Tenebroso 飯田のHPにもどる | 過去の今日の話題

今日の分はもっとずっと下。

←1998/08/11-20

(1998/08/21 Fri )

日比さんのページをアップします。モーツァルトはこれで終了。次回作を御期待下さい。ありがとうございました。なお次回更新は9月中旬を予定しています。

十五 ・・・ 言葉は疾走する。確かに音符に惜別した言葉は、僕の中の張り巡らされた夢を疾走する。

・・・モーツァルトもおそらく最後のファンタジー『魔笛』の中に愉快なパパゲーノを喋らせつつ、その人生を疾走したのである。独りぽっちのパパゲーノ、寂しいパパゲーノ、そして愉快なパパゲーノ、凡ての事を笑い飛ばすパパゲーノ、全てを愛そうとし総てに喋り掛けたパパゲーノ。そういうパパゲーノにとって人生は何時でも何処でも笑い飛ばせるのだろう。・・・ 続き→ (1998/08/21)

このページをおいているhi-hoサーバになぜかFTPではいれませんというか劇遅。それでこのページと日比さんのページのアップロードがおくれました。

一週間早すぎ。時間がなくて酸欠の鯉のようにあっぷあっぷしています。がhtmlファイルはちっともアップできてません。しーん。

(1998/08/22-3 Sat-Sun )

シェーンベルクの室内交響曲

 シェーンベルクの室内交響曲はいささかしつこい。おなじ動機が繰り返し繰り替えしあらわれ、それが引き延ばされたり、ちじめられたり、テンポがアクセラレートされたりする。そしてこの曲の表現への欲求は音色によくあらわれていると思う。シェーンベルクは晩年もう一度この世界に足を踏み入れ「弦楽三重奏曲」とナチスの非人間的行為を断罪した「ナポレオンボナパルトへのオード」「ワルシャワの生き残り」にかけて大きなブリッジを描いている。

 シェーンベルクの室内交響曲は1906年ころ作曲された作品9。まだ無調には足を踏み入れていないとされているが、私の友人によれば”かなり密度の濃い転調をくり返し調性をききとるのは至難の技である”とのこと。この曲がわれわれにかたっていることはなんだろうか?

 くり返しくり返し動機が取り扱われることはそれ以前のシェーンベルクにすでにあらわれている。浄夜、ペレアスとメリザンド、弦楽四重奏の1番はむやみやたらと同じ動機がくり返される。これはワーグナーのライトモチーフの影響が大きいのではないかと考えられる。シェーンベルクはワーグナーよりもブラームスを尊敬していたというような側面もある。ブラームスの交響曲第3番の第3楽章の変奏曲はモチーフの変型そのもののだ。当時の人々はワーグナーとブラームスにわかれて音楽の方向性を論じ合っていたというが我々から見るとそれほどかけはなれたものでもないのかもしれない。

 取り扱われる主題はロマン派そのものであるような息の長いフレーズである。12音音楽を考案した彼はもっと短い主題で曲を構成するようになるのとは対照的である。室内交響曲での主題の取り扱いはカノンふうであったり、ピッコロが主題をこわだかに絶叫しているときにバスでのめだたない主題の動きが重ねあわされたりしている。これらの要請はベルクに”すべてが主題的で、どこをとっても全体と関係している”とのべさせている。すなわち”部分は全体”であり、”全体は部分”であるべしということなのだ。なぜ、このようなイデーでもって曲が作曲されなければいけないのだろうか?

 ベートーベンは曲に統一感をもたせるべく交響曲の5番ではリズムを、9番では主題の第4楽章での回想と否定と統合を追求した。その結果ベートーベンの音楽は巨大でありながら非常にコンパクトで1つの世界をきずきあげるのに成功している。これは後期の晩年様式の弦楽四重奏ですら指摘されていることである。例えば大フーガと分離されたオリジナルの曲のモチーフは大フーガが1つの曲であることを示していることが指摘されている。

 現代ではこの方向はずっと希薄でシュトックハウゼンやベリオらのコラージュで作られた曲のように作品の内的関連をすてさった作品もあらわれている。

 音楽作品の内部に有機的関連を作り出し、または聴き取ろうという行為の歴史性についてはどこまでたどれるのかわからない。バッハ以前だったらどこへ分析の方向を向けたらいいのか。

 音楽作品でコアとなる要素についでそれをどう時間スケールにおいていくのかという点については理論的なすっきりさというのはもちろんない。ソナタ形式というの理念であって厳密なソナタ形式でかかれた名曲というのはないと聞く。

 無調ではさらに形式の問題が難しい。どこを聞いても無調では今何をきいているのかさっぱりわからない。混沌たるカオスである。形式が聴き取られるにはある程度のユニットのキャラクターがはっきりしていないと聴き取られ得ない。また、ソナタ形式のような形式は転調とくっついた概念であって転調を放棄した音楽というのは時間的構造も放棄したようなものである。シェーンベルクは事実、時間スケールのオーダリングを音の進行ではなく歌詞によって方向付けようとした。そのためこの室内交響曲の後は弦楽四重奏曲の第2番で歌詞にフォローされながら無調という他の惑星に移りすもうとしたのである。この傾向はさらに強まり傑作「架空庭園」「月に憑かれたピエロ」「期待」といった作品がでてくることになる。

 室内交響曲はこれらの作品の先駈けであり、ベルクやウェーベルンにも大きな影響を及ぼし、ベルクにいたっては室内協奏曲で類似の編成の曲を作曲している。

 室内交響曲は一楽章で従来の交響曲とはことなるが大きく4つにわけることはできるという。クライマックスの前にアクセラレートし、クライマックス後はマーラーの後期の交響曲のように「こなごなにくだけちったなぐさめ」となっている。

 音色面でだんとつなのはピッコロである。また低音のモチーフもかならず層的な音構造として対比してきくとマーラーの交響曲6番を彷佛とさせる。また、こまかな刻み音が非常に聴き手の不安をあおる。

 この音楽を聴いて心の平安をうけとろうとしてはいけない。この音楽は純粋に心の音化であり、はげしいストレスにさらされたシェーンベルクの率直な表現である。しかし芸術は爆発だ、ばりの単純さはここにはない。表現の爆発そしてそれを徹底的にオーガナイズしまとめあげ磨きあげるシェーンベルクの天才を聴き取ることが可能である。

 シェーンベルクは自分のこころを率直にあらわすのではなく売るために耳に心地よい音楽をかくことは嘘を売ることと考えていた。そうだろうか?それは表現主義的な観点からみた音楽の表現原理ではないだろうか?いくらストレスを抱えていても耳に心地よい音楽を書いて聴衆に奉仕するのも音楽家のさだめではないだろうか?実はシェーンベルクはこれらの作品を書く前にはカフェ・ソングを書いていた。うれるためにかかなければならなかった曲。実は私は未聴である。ともあれ、私は彼のストレスは根源的な困難に立ち向かう時に感じるストレスであって、われわれはそれを直視しなければ決してそれを解決できないのだ。というさらに大きな枠組みのなかでしか聴かれ得ないと感じている。

 コーダの激しい音調。そこには本当のカタルシスがある。これまでの動機の総ざらいでカレイドスコープのように動機がもつれあいそれらの連関をあざやかに示しつつわれわれは冒頭のホルンの動機をふたたび聴き、巨大でコンパクトな音楽はおわる。

ひさびさにシェーンベルクのこと書いてみました。もうすこし厳密に書きたいのですが。もうちょいねったらmizunoさんのページのシェーンベルクのところに格納します。

マックのノートブック2400c/180のバッテリが成仏したようです。一年でお釈迦とはちょっとみじかいんではないかい?それはともかくお金がない。

北高の同窓会のあつまりでwin95 & 98がハングアップしてこまっている話をえんえん30分も聞かされた。おもわずマックにしてくれ〜といいたかったが必死でこらえた。winだってうまくやればできるはずなのだが。。。。

Newton 2100Jが再発売だそうである。よいことである。ついでに再開発もしてくれー。iMacよりマックらしいマックそれはNewton OSである。こんなことかいてるから僕のノートが最近不調なんだろうか?わるかった。ゆるしてくれ。2400c/180(名前はまだない)。

(1998/08/24 Mon )

mizunoさんのページ関連でメールをいただいたので掲載します。いただいたメールによるとフーコーやニーチェがお好きらしい。非常にうれしいことです。これからもよろしくお願いします。

マックのバッテリの件はどうやら本体に問題があるようだ。他のバッテリをさしてもバッテリを認識してくれない。延長保証をしてあるので多分ただで直るでしょう。即日修理のところに明日持ち込む予定ですが、直らなかったらしばらく更新しません。あしからず。(ニュートンもっててよかった)

(1998/08/25 Tue) 5732

残暑が厳しい。どころじゃないですね。あつい。

PDAに非常に興味のある今日このごろ。ニュートンが時代遅れになったらなにをつかったらいいんでしょうか。このままではデータはますます増えていきます。こんなに身の回りの情報を打ち込んでおくとべんりであるとはおもいませんでした。ノートですら不便を感じます。でもノートパソコンは必要です。デスクトップはいらない。

で、

http://www.zdnet.co.jp/news/9808/21/berst.html

に「Windows CEが前途多難な理由」がのっています。

まあ、ザウルスにがんばってもらいたいところですが、なんせブランドとしては遊び心がないというか。日本語環境やユニコードでは日本のメーカーががんばらないと。

明日はロマネスクサイトに新コーナーができる。お楽しみに。

名古屋北高関係者は北高同窓会webも御覧下さい。強化週間として2週間くらいアップデートをしていきます。

ノートブックの不調は次の土日にいくことにした。いまのところバッテリ以外は安定。どうなることやら。

(1998/08/26 Wed) 5752

ロマネスクサイトに新コーナーをnakoさんのページを開設した。でもディレクトリは独立しています。これは将来の拡張を考えてです。

 なかなかヴェズレーという建築は有名であるが、それほど日本人がいくとはおもえないところ(いくのはせいぜい、建築や美術関連の方ではないか?)の写真が入手でき大変うれしい。私はヴェズレーは滞在時間がほとんどなく町もほとんどあるかなかったのでnakoさんの写真はありがたい。

 なお、3回の連載を隔週でやる予定です。乞う御期待。

プロの研究者から光合成のページを読んだ感想をいただいた。光反応中心についてはできてるんですがどうしてもアップができずにいます。今週末にはなんとか目処を

昨日もバックアップとれなかった。


(1998/08/27 Wed )5772

最近2400c/180のバッテリが不調だわ、デジカメのフラッシュコンパクトカードのデータがカメラで読めるのにマックで読めないわ、パナソニックのモデムカードはこわれるわで、どうなっとるねんという感じなんです。お金はデジカメでコンピュータとの接続キットを買ったのでそれきりですんでいますが。いらいらしてよくないですね。ニュートンのメモリまだとどかないし。

北高同窓会webの更新をおこないました。写真をあらたに4ー5点いれました。このページのぞいている北高生はほとんどいないと思いますが。

 ところでみなさん高校とコンタクトあります?同窓会って意味あるんでしょうか?私としては同窓会内でオフミをめざしてBBSへ書き込みしています。

ちょっと前に同級生からハガキがきた。中国に海外青年協力隊で日本語教師としていっている。女性なのだが、そのことを他の同級生と話していたら「女だからできるんだよなあ」などというのがいてちょっと腹がたつ。やりたいこと/やれないことを性や家庭でくくっていうことはおかしい。逆に「おとこだからできるんだよなあ」となにかにつけて感じている女性はおおいはずだ。

 その女性はやりたいことをみつけてその後はそれを実現できるようにずっと準備してきた。それが報われつつあるのだ。なにかのせいにするとき、自分に能力がないと感じるためにそれに賭ける気にならないというのが本当のところだろう。わたしなんて常々そう思うので今の環境で満足している。

 もちろん性差はある。差別もある。結婚やらなんやらもある。だからどちらの性でも楽なコースというのはある。だがそれで満足できないなら!つまるところ自分の環境で満足できることに向かいつつある状態をつくっていくしかないのだ。

 本当の自分/今の自分は本当の自分ではない、という考え方。それは虚偽である。今のあなたが本来のあなたそのものでもある。自己の自己との関係。それは政治そのものである。

 

(1998/08/28 Fri )

Toriちゃんサイトを更新

『うちなぁぐちフィーリング』   儀間 進 著  沖縄タイムス社

・・・私事ですが母が沖縄出身なので、家族や私自身が沖縄に行った折りには、本屋さんをちょくちょく覗いて沖縄関連の本を手に入れております。

 この本は、「うちなぁぐち=沖縄口」つまり、沖縄の方言についてのエッセイです。

そうそうToriちゃん北高同窓会の写真みてくれた?

ちょっとイレギュラーな更新をするが明日はMizunoさんのベルクのディスク紹介。もうすぐ21世紀になろうとしているのに他の作曲家には届いた声が100年おくれて聴衆にとどきはじめている。100年たってもまだ消耗されない音楽。

 

(1998/08/29 Sat)

Mizunoさんのページを更新。ちょっとじれったくなってきたからもうすこし更新スピードをあげたほうがいいかな?

ある筋からMaizunoさんにおくられてきた「シェーンベルクとカンディンスキー」。たしかにうけてりました。ありがとうございました。もうすこししたら詳細を紹介します。

8/29午後4時たしかに私はiMacを見にいきました。チープな可愛らしさのiMacはPower PC G3 233 MHzを積んでいます。もらったパンフレットではPen II/400 MHzの1.5倍速いとなっているがこれは大嘘。そういうデータもあるという程度ならよいが。Byte mark integerテストによるとあるがワード、エクセルでは見事にひっくり返る。私は以前このG3の前のCPUである604 (120 MHz)をつんだ7600/120を購入した時、Pentium 60 MHzのマシンのほうがエクセルがはるかにはやいのをみてアップルには不信感を覚えアップルのスピード広告(雑誌のベンチマークを含む)には気をつけるようになった。これが私が一時期win 95マシンに興味がうつった引き金となった。

 データの加工をしているときはもうマシンの速さは絶対的である。2倍違えばデータの解釈が2倍できる。エクセルをメインにつかう人はマックはやめてwinマシンにすべきである。

 私自身はマックのOSがようやく最適化されてきてなんとかマック上でもエクセルでデータ加工がはやくなり一時期ほどの不便さは感じていないが職場にでもPentium II 400 MHzマシンがあろうならマックでエクセルなんてぜったいやらないのは目にみえている。マックのOSの画面表示プログラムはようやく次期OSで最適化されるという。そんなの遅すぎ。同様にI/OのコードもようやくPowerPCに最適化されていくようだ。

 以前ならi-Macは買いだったが、今はもういらない。というかeMateのほうがいい。Newton OSからみればMacOSのつかいやすさなんてWinとそうかわんない。

 

(1998/08/30 Sun)

ロマネスク建築の小倉さんのホームページアドレスが変更されるとおしらせをいただいた。 http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/5405/

日本NCRさんにApple 2400/180をもちこんで修理をやってもらった。30分ほどで完全にもどった。電源ボードをとりかえて直った。アップルケアに入っているので修理は無料だった。これはせんじつから報告していたバッテリを認識しないというトラブル。それをのぞく通常操作には問題はなかった。

 ねじが2ヶはずれていた。そしてそのねじが電源部におちていた。これが原因だったのだろうか?キーボードの裏にはIBMの刻印が。うーむ。またマシンが熱いといったらCPUの熱を逃がすヒートシンクをうかせてくれた。

 とにかくあずかりというのはこまるのでたすかった。これでまた地下鉄でwebの編集ができる。newtonじゃHTMLエディターないしね。

 2400/180をG3 240 MHzへのアップグレードを155000円で予約をうけつけていた。これもNewtonを買う少し前ならやってたんだが、155000円あるならi-MacかeMate。もうちょっと冷静に来年のコンシューマーポータブルである。それは300MHzあたりから始まるそうだが2400と同じくらいのおおきさだという。もっと軽くしてくれ。

 155000円だすなら14インチ液晶モニターとグラフィックアクセラレーターも手かもしれない。なぜならデュアルモニターはweb作成におおきくやくだちそうであるからだ。いずれにせよお金はありません。

 

(1998/08/31 Mon)

各地の水害はすごいことになってますね。車が川におちたり、家が水にひたっています。被害にあわれたかたにはなんといっていいか、、、

名古屋は雨のあとはふたたび暑くなりました。

newtonにメモリーカードをさしてようやくインタネット環境になった。問題は付属のインタネットのソフトでは日本語がとおるものがないこと(なんせ英語版の輸入品なので。でも製造はシャープ@日本)。ノートにペーストしてコード変換してよんでみたもののあまりのめんどくささに閉口する。私のばあい、4の5のいわずに2400をもって出るだけなのでメールソフトに8000円というのはちょっときがひける。

i-Macは一般windowsユーザーを新規開拓だって。winユーザの多くはwordとexcellをつかうからそのあまりのmac版officeのおそさにげんなりするんだろうなあ。と思う(しつこいって?)。このとき、MSのマック版のプログラムの書き方がへただなあ、と思う人とマック遅いじゃんって感じる人とどっちが多いと思う?ユーザにとってベンチマークのもっとも正しい書き方は同じCPU速度でなくて、同じ値段で買えるマシンで比較すべきだ。そうなってるのかな?

 


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