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(1998/01/11 Sun)
ホイジンガによむ同時代の著作家 その1
ホイジンガは20世紀初頭の歴史思想家、美術史家である。オランダ人。彼はドイツのナチの政権掌握に警世の書をだした。それが「朝の影の中に」(中公文庫、堀越孝一訳)である。他の本では「中世の秋」が有名。これはカノッサ氏のサイトでよく取り上げられている。
オルテガの「大衆の反逆」とともにこの本を読むと元気になれるので、よく読んでいる。いまやこの本はくたくたになりかけている。また戦後書かれたアドルノと対にして読むと面白い。
私の気になる人々のことを彼も書いている。たとえばリルケ、ニーチェなど。ちょっと抜き出してみよう。
以前も指摘したが第9章「生の礼拝」にリルケのことが出てくる。
おどろくべき迷妄ではある。人々は、知識、理解にはげしくおそいかかる。ところが、いつもきまって生半可な知識、誤解にたよってのことである。・・・ことばはすべて知識をふくんでいる。生それ自体との直接の接触にはいろうと、とりわけ熱心につとめている詩にしてからが(私の脳裏にあるのはホイットマンであり、また、リルケの詩句である)、一個の精神形式、すなわち知識であることに変わりはないのだ。・・・
そして第18章「理性と自然を排除する美的表現」(p172)
・・・詩が、ここに、精神によって事物の根底にふれるという、そのもっとも本質的な機能を、以前にもましてより高度に発揮するであろうことは。・・・詩は理性から離れた。・・・さほど詩的感受性にめぐまれていないものにとっては、リルケやポール・ヴァレリーはよくわからない。そのわからなさかげんは、とうていゲーテやバイロンとその同時代人との関係の比ではないのである。
というわけでリルケの「マルテの日記」の例のウエーベルンが曲(op 8)をつけた詩を明日は読んでいただきましょう。
(1998/01/12 Mon)
ホイジンガによむ同時代の著作家 その2
昨日のべたリルケの詩。「マルテの日記」に出てくる詩を二つ楽しんでみましょう。(望月市恵 訳 岩波文庫)マルテはあるパーティ会場に来ています。そこにデンマーク出身の女性がいて目が合ったところです。そこにパーティに来ていた皆が女性に歌をせがみます。マルテの意に反して彼女は歌い出します。
1
君思うたびゆりかごにゆらるるごとく
美し(うまし)疲れのおぼゆる。
臥床(ふしど)に涙して目ざめしことを
君に告げざらまし。
わがために眠らざる夜あるも
秘めて告げざる君、
この美しき渇きを
癒すことなく
心に秘めばや。相思う二人を見ずや、
心をつぐれば
偽りのあるを。2
思いてひとりのいや増すは君のみ。姿を変えしめるのは君ひとり。
しばし姿をとどめ、いつしか枝のそよぎと聞こえ、
悔いを残さぬ香りとにおう。
ああ、ちぎりし者みな去りぬ。
君のみあらたに生まれてやむことなし。
君をとどめしことなければ、君を失う日もあらじ。いかがですか?あなたには詩心はありましたか?ほんとはドイツ語でやりたいですね!ウエーベルンのCDを買えばドイツ語で聞けますよ。
こちらはずっと以前にアップした「豹」という詩。映画「レナードの朝」でキーになる場面に出てきた詩です。これが私のファーストリルケショック。そのころはまだこのようにさまざまな芸術家、著作家が響き合う地平にはいなかった。どうしてこのころの作品にひかれるのでしょうね。
リルケの他の有名な詩はドゥイノの悲歌などがあります。昔書いた、
リルケについて
あすはホイジンガのいうことを検証するために、ゲーテとリルケを比較のできるように話題をふります、あさってにはニーチェ!下書きは済ませましたがまだ出せないので(ソースにも入ってないですからね)。
ホイジンガは同時代の芸術・文化にも強い関心を抱いていたことがわかります。
(1998/01/13 Tue)
ホイジンガのあげたゲーテとリルケの比較を具体的に見てみる企画の前に。
[クラシック音楽と感動]
先日私はシューベルトの歌曲「冬の旅」を聴き、ドイツ語を一つ目の歌詞だけ朗読し、なんども聴いてみた。それから数日たち、「冬の旅」の出だしで涙がでそうになった。私はロマン派の音楽の何がきらいって感情を全面に出してくるのが嫌いなのだ。それは音楽の建築的な構成感をもつ美を聴取するのに妨げになる。たとえばブラームスの交響曲4番の最後のパッサカリア。あまりにわれわれの心に語りかけてくるではないか?それを聴いているとブラームスがそこに込めたパッサカリアというストラクチャを聞き逃す事になり、ブラームの建築的な側面を無化してしまう。それでいつも感動しないように心構え、曲がどのようになっているか記述的に聴くようにしていた。感動がいらないと言うわけではなくて、そのフォーカスが感動におかれ、感動について語られるなら、それには興味がもてないということである。このため僕にとってブラームスは”ダサい”作曲家なのだ。
それでシューベルト。数日たって私のなかで程良く熟成されたシューベルトは外界から響くシューベルトと激しく共鳴し、シューベルトは”いい”作曲家だとはじめて思った。
しかし先述のように私はそれではシューベルトの歌曲の構成だとかをききとっていないことになる。シューベルトについてはたいしてしらない。そんなときは、と、アドルノの「楽興のとき」を読む。シューベルトはふたつめにおさめられている執筆は1928年。ふむふむ。
目が丸くなる。彼はシューベルトの歌曲が未だ持ってうまく分析されていないこと、それがいかに難しいか、をえんえんとかたる。たとえばソナタ主題に込められた意識がベートーベンといかに違うかについて語る。そして、かれは「我々はシューベルトを聴いて泣く」といっている。彼ほどの理論家で晦渋なおっさんがこんなことを言っていたのだ。だから僕は素直にシューベルトに涙していいのだ。とはじめて思った。
感動について言えばブルックナーが自分の曲を演奏してくれた指揮者の初演に感動し、舞台のそでにドーナツを60個用意しておいたという有名な逸話がある(ブルックナーはかなり変わり者だったらしい)。
話をもどすと、自らの感情を盛り込むために形式を破壊したシェーンベルクらの表現主義の音楽こそ、私がもっとも嫌わなければいけないのに、なぜ私はこうもひかれるのか?というつっこみをいれられると返すことばがないのですが、そういう矛盾にいままで一度もつっこまれたことはありません(爆)。
音楽における感動と音楽のもつ構成や美への態度をどう考えますか?この原稿は先日紹介した科学者と美学者の対談についてコメントされたSNさんの原稿をよんで、うーん、さすがよく書けてる。と思ったので、悔しいけどなんか書いておこうとおもって書きました。SNさんの原稿もどうぞ。
今日は先日かいたホイジンガについての文章の推敲をする時間がありませんでした。明日にします。
日比さんのシューベルト。第二章その4をアップ
その4 総ての「出来事」が透明に見える。透明な「出来事」これが最も愛すべき青春だったのだろう。多分時間の流れも又、比喩と解釈と幻想とに他なるまい。興味深い三十歳に僕はやはりこの書き物を遺したいのだ。
日比さんと水野さんのサイトにTorideサーバーのご助力を得てアクセスカウンタをとりつけました。
(1998/01/14 Wed)
ホイジンガによむ同時代の著作家 その3
一方ゲーテ君の方ですが、ホイジンガがリルケとの引き合いで難しいと言っているだけで今のところコメントを見つけていないので、かわりにゲーテの詩が出てくるミラン・クンデラの小説を引き合いに出しましょう。
私の好きな小説家ミランクンデラの「不滅」には、ゲーテ君とベッティーナちゃんの話が語られるのですが当然それにコメントしたリルケ氏も引き合いに出されます。まあ、それはおいておいて、この小説は一時期読むのをやめていた私に小説を読む楽しさを思い出させてくれた本です。小説やクラシック音楽の一つの価値は再体験が楽しいことですが、これはまさしくそれを満たす一冊。
この小説のキーにはゲーテの次の詩が使われています。
旅人の夜の歌
山々の頂に
憩いあり、
木々の梢に
かそけき風の
そよぎもなく。
小鳥は森で黙すのみ。
待てよかし、やがては
汝にも憩い来たらん。どうですか?描写はビジュアルに展開されますね。詩想は単純です。森はしずかだ。あなたも静かに休めるでしょう。と。
上の小説ではこれは美しいドイツ語の詩として主人公に解釈されるのですが、これは主人公の父が死ぬときにリフレインであらわれて力強い表現を勝ち得ます。すなわち主人公は父と幼年時代にこの詩を読み、野原を歩く場面が描写されます。しかし後年その父の死の場面で、2人の思い出深いこの詩を読み合います。そのとき、主人公はこの詩にこめられた死の情景にはじめて気付き、父が死を理解していることを突然悟ります。
上の小説にはこの詩の韻のふみかたの解析もしてあってとても面白いです。
これはまさに交響的なもの、という意味は、部分は全体で、全体は部分であるというヨーロッパ芸術のテーゼを体現しています。そのため再読がおもしろく、さまざまな場面が交錯しています。
さて詩の評価を、この詩だけで決めるわけにはまいりませんが、リルケの3編に比べればあきらかにわかりやすいですね。
ではホイジンガは詩についてどう考えているでしょうか?
第18章「理性と自然を排除する美的表現」より
あらゆる時代の詩芸術には、つねに理性的脈絡がむすびついている。詩が狂気没我の域にまで高められた場合でも、それに変わりはない。詩の本質は想像力における美であるとはいっても、詩はそれを言葉によって、ということはすなわち思想として表現するのである。・・・想像力がいかに高く翔ようとも、詩のキャンバスは、論理的に表現された思想なのである。
・・・実に18世紀の奥深く、ロマンティシズムの台頭を見るまで、詩と理性の釣合の関係は、ほとんどくずれていないと見てよいのである。・・・詩芸術がようやく理性的脈絡を意識的に放棄するにいたったのは、この世紀末葉にいたってからのことであった。大詩人たちは論理による理解可能性という基準を詩からはぎとった。・・・じゅうぶん考えられるところであろう、詩が、ここに、精神によって事物の根底にふれるという、そのもっとも本質的な機能を、以前にもましてより高度に発揮するであろうことは。
リルケにかぎらずシェーンベルクらに使われた表現主義の詩(ヒルデガルド・ヨーネ、アルベール・ジロー、ゲオルゲ)がいかに難解なのかはようやくここで納得できました。ただ、ホイジンガとさらに対話を続けるためにこれら歴史の検証作業をしてみたいですね!
最後にふたたびゲーテで今日はしめましょう。(ドイツ詩集 片山 敏彦著)
悲しみの歓喜
な渇きはてそ かぎりなし
愛の思いゆ 湧くなみだ
なかば渇きし まみにこそ
世は荒れはてて 見ゆるなれ
な乾きはてそ さちうすき
愛の思いゆ 湧くなみだ(1998/01/15 Thur)
ホイジンガによむ同時代の著作家 その4
次はわれらがニーチェ。ニーチェは死後ではあったがナチスに利用されたのである。記述は第15章ヒロイズムにでてくる(p146)。
ニーチェ・・・精神の格闘を通じて、人間の至高の価値についての思念を展開した。生の価値についてのつきつめた懐疑を通って、ニーチェは、英雄の理想を宣明するにいたったのである。ここに英雄の理想は、国家組織とか社会共同体とかと呼ばれるものすべてを遠く背後に残し、精神の領域の高みへとのぼった。幻想の予言者の理念であり、詩人や賢者のものである。・・・
ヒロイズム理想の腐敗は、1890年頃、ひろい範囲にわたってみられたニーチェ哲学の皮相な流行に起因しているのであって・・・世紀末の凡愚の徒は、あたかも偉大な兄弟と目するかのように、「超人」についてかたった。このニーチェの思想の時ならぬ大衆化こそ、うたがいなくこんにちヒロイズムをもって宣伝の具とし、政治のプログラムと持ち上げようとする思潮の起源となったのである。
・・・この英雄という栄誉の名辞は・・・聖人という言葉同様、つねに、ただ死者に対してのみ向けられてきたのである。それは生者から死者に対して贈られる感謝のしるしであった。戦いに赴くのは、英雄になろうとしてのことではなかった、義務を果たそうとしてのことだったのである。
この義務という概念はホイジンガにあっては非常に強力な概念で、義務に従わねばならないといいきる。戦争は反対だが兵士としての義務は果たさねばならないと考えていたようだ。私はソクラテスが悪法もまた法なりといってしんでいったのを思い出すがつながるだろうか?それからノブレス・オブリージュという概念がある。高貴なる者の義務という意味か。大衆論は基本的には自分が高貴であろうとしなさい。そしてうまくいかないときでも投げ出さずになんとか解決策を見いだしなさい、というのをいろいろな先達の行動をあげつつ(=伝統概念?)のべていくものだと思うが、情緒的な解釈だろうか。
ニーチェのツァラトウストラの「山上の木」よりの引用
・・・高貴なものは、万人にとっての邪魔者だということを知らなければならない。
善人たちにとっても、高貴な者は、邪魔者なのだ。・・・
高貴な者は新しいものを求め、一つの新しい徳を創造しようとする。善人のほうは、古いものを愛し、古いものが保持されることを願うものだ。
しかし、高貴な者の危険をいうなら、それは善人になることより、むしろ鉄面皮な者、冷笑する者、否定するものとなることだ。
・・・あなたの魂のなかの英雄を投げ捨てるな!あなたの最高の希望を聖なるものとして保ってくれ!
とある。ここにはニーチェのもつ思想の危険性をみずから示している。さらに詳しくは山本君の書いた文章を参照してください。
ニーチェときたらやっぱりアドルノを引き合いに出したいものです。ミニマ・モラリア(三光長治 訳、法政大学出版局)より
道徳のためにひとこと
ニーチェが古来の偽りを攻撃するために唱えた背徳主義にしても、歴史の判決を免れるものではない。宗教とまぎれもなく宗教の世俗版である哲学が解体するとともに、節制を目的にしたさまざまの禁制は確かな裏付けのある実体性を失った。・・・まだ、みんなに行き渡るほど十分にものがないのだから辛抱しなければいけないというお説教にもある程度の根拠があった。・・・つい目と鼻の先で物資のありあまっている現状からすれば節制を強いられた当の市民にしても節約なぞということは余計なお題目のように思わざるを得ないのである。ニーチェの君主道徳に含まれていた、生きるためにはつかみ取りをしなければいけないという考えは、19世紀の牧師のお説教よりも見え透いた嘘になってしまった。・・・今日における高貴の美徳は、他人に先じて美味い取り分にありつくことにはないであろう。むしろ取ることにうんざりして、ニーチェにおいては精神化された形でしか出てこない「贈り与える徳」を現実に実行することにあるだろう。80年前に生を存分に謳歌することには自由主義下の抑圧にたいして抵抗するという意味があった。しかし現今では禁欲主義の理想が、気違いじみた経済の利潤追求に対する抵抗という点でもっと大きな意味を持っている。
と当時の社会と現在(1945年のアメリカ)を経済的な違いから考察し、「社会に反抗して生きる」というありかたの違い浮き彫りにしています。ホイジンガが1930年代中盤にヨーロッパでニーチェについて教訓的な生き方の知恵として考察したことと亡命してアメリカに渡ったアドルノとはこのように違うわけです。(ミニマ・モラリアってこんなに面白い本だったのね。)
ニーチェの「贈り与える徳」より
あなた方はまだあなた方自身を探し求めなかった。そこでたまたま、私を見いだすことになった。信仰者とはいつもそうしたものだ。だから、信仰するといってもたいしたことはない。
いま、私があなたがたに求めることは、私をすて、あなた方自身を見いだせということだ。
ホイジンガはニーチェの思想についてよりもニーチェの思想を利用したものへの怒りを露わにしている。もうすこしホイジンガとニーチェの関係を探りたいがあいにくここまで。後日チャンスがあればそのときまた。
あすは短く絵画について述べます。
(1998/01/16 Fri)
ホイジンガによむ同時代の著作家 その5
あなたは同時代の芸術を愛好しているだろうか?画家ではだれがすきだろうか?作曲家はだれが好きだろうか?芸術家というのはだれでもミケランジェロや、セザンヌ、パウル・クレー、あるいはモーツアルトやベートーベンといった亡霊と比べられているのである。比較的近代ではあるがそれら亡霊がまだ肉体を所有し、その創作にいかしていたころ、はたしてどれだけ評価されていたのだろうか?ただ私としては過去の作品をしった判定者がどのような評価をしているのかというところにしか興味がない。なぜなら、訓練された、あるいは、理解しようとしている者にしか届かないメッセージだってあるのだ。
「ある作品を真に愛する人たちというのは、その作品の内面および彼ら自身の内心をながめるに、少なくともその作品を作るのに用いたと同じほどの欲望と時間を消費するもののことだ。」「だが、その作品をおそれ、その作品から逃げている人たちの方が功利的だ」(ポール・ヴァレリー)
ホイジンガはどの程度現代芸術(彼から見た)を見通していたのだろうか?
絵画および音楽(p175)
詩芸術における理性の放棄に照応するのが、造形美術における現実の視覚的形態の忌避である。芸術は自然を模倣する、とアリストテレスはいい、彼以後、幾世紀ものあいだ、このドグマは揺らぐことはなかった。・・・印象主義といえども、この目が見、精神がそれと認知する現実の形態との関わり合いを、けっして放棄してしまったわけではないのである。
ゴヤとオディロン・ルドンとを結ぶ線は、さらにカンディンスキー、モンドリアンといった画家たちにつながる。彼等は自然のオブジェ、かたちある事物をはっきりと画家ではすてさり、作られるべき形を求める。ここにかれらの芸術は、人々に普通にそなわる認識手段との結びつきを、いっさい放棄するのである。イメージという概念が、その従来の意味を失うのである。
カンディンスキーはシェーンベルクと同時代に抽象画へと突入していく。彼の絵は当時まだ最先端の絵だったはずだ。モンドリアンも同様である。ここにゴヤや前世紀のルドンから外挿線をひいているのだ。ゴヤやルドンの評価はどれだけだったのだろうか?もちろん今日ではそれらの距離は近いことが論じられているが、うまれてまだ10年程度のどんどん変遷をしていくカンディンスキーやモンドリアンの絵に共通点を見いだしている。今日、それは可能であろうか?
私には10〜20年前の画家をひきあいにだしながら現代の画家について述べるなんて事は全く不可能だ。だれに着目していいのかもわからない。アンディ・ウォーホール?ケン・ドーン?それにだれをつなげる?
では音楽は?ホイジンガは?
ワグナーから無音階音楽にかけてひかれる線が、すでに見た詩と絵画の場合と同種の文化の歩みを示す第三のしるしといえるかどうか、この点については、なにしろ専門的な知識に欠けているので、私は判断を保留せざるを得ない。
残念ながらかれはそういうことは語っていない。新ウイーン楽派や他の音楽についてどう思っているのだろうか?
現代音楽はつい数年前にはシリアスミュージックはもう古いとされた。これからはシリアスミュージックではなくて聴衆と音楽を楽しめる音楽を書こうとされた。コンサートの入場料をたくさん徴収できるようにということで。その線でクセナキスもリゲティも聴きやすい曲を書くようになったといった評論家がいた。私は全く信じていないが。ミニマルミュージックがはやった。スティーブライヒ、マイケルトーキー、マイケルナイマン。では今は?
どうでしょう?ちょっとまとめるアイデアがありません。
いずれにせよ、ホイジンガはかなり現代芸術にも気をくばっており、それは19世紀から続く様式喪失と非理性化の時代と位置づけているのだ。ただし、かれはこれらには批判的ではない。
かかる破壊的諸要因の協働によく対抗しうる釣合の力は、これを至高の倫理的、形而上的諸価値のうちにのみ求めることができよう。理性への回帰というだけでは渦から抜け出し得ないのである。
表紙かえてみました。余計重くなってしまいました。ゴメンナサイ。あたらしく作ったアイコンあんまりかっこよくない。そのうち作り直します。それまでまって。
明日はホイジンガの補遺をしておきます。今回も企画だおれになりました(笑)。やっぱ毎日本をあれこれ読んで引用するのはしんどいですね。
インタネットエクスプローラー4.0。なかなか評判悪いですが(笑)、マック版はなかなかいいです。特にサイトを登録しておいて更新チェックができるのとサイト丸ごと保存できるのが良さそうです。私はキャッシュしておいて地下鉄のなかで読んだりしています。あなたの文章もキャッシュされてますよ〜。ナビゲータよりも安定していそうです。これのせいでサイバードッグはメール機能とFTP&Telnetになってきました。サイバードッグのブラウザパート、Blakeはどうなったんだろう?なんでもエクスプローラーをもとにしているとのことだったけど。
(1998/01/17 Sat)
情けないことにホイジンガをよみながらリルケの詩、ニーチェ、オルテガ、ミランクンデラ、ゲーテ、アドルノを読みかじる(決して読了したわけではない)うちに今週は疲弊したようなのでしばらく軽い?話題を続けます。これでも毎日すごく時間がかかったの。1〜2時間くらい。ホイジンガの補遺はこの週末にやるつもりです。アドルノのミニマ・モラリア、一つのコラムは短くてその前半はすごく面白くわかりやすく、そして皮肉たっぷりだが、後半はそれとはかわって難解さに包まれている。
SNさんの日記のページの”グールドとベンヤミンについて”を期待しています。なんかリクエストばかりですが。ちなみに名古屋は雪ではなく雨ばかりです。
日記エンジンに登録してみました。でも読む人増えるかしら(笑)。
以前の「思ったこと」を「今日の話題」としたのはロゴにおさまらなかったため。
今日のながら族の音楽はマイケルトーキー。これはもうほとんどジャズですね。argoレーベル。でもなんとロンドンシンフォニエッタが演奏。
研究所で実験を終電までしていたら最寄りの駅までの終電にのれずに30分ほどあるいた。なにしろ鞄のなかにはマックが2キロ。エプソンのデジカメ、マウス、MD、携帯電話の契約書(今日アップグレードしてきた。なにしろ一年前のものは重くてかさばるのだ)とにかくおもくてつかれた。これがホイジンガをフォローする気力をなくしたいいわけです。
ブラームスが中庸かどうか。よくわかりません。ブラームスの中庸な所を述べるのは可能かもしれませんが、モンテーニュの中庸の概念を私は知らないのでわかりません>minamiさん
(1998/01/18 Sun)
今日はばたばたして机に向かう時間がとれなかった。家人とワインを飲んだ。キャンティ・クラシコ。赤。ミディアムボディ。一緒にたべたチーズはペコリーノ・ロマーノ。よぱらってしばらく寝る。
12世紀のフランスでは巡礼がさかんで人々は修道院を泊まりあるき巡礼にいそしんだ。各修道院は聖遺物というあやしげなものを開陳して巡礼者を集めようとしていたようだ。実際その聖遺物はいまにつたわる。そうそう、インディ・ジョーンズの第1話では、キリストの杯をあてて彼はあの谷からぬけてきたではないか。十字軍では聖遺物の収集も当然行わればったもんもずいぶんヨーロッパに運ばれたそうだ。聖人たちの遺骸を食べたということも聞く。
それはともかく以前も書いたが、ワインはキリストの血で、パンはキリストの体であるからヨーロッパ中で修道院通じて共通の製法が広まったようだ。
アベラールとエロイーズでは巡礼客にワインをふるまい女性修道院の風紀が乱れていて困っていることがエロイーズからアベラールへの第六書簡にでている。
「おお、同じ屋根の下にいる男や女たちの魂はどんなに容易に破滅に導かれますことか!」
聖ヒエロニムスもこのことをいましており「宴会において純潔を保つことは難しい」と引用されています。
ここで詩人オヴィードもまた描写している。
飲み好きのその両翼に酒が回り込むや
キューピッドは腰を据えて其処から動かず・・・
かくて笑い声が起こり、貧しきものもこころ勇み立ち
悲しみと憂苦は吹き飛び、額のしわは消え去る・・・
乙女らの姿はしばしば若者たちの心をとろかし
愛は血の中に渦巻き、火は火と触れて燃える。
というわけですが私は家人と飲んだので私にはなにも起きてませんが(爆)
この詩にトゥルバドールの旋律をつけて歌うとどんな曲になるでしょうね。
ヨーロッパ人がいくら酒に強くて、巡礼をするという敬虔な気持ちのなかにあってもこういう状態ということがわかるわけです。
ともあれエロイーズは女修道院をまかされているわけですからこの現状をなんとかするようにアベラールにお願いしています。それにたいしてアベラールは返答しているようなのですがまだ該当個所をみつけていません。みつけたらまた報告します。
名古屋は今日も雨。東京は雪?
(1998/01/19 Mon)
NHKでハイティンクによるシェーンベルク、ブルックナーをやっていた。シェーンベルクは途中から聞いた。op 16オーケストラのための5つの小品です。この曲は音色旋律を使った章があります。この音色旋律は同じ音を持続するときに楽器をかえていって音色を楽しもうというコンセプトです。この時期のシェーンベルクはきわめて激烈な曲想を抱いていたためかその音色のパレットはぎらぎらしています。そして実際に音色旋律を使った章では極度の内省性を示します。この音楽の特質を再びみるには後年の12音を得たさらに後、弦楽三重奏曲やナポレオンボナパルトへのオードまで待つ必要があります。こういう音色を持続音と組み合わせたるのはベートーベンの後期の弦楽四重奏にルーツを見いだすことができると思うのですがいかがでしょうか?
その後武満徹とメシアンの室内楽をやっていた。家人が武満の曲ってさっぱりわからんというのですが、それはわたしも同じ。昨日のカトレーン2は室内楽で、ヴァイオリン、チェロ、クラリネット&ピアノの編成で、メシアンの「時の終わりのための四重奏曲」と同じ編成です。
武満氏自身が影響をうけた作曲家として、ウエーベルンとノーノをあげていたと思いますが、それらににて、音色をならし続けるというスタイルの曲です。日本のメロディといったものは聞き取ることはできませんが、どうでしょうか?
メシアンの曲はナチスの捕虜収容所で作曲されたという曰く付きの音楽。わたしなぞなんど聴いてもさっぱりわかりません。
メシアン自身は火のエチュードかなんかでトータルセリエリズムに踏み込むのですが、本人はそれには全然興味をしめしておらず、多彩な作品を書いています。人によっては評価が高すぎるという人も。生前評価の高い人は忘れ去られることが多いですからメシアンもブーレーズの先生だった。で終わるかもしれません。逆にメシアンの曲をよく理解し演奏したのはブーレーズだった。という言い方になるかもしれませんね。
私はメシアンで一番気に入っているのはウゴルスキが演奏したピアノ曲「鳥のカタログ」です。あとはあんまり音が多すぎるので(爆)。
ウゴルスキという演奏家はロシアで前衛音楽を演奏していたらおなわにかかり旅芸人の伴奏者としての一生が約束されましたが幸いなことに西側に亡命しいくつかCDを録音しています。
ウゴルスキは「鳥のカタログ」の譜面を友人宅で見つけたとき涙をながして貸してもらい、一日中我を忘れて演奏の練習をしていたといいます。
やっぱり自分の仕事をきちんと全うすべきということですね。
まあ、お説教はともかく、戦後あたりから私のクラシック音楽への敬愛はあやふやになっていくのですがもう少し聴き込む必要がありますね。
約束していたホイジンガの補遺はもうすこし時間ください。アベラールもまだ(T_T)
(1998/01/20 Tue)
今日古いビデオをせいりしていたら朝まで生テレビの録画がでてきた。ある時期まで私はそれらをよく見ていたのだった。そのころは「諸君」だとかのいわゆるオピニオン系雑誌をよんでいた。いまは、それらにあるのはオピニオンはなくせいぜいいつまでむいても全く同じできりがないオニオンのようなものだとおもうようになってしまっているので店頭で見かけても読みたいともおもわない。なぜか?あのころあれらの雑誌にはなにが書いてあったか?バブル絶頂の時、日本人優秀論が語られ、日本式経営の優秀さが語られていた。だがその後状況が変わった数年前同じ論者がしたり顔で今度は日本式経営の難点を指摘するのである。私の勘違いかもしれない。が雑誌全体の論調の節操のなさにあきれてそれきり読まなくなった。
それらの雑誌を読まなくなったときの最後に気に入っていたのは呉智英氏の本。彼は私に「百聞は一見にしかず」の嘘をおしえてくれた。UFOをみたという証言がある。それを信じるかどうか。私にはサンプル数がすくなく再現性のない対象には興味がもてないのでそれ自体はどうでもいいのだが、とにかくそういうときには「みたんだもん」、ですまされる。みることは全然たいした証拠じゃないのだ。地球は東からのぼって西に沈む。あなたはなぜそれを信じているのだろうか?地動説はあきらかに聞いたことに属する。一方、太陽が動くのは明らかだ。見たことを信じるあなたは今日から天動説になるべきなのだ。
きっと地動説を信じるようになったのは巨大な教育権力が息の詰まる檻の中でわれわれに死んだ知識を詰め込んだからだよね。というのはある歌手への皮肉ですが、まあ、きっと天動説を信じて先生に地動説が本当に正しいかどうか、その証拠は?と突き詰めていけば先生も答えられないのは目に見えているので(物理出身の若い先生なら答え始めるかも)そういうのもいいかも(爆)。これらの知識を共有し我々は我々に属するというアイデンティファイを行っているわけですね。こういうことを考え始めるととまりません。
地動説だって世が世なら異端審問にかけられちゃうわけですから、わらっちゃいますよね。
われわれは巨大な文明のなかでの原始人なわけです。だって我々が作り出したテクノロジの原理なんて知らない人ばかり何でしょうから。昔家庭教師していてむなしかったのが彼はビデオゲームをするのですがそれの原理に対する何の興味も持ち合わせていないということでした。いまのたまごっちをみてその動作原理を知りたい。などという殊勝な小学生はどれだけいるのでしょう?以外といるのだけど大人が全然説明できないためにこどももルーチンのゲームをするだけになるのかも。私?ゲームは大の苦手でインベーダーゲームのころゲームとは手をきりました。エロゲーも見せてもらいましたが僕はアニメより実写の方が・・・
まあ、それはともかく、第二次世界大戦のときに容易に新聞が体制側にとりこまれたくせに今日の新聞はえらそうですよね。どうせわかってない記者が書いてるんだから新聞にかかれたことをうのみにしちゃいけないんです。と両親にいおうものなら、屁理屈をこねるやつだといわれるしまつ。そこのあなた。きっと同じでしょう?
というわけで先週末に本を読めなかったので今週はぜんぜん話題提供ができません。おゆるしを。
そうそう、パソコン街のそばの家具やの前を通ったら、クリュニー美術館のタピストリーの柄の布をはったついたてがうってて10万円。でもほしい。ずばりホイジンガ中世の秋(上)中公文庫の表紙の絵です。まじでほしい。ごらんアベローネ。なんてやってみたいものだ(笑)。
日記をつけるために生きるのか、生きているから日記をつけるのか?まあ、私はアイデア帳みたいなものだと思ってます。あとから読み返すと引用部分とか結構、自分の中で考えが変わってきて勉強になります。そうそうリッチー・ブラックモア。なつかしいです。コンサートに行ったことはないけど目に浮かぶようです。>SNさんの日記
ちょっと前に懐かしく思って、ロバートプラントのCDをきいたのですが(コージーパウエルがドラムの曲がすごくすきだった)、ほんとうに懐かしい以上の音楽的感動は得られなかったのでそれきりきいていません。あんなにすきだったクイーンやサイモン&ガーファンクルもそうです。でもまた楽しんで聴ける時期がくるかもしれません。こういうのはタイミングというものもあるので。いまふたたび聞いてみたいのはロキシーミュージックかな。
最近おきにいりのマック版Internet Explore4.0にもバグがあったそうです。これをいれてからマックもすこし不安定になった気が。。。。といってもナヴィゲータとイクスプローラとサイバードッグをたちあげて、そこでさらにアプリをひらいてそれぞれのブラウザによみこませながら作業してりゃ不安定にもなるわな。