Tenebroso 飯田のHPにもどる | 過去の新着情報

今日の分はもっとずっと下。

(1998/02/21 Sat)

アルバン・ベルクは新ウイーン楽派のなかではもっとも過去とのつながりのある作曲家といわれる。その音楽語法が無調や12音へと発展していっても過去の作品の引用をしたりしている。またロマン派をすきであれば聴きやすい。

 彼の最高傑作の一つは叙情組曲で、これは彼が不倫していたときに作曲されたために、彼はそのことを曲に組み込んでいる。アルバン・ベルクのABとハンナ・フックス・ロベッティンのHFを音列に組み込んでいる。普通こういう音列にはBACHとかで作ったりするのだが、こういうことをやっちゃう人なのである。そして理由はわからないが彼の運命の数の23とHFの10も使っている。第二楽章にはHFの二人のこどものよちよち歩きがある。

 また、ワグナーのトリスタンとイゾルデの引用とツェムリンスキーの叙情交響曲の引用がある。12音音楽というのはある音から見てその音は他の音からみて均等の位置にあるので、ツェムリンスキーの引用は同時代なのでなんとかなるとしてもワグナーの引用というのを音列の組み合わせで作るのは難しいはずだ。音楽学的にはどうなっているのだろう?ベルクはとても過去と結びつきのあるようにみえながらかなり厳密に音列の操作などをやってのけているのである。それはベートーベンが動機の変型をノートに書きためるのと同じであるかもしれない。ベルクにあっては知と情が高い次元で結びあわされているのである(らしい)。

 叙情組曲は12音と無調の組み合わされた曲で弦楽四重奏がもとになっている。まん中の3楽章は弦楽合奏版にもなっている。

 ここで紹介したいのはABがHFに送ったポケットスコアには詩が書き付けられていた詩。ボードレールの「悪の華」の28番(ドイツ語訳はシュテファン・ゲオルゲ)だそうである。

<深淵より私は叫ぶ>

お前に、唯一愛するお前に向かって
この心が落ち込んだ深い谷間から私は叫ぶ。
そこは死の国だ。空気は鉛のようであり、
闇の中に呪詛と恐怖がたぎる。

半歳の間、太陽は緩みなく空に掛かり、
残る半歳は闇がこの世の上に横たわる。
極地ですらこれほど不毛ではない。
小川も、木も、獣の群れもない。

頭の描くどんな恐ろしい姿も
この氷のような星々と、巨大な混沌のこの夜の
冷たい恐怖にはおよばない!

私は羨む、卑しい獣の
鈍重な眠りに潜むことのできる身の上を・・・
時の紡錘はそれほどゆっくりと繰られて行く!

(アルバン・ベルク フォルカー・シェルリース 岩下眞好/宮川尚理訳 泰流社1985年)

いいわけばかりで申し訳ございませんが、今月は卒論の時期なので特にいそがしいです。私の学生君二人の卒論の直しがあるので週末書きため作戦も使えません。もう少し余裕があるとアベラールとエロイーズもやりたいのに。

(1998/02/22 Sun)

ブーレーズはジョン・ケージに出会い、偶然性の概念をすりこまれた。ブーレーズは管理された偶然性という概念で作曲をした。また、ケージとの交流でカミングスというアメリカの詩人の存在をしる。その詩が面白いので引用しておこう。なに簡単な英語さ。(ERATO Boulez/Sonatine No 1/Derive etc 2292-45648-2)

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      here, inven

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昨晩N響アワーを見ました。プロコフィエフのVn協奏曲No 1の終楽章がたいへん美しく興味を持ちました。まだまだ知らない曲がいっぱいあるなあ。

(1998/02/23 Mon)

新井代議士の自殺後の各界のコメントがSNさんのサイト2/19 & 2/20とまとめてあり、こういう一覧を読むだけで新聞記事の社会欄よりもはるかに事情がつかめる気がします。

ちょっと今日も余裕がなくてナガラ族で音楽を聴きながらあれこれとしています。

長文の本をまとめて読む暇がないのでCDのブックレットで気になる表現を引用します。

V. アファナシエフのブラームス後期ピアノ作品集(Denon)より

ピアニスト自ら・・・

ブラームスの音楽は日本庭園のように季節のプリズムを通して味わわれるものである。ブラームス晩年の作品は秋と冬の気配にあふれているように思える。

ブラームスはショーペンハウアーと多くを共有する。ショーペンハウアーの哲学は、気ままな意志を抑制することによって人間存在の悲劇に調和のとれた様式を与えるというものである。

論理的な、ほとんど不可避といってよい音素材の配列はウエーベルンの切り詰められた表現を予感させるものだ。

運命を受け入れるという同じような例は、レオナルド・ダ・ヴィンチの色使い、彼の描く風景画や聖母の微笑みといったものの中に見ることができる。

ブラームス晩年の作品は、音よりもむしろ静寂へとつながっていく。

ピエール・ブーレーズ/プリ・プロン・プリ(Erato)の解説より

フランス近代の文学史において、ヴェルレーヌ、ランボーらとともにかけがえのない象徴派詩人として語られるステファヌ・マラルメ。非在の世界に侵食された彼の言葉とイマージュをめぐって、どれほどの芸術家が自らの想像力を羽ばたかせたことか。・・・「音楽家に非常に明白な感銘をあたえるのは、言語自体について探究を重ねた詩人達である、ということが注目されるだろう。つまり明らかに、ランボーよりもマラルメの名が、カフカよりもジョイスの名が、すぐに念頭に浮かんでくるのである」(「音と言葉」舟山 隆、笠羽映子訳)

私がなぜこれらの言葉を重要視しているかというと芸術といわれる範疇に含まれる作品は後世の芸術に関わるだれかに語られ、解釈され、引用され、弄ばれ、崇められ、そして新たな意味を吹き込まれるといったことが行われているから、芸術としてみなされているのだ。芸術とはなにかではなく、過去に何を芸術としてきたか。それらのサイクルを追うことにより我々が芸術に求めてきた意味の変遷のマッピングができるかかもしれない。これらのサイクルに入らないものは消耗品といわれ、消えていく運命にある。かつてはメンデルスゾーンの蘇演がなければバッハすら消えていこうとしていた。そして現代では様式というものが個人の様式にされてしまっていて、芸術家はリファレンスとしての過去500年の作品と対決しなければいけないのだ。

アベラールとエロイーズをすこし開く。そこには、現代の修道者は本を写本してつくって、本棚にしまっておくばかりで読まない人がおおい。けしからん。と書いてあった。しょうがない今日はコピーしておいた文献でもよむか。

今日は私の誕生日(2/23)なんときょうから30歳である。

(1998/02/24 Tue)

今日は卒論の学生君の一人の研究発表のおおづめ。とにかく明日(2/24)はプレゼンテーションなのだ。卒論完成は2/27の予定。もう一人は卒論提出が先でプレゼンテーションは後。あしたは郊外の大学まで出張しなければいけない。

プレゼンテーションで気をつけさせることは、うりになることはなにかはっきりさせる。イントロからいいたいことをすこしずついれていき、結果と考察ですべてのべる。結論はイントロそのままに結果を付け加えたものにする。これで7〜10分の発表会でだれなくてすむ。でもなかなか難しいんだよね。こういうプレゼンの組み立てには音楽の構造と内容を参考にしています。このことは映画にもあてはまります。時間構造をもつものを目の当たりにするとすぐに時間軸にそってシンメトリカルな点、時間発展の要素。くり返しとそこにあらたに付け加わる点というのを探します。こういうのを私は思考のエコノミックスとよんでいます。ふだん研究のまとめで考えている思考法を映画、音楽に適用すること。そうすることによって自分の研究のプレゼンテーションにやる気をださせること。でも致命的なのがギャグをかますこと。講演で笑いをとれる人がうらやましい。

今、冬物語、見ています。これ、見た。思い出した。でも明日が辛いのでビデオにとってねます。

ようやく日比さんのページputします。

(1998/02/25 )

昨日書いたように、今日は学生君の一人が発表するので、それを見学。いやあ、人が発表するときは気楽でいいですね。彼とはウールケラチンの研究を一緒にしたので、発表OHPの一枚めにはひつじさんのイラストを入れることにした。もちろん彼ははじめは抵抗したが、夜遅くまで(といってもいつも私がいるくらいだけど)残しているうちにどうでもよくなってきたようだ。ケラチンというのはウールのキューティクルを取り去ったあとのタンパク質なんであるが、そんなことはなかなかわかるまい。だからはじめに印象を強くしておく必要があるのだ。

これは地下鉄の中で書いているのですが、昼間地下鉄はのんびりすわってタイプするにはぴったり。私が地下鉄の中で一番軋轢を感じたのは英語の文献を読むこと。英語の文献(化学のね)を読むのは当たり前なので、私はなんとも思ってないが、世間では結構きにされるものである。とくに子供。このお兄ちゃん英語読んでるといいふらされた日にゃまいった。英語を読むよりノートパソコンに打ち込んでいた方が集中できるので、こちらの方が周りを気にしないかも。

 今日お邪魔する研究室の研究発表会に昨年参加させていただいた時には、私のような外部のみたこともない人がやってきて、いきなり質問を始めたものだから卒論生は恐怖のどん底にたたき落とされたようである。質問がでないようだったのでひとりひとつづつ質問してあげた。もちろんとんでもない質問ではなく、研究発表のなかで引き立たせるべきことであったのに引き立たせることがうまくいかなかった話題などをふっているだけなのだが、なかなか緊張してしまってか、あるいはほんとにわかってないのか答えられない人がおおかった。卒業論文の口頭試問で答えられない人は卒業できないというまっとうな規則が守られたら何人が卒業保留になったことか。(ここまで13時ころ地下鉄の中で)

 いまようやく卒論発表からかえってきてもう一人の卒論をみはじめる。だめ体力の限界。ここ3週間程なにをしてもうとうととしてしまう。とにかく必要最小限のなおしで通すことに。この卒論のしめきりは2/25まで。先生に提出なので12時までに教務までというわけでないのがすくい。・・・ところが恐ろしいことに論文のファイルが壊れていたのだ。1時間はロス。バックアップもこわれていた。富士通win 95でワード95。全て壊れていたわけではないのがすくい。合掌。今日はいつかえれるやら。しょうがないので自分の論文のなおしをする。こちらは英語だ。英語で何報も書いたのに自分の英語の意味がわからん。これもまいった。

 というわけで3月はじめまでこの手の日記が続きそうです。とほほ。

(1998/02/26 Thr)

今日は30分ほど時間があいたのでMizunoさんの投稿をHTML化しました。シェーンベルクのディスクの感想をまとめていただいています。シェーンベルクに関心のある方どうぞ見て下さい。これは連載です。たぶん3回ほどになるでしょう。Mizuno talks about Schoenbergのロゴもそのうち作りますね。

とりあえず卒論が1つできた。時間ぎりぎりまでなおしていたのだが、当然もっとなおしたい。しかし、時間切れだからしかたないのか。とにかく彼の母校まで持っていってもらう。車で一時間半。これでひとり仕上がる。学校に卒論を提出した後ここに戻ってきて今度のプレゼンについて考えてほしいが、そのまま帰宅するという。卒論の完成に免じて許してやろう。でも僕はやはり終電まで仕事の予感。僕も疲れているので家にかえって寝てしまいたい(お昼頃記)。

 夕食後、もう一人の卒論の訂正をまつべく私のもとに提出される。結果と考察に一つ重要なセクションがなかったので付け加えるよう指示。緒言を倍に膨らませるよう指示。だって一ページの半分しかない。さらに概要をもっと具体的に書くよう指示。結果と考察で各項目でもう少していねいに述べることを指示。データの説明なしでいきなりディスカッションしているのでとっぴな感じがする。順序の入れ替えを提案。化合物の略称をそれらしくするよう指示。まあ、あと24時間あればなおるさ。ほほほ。学生君曰く「かんべんして下さい」そこでひとこといってやりたいものだ。

「学問をなめるんじゃない」

 でもそんなことを思って直しているわけではないので、ギャグでもいわない。私自身書ける方ではないのでなるべくいままでのを生かすように直しているのだよ。

 とにかく金曜日に提出すればいいので明日でなんとかなるだろ。今日は10時半に退出。ねむい。

私の母校の名古屋北高は今年35周年記念同窓会をおこなう。ようやくwebのロゴをつくった。私のデザインをぜひ見て下さい。今回はちょっと気に入ってます。10分程でつくりました。その後10分で直しを入れた程度。これはアイデアがわいたのでお昼休みに作ってしまいました。どっかでみたようなデザイン!?そりゃそうです。ある昔見たwebのデザインを思い出しながらつくったもの(笑)。

(1998/02/27 Fri)

二人めの卒論が完成まじか。いま私の右にあるプリンタがぞくぞくと排紙をしている。いやいや毎年できるんですね。なんとか、ぎりぎりには。今日出来上がりの彼は今日だけで2回手直しをした。計4回はなおしたのではないだろうか。

なんだかんだいっても仕上げてくれるものである。

あ、卒論の公開はいたしません。私が論文にしてからということです。

この場合ちゃんと共著にいれます。卒論の学生の名前はいれないという方も多いですが、私はいれるからがんばって、ということにしています。

といいつつもう午前一時近いのであった。

そろそろおわらないかなあ。

といっていたら終了。はんこをおす。おめでとう。

カノッサさんがようやくTorideサーバにインデックスファイルを移しました。私がこのサーバに置けるようになったのは氏のお誘いがあったおかげです。

(1998/02/28 Sat)

月曜日にもう一人の卒論生の卒業論文発表が急に決まって一昨日から慌てまくっている。でもこれで卒論の件は最後なのだ。月曜日に発表する彼は先週の木曜日が卒論の締め切りだったのだ。

 とにかくストーリーはできているわけだからなににフォーカスしてはなすかということなのだが、なかなか難しい。私自身は研究を企画からやってるからモチベーションとかをはなすのは好きなのだが、学生君は私と組んで実験しているだけだからイントロでモチベーションをはなすのが一番難しいのだ。もちろん彼等には文献を読ませるがなかなか実験の合間に読むのは大変だし、それは私もそうだった。目の前の実験の問題を解決したい時に(実験は実験がうまくいくかというそれ以前に、実験をミスなくやり遂げるのが大変なのだ)研究上の大問題は目に入らなくなる。逆にそればかり考えていると実験が進まなくなる。だから研究の進め方はとても慎重にやらなければいけないのだ。

 学生君のプレゼンを2回程見てよくなったので今日はもう終わり。といってももう10時だぞ。今日は早くかえってねます。

光合成の一般向けのコラム、web アカデミーというところで掲載していたのですがなんだか中止になってしまったようなので自分のドメインに移動させます。それにあたり絵を加えましたので来週くらいから連載しましょう。

では、またあした。

がーん。2月が終わってしまった。

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