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今日の分はもっとずっと下。
(1998/03/1 Sat)
いよいよ3月です。たしかに暖かくなってきましたね。名古屋は曇り後雨でした(2/28)。
このページにアクセスして下さる方に、ここ4週程TVのクラシック番組と映画の番組を週末にお届けしています。今週分も配送できたのでしばらく続けることができるでしょう。
ただし音楽も映画も私がここでとりあげるような作品で、一般性はぜんぜんございません。たとえばハリウッド系の映画がでてくることはまずございません。ヨーロッパ系になると思います。
この配送先にあなたが含まれていない場合、あなたがクラシックを聞かない、あるいはヨーロッパ系映画を見ない人だとこちらで認識しているせいです。
もしあなたの嗜好が同じであればメールください。お送りします。
卒論は月曜日におわる。これでデューティーはなくなるが今度は飲みにつれていってやらねばならない。というより私が飲みたいだけだったりして。でも、ふたりなので結構かかる。大学生はたくさん食べるのT_T。
研究は生物と化学の入り交じったところなので学生君の一人は進化に興味をもったようだ。私は化学出身なのでそれほど進化について論文を追跡したり、研究として考えたことはないが、彼よりは耳学問でしいれているので理科的なことが好きな学生ならすぐにのってくる。今年一緒にやった学生君の一人はそうだった。
化学としてのコンポーネントとしてタンパク質や脂質を捉えた時その性質をデータ化するのですが、それを地球の進化と位置付けて考えられないか?逆に、それぞれの違いをデータ化する際に地球の進化と結びあわせたようなデータのだし方はできないか?というのが、もし研究するなら、そう考えていくのですが。いまのところアイデアはございません。
[卒論について]
SNさんから日本人だから日本語を書けるというのは間違いでしょう。とコメントをいただいた。そのとおりです。
卒論の指導ではとにかく具体的に。といっても私もいつも先生にそう指導されているのですがね(笑)
論文を書くというのは書いてるうちにまとまるものではなく論点をきめて書かないと永々になおしつづけるはめになるんですよね。イントロと結果と考察と結論が密接に結びついているわけだからどこかをいじれば全部いじりなおしです。
骨子が決まっていても今度はそれを各ユニットにふさわしいのべかたをしなければいけません。サンプルの調整については実験項に書くのですが、それを結果にも書きなさいというと二人ともきょとんとして、実験に書くので、というのですが、サンプルを調整した結果、どういうことがわかったかをここには書かなければいけません。さらに考察ではなぜそうなったか、そういうことはおこっていいことなのか?より定量的に考えたらどうなのか?といったことを展開する必要があります。そして、それらを記述した後はそれらをまとめて何がいえるか?で締めくくらねばなりません。
結論ではデータについてまとめた後にデータ間の諸関連や、全体で見た知見のまとめをまとめてもらいます。これがセールスポイントになります。逆にいえばこれがいえると思って書いてきたのに、データを整理すると言えない。ということがしばしばあり、ここを書くのが一番難しい。パブリッシュする論文ではデータの9割はすてます。もうすこし歩留まりがいいといいのですが、大抵すてることになることが多いですね。腕が悪いということであり、改善の余地があります。
そしてイントロを書きます。結論でいいたいことについて疑問を提起して、〜について知りたい。〜を調べた。〜がわかった。という体裁をとります。まるで出来試合ですね。だからアウトラインをしっかりきめてかかる必要があります。
学生君がこんなんになりました。などという発表をしようとするのですが、それはよくない。それから、実験はなかなかうまくいかないのでそこに浪花節がこっそりはいりこみ、〜がうまくいきませんでした。という発表をしようとする。これもよくない。これはあくまで内部のひとやコンサルティングを受けたい人にはなすことでよくわからないひとには語るべきではない。なぜなら聞かれた方もわからないからである。専門家の集団なんて自分の専門以外は何一つわからないのだ。
[プレゼンについて]
あるときオネーチャンがいるようなお店におじさんたちにつれていかれたことがありました。断わっておきますが仕事ではなくてプライベートの関係です。それからノーパンしゃぶしゃぶでもございません。そこでホステスのオネーチャンに仕事は何?ときかれてまじめに研究とか答えちゃって(笑)、当然なんの研究とか聞いてくるのでしかたなく光合成の・・・とかいって、どんな?ときくので、ここでわかりやすくはなせるかどうか試すのもいい。と思って説明してみました。まあ、彼女達はお仕事ですからテキトーにあわせて聞いていてくれるのですね。まあ、それはそれでいいのですが、後日他の分野の研究者にどういう研究やってるの?と聞かれた時、張り切って説明したのです。ですがそこで説明したことはといえば、オネーサマ方に説明したことおなじことでした(笑)。他の分野の研究者に話す時のわかりやすさを考慮すると、オネーサマと同じ説明になったことに私は衝撃を覚えました。その後、その反動でプレゼンでは一切わかるようにという配慮なしに自分のデータの説明をしました。当然、よくわからんというのです。そりゃそうでしょう。私の研究はものすごく限定された研究であって一般的ではないのだから。一般論から自分の研究の結果、自分の研究の位置付けまで10分ではなしたってそんなのわかる人いないって(笑)。以降、やや、自分の研究結果にイントロを入れながらはなすように組み立てなおしているのですが、どうもうまくいかない点もあり、まだなやんでいるところです。これは、逆にいえばあらたな知識が自分にきたときそれをどう理解しようとしているのか?ということでもあるのです。いまのところ答えはでていませんが。ただ、ついつい理解するプロセスとは?と大ぶろしきを広げたくなるのですね。なにか思い付いたらまた書くことにしましょう。
今日(3/1)は昼までねて、食事を食べて、また2時間ほど寝てしまいました。いまようやく覚醒モードです。
3/2の更新は3/2のお昼頃になると思うのでアクセスは御遠慮ください。お金の無駄になるので。ではでは。
(1998/03/02 Mon)
昨日(3/1)はなにもしなかった。昼食後ふたたびふとんに入り、午後3時くらいまで寝て、起きた後上のページをアップロード。その後部屋の掃除、夕食の準備、夕食。と時間はどんどん過ぎ、夕食後はジャンヌ・ダルクの映画を1時間程。グバイドゥーリナ氏と山口昌男氏(?)の対談。ちょっと見始めるのがおくれたので、山口氏かどうか確認できず。ただ、マリノフスキーの話もしていたのでそう見当をつけたしだい。グバイドゥーリナ氏の演奏をもっと聴かせてくれたらいいのに、ちょこっとしか聴かせてくれなかった。ただ、彼女の曲はよくわからん。ということだけよくわかりました。聴衆の皆様は拍手していましたがあの気持ちはどれくらいこもっていたのでしょうか?あんなにファンがいるとも思えないけど。。。。私にとってはグバイドゥーリナ氏はルイジ・ノーノ氏の晩年のコラボレーターという以上の知識はないのですが。また、グバイドゥーリナ氏のはなしは抽象的なことばかりであったので、聴いていて納得できない部分もあり、インタビュアーも突っ込んではくれなかったのでちょっと残念でした。たとえば20世紀は生き生きしたものをうしないはじめたのでそれを取り戻そうと以前の2世紀に戻り始めた、音楽にもそれがあらわれているというのですが具体的には?ちょっと漠然としていて首をかしげていました。
その後リンゼイカルテットのベートーベン弦楽四重奏曲の18−2とラズモフスキー第一を聴きました。これは家人によると勢いはあるがひどい音程だそうでした。いつもCDしか聴いていないので実際のライブのときの傷が気になるのかもしれません。ラズモフスキーの第3楽章から第4楽章へアタッカではいるところでチェロが歌い出すところがすきです。第3楽章の球心性のある楽想が気に入っているのと第4楽章のベートーベンならではの歓喜とベートーベンならではの音楽の組み立ての複雑さにはいつも満足できます。ラズモフスキーも後期の四重奏曲にくらべるとかすんでしまうのですがそれでも、後期の曲にはない若い充実感が感じられて気に入っています。
グバイドゥーリナ氏とリンゼイカルテットの間には食器の洗い物など。オペラのガラコンサートはなんだか昔のLP盤からのショートカットを思い出してあまりすきになれずすこし見てパス。ベートーベン終了後今日(3/2)にそなえて寝てしまいました。今日は卒論発表を聴きに大学までいかねばならないので。彼は卒論発表を終えてからも試料調整をしてくれるという。ありがたい。そのデータを私がとれば論文がまとまるはず。
今週くらいからこのwebサイト本来のコンテンツの作成にもどれるかもしれません。でも一度下がったポテンシャルはなかなか元にもどらないぞ?
(1998/03/03 Tue)
(03/02)今朝職場についた私に電話が入る。私の学生君の一人で今日の午後発表の彼だ。
「今日大学での発表、午後からとなってましたが変更して午前中になりました。」
「午前中のいつ?」(今9時10分前である)
「9時半から始まって3人めです。」
「まにあわないね?一人でできるね、がんばってくれ」
この職場から大学まで1時間半はかかる。せっかく一年かけて育てたのに、最後のセレモニーをみたかった。。。。
これが確信犯ではないか?という見方が彼の友人から発せられたが、私は
「そんな器用なことできるなら、私はよろこぶところだけど」
かれはすこし真面目でそういうことができないタイプだとおもうが?
「どう思う?」
「できないと思います。」
というわけで残念でしたで賞。
今日はほかりにほかってあったハードディスクの整理をして、ついでにGoodwillで4Gのハードディスクを購入して、そちらにバックアップ。Macは卒論とあわせて2台使ってるのと実験データをスキャナで取り込んであるので結構ディスクを食う。それからシステムCD-ROMを家にCD-ROMマシンがないからなんらかのかたちでバックアップとっときたかったし。
コンピュータの整理をしている途中はコンピュータのことをあつかえないですね。きになってしまって。それにディレクトリの整理中に他ごとするとなにやってるかわからなくなることもしばしば。
CD-RWが6万?くらいででていたのでおどろく。でもとても遅いようだ。それに600MBでは作業領域として狭い。バックアップ作業をする時はできるだけ広い方がいい。
4Gのハードディスクも来年にはもう狭いのだろうか?
どうでもいいが外付けハードディスクはうるさい。
これでは音楽なんて聞く気にならない。
DVDをコンピュータにつんでマルチメディアっていうならコンピュータをまず静かにしてくれ。
ウエーベルンきいているとよけいイライラするではないか。
そうそうHTML添削のページで添削してみたマイナス45点だった。コメントをよんでも直し方がわからない。まあいいや、きにせずこのままでいいや。なおこのページは同僚がからかって教えてくれたのだ。
(1998/03/04 Wed)
日誌にはしないように抽象的なことをメインに書こうとしてきたのにここへきて崩れてしまった。
文献を読み、試薬をいくつか注文。実験計画をたてる。次の4回生受け入れの実験のテーマ設定だ。あらかじめ立ち上げておいて渡してあげないととても無理。とりあえず今年卒業の彼等の実験のトレースからだけど。
古本屋の前を通ってしまった。
カノッサさんとSNさんに紹介された本はおいてなかった。残念。
古本屋によくにた嗜好の人が本を処分したのかつかみ取りで本を買ってしまった。
冗談 ミラン・クンデラ みすず出版
この人の映画、「存在の耐えられない軽さ」みてないんです。興味あるのはもちろん床にしいた鏡に女の人がのっかったシーン。どれだけ他の作品にパクられたことか。え?女の人のエッチなシーンがみたいだけだろって?そりゃもちろん、、、、(以下自粛)
ドイツ歌曲の歴史 渡辺 守 音楽の友社
このおっさんラサールカルテットの新ウイーン楽派の弦楽四重奏全集の訳もやってる。きっと長老なんだろうな。第18章に20ページ記述がある。私は歌曲って苦手なので。
マーラーの交響曲 こだわり派のための徹底分析 金子健志 音楽の友社
まあ、楽譜の読めない私にはブタに真珠。ネコに小判。馬の耳に念仏。(あれ?意味あってるかな?)
琴線の触れ合い ギドン・クレーメル 音楽の友社
クレーメルっていやあノーノの進まなければならないだが進むべきみちはないノーノとともに歩む8人のマドリガールテープだかだよなあいやいやアーノンクールとやったベートーベンのピアノ協奏曲じゃなくってヴァイオリン協奏曲かいやあれはシュニトケのカデンツァがいや最近はピアソラもでもハーゲンカルテットのお姉様を狙っているといううわさはどうなったんだろう爆
中世・ルネサンスの社会と音楽 今谷和徳 音楽の友社
うーむ4度の主和音5度のドミナント
ロマネスク美術 大系世界の美術11 学研
写真が豊富。彫刻のアップ多し。ロマネスクの形成に興味があるのでこれのもう1つ前の巻がヨーロッパ初期美術だったのでそれも買いたい。だが重いのだ。これらを作った道具とかの記録をみてみたい。ないのだろうか?だが探しているベルゼ・ラ・ヴィルの壁画はのってなかった。
全部でいくらかって?10900円でした。ちょっとつかいすぎ。本を読む時間もないくせに。。。。。どうでもいいけど置くところもない。
(1998/03/05)
ちょっとまえにすこし準備をしたのでそれを元に、web academyにおいていた一般向け光合成について連載していきたいと思います。進化のことかき始めると自分がいかにものを知らないかがよくわかります。
そしてもちろんこの原稿はここに集まる皆様にわかるようにと思ってかきました。コメントいただけると嬉しいです。
明日は大学までいって測定。母校ではないが。
(1998/03/06 Fri)
今日はギリシア出身の作曲家クセナキスの番組をNHK教育でやっていた(3/5)。クセナキスがインタビューに答えて語り、また、有名作曲家、演奏家、思想家によって彼のことが語られた番組でした。
とてもおもしろかった。彼の音楽はとても聴きづらいのですが、1950年代の12音音楽のシーンをつまらなく思った彼は音楽に確率の概念を導入したそうです。音の遠近法、分子の運動などを音楽で書きあらわしてきました。12音音楽のようなシステマチックな音楽に自由をあたえたかったようです。ただしその作品は12音でかかれた音楽とそうかわりません。というか我々の耳はそういう組織化をきくようにはまだ全然訓練されていないのです。演奏中間違いがあってもたぶんわからないでしょう。それにこの手の前衛音楽が気軽にきかれて、それゆえ我々が聴くことになれ、それらのすばらしさを認識するというところまではなかなかいかないでしょう。我々にはちょっと聴くだけでそれを退けたくなるような音楽ですから。はっきりいってノイズです。
12音でかかれたブーレーズのピアノソナタ2番やストリクチュールとクセナキスの確率的手法で作曲されたヘレナは聴いた感じどちらもまったく秩序を感じさせません。どちらも高度に組織化されたものながら全くランダムに作られたものと変わらない気がする。
とはいえ、このような音楽を好む人がいるのは事実です。今、これを読んでいるあなたとか(爆)
このような耳の訓練されてない音楽をどのように聴くか?わたしにとってはそれを理解している人に話してもらうというのが早道と感じています。
たとえば、私にとってはモーツアルトというのは昔はばかばかしい音楽を書いている作曲家にすぎなかったのですがシェーンベルクがモーツアルトはすごい。とよく話していたから何度も聴いてようやくモーツアルトのすばらしさを認識しました。いまでは本当にすきです。
いわゆる芸術音楽でも(だからこそ)リファレンスというのは存在して、ブーレーズがマラルメだとか、クレーだとか、ジョイスをあげるからわれわれはそれらをそういう鑑賞法をすることが出来ます。今回のテレビでは高橋悠治氏のようなすぐれた音楽家が演奏しながらかたるのでわたしはクセナキスの音楽が聴くことが出来ました。CDを一枚もってるのですがまったく共感も理解もできずさっぱりでした。「逃走論」をかいたセンセイもでてきて複雑系からの観点でクセナキスの音楽を語っていました。
この作曲家も音楽というのは思考の結果であると語っていました。
というわけで作品をめぐって語り、語られるその関係が築き上げられなければリファレンスになりえず、そういう蓄積によって芸術概念が成立しているのだなあ。と興味深くおもいました。くり返しいいますが、あの音楽をはじめてきいていいと思えるあなた、変人です。こんどCDあったらかってこよ(笑)。
日比さんの新作アップロードします。第4章その2です。
(1998/03/07 Sat)
あるページのリンクの次のリンクで見つけたページをよんで(現在リンク許可申請中)衝撃的におもったこと:
ウルトラマンセブンにはダダやブルトンといった怪獣達がでていたそうです。私はここ「永久保存版」でそのことを知りました。そしてまったくこの著者と同様なことを感じました。私がドイツ表現主義がすきなのも幼い日にみたこれらに回帰しているだけかと思うと正直ブルーです。かなりの確率で、私が無調の音楽を聴くのはまさしく怪獣達との戦闘シーンを無意識化で楽しんでいるのかもしれません。わたしはウルトラマンシリーズより仮面ライダーだったのですが。子供の頃にこんなものをながしこまれていたとは。一度これらをみて再検証をする必要があるのでしょうか?
ちなみのこのページの作者の「適合」をチェックすると
1, 4, 13, 20, 26, 30, 31, 32
でした。なお私の家の鳥の名は代々マーコときまっており、いままで、セキセイインコ、セキセイインコ、すずめ、すずめ、すずめ、おかめインコとなっています。
ようやくアベラールとエロイーズを読み終わりました。レポートを予定しています。
今日3/7はバッハのヨハネ受難曲を森ノ宮ライゼコールと古楽アンサンブルで大阪市カトリック玉造教会マリア大聖堂に聴きに行きます。明日付けでレポートできるかもしれません。
(1998/03/08 Sun)
バッハのヨハネ受難曲をを森ノ宮ライゼコールと古楽アンサンブルで大阪市カトリック玉造教会マリア大聖堂で聴いてきました。アマチュアの合唱団とアマチュアの古楽器の演奏でした。演奏は2部にわけられる程の長い曲です。
1724年4月7日初演の曲です。今回の演奏は教会でおこなわれたので雰囲気満点でした。ただし、カトリック教会です。バッハはプロテスタントです。カトリックはあまり音楽に熱心ではないそうなので会場をかりるのに大変だったと聞きました。様々な困難をのりこえて演奏した皆様にはお疲れ様でした。
演奏は合唱のかたもむずかしそうなフーガもていねいに歌っておられました。アマチュアの合唱にありがちな、特にベートーベンの合唱なんかのときのように、テンポがあがっていってしまうということもなく最後まで自制して歌ってました。
これはバッハの音楽がそういう盛り上がりを作っていないためなのかもしれません。キリストが亡くなって、地が割れ、古の諸聖人が復活したなどというくだりも実にあっさりした味付け。ただし音楽的には凝りにこってるのはじじつ、演奏が乱れてきました。
後半集中力が低下してきたのは事実。第2部の後半はやや乱れてきました。これは曲が長いということと、あと教会の中なので寒いということがあげられます。400人ははいる教会で当然エアコンというものはございません。石油ストーブが10台程度置いてあるだけです。どんどん底冷えしてきます。入場の際にはカイロがくばられたほどです。
しかし、アマチュアのアンサンブル、しかも古楽器としては上出来で楽しめました。古楽器にはヴィオラ・ダ・ガンバ、リュートがあったそうです。残念ながら私の席からは見えませんでした。
また、声でソリストはプロにたのんでいたのと、フルートもプロだったそうです。オルガンはどうだったのかな?
また、機会があったら聴きたいものです。
教会美術:プロテスタントは聖像をかざるのを禁止しているはずです。ですが音楽は大変発達しました。バッハもプロテスタント。ところでこの玉造教会には木彫りのキリスト受難彫刻が教会内のまわりにかざってありました。まさに音楽で語っている内容がビジュアルに見られるようになっているのです。私は喜々としてみていました。でもだれも見ていない。結構はずかしいもの。また、ステンドグラスもいかにもカトリックならではの雰囲気。正面におかれたマリア様の肖像はなんと和服で12ひとえっぽい!キリストの幼子を抱いています。そしてバックは金ぱく。でもこれはこれで違和感を感じさせません。不思議。この絵の両翼の絵には12ひとえの女性が祈る絵と、キリシタンの風景の絵。天使の絵とかふだんロマネスクのサイトを作っている私には身近。
ちなみにフランス南部の教会のキリスト受難劇の彫刻はここで読めます。(まだ不完全ですが)
この教会の写真もとりたかったのですが、やめておきました。デジカメしか持ってなかったので。それにやはりキリスト教徒でもないものが好奇の目で写真をとるのはいやでしょう。
続く。あすはこの曲の歌詞について。
(1998/03/09 Mon)
バッハのヨハネ受難曲。その音楽とテキスト。
はじめにアドルノの引用から。
”信じることも自分で決めることもやめ、あるいはもうその力がなくなって、権威を追い求める人々は安全に守られているのはよいことだというわけで、すべてバッハによりかかる。(バッハをその愛好者から守る/プリズメン/渡辺&三原氏訳)”
バッハの音楽:バッハの音楽はなんとなく厳めしい感じとか、端正な感じがして、すばらしいと思いますが、反面ちょっと取っ付きにくい気もします。しかし、この手の受難曲、ミサ曲にはアリアがいっぱいあって、まさに室内学的な演奏を繰り広げてくれます。このアリア。とてもリリックでなんとなくコラールとかのバッハとは異なる感じがします。バッハってこういうのってけっこう好きだわね。というかバッハって本当に楽想ゆたかな作曲なんだなあと思わせるに十分。この楽想は器楽曲にはあまりでてこないだけにバッハの声楽曲を聞かないというのはバッハの音楽の理解をいちじるしく損ねていると思います。まだいっぱい抜けているところがあるのでしょうね。
さっきにも述べましたが、バッハの音楽はロマン派の音楽とは全く異なります。情景描写の方法も全く異なります。これを聞くことは、恐ろしい場面には恐ろしい音楽を付けて盛り上げるべきという方法が相対化されてきます。
第21曲のコラールで「十字架につけよ、十字架につけよ」
第33曲のレチタティーヴォのキリストが亡くなったシーン。
など
新約聖書ではキリストに対してユダヤ人が死を宣告するのですが、この物語の約1950年後、ヨーロッパでは、ナチスのユダヤ人虐殺に対してシェーンベルクは「ワルシャワの生き残り」を書いています。私はもはやバッハを聞いてすなおに感動はできない。
バッハの音楽の作曲技法は実はかなり数学的な操作が加えられているという。フーガだってそうだ。バッハのころフーガはすでに時代遅れだったという。
具体的なバッハの音楽の音の操作の紹介はこちらを読んでほしい(山本氏からの手紙)。
音楽テキスト:テキストそのものはバッハの作ではないという。曲はドイツ語で歌われ、民衆教化のために使われたようだ。もはやラテン語で歌われるお坊さんだけの音楽ではないということだ。もちろんそれに先立つルターによるドイツ語訳がなければいけない。
その内容については私はキリスト教徒ではないので残念ながらよくわからない概念がおおくて共感できない部分が多い。これは音楽を聴いて心地よいと感じるのとは正反対だ。
第22曲のコラールでは
神の子よ、あなたが捕らえられたことにより私達には自由が来るに違いない。・・・あなたが奴隷の身に落ちられなければ私達は永遠に奴隷でありつづけていられたでしょう。
フーコーがキリスト教の司祭型権力を分析したものを読み、なおかつキリスト教徒ではない私には、まさにキリスト教の布教強化としての音楽と思える。
私にいちばんよくわかるのはほとんどピラトの気持ちだ。ユダヤ人が外でわいわいやっていて、キリストには罪があるという。で、イエスにいろいろ尋問する。ピラトには彼がなにをいっているかよく理解できない。
「それでは、やはりお前が王なのか?」
「私が王だとは、あなたがいっていることです。私は真理について証をするためにうまれ、そのためにこの世に生まれ、そのためにこの世にきた。真理に属する人は皆、私の声をきく。」
「真理とはなにか」
ピラトは、もうほとんどかかわりをもたない方がいいと思って当然でしょう。質問と答えが食い違っている。受難劇でのキリストの答えはいつもメタな答えで、巧みな摺り替えです。
ピラトはオレは貴様が生きるも死ぬも決めることができるのだオレのいうことをきけ。といっても、「神から与えられていなければ、私に対してなんの権限もないはずだ。だから、私をあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」
・・・・
ユダヤ人もユダヤ人だ。
ピラトが釈放しようとすると「あなたは皇帝の友ではない。王と自称するものは皆、皇帝に背いている。」
「私達には皇帝の他に王はありません」
ってなあ、「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」とイエスに言わせたのはほかならぬユダヤ人じゃないのか。
ところでここでのピラトとイエスのやり取りを見ていたのはだれなんだろう?この問答の史的根拠ってあるのだろうか?
アルシーブ:旧約、キリスト、キリストの使徒、見たのはだれか?、聖書の成立、中世にはじまるテキスト読解、音楽、ルターによるドイツ語訳、メンデルスゾーン、ナチス、シェーンベルク。
宗教曲と作曲活動についてももうすこし調ていきたいと思いました。中世の音楽はまさにカトリックの音楽ですから。カトリック音楽の系譜はどうなったんでしょうね。
キリスト教徒でないわれわれにはここで描かれるキリストは人間キリストとして受容しますがそれは大きな間違いです。神と精霊とイエスは、一体なのです。だからこの物語に英雄イエスの栄光と挫折を読み取ってはいけないのだ。この物語は旧約での律法の成就であってイエスの受難による信者の救いなのだ。
テキストの内容が理解できないと書くのも変な話だが、信者でないのにこのテキストをきいてここちよく思ったりすることを表明するのは偽善ではないだろうか?聖書や信者の批判をするのではもちろんない。信者でもないのにテキストにも感動できるという方がおかしいということである。
SNさんのサイトで3/6付けの日誌で「体を触りたかった」男子高校生事件とたばこをすったのがばれて自殺した中学生事件のコメントがでてました。特にたばこ事件のほうのコメントが面白かったです。なんでこんなに毎日事件があるのでしょうか?そろそろ世の両親も自分の子にかぎってまさか?じゃなくてうちの子がなにか悪さやってるんじゃなかろうか?とおびえはじめていたりして。それでもって責任追求された親も同じ行動パターンをとったりして。>将来の自分だったりして(爆)。
3/7付けではアドルノの不協和音とグバイドゥーリナのインタビュー記事についてふれています。グバイドゥーリナのインタビュー番組もうすこし具体的な例をだして語ってほしかったですよね。フレーム化お疲れ様でした。でも私は新規ウインドウに展開しているの。だって800x600の液晶にはちょっと文章の部分が狭いので。
(1998/03/10 Tue)
今日は一年いっしょに実験してきた学生君との最後の飲み会。いろいろ話題にでたが、私ではなく同僚と一緒に実験していた学生君と話があう。みたされない思いを表明するとはどういうことか?なぜみたされないか?表現形式と表現内容の整合性。かれはロッカーとなったがそこではカタルシスをかんじるかどうか。
ほかにもいろいろ学生くんたちと話す。
家にかえると
山本君の御母上が私の誕生日をいわってくださって、山本君の生前の語り口をまねたはがきを同封してくれた。親友の早すぎた死。私はすっかり切なくなってしまった。まだすっかり気持ちの整理はできていないのだ。なにしろこのサイトはそのためなのだ。