Tenebroso 飯田のHPにもどる | 過去の今日の話題

今日の分はもっとずっと下。

(1998/7/11 Sat)

最近お気に入りの本はマーク・ピーターセンの「日本人の英語」(岩波新書)高校か大学のころに買ったものだと思うが、当時は英語を全然わからないころだったので読んでも全然わからなかった。最近は毎日英語を書いているので(研究論文用)、今読むとよくわかることが多い。で、いつものわるいくせで私が参考にしているNativeの方が書いた英語を読み始める。するとなかなかよくわかる。もちろんよくわからない部分もあるが、今までよんでいたよりも明瞭に読めるようだ。だがあいかわらず書くのは大変(爆)

(1998/7/12 Sat) 5099

AppleのiMacはとても人気のようで私もでたら買いたいと思っている。これはアメリカでは8月15日発売のようである。(Mac week)

 ところでAppleのコンシューマー向けのノートブックはPDAやサブノートにはならないという。http://www.zdnet.co.jp/macweek/9807/11/n_schiller.html

おもくて大きいノートなんてあまり欲しくない。Vaioとの関連でキーボードがキーワードになるようなことをいっている。またPDAの開発はもうしないという。

 どうでもいいがAppleはPowerPCが速いといってるけどMSのExcelやAdobeのPhtoshopで比較すると同じくらいだ(日経マック7月号webにもあったはず)。もちろん上のソフトはPentium用にオプティマイズされているという。でも結果しかないのだ。この結果をApple幹部がPowerPCがはやいといった時に是非突っ込んでみてほしいものである。

 PDA選びは頓挫してしまった。ペンタイプで日本語が使えてPIMが充実しているもの。Palm IIIはなかなかに日本語化が面倒なようだ。日本語化しても検索が日本語使えないなら意味ないんちゃうか?だがPalm IIIはパソコンのPIMと連係してデータをやり取りできるのがよさそうである。

 ザウルスは見事に購買意欲を失わせてくれる(使ってる人ごめんなさい)。ザウルスポケットで興味を失ったのは一週間分の表示があまりうまくないと思ったことである。ただザウルスは自分でアプリを組み込まなくても日本語表示は問題ないしメールもwebも見れる。逆にここまで完備していても買う気になれないのはナゼ?

 Newtonももはや市場には出回っていない。Newtonも日本語化には同様な問題を抱えている。ただ私は頭がAppleに洗脳されているのでNewtonは問題があっても欲しいと思ってしまう。困ったものだ。

 SIIのものでBTRON内蔵というものがでていたがこれはどんなものだろう?とおもったらこういう記事があった。これもPIMがなんだかなあ。

 考えてみればようやくミニマシンにそれらしいCPUがのってきたのである。CPUが200MHz以上のマシンでさくさくうごくPIMソフトがCPUが貧弱なミニマシンで満足にうごくわけないのだ。もうしばらく待つか。。。。

(1998/7/13 Mon) 5117

Mizunoさんのアルバン・ベルクのCDレビュー

CDレヴュー (Author: M. Mizuno)

2《ルル組曲》、《管弦楽のための三つの小品 OP6》、《アルテンベルク歌曲集 OP4》(LP 輸入盤 DGG 2530146 )

M・プライス(Sp)&C・アバド/ロンドンSO

7/11の記事をちょこっと書き直しました。「日本人の英語」を読んで読んだ英語は自分で書いた英語でなくてNative Speakerが書いた英語です。先日の表現になってしまったのは、それらを参考としてMacに打ち込んでいたので自分で書いたというのは打ち込んだという意味なんですね。はっきりしない表現でした。って気にしている人はいないと思うけど。

地下鉄をまっていたり地下鉄にのったときあなたはふと手元の時間があいたとき何をするだろうか?文庫本を持っていてそれを読む?私の最近の行動パターンはすわれるならMacのパワーブックをひらきweb製作に時間を費やす。web製作に対する欲求ほど私はwebに時間をとれない。すわれないならあきらめて本でも読むのだが、本に集中できずあれこれ考えをめぐらすにつれてノートパソコンを開きたくなる。ふだんノートパソコンにむかって考えをまとめたりする時間が多くなればなるほど、そこに考えを書き込めば書き込むほどそれをもって歩きたくなる。実験室の移動などにもノートパソコンをもっていく。だがこんなとき白衣に突っ込んでおけるPDAがあったら、とふと考えてしまったのが運のつきで一月ほど前からPDAがほしくてしょうがなくなってしまった。

 はじめはNewtonが欲しかったのだが、 一つ前の機種はおそくてとまっているようだ。ときいていたし、日本語のアシスタント機能はつかえないと聞いていた。あたらしい機種は全然日本に入ってきていないようだしアップルによる日本語化も全然。とはいえ先週末中古販売で申し込んだ。残念ながらせり状態になりそこまでお金をだせない私はgetできなかった。Newton OSをつむeMateもどうようにほしくてしょうがないのだが先日も書いたようにキーボードタイプはノートパソコンをもっているのでおなじようなものはさけたほうがいいだろうと言い聞かせる。

 そのうちPalm Pilotに興味がわきNewtonについてしらべながらいろいろ調べた。が、これもにたりよったりでかなり手間をかけてあげないとうまく使えないようだ。お店の店頭デモで日本語をみれないというのはやっぱり致命的である。

 先日ザウルスは購買意欲がわかないといいながらマックとデータ交換するソフト(Mz Link Plus)があると聞いて手のひらがひっくり返る。それができるのはPalm IIIのメリットでもあったのだがザウルスにマックとの連係ソフトがあるならいい。

 SiiのマシンはB TRONをつんでいてマルチウインドウ・マルチタスクを達成しているようだ。だがでかい。このでかさならザウルスはカラーだよって。ここらの選択で日本語化がめんどくさいPalm IIIは落ちてきた。あとはザウルスとSIIのマシンをもうすこし調べることなのであるが、マックとのデータ交換を考えるとザウルスが一番よさそうだ。

 ザウルスにたいして購買意欲がわかないのは多分、NewtonやPalm IIIがパソコンに見えるのに対してザウルスはワープロに見えてしまうからであるのではないかと思う。またビジネスツールとして宣伝している分なんとなくしゃれっけがないし、宣伝がはでな分だけ誰でも知っていそうで、それなに?というおもしろみがないといった感じか。

 あれこれPDAを見てきたがカラーザウルスなら他の廉価なPDAがカラーでない(Win CEマシンはのぞく)ことに対して大きなアドバンテージを持つ。

 現在ザウルスを買うかどうか考案中である。

ちなみにこの原稿も電車のなかで何度かにわけて書かれた。

(1998/7/14 Tue) 5130

毎日PDAのことを書いてきたが結局買わなかった。昨日夕方職場をぬけだしてザウルスを買いにいったのだがキーボードやソフト込みで12万程度になりそうだった。もちろん白黒だったらもっとやすくて7万くらいで買える。白黒かカラーかというとカラーがすきなのでずいぶん高くなってしまう。

 また、カラーザウルスはせっかくここまでできててイーサネットでLANにつなげないとおもうとなんとなく寂しくも思ってしまう。これはそのうちつくんじゃないか?とか考え始めるともう買えない。買わなくていいということに了解してわすれよう。

 言い訳ではあるが今年物欲がとまらないのは実は自腹で国際学会に行くつもりでためていたのがちょっとした都合でいけなくなってしまってプールしておいたお金に多少余裕があるからである。とはいえ来年は行こうと思っているのですこしはとっておかなきゃ。

 ほかに買おうとおもっていたものを書いておこう。全部買おうというのではなく、とりあえず欲しいものリスト。2400cは私のメインマシンのノートである。cpu=180 MHz

ぜーんぶでいくら?(笑)現在選定中。でPDAはとりあえず落ちたと。。。だがすっかりイソップのキツネさん状態である。ちなみにマックは4台あってクラシック2以外はなんらかで稼動している。

(1998/7/15 Wed)5147

物欲のあらしはだいぶおさまりました。そこであらわれたニュースはApple Newtonの日本語化キットの発売。でもeMate以外にハードウエアうってないのが残念。

昨日はノートブックのハードディスクのパーティションを切って仮想メモリにまるごと100メガ割り当ててました。これはスリープからの復帰が苦しそうなのとページミルの画面切り替えもくるしそうなのでハードディスクのフラグメントではないかと考えたためです。フラグメントがおこりやすいのはハードディスクの残り容量が200-300メガなのでどうしようもありません。

そのあいだ明日のロマネスクの原稿を用意していました。

(1998/7/16 Thr) 5164

Yoko Andoさんから本の紹介がありました。

NHK特集 「海」 \3,200-

地球の地誌に関して、コラムが充実しているとのことです。ありがとうございました。メールちょっとまってね。

最近全然余裕がないので教えてもらっても全然フォローしてません。あと2週間が山場です。

故山本君の2度めのロマネスク旅行記。このとき(1990年)は私はひたすら大学で実験に明け暮れていたのですが、かれは毎日手紙を送ってくれました。ロマネスクのページ

Kondo Fumiさんのページカウンタが100をこえました。祝

昨日は名古屋市立大学薬学部の先生方とクローズドセミナーをおこない、40分ほど話させていただきました。

仮想メモリを専用パーティションにしておいたらいまのところクラッシュが起っていません。いままでディスククラッシュだったのかなあ。もしそうだとしたらページミルに問題があったようです。結構デジカメやスキャナで取り込んだ大きなファイル(~MB)を加工した後は落ちやすかったんですよ。 RAM=80MB

(1998/7/17 Fri)5179

日比さんのモーツアルト更新

十一 ・・・ 形を脱すること、一つの形の中にもがき苦しんでいる或るもの、肉体の中の或るもの、僕の中の或るもの、アマデウス君は未だ憶えていよう。僕と坂道との関係を知っていよう。このテーブルとの親密な愛情も。金色の針のやがて僕の額に動かなくなる迄にアマデウスよ、形の哀しみを響かせてくれ。 続き→ (1998/07/17)

PDAが欲しいということで、ではPDAを何に使いたいの?とずーっと考えている。

要求は?

あいかわらず原稿の半分は地下鉄で移動中に準備。

高分子学会予稿原稿脱稿!

(1998/7/18 Sat) 5192

昨晩は同僚と飲んだ。のんでばっかりに見えるかもしれないが、ここに飲んだと書いた日以外はのんでない。たとえば風呂上がりにビールをのむということはやらない。

 この同僚はマックを買うというので2400c/240をすすめて購入した。これは2週間ほど前にここでも書いた。これは私の先生にも進めた機種である。どちらもオタク道にはまってきている。電子メール病である。はじめはインタネットはそのうちということであったが、すぐにネットにつなげたいのですが。となった。

 同僚の場合はCD-ROMドライブがほしいーとかハードディスクかZipがあったほうがいいんでしょうか?と日々コンピュータオタクをきわめるべく物欲に身を焦がしている。

 その同僚のマックがなんか不安定になった。で高分子学会の予稿原稿終了後システムをクリーンインストールした。クリーンインストール後いらないものをわたしがすてた。なんだか速くなったようだ。なにがおかしくなったのかわからないのだがまあ、よくなったのでよしとしよう。で同僚はシステムホルダのなかみを知りたいという、で、マックの雑誌をわたした。説明は面倒というか短時間では不可能。なにしろ切り上げさえすればビールにありつけるのだ(爆)

Newton MP2000が手に入りそうである。NLKはニュートンショップでもまだ値段を発表しないようです。

エアコンから水がぱっぱとでてくるんですけど。。。。

Toriちゃんごめんよ。原稿2回も送らせて。Toriちゃんのページ相互リンクが実現しそうです。こちらのページからははっておいたからね。Toriちゃんによる本の紹介は今度は宮本輝氏です。あしたにでも準備しましょう。

 僕も宮本輝氏の本はすきでしたね。初期作品のほうが前衛的心象的退廃的だったと思います。うれてくるにつれそこに浪花節がいろこくなってきているんではないでしょうか。「錦繍」がすきだったなあ。でも一番今頭に残っているのは「蛍」。

(1998/7/19 Sun) 5208

Toriちゃんのページの更新 挨拶も更新しました。是非どうぞ。

『避暑地の猫』  宮本 輝 著   講談社文庫(1998/07/19)

 夏・・・ということで、ご紹介します(笑)。

 この作品は、鍋野医師の病院に4ヶ月前に入院してきた「久保修平」が、急患のために軽井沢行きをあきらめかけていた鍋野に「ちょっと長くなるかもしれないけど、俺の話、聞いてくれませんか」と始めた、彼の独白がストーリーとなっています。読む→

南君の恋人 内田春菊著

この物語はこれだけでよんでも確かに悲しい物語でもあるが僕にとっては物語の中と外の2重の死の物語でもある。

 この物語は恋人がちっちゃい、といってもほんとにちっさく10センチ程度の大きさなのである。物語りのなかでは小さくなった原因は語られず、主人公もなんで小さくなったのかなあと嘆くのみである。

 この二人のくりひろげる主に南君の部屋のなかでのできごとは内田氏の得意なエッチな話題でもある。かれは彼女をみてずばり男用バイブレータを想像する(p50)。

 南君は彼女にはいわないがいくつか現実の世界への願望をしめしている。p88「おれってこの先子供をもてるのだろうか?」

「みんなにばらしちゃって自分の家に帰った方がおたがいのためなんじゃないかって」pp115

「こうやってときどき浮気をするとちよみの世話もつらくなるかも」pp136

 彼女(ちよみ)はそういう現実との具体的なかかわりをさけるようなキャラクターになっている。彼女の頭にあるのは具体的なシーンでの現実への欲求ではなくなんとなくの「いつもとに戻れるのだろう」。

 そして物語りを全編つらぬいて美談調にしているのは二人の愛である。愛を強調することによって二人の物語りをそこにおさめている。

南君が「ちよみっておれのおもちゃだよな。」というと

「おもちゃのときもあればー、はなしあいてのときもあるしー」

とこたえる。

ある種の男がのぞむものをかるく受け止める。僕の好きなシーンでもある。

 物語りのクライマックスは温泉にふたりでいくところだ。この物語りが童話やSFではないことを示すかのようにちよみは温泉にはいっても小さいままだ。これは冒頭に通常のサイズからコンパクトサイズへのシュリンクがえがかれなかったことと呼応している。そういう場面は現実の物語りとしての力を大きくそいでしまう。そして二人は愛を確認しあう。といっても「僕はおんなのことこんなとこに(温泉に)きたのははじめてだなあ」そしてちよみは女の子といってもらえたことに喜びを感じるのである。これはたびたびちよみが自分が女の子なのかこどもなのか悩むその結論でもある。

 物語の最後はふたりは崖からおちちよみだけが死んでしまう。そして彼女をうめるシーンこそないが近所で子供が小鳥をうめるのをみて泣くのである。

 この物語りがカフカの「変身」のような辛らつさをかもしださないのはモラトリアムにいる高校生の物語でしかも女の子の物語で愛を前面に出したからである。 この物語の成立できる余地を物語自身がかたっいる。「ちよみが死んだというのにオレの回りはなにもかわらない」p189 ちょっとパラフレーズしてみよう。夫婦でおとこが小人になってしまった場合。今度は妻が働きにでる。小人になる前なった後の生活は激変する。それを描き切るのはものすごくしんどく、それを愛ということばでくくるのもどうようにしんどいのではないか。

 イプセンの「人形の家」と比較してみればわかることもある。主人公は同様に魅力的であるが夫がやってはいけない(金を借りる)ことでなんとか家をやりくりしてもそれはやっぱり夫からは怒られてしまう。イプセンでは愛を強調しても愛のための行為は否定されふたりには別れがくる。そういうきびしさはない。ちよみは家にいればよく、彼女はなすすべがない。

 最後にはこの結末で読者から抗議がきたことを紹介し、この結末を選んだ理由を「今までと同じマンガじゃつまんないじゃん」とのべている。だがこの結末はとても穏当でありきたりではないだろうか?なぜショックをうけるのだろう?いまさらかぐや姫みたいに月にかえるとかおおきくなってめでたしめでたしだったら脱力してしまう。あくまでもリアルっぽさをのこすための道具立てではないのか。そしてそれがまたロマンチックさをもりあげるならば形式と内容がうまく一致していると言える。

 だが女の子が小さくなったことを抽象化してみればあしがなくなった、おっぱいがなくなった、こどもがうめなくなった女性のように身体が不自由になった人との交際を描いたバリエーションでもある。そうかんがえるならば最後に死んでしまうのは結局のところそういう現実にふたをするかわりに理想の愛をうたうことで物語を縮小しているのではないか。

 あとがきでは著者は肝臓がんで亡くなったディレクターのことものべ「理想の夫婦」についてひとこと書き添えている。

 私にとってこの物語は、死がえがかれた物語だけでなく、亡くなった山本君が元気な頃、彼の部屋にあそびにいったときおいてあって日頃マンガをよまない彼がもっていて驚いた物語でもある。そこでこの印象深い物語りをよんで記憶に残っていたのが彼がなくなってしばらくした後テレビリバイバル(僕はみていない)のときに単行本がでてふと山本君はなぜこれを読んだのだろうとおもって買ってきたのである。いまでもそれはわからないがマンガをよまないかれが興味をしめしたマンガ、今はもう聞きようがない。私はこのマンガをみるたびいまでも彼はこの物語からなにをよみとったのだろうと思ってしまうのである。

 愛するものを失った時....せつなくなるマンガである。なんやかんやいっても僕はすきである。

(1998/7/20 Mon)

シェーンベルクのページを作り始めました。水野さんのディスコグラフィを復活させます。これで名実ともに日本で始めての新ウイーン楽派サイト??

モーツアルト

僕は今「後宮からの誘拐」をみている。このオペラはなんとすばらしいのだろうか。なぜいままでこれを見なかったんだろう。モーツァルトの音楽にこれほどまでのスピードと激しさと声と音楽の組み合わせの巧みさがあったなんて。そして愉快さ。

 あきらかにモーツァルトのオペラの男と女の二重唱のアリアはゴダールが映画に声のからみを取り入れようとしたいくつかのシーンを思い出させる。音楽的な処理なら声がいくつあってもいい。

 後宮からの誘拐はこりゃまた美人ばっかりそろえたもんだ(オヤジモード)。トルコの後宮にヨーロッパからつれてこられた女性はファッションモデルを使ってるんじゃない?ファッションは現代のもの。アラビアの民族衣装との対比がおもしろい。

 コンスタンツェの歌!!歌の内容はすっかり最近のラブロマンスではないか。いままでオペラって変な筋ばかりだったけど普通に楽しめる。

 いままで見た(テレビで)オペラは「魔笛」、「ドンジョバンニ」、「女はみんなそうしたもの(コシファントゥッテ)」だから後は「皇帝テイトの慈悲」かな。

 映画「アマデウス」は実に効果的に音楽を抜粋していったことがわかる。

 モーツアルトのオペラは魔笛を最初にみたのが失敗だった。このオペラと「女は・・・」あたりがケラケラ笑ってみれてよい。

 4人がおちあった後のカルテットのすばらしさ。きりがないのでここでアップ。



1998/07/21へ

コメントはおきがるに→iida@toride.com

過去の「今日の話題」

前の日記へ 

iidaのページにもどる