Tenebroso 飯田のHPにもどる | 一年前
今日の分はもっとずっと下。
(1998/11/24 Tue)7059
故・山本君の卒業論文『サン=ジル=デュ=ガールー12世紀プロヴァンス派ロマネスク彫刻の諸相ー』のアップデート。いやいやアップデートに時間がかかる。図版がそろっていない。
11/23はマーラーと新ウィーン楽派の世界として「マーラー大地の歌」のコンサートにいって来た。新ウィーン楽派という言葉が入っているとおり、シェーンベルク&リーンの編曲もの。メゾソプラノは白井光子様とテノールはプレガルティエン氏。そりゃもう白井氏の歌いっぷりでもう、2時間は頭の中が「大地の歌」でしたからね。これまでで一番感動した演奏の一つ。匹敵するのはアルバン・ベルク・カルテットのベートーベンの16番とシェーンベルク弦楽三重奏曲とクロード・エルフェ氏のブーレーズ、ピアノソナタNo2くらいかな。
(1998/11/25 Wed) 7090
大地の歌はまだまだ安心してきくことができる。第9番ではすべてはこなごなにくだけちってしまい、ガラスの破片にうつる僕らの姿をみているようだ。なぜ、マーラーは人間の心理的な描写をあれほどまでに克明に描くことをしたのだろうか?人間のこころのありようにあのころは興味がもたれていたのだろうか?それともわれわれが過敏に反応しすぎているのだろうか?
第一楽章は全体の雰囲気から見ると序章にすぎない。真の第一楽章は第二楽章である。この第二楽章は第六楽章の雰囲気を先取りして曲全体の雰囲気をきめていくブリッジになる楽章だ。第4楽章のさわがしいまでのオーケストレーションは第一楽章の雰囲気をとどめているが第二楽章の雰囲気が流し込まれているためにより意味深い終止をとっている。第六楽章は注目すべき楽章である。この楽章は大地の歌の終楽章であり曲の結論である。この結論はマーラーの第九交響曲の結論とはほとんどにていない。時期的に近い時期にかかれたにもかかわらず死の提起に対する結論が驚く程ちがうのだ。
ここにはもっとゆるやかなあこがれとかなにか人間的な温もりがあるのだ、しかし、第九交響曲はシェーンベルクの指摘のとおり人間的な温もりがない。大地の歌の歌詞は非常に重要でできればドイツ語で言葉の意味をあじわうべきだ。日本語だと後ろからやくすために重要なことばにつけられる重要な音楽メッセージがずれてしまう。
(1998/11/26 Thr) 7108
ようやく時間がとれてきたとおもったらまた忙しくなってしまった。学会の発表と来週は浜松でナノフォトニクスのシンポジウム出席。発表はないけど、予習がたいへん。英語だし。
2月に国内で英語で発表のおさそいが。。。。既発表で英語の論文の下書きもあるのでなんとかなるだろと。。。
仕事で生分解性プラスチックの英語の訳をしました。
生分解プラスチックもようやく値下がりできてきたようですね。ポリ乳酸のものはいろいろ使えそうです。
(1998/11/29 Sun) 7168
名古屋の紅葉がきれいです。白川公園の街路樹が黄色にきれいに色付いています。みなさまのところはいかがですか。
ヨーロッパ中世の本を読んでいるのですが、写本の訳された歴史もかなりわかっているのですね。最近はアリストテレスとかプラトンを読んでみたいのですが読むの遅いので、全然です。
NHK大河ドラマは普段みないので、たまたまみたのですが、ついつい目にいくのは作曲家のクレジット。なんと湯浅譲二氏ではないですか。そしてN響で岩城宏之氏。すごい。
話の筋は。。。。あまり興味なかったりして。あまり偉人とかには興味なかったりするんですね。
車の中できくのにいい曲。マーラーの交響曲1番。これは輝いています。どこからどこまで輝かしい。そして運転していて実に楽しい。
日比さんの予告 現在編集中です。もうすこしまって下さい
「クリスタ・ルードヴィヒ」
今日、僕はクリスタ・ルードヴィヒの歌うマーラーの『大地の歌』の最終楽章「告別」をテレビに見て涙したが、果たしてその涙はどうして溢れたのだろう。ルードヴィヒと言えば一昔前のキャスリン・フェリアーに匹敵する名アルト歌手だが、『大地の歌』は彼女の為に創られた最良の音楽にさえ思われた。 イスラエル・フィルハーモニーの神秘的な弦の上を嫋やかに滑りながら、彼女の深いアルトは人の哀しみを歌った。
以前から僕は彼女の歌う此の曲を六種類持って居るけれども、今日レナード・バーンスタインと共演したルードヴィヒの「告別」は視覚的な影響も手伝ってか絶唱であった。
グリーンのロングドレスに身を包んだ彼女の微笑には確かに可憐な鋭さは失せてはいたが、しかし女性の持つ優しい涙に満ちていた。それはまさしく女神フライアの表情だった。フライアの何か話したい様な微笑だった。はっきり言えば此の書き物を思い立ったのは、ルードヴィヒのあの微笑の所為である。
ブラウン管にまだ残っている彼女の優しい微笑みを、僕は白い紙の上に写して置こうと想うのである。
万象が寝静まる、マーラーの『大地の歌』の中に書いた一行だが、ルードヴィヒはその一言に人の世の認識された限りの哀しみを込めて唱う。形有るものの無形への憧れと不安と恐怖とをたった一言に込めつつ彼女の深いアルトの歌う時、聴く者は既に己の内の苦悩を想うだろう。