Tenebroso 飯田のHPにもどる
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今日の分はもっとずっと下。
(1998/02/16 Mon)
ファイルを5日おきにしてみました。
日比さんのページ更新
シューベルト「魂の野道」をアップします。今週は第3章の結末です。ぜひお読みください。
遺伝子ハッカー 究極のフェティシズムか?
遺伝子などのバイオに対する恐怖・拒絶について以前書いたが、本屋にクローンの本がこんなにたくさん出ているとは知らなかった。ちょっとおどろいた。そこに書いてあるのはいつものごとくのことだったので、どうでも良かったのだが、ある本にひとつ面白い記事がのっていたのは、有名人のゴミから血液とか、髪の毛とか遺伝子をふくむものをもらってきて、クローンをつくってしまうハッカーが出現するのではないかということだった。これって映画向きだとおもうけど、たしかにありそうだわね。。。。ジュラシックパークはこれの恐竜版だったわけだし。あなたもあなたの好きなアイドルの遺伝子をいただいてクローンを作って育てる?これがほんとの育てゲーか〜。こわいですね。この本のこのコラムには有名人は遺伝子をのこさず処理しましょう。とあった。なんか笑えない。遺伝子シュレッダーなんてつくるともうかるかな。
(1997/02/17 Tue)
私は見せ掛けだけいつも考えているようにしていて、全然自分で考えていないので、こういうページにくるとほんとに途方にくれてしまう。哲学オンライン・マガジン第十七号(1998年1月号)フーコー、ハイデガー、ドゥルーズ、ウイトゲンシュタインの解説が読めます。以前紹介したけど。この間買った本「フーコー入門」の中山氏も執筆陣であったことを思い出して。僕は、こういう本を読んで何を考えたいんだろう、どうしてこういうことを考えたいんだろう、こういう本を読んだり考えたりするより他にもっと重要なことがあるのではないか?それならば現実逃避として思想の本を読むなんて意味があるのだろうか?と考えるとくらくらします。@_@
結論なんてあるんだろうか?
MacFanインターネットを読むとあるページの紹介に、インターネットは瞬時に情報がつたわるので古いものは意味がないと思いがち、などとあるが、それ誇らし気にまくら言葉にしてしまうそのセンスに一票。あなたはそういうページしかブラウズしてないことを誇らし気に宣言したというそういう意味にしかすぎない。
カノッサさんのサイトが始動し始めたようです。フランスの三部会について。MLの質問またしますね。情報提供ができないMLというのはちょっとつらいですが、しばらくは勉強ということで。ジャンヌ・ダルクの映画(サンドリーヌ・ボネール主演)がビデオであるので見ようみようとおもいつついまだみてません。だって4時間もある。
SNさんの2/16付けのページで日本ポピュラー音楽学会のことが記述されてました。大学でもずいぶんポピュラーミュージックって研究されているんですね。驚きました。そうそう、私も、リカ先生のストレス診断をうけてきました。失感情タイプだそうです。外観上はあたってると思います。私はあまり感情があるようには見られません。それに「目立たなくていい人」です。そうですそのとおりです。どうでもいいけどこの質問ひどいよね。こたえようのないものばかり。とくに怒り爆発したのが9の現在・過去・未来どれが大事という質問。答えられますか?こういうのって根拠あって作っているんでしょうか?こういうのを読んで自分はそういう人間だと思い込んでそういう行動をとる人もいたりして。
聴く音楽のレパートリーを広げようとショスタコーヴィッチを聴いています。弦楽四重奏。これが一番親しみを持てる編成なので。いまのところ14&15番よりも8−10番あたりの方が聴きやすいようです。No.8の第2楽章および第3楽章は随分民族音楽的なリズムを感じますが実際はどうなんでしょう?ロシアにはかつてロシアフォルマリズムというアヴァンギャルドの実験場があったとは信じがたいですね。そうそう、この間書いた、ゴダールの「新ドイツ零年」ロシアの港での兵隊の男が明日からまた船の上だとヴァイオリニストの女の人にしばしの別れを告げにくる。このシーンまではヴァイオリニストが集まってバッハのフーガについてレクチャーしているのですが、ここへ、男がやってくるのです。男への別れの曲にショスタコーヴィッチのヴァイオリンソナタをひくシーンがありました。作品は140番あたりです。どういう意図の引用なんだろう。気になる。ショスタコーヴィッチより、チャイコあたりから聴くべきか。。。。
学生君の卒論仕上がるのだろうか。あと二週間をきった。僕も論文仕上げたいのに。。。。
今日は夕食のあとはきそうになる(食事中の方ごめんなさい)。インフルエンザだろうか。いまのところおさまっているようだが。更新がとまったらインフルエンザだと思って下さい。
(1998/02/18 Wed)
ロマネスクサイトにBBSを作っていただいた。ありがとうございます>Kazuhiko@toride様。ロマネスク芸術だけでなく旅の情報などが交換できるといいですね。私はしばらくいけそうにありませんが。
山本君からの手紙 その5
こういう言いかたをすることは、君が言うように「物理学者が嫌うこと」かもしれない。断片的な知識をかじり読みしたにすぎないが、たしかに量子力学以後、化学、生物学の一部すら素粒子論(*1)によって説明され、法則が普遍的になっていくという興奮を物理学者が味わっているのは私にも何となく理解できる。しかし、だからといって自分達がこれらの法則を日常世界からおそろしくかけ離れ、変形してしまった状況もしくは理論によってのみ導き出したものであることを無視すべきではなかろう。
こういった認識を欠いた無反省な科学者は実験室の中で成り立つ現象は外でも成り立つはずだと世界を空気ポンプで真空状態に変えようとする(*2)に等しいこと−世界の実験室化を始めるわけである。ファインマンにとって広島はおそらく格好の実験室であったに違いない(*3)。
ガリレイが<<私は精神によって捉える mente coucipio>>と言った時、またアインシュタインが『物理学はいかに創られたか』において<<この慣性の法則は実験から直接に導かれるものではなく、ただ観察と矛盾しない純粋の思索によってのみ得られる>>と言った時、そこには精神、あるいは純粋なる思索という「どんな対象に関心を持つべきか」といった価値基準があったはずである。それは「どんな有効な観測手段が利用可能か」という無反省な興味とは厳密に区別せねばならない。後者による興味のみが押し進められるならばHeideggerの指摘する次のような状況が生み出される
「近代の本質的現象であり、我々が考えていることの証拠とされがちである科学を考察すると、それは一定の軌道にのせられた迷いのない考え方の極端に走ったものであり、従ってそれは配慮的なものを抹殺する。科学は計算機のごとく考えないことを理想としている。」(*4)
こういった状況下では、科学自体が一つの言説−−考えないことを理想とする言説でなくてなんであろう。
その6につづく
手紙のはじめにもどる
山本君にささぐ
iidaによる注
*1 現在、素粒子論とはここで出てくる化学や生物学にはあまり関係なく、クオークなどの高エネルギー現象をさす。この状態では原子の核の陽子すらさらに下の階層からなっていると考えられている。
*2 確かにこの地上からみれば空気があるのが当たり前のようであるが、どうやら地球を飛び出すと真空が普通らしい。また、他の惑星に無事降り立ったとしてもそこには大気はないか、地球のような大気が存在することはなかなかありそうにない。地球はとても複雑な進化のたまものなのだ。
*3 ファインマンとは有名なノーベル賞物理学者。特に大学の生協では「ファインマンさん、こんにちは」(だっけ?借りて読んだので今手元にないのです)だかで有名。ファインマンの若い頃のガールフレンドの死についての記述はほんとにすばらしい。「アルジャーノンに花束を」の愛のありかたととても似ている。最後の仕事はスペースシャトル爆発事故の調査取りまとめ。若い頃ファインマンダイヤグラムを開発し量子電磁力学の形成に決定的な足跡を残した。また、教科書ファインマン物理は名著の誉れが高い。私はあの本で変分法を理解した。確かにファインマンはロスアラモスで原爆の製造に従事したが、そのことをどうおもっていたかは知らない。有名なのはオッペンハイマーだろう。
*4 大かれ少なかれ、他人の研究分野というのには興味も持てず、ついついけなしてしまう人もいるものだ。 それが専門人としての誇りの表明なのだ。「大衆人というのは専門人のことである」byオルテガ。「近代の本質的現象であり、我々が考えていることの証拠とされがちである人種理論を考察すると、それは一定の軌道にのせられた迷いのない考え方の極端に走ったものであり、従ってそれはユダヤ的なものを抹殺する。人種理論は計算機のごとく考えないことを理想としている。」というパロディもナチと一時コミットしたハイデッガーにいってやってもいいかもしれない。別にハイデッガーが嫌いなわけではございません。
(1998/02/19 Thr)
私の母校、名古屋北高の写真を北高のホームページに追加しました。え、そんなもの見たくないって?そりゃそうか。それはさておき、デジカメはEpson Colorioです。80万画素のやつ。これは借り物なのですが、150万画素で10万切るモデルがでたら買ってもいいかなと思ってます。つまり今度の夏くらいかな?ちなみに私のページから北高へはリンクしてあるのだけれど逆がしてない。知り合いに見られるのってなんか恥ずかしいので。ここでは別人格だったりして。北高のホームページにはBBSもあるけど、多分ここと人格は同じだと思います。自分でうんざりするのはどちらもデザインが野暮ったいこと。
最近は地下鉄の中でもMDでクラシックを聴いている。一年くらい前まではCDのportableで聴いていたのだけれどもなんとなく、聴かなくなった。それでMDを購入したのは、学生君のもってるMDがあまりに小さいので、これは、とおもって購入。録音機能付きなのにズボンのポケットにはいる。これはすごい。Sonyのものを購入。
音質は圧縮がかかっているため劣化があるだろうか?という心配があったが私の耳にはわからなかった。むしろ、もともともってるPanasonicの2年以上前のモデルのCDPortableより音がいい。SonyのCDportableからPanasonicにかえたとき音が軽くなった気がしたが、Sonyの音づくりの方が私好みのようだ。アナログ部分の設計がSonyの方がいいのかもしれない。多分イコライザーで変わってしまうだろう。
なぜCD portableをSonyから変えたかというとSonyのものが2台続けて保証期間後すぐに示し合わせたかのように壊れたから。それでpanasonicにしてみたのだ。いまなら、音楽を聴かなくなったのはpanasonicの音づくりが薄くて聴いていて楽しめなかったからではないかとすらおもう。でもこのSonyのMDも一年ちょっとで壊れたりして。ありえそう。
録音ソースは最近の録音のきれいなもの。今日はドホナーニ/クリーブランドのモーツアルト交響曲No41ジュピター。これは傑作。第4楽章の終わりの数分のフーガとソナタのいりまじったところ(らしい)、私はナチュラルハイになれる。ここを聴くとマーラーの重層的な音楽を思い出す。マーラーのふったモーツアルト聴きたかったものだ。マーラーはコンサートでふり自分の交響曲にいかしたに違いない。それとはわからない形で。
現代曲もふたたび聴くようにしているけども穏健なものばかり。以前のようなどん欲さはなくなった。今どき、ブレーズやリゲティじゃ、標準的すぎてわらわれるかも。
今日も軽い話題ですいません。別にあやまる必要はないか。
(1998/02/20 Fri)
私はこのwebページの作成をAdobeのPagemill 2で行っている。FTP機能もサイト管理機能もついていて比較的低価格でかなり満足している。とくにこのサイト管理機能一度使ったらやめられない。windows版ももちろんあります。今日このソフトのマイナーアップデートがでて2.02になった。さっそくダウンロードして使用していますが、以前から特に不安定ということもなかったので、以前とそれほど変わらないようです。
MacPowerを買ってくる。これは毎月のことだ。なんと、Macには美少女がいない、ということで、シェアウエア特集の女の子の着せ変えが2ページにわたって組まれていた。ちょっと考え込む私。デスクトップに飾っておくとうけるかもしれないが、以後2次元コンプレックスのレッテルははがせまい。やめよう。さらにページをめくると、エヴァンゲリオンのゲームがMacに移植された記事が載っている。をいをい、いつからそういう記事をのせるようになった。Macパワーよ。同僚のエヴァオタクにみせる。興味のないふりをしているがわかっているんだ。君。もっとよろこびたまえ。ヒヒ。
そしてレンダリングのページにも使徒のレンダリングが。はあ。みんなすきなんだなあ。というより、いままでエヴァの記事が載っていても私がそれとは知らずに見ていなかったのかもしれない。なにかを体験したあとではそれに意味がもたらされるのだ。
・・・が、外をみるとさっきまでの日常の風景が、いつのまにかスクラップの車の残骸がおかれた世界になっていた。目をこすった。そんなはずはない。さっきまで外には国道・・・・
・・・世界のレベルはどうなっているのかわからないが、われわれがどうにも・・・
・・・一度は住み慣れた世界から他の・・・
・・・机が置いてあったがそこはひどくふるぼけ・・・
・・・は〜い、授業をしま・・・
・・・こに広がる、風景は大きな骸と、10体程の・・・
・・・しろから飛んできた矢は私の・・・
上に書いたのはある作品のパロディです。ひひ
わかった方は連絡してください。
あなたならわかるでしょう。(深い意味はございません)
とここまでにかいたのはあるページのパロディでもあります。パロディのパロディ。さらにそれをパロディ化するには?メタ・パロディとは?
ひとつ目のパロディは筒井康隆氏の暗い暗いSFで前衛的手法を取り入れた実験作品かつまったく楽しめないSFである「驚愕の曠野」(河出文庫)。ちなみにヒヒというのも、氏の引用ですが御存じでした?そして二つ目のパロディ・・・