賀正 飯田のHPにもどる
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今日の分はもっとずっと下。
(1998/01/01 Thur)
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
言葉集 その1(山本君が私に手紙で送ってくれたものです。彼は引用を集めて私にメッセージを送っていたのです。)
1.催眠は、私たちの内にある、太古的(アルカイック)かつ直接的で制御されにくいひとつの次元、だが常に現存する次元に関与しています。(レオン・シェルトーク)
2.精神分析とマルクス主義は、ある共通の人類学のうちに、そのしかるべき場を見いだすことでしょう。(アーネスト・フェダーン)
3.上手に生きるために、何の苦労も必要でない、と多くの人々が思いこんでいるのは奇妙なことです。(エーリッヒ・フロム)
4.人間の内に新しい変化が見られるとすれば、それは精神分析を通じてなのです。風俗の激変によってではなく、内的世界と私たちとの関係に精神分析がもたらす変化によってなのです。(ジャン・ラプランシュ)
5.人間の行動は決定論から免れるように思われますが、それはただ単に、その内的メカニズムが知らされていないからなのです。(ジャン=ピエール・シャンジュー)
6.知能は、多岐にわたる能力であり、「測れる知能」という観念自体が知性に反する過ちです。(アルベール・ジャガール)
7.人間の差異よりも、むしろ人間が共通にもっているものを研究することが、より早急になすべきことなのです。(ジャック・メレール)
8.心理学の役割は、振る舞いの機構を研究することです。(モーリス・ルクラン)
9.人々が出会う時、彼らはしばしば戦いを交えますが、交換も行います。これが人間の文化の冒険なのです。(ジャック・リュフィエ)
10.猿は言語を模倣することはできますが、話すことを学ぶことはできません。(ハーバード・S・テラス)
11.人間の自由の社会史もありますが、その自然史もあるのです。(ルネ・ザゾ)
12.善悪の基本的な価値判断のいくつかは、種に、つまり人間の本性に固有のものです。(エドワード・O・ウィルソン)
初日の出を見に行きデジカメにおさめるつもりだったのですが、中部地方は曇りと聞きあきらめました。
大晦日の晩の歌番組ではみごと小室氏とか安室奈美恵ちゃんと華原朋美ちゃんについて家族にうんちくをたれました。家族は大変おどろいて、どうしてそんなこと知ってるの?と反響は大きかったです。思惑どおりでした。ありがとうございました>SNさん。ポピュラー音楽を時間をとってみるのは年に一度この日しかないのです。日常にポピュラー音楽を聴くというのはしばらくありそうにないです。
マックのラムは無事80Mになりました。来年の夏のリリースのOSではプロテクトメモリが実装されるそうです。楽しみです。どうしてラムを増やしたくなったかというとデジカメを使い始めたからなんですね。どわーっと写真をならべてみたりいじったりしてwebを作成するとなかなかにラムの消費は大きいです。あまったラムは売るつもりです。
(1998/01/02 Fri)
言葉集2
13.社会生物学の観点からすれば、ブルジョワ民主主義こそが生物学的諸制約がもたらしうる状態の中で、最適のものを象徴することになってしまうでしょう。(リチャード・レウォンティン)
14.私たちは、根本にあるさまざまな欲望や情動を抑圧するのではなく、これらを受け入れるミクロ社会を構想しようという賭を行っているのです。(ジョゼフ・バーグ)
15.狂気が私たちに投げかける最も重要な問題は、どうしたらよいかわからなくなってしまった時、何をなすべきか、ということです。(ロナルド・レイン)
16.カップルという関係においては、パートナーに多くを要求すればするほど、自分がパートナーに侵入されるような気になりかねません。(ジョルジュ・ルメール)
17.精神病院は、多くの場合、私たちの市民社会における隠された戦争の捕虜収容所となっているのです。(トーマス・サズ)
18.精神を病んだ人と精神の安定した人の差異は、質的なものではなく、ただ単に量的なものなのです。(レオポルド・ソンディ)
先日予告したようにしばらく私の友人が私宛におくってくれた手紙をすこしずつここにアップします。しばらくおつきあいください。
1/1は家人とすごし、熱田神社に夜お参りにいきました。みなさまはどうされましたか?
(1997/01/03 Sat)
言葉集3
19.諸種のメランコリーはドイツでは経済、産業の飛躍的発展に伴って増加しました。(フーベルトゥス・テレンバッハ)
20.ある文化の中に病的と感じられるものが、別の文化の中では正常なものと見なされる場合があるのです。(ポール・ワツラウィック)
“私は何が何だかもうわからなくなっている”
↓
信ずる
・・・ここで信仰するということは、もちろんあれやこれやを真理だとすることではなく、信仰するということはいつでも私の生存をかけていることを私が成し遂げようと決心する。ということである。(ウエルナー・ハイゼンベルグ)
(言葉集 おわり)
言葉集にはある明示していないテーマがありますが、おわかりでしょうか?それらが研究対象であればよかったのですが。私は不勉強で3.のフロムと一番最後のハイゼンベルクしか知りませんが、皆様これらのauthorsをご存じでしょうか?
アベラールとエロイーズで興味深い言い回しがありました。アベラールはエロイーズのために女性修道院の規則をまとめようというのですが、それを花をつんで花束にまとめるように規則集をつくろうというものです。内容はながながとしてうまくまとめられません。もうすこしお待ちを。お正月はまとまった時間がとれませんね。
水野さんのウエーベルン昨日FTPしました。お気づきになりました?管弦楽曲のききどころの紹介とCDの紹介です。来週は協奏曲の紹介になります。
先日購入したラトルのシェーンベルクの室内交響曲第一番、期待、オーケストラのための変奏曲(EMI)は予想外ないいでき。とてもクリアで繊細な音色です。ブレーズの幻想交響曲もすばらしいできでした。
(1998/01/04 Sun)
今日は山本君の命日です。彼の冥福を祈ります。早いもので6年たってしまいました。今は次の企画を練っています。ロマネスク彫刻関連と京都めぐりをもうすこしやりたいのですが。
山本君のページ
ずっとでてこなかったマーラー交響曲第9番のヴァーツラフ・ノイマンのCD。ようやく大掃除ででてきたので聴く。ノイマンはこのとき75歳に手が届くところ。マーラーの交響曲の録音は3度目。彼は語った。「もし全曲の録音が叶ったならば私は何の悔いもなく生涯の終わりを迎えることができるでしょう。まさにこの仕事は私の指揮活動の総決算なのですから。でも、すべては神様のおぼしめし次第です・・・・」しかし前9曲の交響曲のうち7&8を終えずにかれは逝ってしまった。残念なことである。この録音はクーベリックの演奏と同様慈愛のある演奏であるがクーベリックのようなポジティブな面を打ち出した演奏とは異なり、優しく暖かい。バーンスタインの対局である。バーンスタインのような演奏は聴いていてつらくなるので私はこちらが好き。しかし、演奏によってこれだけ違ってきこえるのだから面白い。
お正月はお昼からお酒をのみ夕方まで家人とすごすのでちっとも書けませんでした。贅沢ななやみでした。
(1998/01/05 Mon)
[モーツアルトのレクイエムとロマネスク彫刻]
昨日1/4は山本君の命日なので彼の実家におじゃまし彼の撮影した写真を御母堂とあさった。もちろんホームページにロマネスク関係の彫刻の画像を掲載するためだ。
例年彼の実家にいくときは彼の形見であるモーツアルトのレクイエムのCD(ミシェル・コルボ指揮、ローザンヌアンサンブル、casavelle)を聴きながらいく。この曲をこういうときに聴くようになってから普通の時には聴かなくなってしまった。
ちょっと前私が中世の音楽についてコメントしたように、私はしばらく中世の音楽を聴いていた。当然その中にはキリエ・エレイソンやディエス・イレをはじめ同じ主題を聴くことになる。10〜15世紀くらいのグレゴリア聖歌をはじめキリスト教を主題とした曲を聴いていた。
私がモーツアルトの曲を聴いたときの感動をどういったらよいのであろう。まさにモーツアルトの語法による中世的キリスト教の曲を聴いたのだ。モーツアルトの生年ー没年は1756-1791である。モーツアルト自身はフリーメイソンだとされている。他のことを紹介しようとしても他に事実をまるでしらないことに今こうして驚いているのだが適切な本がない。
ちなみに映画アマデウスで謎の「ねずみ色の服を着た暗い顔の」男が現れてモーツアルトにこの曲の作曲を依頼していたのはサリエリであるが、史実としてはフランツ・ヴァルゼック・シュトゥパハ伯爵となっているようである。まあ、それはさておき音楽をみなさんに聴かせるわけにもいけないので歌詞をお届けしよう。この歌詞は強く私をロマネスク教会の彫刻に描かれていることを思い浮かべさせるのである。(歌詞は上のCDより引用)
1)入祭文 レクイム・エテルナム
主よ、永遠の休息をかれらに与え、
永遠の光を、かれらの上に照らしたまえ。
神よ。主の賛美をふさわしくうたいうるのは、
シオンである。
エルサレムでは、主にいけにえをささげ奉る
すべての肉体の向かうべき主よ、
われらの祈りをききたまえ、
主よかれらに永遠の安息を与え、
永遠の光を、かれらの上に照らしたまえ。セクエンツィア
2)ディエス・イレ(怒りの日)
ダヴィデとシビッラとの予言のとおり、
この世が灰に帰すべきその日こそ、怒りの日である。
審判者がすべてを、
おごそかにただすために来給うとき、
人々のおそれはいかばかりであろうか。と怒りの日が強調される。最後の審判はこわいんだぞ。という感じか。
3)この世の墓の上に、不思議なひびきを伝えるラッパが、
全人類を玉座の前に集めるであろう。
人間が審判者に答えるためによみがえるとき、
死と自然界とはおどろくであろう。
そのときの世をさばく、すべてのことを書き記されている書物が、
持ち出されるであろう。
審判者が審きの座につくとき、
かくされたことはことごとく知らされ、
あらゆることを裁かれるであろう。
そのときあわれな私は何をいおうか。
義人さえも不安をもつであろうに。
ここでの不思議なラッパというのは黙示録にでてくることである。これはモワサックの彫刻(右)に表されている。この彫刻ではキリストの周りを人、牛、獅子、鷲がとりまきそのまわりを24人の老人とともに天使がラッパを吹く彫刻だとおもったが。。。この写真ではよくわかりませんね。老人はヴァイオリン(ヴィオール)をもっています。
くわしくは以下のリンクをどうぞ。
明日は地獄の彫刻をこの歌詞に沿ってお見せしましょう。ただ彫刻自体はすでに教会ごとに紹介したものです。
(下につづく)
(1997/01/06 Tue)
今日はモーツアルトと中世ヨーロッパの地獄の話
奉献唱
8)主イエスズよ
光栄の王、主イエスズ・キリストよ、
死んだ信者すべての霊魂を、
地獄の罪と底なき深淵とから救い出し、
獅子の口から解き放ちたまえ。
彼らを冥府に落とさず、
闇になげたもうな、
聖ミカエルの旗手が、かれらを冥府におとさず、
闇に投げたもうな、聖ミカエルの旗手が、
彼らを清い光明にみちびかんことを
主がその昔、アブラハムとその子孫とに
約束したもうたその光にー後略ー
とながながと引用してきたのはキリスト教は中世末期ころから恐怖の宗教から愛の宗教へと変貌を遂げてきたとあちこちの本でかかれているように思っていたのですが、ここに描かれているのはまさに地獄に落ちませんように。という恐怖心だと思うことである。
ここで描かれていることは私にフランスのロマネスク教会の彫刻を思い浮かべさせる。地獄関連ではコンクのサント・フォワ教会の地獄の彫刻を思い浮かべるのである。それらを紹介しよう。まずコンクの教会正面の彫刻の全体は
ここで右側がぢごぐである。地獄の全体像
歌詞にでてくる聖ミカエルは天秤〔欠けているが皿は見える)で人々の心臓をはかり、天国にいくか地獄にいくか決める天使である。中央のキリストの下にみえる。左にその拡大図をしめした。ミカエルが左側で、右側は悪魔。はかりを自分の方にくるようにねらっている。
アブラハムも出てくる。というようにキリスト教の布教時にすりこまれた恐怖心というのは、愛の宗教と強調されてもこうして600年も乗り越えて彫刻から音楽へと共鳴している。そしてロマネスク彫刻自体が東方起源の民族的な表現のごった煮のようなのです。それはさておき、ではモーツアルトのころこれらの表現は美術ではどう表現されていたのでしょうか?うーん。今後の課題ですね。
そういえばカノッサさんのサイトででてきたヴィヨンの詩の瞑想。岩波で瞑想の詩なんていう本がでてました。キリスト教の瞑想は日本でいう瞑想とはだいぶ異なった概念のようですね。ちなみに瞑想に対応する中世の象徴的な概念は鷲、昇天、ヨハネということのようです。
私は仕事がらインタネットの講演会に出席したりするのですがそこで講師がインタネットをよく利用しているのは
一位 技術系企業
二位 専業主婦
三位 文化系大学生
とのことです。この2位に専業主婦が大きくくい込んでいるのがすごいですね。驚きました。そしてこれは昨年爆発的に増えたそうです。そして専業主婦向けページというのはほとんどないそうです。どうです?あなた作ってみては?
mirei&minamiさんにすすめられた小説家金井美恵子氏の「軽いめまい」。とても面白く読んでいますが、まだ読了していません。読むの遅いのです。
全体は30代後半の主婦の意識の流れというべきものがユリシーズの最終章句読点をつけて、主語をはっきりさせて、ただしフレーズを長くつづけるのはそのままにした書き方で展開されています(あるいは平安時代の文章のようにといった方があってるかな?)。とはいってもユリシーズは日本語訳でしか読んでませんが、英語の本も持ってますが、読めない。。。。
「屈折と倫理」と「光の今」の章には、写真をめぐって、のけぞるような現代思想のパロディが展開されており面白く読めました。現代思想のキーワードを登場人物が思い浮かべていくのです。ブーアスティンも出てきました(p159)。これは小説に出てくる主人公に手渡されるエッセーのようです。これはパロディーでしょうね。ひょっとしてシリアスだったりして。。。
それからカタログ化も好きですね。スーパーの中と結婚記念日についてえんえんと列挙してあります。
残りあと一章です。
一日遅れてしまいましたが日比さんのシューベルト「魂の野道」をアップします。しばらく話題はシューベルトからはなれ、現在はマーラーの交響曲と日比さんの初恋について語られています。
恋人という名の「出来事」はやはりマーラーの最も美しい音楽の下に眠って仕舞うのだろう。二十二歳で出会った初恋の女よ、僕は今お前に問い掛けねばならぬ。お前は一体何だったのだ。
MacOS 8.1がSF Expoで発表されたようですね。よかったよかった。(日経マックへのリンク)私はHFS Plusを心待ちにしています。速く日本語版出してくれ。
(1998/01/08 Thur)
金井美恵子の「軽いめまい」読了。小説をよんだのは久しぶり。楽しめました。この作家のお薦めは「やわらかい土を踏んで」だそうですが、しばらく本屋には行けそうにないのです。
先日カノッサ氏から科学史について問い合わせをうけたが、さっぱりわからなかった。氏は本の内容が信頼できるかどうかをたずねてきたのであったが、その手の本をよんでもあたらしく知ることが多いので、答えに窮するのでしばらく科学史の本をよむのもいいかとおもった。ただこれまではどうしてもニュートンやライプニッツやらそのころの科学は私はほとんど興味はないのでほっておいたためということと、歴史的な知識は多分科学上の問題を考察するのにそれほど有用ではないためさらにほっておいたという経緯がある。私が普段接している科学は20世紀以降のものが多く、たとえば高分子科学や、生物学、量子化学でさえほとんど当時の科学史をひもといてもあまり情報がはいってこない。それでもこれがきっかけになるのも面白いかとおもってちょっと本棚をあさってみると、
文化としての近代科学ーこの人間的な営みー渡辺政雄著 丸善株式会社
がでてきた。すこし序論をよむとヨーロッパでうちあげたハレー彗星探査機ジオットの名前の由来がかいてあっておもしろかったのでしばらく読もうと思う。そのうちレポートできたらいいですが。あてにせずお待ちください。
snさんのサイト(あるいはNorioさんのサイトというべきか)に第九ネタがでていた。私は親しい知人がアマオケに属しているので、毎年だいたいアマオケで第九を聴いてはいるんですが、昨年度は12月がいそがしくて余裕がなかったのでいかなかった。
なんでもアマチュアの合唱団はこの日のために一年準備しているというほどの気のいれあいかたで、どうやら合唱が主でオーケストラが従のようです(笑)。実際合唱団からアマオケに器楽演奏の依頼が来るそうです。アマチュアのものを聴くときには聴き方を変えなければいけませんね。ベートーベン交響曲全集の最後の曲という聴き方ではなくて、そこから独立した器楽のついた合唱曲。さすがにプロではそういうわけでもないと思いますが。
プロではブリュッヘンのものを聴いたことがあります。これは楽器の配置がヴァイオリンが両翼に配してあり、これは私のすきな配置ですが、こうするとチェロが左にいます。向かって左から第一ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第二ヴァイオリンです。そしてコントラバスを第二ヴァイオリンの後ろにおいてました。このことでコントラバスの低音がチェロと明確に分離してすごくおもしろいことに気がつきました。もうすこし時間的余裕があったらスコアをみて確認したいところなのですが。
アマオケの場合聴く人はもっぱら合唱者と演奏者の身内が多いものですからそれはそれはおもしろい光景です。まさに曲なんかどうでもよくて○○ちゃんがでているという、学芸会の雰囲気です。第九をきいてええ曲だわ〜なんておもってる私にはいつも違和感を感じさせます。まあ、それもいいでしょう。
そういえば私の職場にきている学生君はロッカーなので小室musicはロックか?ときいたら違います。とこたえた。では、TMネットワークはロックか?ときいたら、あれはそうでした。とのこと。ではではTMレボリューションなんてのもあるけどあれはどう?ときいたら根本的に違いますといわれた(笑)。私がそれらのミュージシャンたちをしっていることをかれはびっくりしていました(笑)。
今日(1/7)はある学会のお手伝いをしたので慰労会だった。私は全然手伝いしていないのにいくことになって、職場では飲み会幹事となりつつある。私は普通の感覚でいったら下戸である。でもなぜか私の職場ではよく飲むほうになっている。まあ、飲み会好きな性格がわざわい?しているというべきか。先生方と飲み会でそれなりに顔を知っておくと同じ学会でもずいぶん過ごしやすくなるのでそれはそれで意味がある。お互い知っていた方が議論もしやすいという日本的風土もあるので。というわけでお正月でさらに増えた腹の周りの三枚肉を気にしながらのんでいた。
(1998/01/09 Fri)
今日は水野さんのウエーベルンのアップロードの日。みなさまお楽しみください。今回は協奏曲と室内楽で、CDレビューは来週にまわしました。水野さんと私は新ウイーン楽派の室内楽が好きというとんでもない少数派です(笑)。
科学者による美についての対談がこんなところにありました。
西洋では、一般にクラシック音楽は、感動して聞くものではなく、静観、その形式を見るものだという。
とこのページをごらんの方には当たり前のことが書かれています。内容はそれほど科学科学していませんでした。しかし、西洋では、とひとくくりにしてもいいのでしょうか?作曲家、演奏家、評論家、聞き手でそれらはかわっちゃうんじゃないでしょうか?とくに聞き手として、訓練された聞き手とそうでない場合ではやはり違うのじゃないでしょうか?日本と同じぢゃないのかな。そうそう、胎教による効果はないそうです。
(1998/01/10 Sat)
水野さんのウエーベルンのサイト、yahooに登録したら訪れたほとんどの人が全ページ読んでいくすばらしいヒットサイトです。ウエーベルンのことを体系的に書いてるページなんてないもんね。ウエーベルンを聴く人って以外と多いんですね。
マイケル・ナイマンという作曲家をご存じですか?この作曲家はイギリス人でいわゆる実験音楽の音楽家でした。現在はもっと売れる作曲家になってしまってエネミーゼロというゲームソフトのための音楽を作曲したり、料理の鉄人の音楽や、日産自動車の宣伝にも採用されていました。そんな彼が売れなかった頃、ピーターグリーナウエイという根暗でゴージャス系の実験映画を撮る監督とずっとコンビを組んで作曲をしてきました。ところが、グリーナウエイのテンペストを元に作成した映画「プロスペローの本」でナイマンの作曲した曲がイメージに合わないにもかかわらず映画に使ってしまったんでおこってしまった。それで次の「ベイビーオブマコン」あたりからもう一緒に仕事をしなくなってしまったのですね。それを可能にさせた一つの選択肢はパトリスルコントという漫画家出身の映画監督の「仕立屋の恋」と「髪結いの亭主」がヒットして、さらに有名な「ピアノレッスン」まで作曲の依頼があったのです。これは大ヒット!さらに「キャリントン」、ならべてくるとみんな私の好きな映画ばかりなんですね。こうした映画音楽とリンクしてどんどん彼は売れっ子になっていったんだけど、私が彼の「すごい」と思っている曲は、まだグリーナウエイと組んでいた頃に作曲した弦楽四重奏なんですね。これは映画には使われません。先の「プロスペローの本」を見た後CD屋さんで買って、すぐ気に入り、いまでもときどき出してきいています。最近ではコンチェルト集をだしているし、その前はピアノレッスンを元にしたピアノコンチェルトとコンスタントに出しているんですが、いまのところ弦楽四重奏ほどすきではありません。弦楽四重奏は私が高校生のころバッハとマーラーに夢中だったのを8年の時をこえて思い出させ、それ以前は数枚だったにもかかわらず、300枚ものCDを買わせたその元凶?なんですね。このパンフレットにはシェーンベルクのことが書いてあってそれでシェーンベルクを聴くようになったのです。ナイマンの弦楽四重奏を聴き始めた時は大学院に進学したころで、ストレスがたまっていたせいか私は毎日ナイマンを聴いて実験をしたりしていました(もちろん人に迷惑をかけない程度?かけてたらしい。ごめんさい)。ある人にいわせると追っかけられるような曲だという評もあるのですが、それが私には小気味よいのです。弦楽四重奏曲は3曲あって、CDはArgoレーベルから出ています。バラネスクカルテットというグループが演奏しています。このバラネスクはもとはあの!アルディッティカルテットの第二ヴァイオリンをやっていたがこのカルテットの曲はばりばりの現代曲でマニアックすぎてだれも聴いてくれない!と嫌気がさし、脱退してよりみなに聴かれる曲を演奏していきたいとしている。他にCDはヴォランがでているのかな。でもメンバーがいつかないような。最近はCDもでてないし。もう一度ナイマンの話に戻るともっとシリアス系の曲を作曲して欲しい。ずっと前に現代音楽が売れるんだ!これまでこんなことはなかった!といってはりきって作曲してたけど。。。。いまじゃリゲティの曲の方がおもしろい(ぼそっ)
今週はおしゃべりばかりでしたね。もっとまじめにやれって?