Tenebroso 飯田のHPにもどる | 過去の今日の話題

今日の分はもっとずっと下。

(1998/04/01 sat)

今日は先日予告したようにロマネスクのページをかえました。なんども書いていますがフランスロマネスクとは11~12世紀のキリスト教教会の美術様式です。

私にとってはこのような彫刻や絵画のイコノグラフィを友人に仕込まれたので(のわりに覚えてませんが)、何かをみるとすぐ、それが暗示しているものや、意味がわからない場合は細部の連関をさぐるということを始めてしまいます。

ここではロマネスク教会としてサンジールデュガール教会のページをいじりました。この教会は彫刻が建物の前面にぎっしりと刻まれているというたいへん興味深い教会です。彫刻は聖人立像と新約聖書に基づくイエスの受難劇です。

今回はこの正面概観までで、次回更新時に彫刻をくわしくお見せします。

さらに旅行記もいったんファイルを削除し、日程ページだけにしました。次次回あたりから掲載していく予定です。

 そうそう、ちょっと前にスキャンしておいたサンラザール教会の彫刻をここで初お披露目としましょう。まあ、やっぱりついつい怪物に目がいくんだけどね。人物は異様にひきのばされているのもなぜなんだろう?このタンパンはベズレーのものと似ているようです。比較してみて下さい。→ベズレー

教会西側扉口タンパン

向かってキリストの右にいる怪物。こいつなにもの?

タンパンの下の列の右にいるやつ。やっぱりなにもの?

写真が普通プリントでいまいちうつりがわるいのですが、拡大写真をいま準備中ですのであらたにスキャンしなおす予定です。

「同時代の見た中世ヨーロッパ」(アローン・Ya・グレーヴィチ著 中沢敦夫訳、平凡社)の第4章にそっくりこれが取り上げられていました。週末時間があればまとめてみましょう。

室内協奏曲

ADSCHBEG (イ、ニ、変ホ、ハ、ロ、変ロ、ホ、ト)

AEBE (イ、ホ、変ロ、ホ)

ABABEG (イ、変ロ、イ、変ロ、ホ、ト)

あ、そうそうikali shinji君、学会どうだったか聞きたいな。

(1998/04/02 Tue)

カノッサさんがフロワサールを続けています。ちゃんとよんでいます。私はよく連載するといっておきながらあっさり打ち切りをするのですが、カノッサ氏はちゃんと連載を続けます。エライ。「科学史の逆遠近法」手にいれたのでまたML投稿しますね。

SNさんのサイトの日記3/29づけで美術館などで絵を見る時は後ろを先に見る。というこつが紹介されていました。これあたり。私もよく使う手です。たいていの絵の展覧会では最初の方は習作だったりするのですが、みんなそれをみてつかれてくるのでしょう。後ろの至高の極みに達したような絵には人だかりがいません。習作は余力に任せましょう。感動は気分がいいうちに。。。。

マールの「ヨーロッパのキリスト教美術」を読むと東方三博士(マギ)の記述がでていて、ちょっと驚いた。東方三博士については聖書にはほとんど記述がなくマタイの福音書程度しか出てこないそうである。当然彼等のなまえなんてない。じゃ、某アニメでなぜマギにメルキオール、ガスパール、バルタザールなどといういかにもな怪しい名前がついているかというと、聖書外伝というのを、聖書をこよなく愛する人が書いていたらしく、当時の民話をおりまぜて作っていたようだ(同人誌みたいなものか[爆])。ベーダという人物の著作の付録によると(つまり誰が書いたかよくわからんようだ)、メルキオールは白髪を長くのばし長いひげを蓄えた老人。ガスパールは若くひげはなく、色つやのよい顔色をしていたという。バルタザールは茶色の肌をし、ひげをいっぱいに蓄えていたようだ。そしてそれぞれ、金=王の象徴、香=イエスの神性、没薬=イエスの死の象徴をイエスに送ったことになっている。ここらへん、ものに象徴を見い出していくのが中世らしい。どうせなら4人にして4つ象徴をだすとかすればヨハネの黙示録の怪獣達とさらに象徴をあわせられたのに。。。。

 それはともかく私が彫刻写真を集めているサンジールの正面向かって左のタンパンの左側にはこのマギが彫られている。(実はこの話がしたいだけだった)首などはかけてしまっていていまいちなのだが手にそれらしいささげものを持っている(写真をクリックすると大きくなる)。また着物の表現にも注意。右側はマリア様なのかな?


(1998/04/03 Fri)

私は出かける時はいつもマックと一緒。2400cはずっしり2kgあるが、これがあれば地下鉄の中でもwebページの編集やデジカメデータのコンバートもできる。

 本屋の中でマックをだしてメールでいただいたおすすめの本のメールを探したこともある。

でも、公衆電話ボックスでうしろからどつかれたことがあってこわかった。先週の学会のときです。このエピソードをあるHPに投稿したら載っけてくれた。極私的PB2400頁)モバイル中にトラブル会った方ありますか?

昨日はサーバのメンテのためwebページを御覧いただけなかったですが午後4時頃復旧が完了しました。Tazimaさんありがとうございました。

(1998/04/04 Sat)

もう土曜日ですね。一週間はやすぎ。

永久保存版でんのうほうろうきにわたしより一世代まえのギーク(技術オタク)の中学時代のオタクぶりが書いてありました。BCLとアマチュア無線へのはまりかたがかいてあります。私は戦車のプラモデルとモデルガン、そしてロック音楽(聞くだけだったけど)へとはまった中学時代でした。こういう過去を振り返り、そこに今と変わらない自分がいることを見い出しおののきつつそれを書くという行為は私も同類者としてとても親近感を覚え、みにつまされます。

今日は光合成の方の新着情報に文献を追加しました。次の論文を書き出したのですが、いまいちうりが弱い気がしてはかどりません。とりあえず書いてしまって追加実験にしようかなあぁ。

来週アップ予定の光合成は二酸化炭素の固定をどのように光合成がおこなっているかということです。いままであまり考えたことがないことなのでなかなか書くのは大変。むしろ第3章の光合成の分子メカニズムは研究中のことなのですいすい書けます。

(1998/04/05)

以前よりこのスペースに掲載してきた山本君からの手紙は1つのファイルにまとめました

昨晩はビデオでオセロをみました。シェークスピアです。ケネスブラナーのもの。女優がイレーヌ・ジャコブで、トリコロールの赤の愛を見た人なら彼女が美人なのはだれでも認めるところ。オセロ役は黒人で名前が今わからないのですがすばらしい演技でした。とくにかれはどんどん追い詰められていくのですがその過程をこまかに演じきっています。

 シェークスピアについはほとんど知らないのですが、まさにくり返し演じられ読まれるだけある作品です。

 もちろん、映像の雄弁さもあります。

 戯曲には感情の表出なんて書いてありませんから嫉妬に狂うオテロの想像の映像は映画ならでは挿入映像のはずです。

 シェークスピアの物語の進め方は必要かつ十分でむだなものがそぎ落とされていて、物語の終局は内容の進行と完全に一致します。ここらへんの妥協のない完成度の高さはむしろ私のように軟弱な精神にはたえられません。

 物語がもつ形式やそこに我々が見い出す感情を一度分類してみたく感じました。いいアイデアがわいたらまた書きましょう。

(1998/04/06 Mon)

カノッサ氏が精力的にwebで取り上げているフロワサールは1388年11月から1389年2月までオルテーズの城にあったガストン3世の宮廷に滞在したようです。

ガストン3世の合い言葉は

「フェビュス、進め」

「やれるものならやってみろ」

と大胆。彼は南フランスに独自の王国を築いていたらしい。

彼の離れ業をフロワサールは記述していて(このころ教会はローマとアヴィニョンの2派に別れていて争っていた)

「そしてクリスマスの日に、彼が自分の国の司教達をすべて、つまりアヴィニョンの教皇クレメンス派の2人とローマの教皇ウルバヌス派の2人の司教を、自分のテーブルにつかせるのを私は見たのである。」

当時この宮殿で作曲された曲がCDになってます。

Sony classical SRCR 8954

Febus Avant!(フェビュスよ進め)

パウル・ファン・ネーヴェル指揮/ウエルガスアンサンブル

このCDのブックレットもおすすめできるものです。(この内容はカノッサ氏が主催している100年戦争のMLに投稿したものを再掲載したものです)

ショスタコーヴィッチの弦楽四重奏No. 6の第3楽章のレントはとても美しい。でも彼の音楽って妙に細かくって音楽の流れをつかみにくい気がする。

(1998/04/07 Tue)

厚生省のページって見たことある?O157や遺伝子組み換え食品、ゴミ消却排ガス中のダイオキシン濃度の解説などが載ってますよ。

今日は投稿が二つありました。ひとつ目は高橋悠治氏について私が書いたことへのコメントをFUMI KONDOさんからいただいた。

 はじめまして。やっぱり、悠治さんって難解なのかなー。というより、解説が悪いような気がする。私は悠治さんのこと、敬愛しているのですが、この解説(長木さん?)は敬遠します。

 だいたい、現代音楽の解説ってなんでこんなにややこしいのでしょうか。この解説は、高橋悠治の今までの作曲活動の解説であって、曲の解説ではないような気がします。まあ、現在音楽の曲の解説がしづらいというのも分かります。

 オーケストラが全員一致のどうこうというのは、1970年代の悠治さんの考えとしてありました。(ただ最近はどうなのかな。4,5年前にはコンサートで棒ふってましたからね。)この全員一致からの解放というのは、その文面とはちょっと意味が違うと思うのです。詳しくは、悠治さんの本を読んでもらうのが一番良いのですが、このころの悠治さんは、あまりにも道具になりすぎたオケに批判的で、その回答として個の集まりの演奏みたいな方向へ行ったのではないかと私は思います。

 その個が、「演奏者の創造性をしめす意味での演奏の喜び」をもつこと(高橋悠治)が、悠治さんの作曲の意図するものではないのでしょうか。この手法を取り上げて実験音楽か。というのは難しいですね。私はこんなの別に実験でもなんでもないと思う。だいたい、実験音楽って何でしょう。新しい手法を試すこと?だったらなおのこと、悠治さん自身もこの手法が実験だとは思ってないのでは?

 また、民族音楽的云々というのも、この解説ではそう思ってしまうのかもしれませんが、悠治さん自身は民族音楽を個々が解放されたものとは考えていないし、「水牛楽団」というのも、当時の芸能山城組はじめとする、「土着の音楽に憧れる人々」への批判も込めて作られたのだから、それは無いでしょう。

 ところで、何故そんなに解説を重視なさるのですか?これらの曲を聴くヒントとは?私はこの書き込みしか見てないので、失礼があったら本当に申し訳ないのですが、何もそんなに解説重視しなくても。と思ってしまいました。だって、西村朗さんなんかの曲は音で気に入ったのでしょう?うーん分からない。

 現代音楽だって、はじめに音ありきでいいのではないでしょうか。そこから、聴き込んで自分でポイントを探したり、その人関連の本読んでヒント見つけたり。高橋悠治の音が嫌いだったらそれでよし。その手のジャンルが駄目だったらそれも良し。私は、そういうものだ。と思ってました。研究熱心なのは素晴らしいことですが。すみません。ものすごく長くなってしまいました。でも、悠治さんに関してはまだ言い足りないです。またメール差し上げてもいいですか?今度はもっと簡潔にします。

FUMI KONDO

以下は私がポストした返事を公開します。

私が解説にこだわるのは解説がそのCDにいちばん近いはずであると考えているからです。

その意味で解説には良質なものを書いてほしいというのが私の願いです。

われわれはお金を払ってそのCDを手に入れているわけなので。

解説を読む効果というのは音楽を聴くのに聴く訓練が必要だと感じていて、それを解説がはたしてほしいと考えているからです。

私は芸術は感性がいちばんだとは感じません。

感性はその要素の一部であると考えるからです。

そして私はあまり自分の感性を信じていません。

というかもっといろいろな感性があるはずなのでそれを知りたいと考えています。

自分の好みとは異なった音楽に接した時にそれをより理解していきたいと考えているからです。

こういうときよい解説があれば非常に聴きやすくなると考えるのです。

ふたたびお返事をいただいています。

 大方の意見は納得できました。共感できる意見もありました。ただ、わたしはやはり結果的に反対の見解をとります。

 私は元来、解説は不要だと考えています。それは、不幸にも素晴らしい解説を見たことがないからかもしれません。でも、テクストでのフォローが必要な音楽って一体何だろうと思うのです。

 もちろん、現代音楽の難解さから、多くの人がガイド的知識を求めるのは理解できます。少しでも知識があれば、理解につながる可能性も多くなる。でもそれでは、理解の幅が制限されるのではないでしょうか。

 私も、芸術は感性だけのものだとは思いません。数学、物理、言語、宗教、政治、etc いろいろな要素があると思う。でも、最初に呼びさまされるものは感性であってほしい。美術であれば最初に視覚から入るのと同様に、音楽は耳からであってほしい。そして、耳に快なり不快なり、なんでもいいから衝撃が来たとき、その時点から情報を求めたい。

 その情報も、(現状の)CDの解説からなどではなく、できれば繰り返し自分の耳で聴いて。楽譜が理解できるなら楽譜から。その作品の時代を取り扱った良質の理論書から、或いは作曲者自身のことばから。そうまでしても、完全に作曲者の思惑どおりには理解できないし、その必要もない。結局は受け手それぞれの価値観の問題です。だから芸術は、殊に同時代のものは面白いのではないのでしょうか。

さらにコメント付け加えさせていただくと

>楽譜が理解できるなら楽譜から。その作品の時代を取り扱った良質の理論書から、

>或いは作曲者自身のことばから。

こういうものから成り立つ良質な解説があればよいということなので同じ意見です。

私のようなボンクラは芸術作品に衝撃を受けるなんてことあまりないので学習しないとダメなのです。たとえば、モーツアルトのジュピター交響曲。あの傑作を傑作だと認識できたのは3年くらいかかりました。ベートーベンの後期の四重奏曲も然り。ずっと心には響いてきませんでした。これはただシェーンベルクがすばらしい作品だと語録にあったのでそう思えるまで聴こうとした結果、多少理解できるようになったということなのです。

 だから私は私の価値観を信じていません。私の場合、私の価値観を優先させてしまうととても小さな領域にしか留まることができません。つねに一級の芸術作品を努力しようとすることによって始めて作品を理解できる価値観を獲得するようになると考えるからです。それを拡大するための良質な音楽と良質な解説が欲しいのです。

抽象的になってもなにをいってるかわからなくなるので私が気に入っているCDについていた良質な解説書は

ラサールカルテットの新ウイーン楽派のブックレット(手紙集です)

バレンボイムがブルックナー8番を語ったインタビューがおさめられた解説。

マイケルナイマンの弦楽四重奏のブックレット

アファナシエフのブラームス後期ピアノ曲集。

グールドのシェーンベルク歌曲集

パウル・ファン・ネーヴェル指揮のフェビュスよ進め。

貴女のいうとおりまったく少ないですね。

高橋悠治氏についてのコメントをお待ちします。

SNさんが(1998/4/7付け)でコメントを掲載して下さいました。(1998/4/8)

二つめはお馴染みのIkali Shinji君よりの投稿

学会発表の感想を送ってくれた。

*     *     *

マヤ「発表時間ギリギリです。」

リツコ「それでこの返答。大したものだわ」

マヤ「ハーモニクス、シンクロ率もマスターに迫っていますね」

リツコ「これを才能というのかしら」

マヤ「まさにEVAに乗るために生まれてきたような子供ですね」

ミサト「本人が望んでなくてもね。きっとあの子はうれしくないわよ」

リツコ「シンジ君、よくやったわ」

シンジ「何がですか?」

リツコ「ハーモニクスが練習より8も伸びているわ。大した数字よ」

アスカ「でも、私より50も少ないじゃん」

ミサト「あら初めての発表で8よ。大したものだわ。」

アスカ「大したことないわよっ !!」

    「よかったわね、おホメのことばをいただいて」

    「先に帰る! バカ !!」

学会の感想

加持「人は他人の研究を完全には理解できない。自分自身だってあやしいものさ。」

   「まあ、だからこそ人は自分を、他人を知ろうと努力する・・・」

   「だからおもしろいんだな、研究は」

   「100%理解し合うのは不可能なんだよ」

HPの感想

レイ「2015年の教科書ではATP合成酵素のF0部分からプロトン輸送され

   γサブユニットが回転していました。」

シンジ「アスカ・・・、綾波が何をいっているかわからないよ」

アスカ「あんたバカ!プロトンはF0とF1の間からでていき、F1の中を通らないのよ。

    1999年まではね。」

リツコ「そう、1999年に葛城博士らが提唱したS2理論が発表されるまではね。」

ごめん。ぼくゲームやってない。でもおかしい。うまく当てはめてますね。いやすいません。内輪ネタで。くくく。アスカちゃんかわええのお〜。レイちゃんの不気味さもよくでています。

水素イオンてどことおるんでしょうねえ。今絵を書き直そうかと思っています。

最後になりましたが、光合成の

2−4.二酸化炭素の固定をする光合成

をアップロードしました。


(1998/04/08 Wed)

先日京都工芸繊維大学 繊維学部 高分子学科/高分子設計研究室の坂井先生とお知り合いになる機会があったので名刺交換させていただいた。

 先生のところは強誘電体の高分子非線形光学高分子材料やESRを用いた高分子の光分解反応を研究していおられます。論文が毎年コンスタントにでていてすばらしいですね。私もがんばらねば。

今日はロマネスクのページの旅行記でベルゼ・ラ・ヴィルのページをアップロードしました。この壁画の写真気に入っているので是非御覧下さい。

これとは別にロマネスク教会のアーチ部分に埋め込まれているタンパンの彫刻の写真をワイド4つ切りに引き延ばしてみたらとてもうまくいって満足しています。

 ロマネスク彫刻自体はとてもデフォルメされた彫刻なのでロマネスクのころは彫刻師にスキルがなかったんじゃないか考えられていた時期もあったのですが、彫刻の衣服のしわの処理など、じつはとても濃やかに仕上げてあります。

こんどはそういったところまでお見せするつもりです。貴重ですよ。この手の写真。なかなか本屋で手に入らないから。みってってや〜。

高橋悠治氏の先日の話題SNさんが(1998/4/7付け)でコメントを掲載して下さいました。

水野さんのウエーベルンのCD追加分をアップロードしました。管弦楽のCDです。

今日はやはり車に乗っていてなんとラジオでメシアンのトゥーランガリラ交響曲をやっていた。デュトワ指揮、NHK交響楽団、ピアノ:ピエール・ロラン・エマール、オンドマルトノ:原田たかし。

この終わりの二人のクレジットをみてどきどきするのが現代曲のツウである。

原田氏はほとんどのこの曲のCDに参加しているのではなかろうか。オンドマルトノとはひゅ〜〜るるる〜ふゅ〜ぽぽぽ〜ふぃ〜〜んとなる変なアナログ電子楽器である。第二次世界大戦前に開発されたものだったと思った。

そしてエマール。この人のピアノは透明で冷たく美しい。情緒のかけらもない演奏をする人だがその美しさは他にいない。もっともそういう曲ばかりひくのであって、ベートーベンとかモーツアルトとかひいたらまた違うのかもしれない。かれは最近ブーレーズとリゲティのピアノコンチェルトを残しているが、これがすごくいい。壊れた音色壊れたリズムのこの曲、おかしくてしょうがない。それからブーレーズのピアノソナタ1番やノタシオンの美しさ。さらに、私は幸運にも実演に接することがあった。シェーンベルクの室内交響曲No1のウエーベルン編曲版というマニアごのみの一曲。さらにシェーンベルク編曲の皇帝ワルツともとの皇帝ワルツを両方やるというマニアな企画だった。

で、肝心のメシアンだが残念ながら始まる前に目的地についてしまって聴くことができなかった。きっとTVでやるでしょう。

この曲には一時期はまった。まだwebを立ち上げる前だったからここにはなにも書いてないけど、メシアンの明るい楽想というのが私のようなネクラな人間にはとても魅力的に感じた。ウゴルスキの演奏のCD「鳥のカタログ」もすごくよかった。ただ私は時の終わりの四重奏曲はまだ聴けないのです。あの曲はナチス収容所でかかれただけあってなんかきいていて辛い。そのうち聴けるようになったらレポートしましょう。

私はキリスト教徒ではないけれどメシアンのキリスト教の側面てやっぱり気になります。

(1998/04/10 Fri)

私の亡くなった友人である山本君は1989/4に京都をまわっている。季節がちょうどいいのでその旅行記をアップロードします。おつき合い下さい。

山本君の旅行記

法界寺

PM 2:10

法界寺は、訪れる人もあまり多くない。平日ということもあって、僕とおばさん一人しかいなかった。住職の奥さんが懐中電燈で柱絵や壁画の飛天を照らして解説してくれた。ここから平等院まではさほど遠くない。薬師如来は秘仏でみれない。

PM 3:10

宇治木端駅に着く。電車はたった今出たばかりである。ホームには誰もいない。正面の土手には矢車草が咲いている。蒸し暑いくらいの陽気、五月頃の気温であろうか。平等院へ行くつもりが、あいにくと水野先生の本を持ってこなかった。

 グールドのピアノを聞いている。ここ2週間程これしか聞いていない。昨日夜までせきが出てとまらなかったが今日はそんなことはない。頭があいかわらずかゆい。風が南から吹いてくる。茶畑がところどころにある。茶を摘むのは6月頃だったろうか?宇治茶をおみやげに買っていこうにも、家の人は茶をのまない。平等院にいくのはこれで3度目だ。

 法界寺の阿弥陀は平等院のそれとは頭部の作風がかなり違う。寺伝の定朝作というのにはあまり信頼がおけない。しかしいわゆる定朝様であることはまちがいない。

あっというまに週末。国際学会でいいのがないかチェックしたのだがレジストレーションが終わってしまったものが多く、うまく調整できなかった。秋の学会の申し込みにはしばらく時間があるし、すこし中途半端な時期である。

マックのGreg's browserをダウンロードした。これはいい。マックユーザの方にはおすすめ。

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