を描いたのだろう。僕は中原中也の命にそんな雪の在るのを思い出した。・・・(1999/4/18 更新)

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山本君からの手紙 東京芸大入学頃

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1986年5月10日

 東京国立博物館日本美術館特2室という部屋があります。僕はそこで感銘を受ける作品群に出会いました。桜蒔絵十種香道具をはじめとする桜を意匠にした漆器の数々です。金の桜紋が光の角度によりほんのりと赤く染まる様子はたとえようもなく美しい・・・。僕は蒔絵を専攻したいと思います。

 さて近況報告とのことですが何を書けばよいのか見当がつかない。芸大はとにかく本物が一杯ある所といえばよいのかスバラシイ所である。音楽はパイプオルガンから尺八まで流れているし、雅楽を専攻している方などは笙まで吹いている。学内の芸術資料館には6万点に及ぶ美術品、古楽器が我々を待っている。中には国宝、重文も少なくない。学校のすぐ隣は都立美術館、国立博物館(動物園もあるよ)とまあ、芸術をやるにはもうしぶんない環境だ。毎日赤レンガの門をくぐる私は20に及ぶ銅像群の前を通りながらつくづく幸せを感じているのである。(いいだろう)芸術学科の連中はスゴイやつらである。立教大学総代のチェンバロ弾きやら、ポルトガル帰りの令嬢やら、リーウーハン先生の娘など才気に満ちあふれんばかりだ!東大の美学美術史を目指していた者などザラである。こんな中でドジで田舎者(本音)の私がどんな生活を送っているかはおのずと察しがつくでしょう。

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 はがきはこちらにまとめていくよていです。

(1999/04/19 月) 9445  表紙へ日比さんBBSロマネスクBBS

昨日は図書館と本屋にいき本を物色。

図書館の中でロマネスク関係をさがそうとすると、建築、彫刻、美術史、版画あたりをみて宗教をみて、歴史をみる。検索はカードで。いいのがない。というか写本が一番の目当て。リエバナの写本をみるのが一番の目的であった。

 結局大型本のコーナーでみることができた。

 社会史の本も見てみる。ベルナールの思想とかあったら見たいなと思ったが書架にはなかったのであきらめた。

 ル・ゴフ氏の本とかシュミット氏の本もあり、今後の課題。

 とうとうみつけたリエバナのベアトゥスの写本。しかしこれは私がモワサックでマール氏を引用して述べたサン・スヴェールのものとは大きく異なる。

 長老は24人いるが鬚がない。ヴィオール(バイオリン)も持ってない。キリストの下にひれふして、見上げていない。などまるで異なる。

 異本があることはマール氏が述べているがここまで違うとは思わなかった。

 よかった買わなくて。でも買う。一万円でこれだけきれいでかつマイナーな本をだしたんだから寄付金みたいなものだ。

 スペインでの写本や壁画はみな原色である。なかなかに激しい。イタリアでのモザイクのような色使いははでだがデリケートな感じではなくて、もっとどぎつくてえぐい。

 見ているうちにおもいだしたのはケルズの書のだいたんな画面構成。竜とかがほんとに大きく描いてあって画面を分割している。

 そうそうケルズの書は見当たらなかった。

 名古屋で一番かあるいはそれに近い規模の洋書のある丸善に。

 Romanesqueというタイトルの洋書(英語)を2冊購入

 Taschen社 3610円

 Konemann社 7040円

値段にあわせて分厚さが3倍くらい違うのだが、Konemann社の方が写真の量だけでなく質もいい。

Konemann社のRomanesqueを見ていきたくなったのはSouillacの教会。Moissacをコミカルにしたような彫刻だ。

 ベルゼラヴィルの写真発見411ページ。でも色あわせ失敗。もっと青いよ。この本の構成では、ベルゼラヴィルのキリストはスペインからというのが良く分かる。この規模の本でも3枚しか写真がない。私の写真ももっと拡大してスキャンしてのせよう。

 ケルズの書もちゃんとでてくる。P440にはヒエロニムス・ボッシュが後に書くであろう奇怪な人間が描かれている。

 サンスヴェールものってるけど荘厳のキリストではなくApocalypse(ってなに?)。

 サンスベールの写本は講談社のNHK日曜美術館シリーズ 名画への旅 天国へのまなざし

に大きくのっていたので(!!)おもわずこれも買ってしまった。こいつはスキャンしてのっけてやろう。

ちょっと話が拡散ぎみだが刺激である。どのみち、それほど中世関係の本は多くない。

(1999/04/20 月) 9474  表紙へ日比さんBBSロマネスクBBS

昨日は職場ののみかい。定年退職の方とのお別れ会だった。

たべたのはとーふ料理。おいしいのもすかのもあった。あんな微妙な味がわかるほど食通ではない。日本酒ものんだ。ビールだと、ビールの方が味がこすぎる気がする。

 二次会では喫茶店にいくが私ともう一人のものはのむとおもわれているのでビールがたのまれるが、やはりのんでしまう私。

 家に帰ってそばをくう。だって、とーふ料理コースじゃおなかがふくれない。そのあとよっぱらってねてしまう。

 とーふ料理店は家族でいくのにいいところなのでパンフレットをもらってきた。

SchoenbergはScho:nbergとします。ウィーン時代のことだし。あとはアクセスカウンタが準備できればスタート。図の縮小はクラリスインパクトにはりつけて縮小すればきれいにできることがわかりました。意外。

他のページをつくるのでこれでバイ。

1999/04/21-30



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