Tenebroso 飯田のHPにもどる | 過去の今日の話題

今日の分はもっとずっと下。

(1998/06/01 Mon)

現代音楽を聴く人に好評のKondo Fumiさんのポリーニによるシュトックハウゼン演奏会のレポート第二弾。今回で了です。感想をぜひKondoさんに送ってあげて下さい。

マウリツィオ・ポリーニのシュトックハウゼン演奏会の視聴記

 その2(1998/6/1)

 シュトックハウゼンのピアノ曲5番、10番。ここにきて、このプログラムの意向に納得。前にあれだけ無調への先駆け的曲を演奏されると、ものすごく聴きやすい。苦いと思ってた薬がすっと入る感じ。

 何だか、理論的に知っている「時代のリンク」を具体化したような。続きを読む→

メール:F <fumic@ma2.justnet.ne.jp>


高橋悠治氏のCD 「高橋悠治リアルタイム6 鳥のあそび」fontec FOCD 3191を購入。三絃と復元古代楽器のための作品集と銘打っている。演奏は高田和子氏。

 以外と聴きやすい。といってもぼーっと聴いているだけだからかもしれません。こういう何となく日本チックな雰囲気の中に安住できる素地は自分にもあるのだというのはある意味驚きです。こういう音色にくらべたらやはりオーケストラの音や音の組織というものは空間的にも時間的にも特殊な感じがします。もっとかまえて聴こうとしようとするとか。でもこれって和風レストランでかかっている琴だとかのBGMを頭で聞き流すのに似ているかもしれない。実際に伝統音楽というか日本の古典音楽はしらないのでそういう人からきいたらぎょっとする音楽かもしれないけども、知らないというのは恐ろしいもので同じものと聴こえます。

 ちょうど今トラック3三絃弾き語り「風がおもてで呼んでゐる」がかかっている。詩の形と音型は対応しているようだ。宮澤賢治の詩が使われている。この曲が日本語が明瞭に発音されるせいか一番印象にのこりました。

 といいつつ2回目にはいると段々微妙な音色の取り扱いなど、メロディらしきもの、それを中心として変奏していく様子がちらりと見え、おもしろくなって来たようです。

 まあ、しばらく聴いてみて様子を見てみましょう。

ちょっと風邪をひいて本調子ではありません。

(1998/06/02 Thr)

水野さんのページ"Mizuno talks about Webern"は"Neue Wiener Schule"としてリニューアルをはじめました。といっても今回はとびらだけです。ベルクの生涯を私が書いて水野さんがディスコグラフィを寄稿して下さいました。ここではサイト内寄稿という形で私が寄稿する形になります。というのはページのまとまりを考えるとディレクトリ内でおさめて、ページデザインを統一したほうがよさそうだからです。

  "Mizuno talks about Webern"改め"Neue Wiener Schule"

さっきYahooでシェーンベルグとシェーンベルクでひいたのですがヒットしませんでした。信じられる????

風邪が直りそうにないので病院に行ってきた。のどがいたい。市販の風邪薬をかっても1500円はするので医者にいったほうがコストパフォーマンスはいい気がする。小さな病院だったのに処方せんをだすようになった。となりの薬局にいくと薬を出してくれる。こういう動きが薬剤師さんのほうから動いていたのを聞いてはいたけど面倒。

(1998/06/03 Thr)

カノッサ氏がヨーロッパ中世史で有名な堀米庸三先生の奥様のお墓に鎌倉で偶然出会ったことをおののきをもって報告されています。寂。

 →カノッサ氏のサイト<http://www.toride.com/canossa/>

SN氏が5/29付けでパキスタンでの核実験の報道をまとめています。インドとパキスタンの核実験の報道って日本人は自分は正義なんだ。正義だから抗議するんだ。という下心みえみえの報道ばかりで私ははきそうでした。日本なんて投げ出しただけじゃん。

印象に残った報道は

シャリフ首相(実験後のテレビ演説)

・・・・ 特使を派遣してきた被爆国・日本の立場は分かるが、われわれは広島、長崎の二の舞いはしたくない。日本も核兵器があれば被爆しなかったはずだ。

さすが、目には目を、という論理ですね。

SN氏のサイト<http://www.dtinet.or.jp/~norio/index2.html>

光合成のページを更新しました。ながくなったので二つにわけたいと思ったのですが、とりあえず1つのままアップロードしました。来週は光収穫系タンパク質について。

3−5.タンパク質ってどのようにできてるの?
アルファヘリックスでできている光合成タンパク質

風邪がだんだんひどくなってきて医者にいった方がえらいのはナゼ?のどの痛みはおさまりましたが今度ははなをかみっぱなしです。汚い話ですいません。

風邪でぼーっとした頭に先日購入した高橋悠治氏のCDはとてもここちいいです。

(1998/06/04 Thr)

故山本和寛君のロマネスク旅行記 今回はトゥールーズというフランス西南の都市の教会を紹介。写真をペタペタはっただけのHTMLだけじゃないか!という声も聞こえますが、そのとおりですね。とはいえ、何枚かの写真の追加、彼の日記の確認など、それなりに時間かかっているので御容赦。この教会も書きたくなったらレヴューにはする予定ですのでそれまでの資料ということです。なお、内部写真は見つかりませんでした。残念。

8月17日 トゥールーズ着
Toulouse着、安宿に荷物をおいて500Fくらいおろす。→読む

風邪がすぱっとなおらないので再度薬をもらいにいった。処方せんをもらう。これは4/1からのことだそうだ。で、処方せんをみるとどこの薬局でも有効とある。では家の近くの薬局に行こう。ということで、いってみた。医薬分業は本当にすすんでいるのか?医者の薬は汎用性のました薬なのかどうか?すなわち、医者それぞれの配合のくすりはあるのかどうか?がわかる。と思った。

「いくつか薬がないので、この病院のとなりの薬局にいけばすぐだしてくれますよ」とのこと。

仕方がないのでもどる。こんなことためすんじゃなかったー。というわけですなおにとなりの薬屋でもらうのが正解のようです。

(1998/06/05 Fri)

日比さんのモーツァルト更新です。今回もいけてますね。

 魔笛を大切に奏でるタミーノのように、人生はモーツァルトの音楽に行き渡ってから音は独自の行動を見せる。彼の音楽は謎めいてはいない。ハ短調『ファンタジア』にも謎等隠れてはいない。リストやベルリオーズは音楽に映像を潜ませたが、モーツァルトは音に何も仕掛けなかった。音は純粋な音色に鳴れば良い。続き→ (1998/06/05)

あるかたから「山本君にささぐ」を読んだ感想をいただいた。うれしい。なかなかこのページの感想をいただいたことはないのでひとしおである。

アドルノで検索してはいって来たそうです。ちなみに私もアドルノをひいてSN氏のページをみつけました。

SN氏のサイト<http://www.dtinet.or.jp/~norio/index2.html>

昨日紹介すべきだったのですが山本君の論文を読んだことがありますという、まさにロマネスク建築の専門家の方にリンクいただいた。恐縮であると同時にプレッシャーである。

小倉康之氏のページ【ロマネスク建築】へのリンク
<http://www02.u-page.so-net.ne.jp/db3/ny-ogura/ra/>

風邪をひいてぼんやりしているうちに一週間が終わるなんて。。。

(1998/06/06 Sat)

Tori's roomを更新します。

『フロスト日和』R.D.ウィングフィールド/芹沢恵 訳 創元推理文庫(1998/06/06)

 『98年版 このミステリーがすごい』 宝島社 の海外編第1位・・・ということだったので、読んでみました。

 下品で役立たず、ぼんくら、行き当たりばったり。額の後退もちょっぴり進んでるし、周りの忠告もお構いなし。

 こんなさえないオヤジのフロストですが、時折見せる本物のやさしさ、文句だらだらでも、不眠不休であっちへこっちへと部下のウェブスターを引きずり回しての捜査。読む→

山本君にささぐ」の御母堂とゴダールの映画「はなればなれ」(モノクロ)を見た。もし彼が生きていたら御母堂とはほとんど話すこともなかっただろうし、ましてや一緒に映画をみにいったりコンサートにいったりなんてなかっただろう。ついでにいえばこのwebの半分のロマネスクのページは存在しなかっただろうし、山本君のニーチェの記述に興味をもった日比さんからのメールもなかっただろうから、寄稿ページの存在はかなりおくれたことだろう。また彼の痛ましい死が私に働き掛けて音楽的にはネクラに属するシェーンベルクの無調期の音楽に、はまりはしなかっただろうから水野さんの寄稿もありそうにない話になってくる。となると、のこるのはせいぜい光合成と高校の後輩のToriちゃんくらいで、もし彼が今日元気に生きていたらそれだけの可能性が高い。もちろん彼が生きているのが一番うれしいのではあるが。ゴダールだって彼が生前見ていたのでみにいったのである。

 ゴダールはこんでました。以下感想(前編)

 単純にして複雑という典型的な二面性を合わせ持つ作品です。

 単純な面は泥棒、女、逃走。

 複雑な面は登場人物の心理を描こうとする。

 それらのからみ合いをどう描くか、それ自身をテーマ化している。

といったところでしょうか。

 ストーリーはお金持ちのお嬢さんを男二人組の片方にほれさせて家のカギをあけさせお金をとりにはいらせるがお金をせしめたときに男のおじがそのお金を横取りしようとして殺しあいになって、のこされた男(女が決してほれなかった方)と女が逃げる。で、愛しあう(爆)

というどうでもいいでしょう映画。

 ゴダールの映画はハリウッドのありそうにないかっこいいドラマの逆でかっこわるいそこらでありそうなどうでもいい話をこった描写でえがききった絵画でいうとマネのオランピアあたりを思い出させるような位置付けのような気がするのですが、最近の「新ドイツ零年」では汎ヨーロッパとか映像と言葉というか言語、詩、文化の総体というさらに拡散した映像をとっている気がするのですがいかがでしょう?

 若い頃の「勝手にしやがれ」なんかは今でも動員数が多いようですね。

また、映像を参考にしているアニメ監督もいるようですね。

 今日の客層はまさに「わたしっておしゃれ」という人か、「僕って映画にくわしいんだよね」という雰囲気の人が多かった。

 私は「まあ、それなりに見ておくか」というひとですかね。

(明日につづく。)

(1998/06/07 Sun)

その人物はeMateをもってすわっていた。eMateとはアップルの新しいポータブルコンピュータのコンセプトである。その源流はNewtonにある。eMateがNewtonOSをつむことも興味を持つことなのだが、もう1つの魅力はその匡体デザインにある。コンピュータ業界初のスケルトンモデルでないかい?僕はeMateを雑誌ではじめてみて、これはどこかで見たい!とはやくも思い込んでいた。その後あるコンピュータショップで見つけた時30分ほどその周りをまわっていた。20万しないのでなんとかなる金額である。だが、PowerBookを持ち歩かねばならない私にはさらに小型ノートをもちあるくなんて重量の点で不可能でないかい?

 NewtonOSは書類をもたずスープで書類を管理しているそうだ。そういうことをみせてもらえばよかったのだが、その人物とはほかにいろいろ話すこともあったのでそちらの方向はおわってしまった。またメールソフトのデザインとかどうなのだろうか?

 その人物はまだそのeMateをインタネットにつなげていないそうである。どうもモデムカードあたりがよくわからないらしくつながらないらしい。通信のセットアップボックスを開くとあ、ローカルトークだ。なるほど、これがインタネット設定ね。ふむふむ。ローカルトークをつかってインターネットへのアクセスも可能なはずなのだがそれもうまくいってないという。まだeMateがついたばかりで英語の取り説しかないならしかたないか。

 いいなあ、eMate。あれを机のうえにのっけておいたらすごくいい。こんどあった時にはNewtonOSらしさをみせてもらおう。ところその人物は結果的にこのwebページの大きな流れを決めてしまった人物で、私は以前、光合成とロマネスク、日比さんのページという全然関係のないページをまとめるのがいやになってきて別々のページにしようとしたことがあったのだが、ちょうどそのときメールがきていろんな内容があっておもしろいといっていただいた。それが結果として毎日の寄稿者を巻き込んでの更新を可能にしたわけで、その路線をとっていまでもよかったと思っている。

 さてその人物はMirei氏とMinami氏である。

うえのお二人にあうことになったのは実に突然だったのだが共通の話題が映画とくればあわないでいられない。昨日もレポートしたがフランス映画を愛知県芸術劇場で今週末だけやっているのである。今日私はみたのは「冷たい水」(アサイヤス)「終電車」(トリュフォー)である。私が四時ごろいってeMateを持った人をさがし、Minami氏を見つける。すこしおくれてMirei氏にもあう。このようにeMateは初対面の人のまちあわせにぴったりである(爆)

 はじめはeMateをさわらせてもらったが、さわりかたがわからずおたおたしてしまった。でどう使ってますかときくとまだ使いはじめたばかりでよくわからないとのこと。今度あったときにいろいろデモしてくださいね。2400CのG3アップグレードカードでなかったらeMateかNewtonをかうかもしれませんが。あ、iMacでもいいんですが。。。。

で、「冷たい水」である。この映画はまちがいなく秀作であるが、私にはややついていけない。「おとなはわかってくれない」の路線(Mirei氏)だそうだが、完全に切れた女の子とやりきれない男の子の物語で物語は必然的にアンハッピーで面白いものではない。僕は現状に不満をもちながらもそこにとどまろうとする男の子にとても同感を感じる。愛を感じた次の瞬間、少女はするりとぬけだして男の子は彼女を理解できない。フランス映画に英語ロックが鳴り響くようになって久しいが、ここではロキシーミュージックのブライアン・フェリーの歌声がつかわれていた。(というかこれしかしらなかったが、重要なシーンで2度あらわれたし、クレジットではトップにでてきたのでまちがいなくkeyではあるとおもう。

 私もこの曲を聴いていた中学生の2ー3年生頃はまちがいなく、現状にいらだち、なぜ勉強をしなくちゃいけないのか、なぜ自分はこんなに不器用なのかということを悩んでいた時分である。そういう意味では世代感にのれたかもしれない。

 問題は主人公の少女が完全に切れていることなのだが、この映画巧みな映画では当然のように見つづけるにしたがって彼女のピュアすぎる魂に近付きそこにさわってやけどをするという心理面が描かれていくと同時に彼女の美しさを我々が見つめその視線までもかえてしまっていることが仕組まれている映画である。これは最近の精神分析的な扱いではまったくない。「ビリーミリガン」といったような。そうではなくて彼女の仕草や言葉でそのどうにもならない切なさが伝わってくると同時に伝えられたわれわれもなんともできず、ただふりまわされるしかないのだ。彼女ははじめはただの汚い子娘としてあらわれるが、自分で髪の毛をパーティのさなかに切り、その後切ってちった髪の毛を愛おしげにつかむ。これはもう戻ることのない過去をみごとに表している。この映画のクライマックスはその直前のパーティでの二人の踊りである。その後の彼女の笑顔。これはとても辛い笑顔なのだ。そして、パーティがあけ女の子が外で用を足すシーンから一転どうにもならないストーリーへとながれていく。

 最後に二人で南フランスに逃げたが、その逃避行はまったく美しく描かれなかった。

 さいごの二人の逃避行はむしろ寓意的なものととらえるべきなのだろうか?「アンゲロプロス」の幼い姉弟のように。出口のない旅立ちはまた、出口のない入り口でもある。少女は真っ白な紙をのこして「冷たい水」に入ってしまう。彼女の裸が少年の寝ぼけたにうつるとき、そこにきてもう物語りとしての結末が見ることができる。物語として共感できないがそういう型にまだはめられないやるせない気持ちをうまく表している映画だった。

明日の更新がいつになるかわからないのでとりあえずアップしてしまいます。

(1998/06/08 Sun)

モーツアルトのオペラ「魔笛」をNHK教育で見た。バレンボイムの指揮である。

アウグスト・エバーディング演出 
ザラストロ   ジョン・トムリンソン
タミーノ    エンドリク・ウォットリヒ 
パミーナ    ティーナ・キーベルク 
夜の女王    アナ・カメリア・ステファネク
パパゲーノ   ロマン・トレケル

この物語の意図はさっぱりわからないので、まあ、その場の楽しみだけで見ることにする。というか、パパゲーノの二つのアリア、鳥刺しとパパパのアリア。夜の女王の復讐のアリア。あたりが見れればあとは、よそ見していようと思っていたのだが意外なことに画面に釘付けで楽しむことができた。

 全体的にテンポアップしためりはりのきいた演奏。夜の女王のアリアは見事。モーツアルトは復讐だとか怒りだとかをこんなに美しく表現するのだ。圧倒的な気品を放っている。

 台本どおり王子さまは頼り無いが、パパゲーノは笑わせてくれる。

 モノタナトスの陰謀は当時のヨーロッパの国家関係を象徴しているのだろうか?パパパのアリアの多産のよろこびの歌は当時のうめよふやせよ政策に影響されただろうか?

これはすでにレヴァインの指揮でレーザーディスクでみているので楽しんでみることができた。

ゆえあって延期したゴダールの「はなればなれ」の感想の続き

印象にのこったところを書いておくと

冒頭、車の右折に際して右折前にはカメラ(我々の視線)は路上から見ていますが右折後、直線コースで加速時に車の上にのります。

このとき速度ゼロから50キロくらいまで一気に加速されるのですごい加速感があり、映画のテンポアップにとても効いてきています。それから必要以上のエンジン音の強調。この手の工夫があちこち仕掛けてあるのでとても動きが強調されていて当時としてはよかったのかもしれませんがコミカルな表情になります。

また、英語学校のなかで男二人女一人の顔の表情だけで三角関係が繰り広げられるのですがそれが先生が朗読するシェークスピアのテキストの内容にそって繰り広げられるところ。これは実に面白い。言葉と映像が劇と現実の交錯する様子をうまく描き出していました。

そして、チェスタトンとハーディの引用。classic=modernの説明。めちゃくちゃ強引な理屈ですね。

女の子が家に泥棒の手引きをするのですがそれは、女の子がうすうすおばに反感を抱いているところが彼女の言動を細かくチェック入れるところで再現することからなんとなく推察することができます。

3人のダンスでの心理面の解説とダンスの進行。3人のはなればなれの思惑の象徴。少女の一人のダンスの物悲しさ。

(1998/06/09 Mon)

ベルクの後半生(前半)

 ベルクの音楽できってもきれないのは女であろう。叙情組曲では曲の音列に相手と自分のイニシャルをいれたり、不倫ではあるが恋をあらわすためにトリスタンとイゾルデの和音を鳴らすためにそれができる音列を採用したり、ヴァイオリン協奏曲では若い頃女中に孕ませた子供の暮らす地方の民謡をいれこんだりして、そのこだわりぶりは半端ではない。

 ベートーベンの不滅の恋だってドラマとして十分興味深いが音楽の構成要素にはそれはあまりはいってないだろう。ベルクの曲はこれら個人的なものを直接音楽にとりこみミクロな構成法を自在にあやつって曲を構成したことにある。しかし、ミクロなプライベートなエピソードに属することを暴きたててもそれはのぞき趣味なのかもしれない。

 ベルクは17歳の頃女中のマリー・ショイフルを愛しアルビーネという子が生まれた(1902年)。この子はケルンテルン地方でベルクの両親に明らかにされずに育てられていた。

 その後妻になる、ヘレーネと彼女の両親に反対されながらも結婚にこぎ着ける。1911年のことであった。彼女の間にはおびただしい数の手紙が残されているという(公開されたものでも569通)。

「僕は君を愛することによって、君の中にある、世界のすべての女性美を愛するのです。こうして僕はもっとも広汎な男、全世界のドン・ファンなのです」

 最後にハンナ・フックス・ロベッティンとの不倫の恋がくる。ハンナとは1925年にしりあい、すぐに熱烈な恋愛関係に落ち入ったという。だがどこまでの関係なのか、どの程度続いたのかはわからないが14通の手紙が残されている。ヘレーネとは離婚しなかった。

 後半の作曲活動はこのハンナのためになされている。叙情組曲バイオリン協奏曲。ベルクは残した曲はすべて傑作というとんでもない作曲家だが、とりわけこの2曲はよく演奏される。どちらもハンナに関係あるモチーフが見えている。

(続く)

ベルクの生涯、書くの結構しんどいですね。資料の確認やらなんやかやで1時間ちょっとがとんでいってしまいました。。。。後半も書いてあります。(水野さんチェックよろしくね。)あと叙情組曲とバイオリン協奏曲についてはもうすこし書く予定です。

(1998/06/10 Tue)

ロマネスクのページ明日の更新予定ですが、もうひとつリンク許可をいただきました。といっても半年以上前からリンクはしていたのですが。リンクのお願いもこちらがそれなりにつくれないとひどいのをわざわざ宣伝するようなものだから結構考えるものがあります。こちらのリンク先は「研究所」と銘打ってあるので個人サイトとくらべてメールを以前出しにくかったのは事実。でも今は多少はおつき合いができて、自信がついてきたのでメールした次第。

今回いただいた先は

HISTORY OF WESTERN ARCHITECTURE増田建築研究所

です。これでロマネスクや歴史的な建築物の写真とコメントを読める日本のサイトは...

日埜さん/建築批評中世ヨーロッパロマネスク訪問記サンチアーゴ・デ・コンポステーラ

中村 和也氏/Atelier Cloitre(シトー会派のロマネスク建築)

小倉さん ロマネスク建築

HISTORY OF WESTERN ARCHITECTURE増田建築研究所

今回は光合成の更新をぶっちした。といっても予告どおりだけど。学会発表申し込みやら職場での原稿依頼やらでちょっとやってらんないって感じ。おまけにフィードバックのメールは極端に少ないし。webでの原稿はコメントつけあったりするのが楽しいのでやってるのと書く話題とかもやりとりしたなかから決めていく(たとえばロマネスクのページ、音楽のページ)のにそういうことがないのでおもしろくないのだ。あ、これはこのページをよんで下さる皆様にいってるではなくてこのページをよまなくて、光合成のページだけ読む人のことです。あのページは専門的すぎるのでこのページにくる人はよんでも全然わからないと思います。はじめはそれをめざしていたんですがね。なかなか難しいですね。と愚痴をたれてしまいました。お許し下さい。



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