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今日の分はもっとずっと下。
(1998/04/21 Tue)
今日は疲れました。というのは光合成の方にNatureの論文2報(Stenberg-Yfrach G, et al. Nature (London) 1998;392:479-482.他)を要約したのを仕上げていたからです。(残念ながら私の執筆した論文じゃないですからね。念のため。)Natureの図をさすがにスキャナで取り込んで使うのは気がひけたので私が適当に論文の図をみながらかいたので、結構時間をとられました。
というわけで、そちらをぜひお読み下さい。ただし化学式をつかいまくってるし、イオンラジカルやらリポソームやら説明なしでやってるので専門的な知識が要求されるかもしれませんがイラストを多くつくったのでそれだけでも見てもらえばいいかなあなんて。
この論文は4/2付けで出ていたのだけれどうかうかしていると日本語の雑誌に解説記事がでてしまうのであわててやったのであった。速報性に意味があるかどうか。
実はこの原稿先週から一週間かかっているんですね。
→しょうがないからよんであげる→人工光合成分子と酵素を組み合わせて人工細胞で光合成をさせる
あすはロマネスクです。
(1998/04/22 Thr)
あなたは死んだあと天国にいく自信ある?それとも地獄?
女と道ならぬ中にはまったあなたは釜でよくゆでられた上にその女と縛り上げられるといい!それともあなたを突き動かしてきたのは虚栄心か?そんなあなたはそこから引きずりおろされるがいい!それとも金?お前のようなやつは縛り首だ!と、いうのは以前紹介したコンクという12世紀頃のフランスにある教会の地獄の彫刻。
今日はこの地獄の表現にもう1つ付け加えたい。オータンという街にあるサンラザール教会でやはり12世紀のものである。
というわけでサンラザール教会への旅行記と教会正面の彫刻を見てやって下さい。
→旅行記
→彫刻
マックの話題でwinな方にはもうしわけございません。ちょっと古いがMac Power1998/2月号でMercutio MDEFにバグがあるとしていた。それの詳細とパッチが以下のURLから手にはいる。私はMacOS 8.1にしているがこれをいれてかなり突然MacOSが落ちるということがなくなった。特にアプリをしこたま立ち上げておいて、スリープから戻ってしばらくして落ちるということがあったこと、Internet Explore4.01とCyberdogの両方たちあげて作業しているときによく落ちたのが、かなり改善されている。もちろん同時にGraphic Converter, Photoshop, Page millなどが立ち上がっている。これらのアプリはこのリソースを使っているという。気になる方はアクセスしてみて下さい。
Mercutio MDEF Bug and Patch
http://www.macintouch.com/mguard.html
それと、今こってるのがシェアウエアやフリーウエアを使うこと。Mr PCとJJworks
Mr PC: http://www.bekkoame.or.jp/~iimori/sw/MrPC.html
JJworks: http://hp.vector.co.jp/authors/VA005831/goods.html
Mr PCは起動中のアプリの一覧をタイル表示してくれる。そしてそのタイルにドラッグ&ドロップできる。HPで画像をいじりまわす時にはとても便利。フリーウエア。
JJworksはパーソナルインフォメーションマネージャー(PIM)。To do, adress, white boardなど。とくに複数日にまたがる項目の書き込みが気に入った。いま入れたばかりなのでしばらくして使いつづけたら登録するつもり。
(1998/04/23 Wed)
昨日までの週はじめの2大企画(光合成とロマネスク)は結構気合い入れていてこれだけで一週間終わったって感じ。今は企画ものがない。。。日比さんのモーツアルト、実は受け取っているのだけどページデザインを今している段階。もうできてはいるんだけど夜一気に作ったものって一晩たつと全然ということになるので。というのはこのセクションの文章はみんなそう。そんなにかわらんじゃんというかもしれないけど光合成とロマネスク気合いを入れて作っていて、アップロードまでに数回読み直して作っています。だから数回分原稿がためてあるのですね。といっても人工光合成については先週あわててかいたのだけれど。あの人工光合成の化合物じつはすこし間違っているんですね。あれではあの反応が進まないというくらいに重要な間違いです。来週にでも直します。
もうすぐhibiさん、mizunoさんのサイトに新たな仲間が加わります。来週ってところですかね。ジャンルは書評です。サイトを開いた時にはぜひ見て下さい。
名古屋では昨日8時半頃2回地震がありました。こういうのを研究しているひともいるんだろうなあ。今いいデータとれているんだろうかなどと考えていました。
例のエヴァのIkari Shinji君(の代理?)からメールが来た。質問にすぐ答えたかったのですが、ちょっとあれこれあってもう少しお待ち下さい。
マックのワープロで標準といったらなんだろう。ワードかなやっぱり。
(1998/04/24)
山本君の京都旅行記(1989/4)
平等院
百花繚乱、しだれ桜と青もみじ越しに鳳凰堂を見る。五月にはつつじが咲くことだろう。花曇りの太陽は、鳳凰堂のほぼ上空にある。はるばる来たかいがあったと思う。
建築は西を背にしているので、夕日の方向に鳳凰堂を見るわけだ。
西方極楽浄土 南無阿弥陀仏
−中略−
合掌すると自分の手が暖かいことに気付く。花の美しさに注意するようになると女の人の美しさに敏感になる。春のおだやかさは、なぜか無常を思わせる。
天蓋にはこうろや垂れ飾りが装飾としてさげられていたらしい。箱型天蓋の正面左右の隅から鉄の棒が垂れているが、もとは四隅から垂れていたもので、おそらくこれに張りめぐらしていたと思われる。
「今昔物語集」に興福寺金堂の天蓋を定朝がつくった話がある。
(1998/04/25 Sat)
昨日(25日)は急にコンサートのチケットをいただいて行ってきました。オーディション入賞者の新進演奏家紹介コンサートでした。
三人の方が演奏されました。
伊藤美江さん:シューマン/フモレスケ。この曲初めて聴くのですがとても興味がわきました。演奏はソフトで親しみやすく感じました。ブラームスがシューマンの曲を参考にしたのではないかとあからさまに思える曲です。ブラームスの後期ピアノ曲の起源を見た感じです。
近藤茂之さん:リスト作曲/バッハの主題による変奏曲他。ロマンチックな曲だと思うのですが要素をばらばらにしたような演奏でした。分析的な面が出過ぎていたような気がします。これは単にマニアックな選曲だからそう思ったのかもしれません。
竹内理恵さん:ラフマニノフ/前奏曲 op3-2,23-5、ピアノソナタNo 2 op 36。三人のなかでは一番技巧が目立つ選曲のようです。でもって彼女のピアノはとても力強く、曲のせいもあったのか最後まで強い持続感がありました。ただ、高い音と低い音の音色の統一がもう1つでした。というのは重厚な和音をならしつづけるところで音のバランスが変化していたからです。
演奏家のみなさんは音楽(芸術)大学をでたばかりという若さです。このような新進演奏家を聴くことが音楽を広げるのに貢献していると考えているので機会があればまた聴きにいきたいとかんじます。ウイーンフィルやベルリンフィルを聴きにいくよりこういうかけ出しの方などにもバランスよくいって応援するのがクラシックが広まるいい機会になると考えます。
今日の演奏会でかんじたのは彼らの容姿のとおりの演奏スタイルだと感じたことで、それは実は容姿におもいきり影響された聞き方をしていたのかとも思います。特にすべての曲をはじめて聴いたので。実のところはわかりませんが。
(1998/04/26 Sun)
ゴヤの黒い絵
26日 NHK教育am 9:00-をみた。これまでにもゴヤの黒い絵は私にとってとても大きくひかれる絵だった。そのときそのとき解説を読んできたががあまりピンときていたわけではない。黒くて恐ろしい主題が描かれたそれぞれの絵の圧倒的な存在感は一度みたら忘れられないだろう。私はまだ実物を見ていないのが残念なのだが。こういう絵こそいろいろ調べたり何度も見たりして時間を費やすのにふさわしい。なにしろ一級の人々もまたそれらについて語っているのだからそこにでてくる情報をリンクさせていくことは他の要素を自分に取り入れるよい機会でもあるのだ。
ゴヤは18世紀の画家である。王室画家としてトップまで出世し、華やかな絵をかいていたがスペインの戦争、宗教(異端審問が復活していた)、国家といったさまざまな矛盾が周辺で噴出していたことを黒い絵として自宅の壁に油絵でぬっていたものだ。「わが子を食らうサテュルヌス」などは見たことある方は多いと思う。
番組ではこれらの絵のゴヤの自宅にあるままの配置でレプリカを作成した徳島の美術館を取材して解説された。また、マドリードにも取材にいった。解説は名前をわすれてしまったが大学教授と画家の2名であった。
教授の方はこれらの絵を現代思想の先取りとして解説していた。どうしようもない閉塞状況におちいった現代である。教授はこれらの絵にもうひとつデッサンをを持ち出して、そこに戦争で殺され墓に埋められた人がよみがえり、その人が紙に「無」と書き付けているのを示して、死後の救済というキリスト教的観点からではなく死後の救済なんてないんだ、無なんだというキリスト教的世界観の無意味化をゴヤがかぎとっていたことを強調していた。さすがにニーチェまでは言及はさけていたがNHKのスタッフがそうつっこんだ。しかし、はっきりとは賛同しなかった。話が広がり過ぎるからだろうとおもった。一方画家の方はもっと主観的心情的な解釈を試みた。黒い絵をかいていた時のゴヤにはエネルギーにあふれていたはずだとかたっていたのが印象的。
今回の絵の置かれていた空間的配置に注目した解説はじつにおもしろかったが、NHKゆえのつめのあまさがあるのは否めない。これはイギリスBBCの製作ではもう一段見ごたえがあっただろうという意味くらいである。というのは全体に絵の心情的・主観的解説にかたよっており、「わが子を食らうサテュルヌス」と犬の絵にフォーカスを当て過ぎていたせいだ。この絵がいちばんそういう点でわかりやすい。これらの絵の内部の構図と表現、先行する作品といった内容についてはまったくふれられなかった。とはいえ45分の番組でだれにみてもらうかを考えているに違いないから、逆にいえばNHKのスタッフが日本人に期待している絵への理解はこの内容とスタイルであると結論していたとしてもいいかもしれない。
とはいえ、これらの絵にさらに興味がわいてきたのは事実。なお寝ぼけ眼でこの番組を見始めたのだが、いくつかの黒い絵のショットで完全に目がさめた。これだけでこれらの絵の迫ってくる迫力が本物であることを私に臭わせてくれる。
本日26日午後8じから再放送があるそうである。NHK教育。
(1998/04/27 Mon)
山本君の京都旅行記(1989/4)
浄瑠璃寺(真言律宗)(上)
本堂(もとは檜皮葺、江戸時代より瓦葺)は、九体阿弥陀堂の中で唯一の遺構、桁行九間の内陣の各間に一駆ずつ阿弥陀佛を配す。これと対応して板戸を設ける。平行した尊像は、正面観を強く意識した浄土観想のためのもの。池をはさんだ小さな三重塔には秘仏の薬師如来をおさめる。(毎月八日に開扉)。脇像が中尊と同時の造立か否かについては説が別れる。
朝日は三重塔の中心からのぼり、九体阿弥陀堂の中心に沈む。
須弥台が長方形であり、それほど高くはないが諸尊の座する蓮華座は1mほどの仕切りによって座った位置からは隠れてほとんど見えない。中尊にも天蓋は当初からついていなかったものと思われる。九体の佛、平並、ややもすると連続的な平面性が強調され統一感にかける危険性があるが、各像がそれぞれ柱で区切られた九間幅の内陣空間をもっているために、緊密な統一空間構成を保っている。九体佛と九体阿弥陀像は、切り離して考えられないと言える。(本来、堂の中には入れなかった。堂は廚子の役割、本来は外から礼拝していた)
西方浄土−極楽浄土
東方浄土−瑠璃浄土
つづく
(1998/04/28 Tue)
今日は光合成の新作をPutしました。光合成細菌の色素についてのはなしです。
昨晩はすっかり飲んでいいきもち。なんと3次会までいくことになりました。普通はニ次会でまんぞくするのですが、二次会の店をはやくにでることになったので。で、頭がいたいです。また、寝ます(am 4:00)
(1998/04/29 Wed)
今日はサンジールのキリストの受難の彫刻をPUTする。私のように非キリスト者であっても、キリストがおのが運命をにげずに全うしようとしたその物語はとても美しく気高い。キリストは旧約聖書にかたられた自分の運命を知っていたのだ。(だが私には確認できていない。わかりやすくこの問題をまとめた本があったら教えて下さい)
このような概念はノブリス・オブリージュとしていまもつたわる。高貴なるものの義務といういささか今日ではうさん臭いものいいではあるが。だがホイジンガのような精神にあってみればそれが実に健全と息づいていたかがわかる。
それはともかく、キリストの受難の彫刻である。サンジールは私の友人が研究テーマにえらび全うできなかったテーマなだけに私の興味をひくのである。
昨晩も飲み会。年間通じて考えれば私の職場はとても飲み会が少ないと思うが、昨日今日連日というのはちょっと珍しい。ビールではしんどくなるまでは酔えないかな。職場のサーバの管理者にインタネットマニアといわれた。もちろんこの私のホームページは個人的なところにあるのだが、私がモバイルをしていることとwebを毎日作成していることからそう呼ぶようである。でもサーバ管理者のほうがマニア度が高いような。私はcgiもしらないし、Pearlだってしらないの。
(1998/04/30 Thr)
タケミツトオル氏のノヴェンバー・ステップスは邦楽か洋楽か?悩む人はSNさんのサイトでレポート(4/27付け)がでています。ところで熱がある時は本も読まずに寝ているべきです(笑)。まだ体調悪いようですね。病み上がりは気を付けて下さい(私信モード)。4/25日付けには私のみそこなったNHK教育、少年プロジェクト特集「ききたい・10代の言い分」のレポートがありました。私も生徒会やってたけど私が高校時代の時には生徒会は先生に近い存在としては見られていなかった比較的幸せな時期だったと思います。真面目タイプは生徒会にいなかったせいもあるかも。今はどうなんだろう?再放送は録画して見ようかと思っています。
ベートーベンのデスマスクはご存じだろうか?リルケによると
「はげしく引きしぼられた鋼鉄のような感覚の瘤起。たえず蒸発しようとする音楽を、意志によってきびしく凝結させた者の顔。」(マルテの日記 望月市恵訳 岩波文庫)
ところでこの記述の前に
「1つは屍体公示場で若い溺死女の顔から取ったデス・マスクである。美しくて、微笑をしていて、その微笑が意識して微笑しているように美しかったのでつくられたマスクである。」(同上)
と気になるデスマスクがある。これはだれだろう?このマスクみたことあるだろうか?残念ながらみたことはない。だがその写真が他で語られている。
「あきらかに自殺を遂げたと思われるこの身元不明者はパリの屍体公示場に運ばれた。・・・それは20歳から22歳ぐらいの若い女、もしくは少女の顔である。・・・彼女の目が最後に見たのはセーヌの岸とセーヌの水で、そのあと両目は閉じられ、そして短く冷たい戦慄がやってきて、めまいが襲い、窒息と失神があっという間に起こった。・・・はじめは絶望があり、そして窒息に対する短い恐怖があったのだが、そのあとにきたものを、私達はいま、この写真のうえに、彼女の顔のうえに見て取る。だからこそ彼女は、こ屍体公示場の他の屍体とちがって、あっさりかたづけられてしまうことはなかったのだ。」
と実に細かく書いているが彼女がどんな表情かについて語ることは『そのあと』と記述するにとどめうまくさけられている。それは次のパラグラフを待たねばならない。
「ほんとうにやさしいほほえみがある。・・・この身元不明の女は、ある幸福に近付きつつある。・・・死を考えるとき、そこにはつねにある種の安らぎもすでに含まれているように、何か人を蠱惑しおびき寄せるようなものが、この顔からじかに流れだしている。」
とても精緻でデリケートかつ計算された言い表し。デスマスクをみてこれだけのことを思い付かねばならないのだ。あなたにも同様な想像力はあるだろうか?この著者どなたかわかる人いますか?
「ベンヤミン著 図版 写真小史 久保哲司編訳 ちくま学芸文庫」に収められたアルフレート・デーブリーンの「顔、映像、それらの真実について」から引用していました。あなたは買いました?
この本ベンヤミンの著作にそれに引用された写真と著作を一気に載せるというマニアぶりでとても好感がもてます。