琴線の共鳴 飯田のHPにもどる | 過去の日記一覧

今日の分はもっとずっと下。

(1997/12/11 Thurs)

きょうは寒くなりましたね。

ああっと、今日もSNさんのサイトを見にいくと日誌にポンピドーのことが!私は名古屋住まいなのでいけません。しかも仕事があるので(仕事場は休みだが、在宅で論文書いてたりする)いくわけにもいかない。このあいだカノッサさんのページでもレポートがでていたばかりで、いいなあといっててしばらくしてようやく忘れてきたのに。。。

 SNさんはどんな約束があってもぶっちしていくべきと書いてます(しかもBoldで)。

 ぼくがなんとかいかずにすんでるのはパリですでに2回みてるから。私はカンディンスキーとクレーの大ファンなんです。それもカンディンスキーの後期のスタティックな絵。カンディンスキーは新ウイーン楽派のCDのジャケットにも使われるんですよ。史上初めて抽象画に突入したカンディンスキー(いまからみれば半分具象だけど)。しょうがない。こんばんはカンディンスキーの「抽象芸術論」でも読みながら寝ることにしよう。

 カンディンスキーの画風の変遷もシェーンベルクの無調と12音のように分けられるのかもしれない。ただ、後期のカンディンスキーが採用したバクテリアのような生物はなんなんだろう?どこかでこのころネイチャーのような科学雑誌に細胞がのりだして一般に認められてきたころだとだれかがいってたような。どなたかご存じですか?

 クレー。今私のマックのデスクトップはクレー。800x600の液晶にあるクレーの最晩年の作品が私にウインクを送ってくれている。

 あとはマティスがあるとしあわせだ。マティスの最晩年のモナコの教会をかざったシリーズ。ジャズシリーズ。これらの作品にはオーラ(アウラ?)がでている。あしたも自分の仕事に向き合おうというオーラである。

 これは音楽もそうで、一級の作品だけがわれわれに目前の仕事の重要性を気付かせるのである。

 今日は昨日の高橋悠治氏のオーケストラをきき、さらにコリン・デービスを聞いている。ははは、ぜんぜんいいと思わないんだけど。だれかいいと思った人聞くコツ教えてください。

私のおすすめの絵を東京理科大のサーバからダウンロードしてみる。

 mireiさんのページではギボンの話題があらたに書かれていたし。いいなあ、みなさんレベル高い。わたしだけ毎日のどーでもいいことを書いてる気がする。。。

(1997/12/12 Fri)

 おまたせしました。水野さん投稿のウェーベルン連載スタート。あなたは真空の中でうちふるえる水晶の一辺一辺をたどるような音楽を聞いたことがあるか?水野氏の解説を読んで今日からウェーベルンに挑戦だ!

なおタイトルgifはどこぞのレーベルのある指揮者のCDのパロディです。(笑)

 実は私はウェーベルンはよくわからん。でもそこになにかすごさを感じさせるのは確かである。というのは私はわからなくても何度もトライして、またトライするつもりがあるからだ。

 ウェーベルンは私の音楽のページにあるシェーンベルクの弟子で後の友人です。シェーンベルクの12音技法を採用しましたが、彼の曲はどんどん短くなっていきます。5分とか6分。でも考えみればバロック以前はこれが普通だった気も。さらにいえばポピュラー音楽だってこれくらいなんでは。。。。

 この間も書きましたがウェーベルンの作品8はマルテの日記の終盤でデンマーク人の女性が歌う歌ですからね!

 というわけでMIZUNO talks about WEBERNをよろしく。

MIZUNO talks about WEBERN

水野さんはシェーンベルクについても書いてくれてます。

クラシック音楽のページ

ps Christiane Oelzeって美人ですよね(ぼそっ)

(1997/12/13 Sat)

昨日は職場の若者だけで飲みにいきました。で、長年の夢、焼酎のお湯割梅干し入をのんで、はてました。この飲みものは私の先生がうまいと推奨していたのですがアルコール度数がたかいところには私の肝臓は設定してないのでいままでやめてきました。が、ふとおもいだし、同僚にきくと、うまいよ。おれもよくのむよ。とのこと。では、ふたりでたのもうということになりました。その同僚によると梅干しは始めしょっぱいので梅干しなしで焼酎のお湯割を追加してそこに先ほどの梅をいれ飲むのがいいらしい。ところが私は半分ほどで意識朦朧としてきてさっぱりでした。それで朝までねてしまい原稿もねたがなにもない状態です。原稿が3時くらいまでにアップされてないときには”あ、また飲んでるな”と思ってください。きっとそのとおりです。

高校の同窓会のwebを作っているんですが、bbs立ち上げてもいまいち書き込みがわるい。アクセスログをよむと結構人が集まっているのに。こんなものだろうか?同窓会を私は一切拒否してきたが、親しくしていた知人の手伝いというつもりでやることにした。わたしがこれまで同窓会にたいして拒否の態度をとってきたようにやっぱりそういう態度をとられる。そういう目で見ると、webを読むのだがbbsに書き込んでかかわりができたらいやだな。とか思ってるんだろうか?などとも思ってしまう。

先日高橋悠治氏のことをすこしコメントしましたが、DGからでている、21世紀へのメッセージシリーズ1の一曲目を引っぱり出してきて聞いてみました。音楽をどのように述べたらいいかはまだちょっとわかりません。このCDは長木誠司氏が解説つけてるんですが、私には彼のいってる事はよくわかりません。

「同時にそれは、道具的理性を駆使しながら、自然科学的な合理性に準じてきた西洋の前衛的創作からの転向を意味しており、西洋一辺倒の座標軸をはるかに後退させながら、かつてのクセナキスの弟子はやがてアジアのプロテスト・ソングを演奏するアウトロー的な「水牛楽団」を組織する。巨大な頭脳としてのIBMコンピュータを用いる時代は過ぎ去り、小さなテクノロジーとして身の回りを飾る道具となったパーソナルコンピュータのネットワークを用いる最近の活動も、そうした高橋の現在を示唆し続けている。」

「三弦の弾き語りを伴う<<鳥も使いか>>においても、「全員一致」という欺瞞的な存在形態からオーケストラは解放され、楽員はみな個人として、それぞれの身体時間で演奏に参加する」

うんぬん。

いかに同時代の音楽について語るのがむずかしいか。この評論家がそれを示しているようにおもわれる。現代音楽というシリアスシーンで、こんなパンフレットの解説を読まされ神妙な顔できいて、最後は拍手かとおもうとちょっとやりきれない。

といいつつ数年前のこの企画で一柳氏と西村氏の曲をアンサンブル金沢で聞いた。曲としては結構気に入ったのでこのCDを買ったのですが、解説が、うーん。もうすこしききどころとかを解説してほしかったなっと。

オーケストラが全員一致であることから解放されることだけいえばその手法自体はもうおわってる。それにそれだけで実験音楽ていってもそんなにおもしろくないことももうわかっちゃたんじゃないかな。

それぞれの身体時間でというのは民族音楽的なリズムのことをさしてるのかもしれないけれど、それだってそういうリズムの重ね合せがいいという結論だったり民族的な由来でやってきたんであってその場合でも「個人」としてやってるわけじゃないし。

前半での評論も、「西洋一辺倒の座標軸をはるかに後退させながら」、では何が前進してきたのか?なにを魅力的な視座としてうちだしたのか?

「巨大な頭脳としてのIBMコンピュータを用いる時代」

「小さなテクノロジーとして身の回りを飾る道具となったパーソナルコンピュータのネットワークを用いる最近の活動」

これらだって、音楽が必要とする処理が安価なパソコンでできるようになって高い使用料をはらってスパコンをつかわなくてもよくなったということもかなりな割合であると思うんですが、こういう書き方だとなんかコンピュータを体制との隠喩で用いているようで不愉快。これこそそう指摘せずにそういってるという意味で欺瞞だ。昔の巨大な頭脳に等価なものが今のパソコンに入っているだけなんだから。

ブレーズはレポンの作曲にNEXTをブラックNEXTでやってたけど、いまじゃOpenStepは当時の10倍以上のスピード。ハードは300MHzを超えている。ということは各楽器のディレイなんかの特殊処理も10倍複雑な事をやれるはずだ。

それだってブレーズのレポンてTVでみたけど魅力的か?といいつつ「ル・マルトー・・・」「プリ・スロン・プリ」のすきな僕はそのCD化をまっている。でもJoiceをきどってworking progressなんだよね。。。

というわけでちょっと書いて、いろいろ考えればまとまるかともおもったんが、だめでした。ご免なさいです。

これらの曲を聞くヒントあればお願いします

1998/4/6コメントが届きました。

(1997/12/14 Sun)

今日は今度の研究発表会の原稿としてOHPを作成。データをwinNTからMacにうつし、Mac上でプレゼンを考える。データに不満がある。もうすこし詰めたデータではなしたいがもう時間切れ。とはいえ来週はなんとか実験の時間をとりたい。今の実験で私のアイデアをどれだけ証明できるかというとまだまだだなあ。

今日の引用(ひさびさの復活)

神の条件。-「神自身、賢明な人間なしには存立できない」、とルターが言ったのは、まことにもっともな言い種だ。だが、「神は、賢明でない人間がいなければ、なおもって存立できない」-とは、さすがのルターも言いはしなかった!(F. ニーチェ、悦ばしき知識、信太正三=訳)

MacFan Expoが大阪で行われていますね。ルパン三世のモンキーパンチ氏が壇上にあがってます。社長のドラムセッションも行われたようです。

Macweek on lineのレポート

お宝鑑定団のレポート

いよいよG3マシンの正式披露ですね。266MHzで従来の350MHz以上のパフォーマンスのチップ。いいなあ。

AppleのハンドヘルドコンピュータeMateも販売してます。148000円。一日限定10個だって。いあわせたら絶対買ってる。でも僕の場合なにに使うんだろう?

忘れられていたATOKのマック版ver 11がとうとうついた。なかなか使い勝手がよい。appleの出すIMEである「ことえり」はver 1では変換がとろすぎ、ver 2ではcyberdogを不安定にしてくれるし、おまけにかなり遅い。しかし、ことえりというのは源氏物語からその名をとったと聞きこれまで愛用してきた。

Atokのニュースグループでの不評とはうらはらに調子がいい。これでもうことえりに戻れなくなったかもしれない。しばらく様子をみる。

(1997/12/15 Mon)

昔話1

 今日は同窓会のために高校まで写真を取りに行く。なつかしい。高校の時に私は理科系にいくことを決意し、今望みをほぼかなえている。もし恐竜学者になっていたらそのオリジンは小学生のころに求めなければいけなかった。

 高校生のころ友人で微分積分を高校1年のころからやってるT君というクラブ(化学部(笑))の友人がいていつもながらすぐ刺激をうけ私も勉強をはじめた。しかしその下地には、電子って?とかそういう疑問に答えるべく辞書をよむとシュレーディンガー方程式なんかでてきて微分演算子なんて言葉が気になっていたのでちょうど時期がよかたわけだ。その後物理の解析力学なぞというとても抽象的な物理の本を読みふけったが、演習問題にはまるで手がでなかった。いよいよ量子力学に足を踏み入れたのは高校2年の夏である。今考えるとなんでそんなひまがあるのかわからないがノートとかたんまり式の変形をなぞってある。

 こういう高級な?学問をやっているとナイーブなころは学校の勉強なぞくだらなく思えるものだ。そうして英語赤点。高校数学、物理赤点のちょっと上。という悲惨な時期を古典的名著といわれる数学や物理の本にかこまれて幸せにすごすことができた。当時からマニアだった私は全然そういう評価を気にしなかった(実のところは無視しようとしていたにすぎないのだが)。そういう幸せを破ってくれるのはやはりそれらの古典的テキストの演習問題に全くてがでないことだった。それで理論はやめた。もともとが化学を理解するための物理と数学だったからそれはそれで特に問題と感じなかった。化学だっておもしろいのだ。

 そうこうして自分をごまかしながら他の科目も勉強して名古屋工業大学にはいった。そこには全然勉強に興味のない大学生がいた。いまだったら一緒に遊びに行くだろうが当時は全然いく気になれずあれこれ本を読んでバイトにあけくれた。バイト中は機械の監視で作業をたまにするほか本を読んでいてもよかった。

 そのころ西部すすむ氏という東大のおっさんが中沢新一氏の人事で問題になり、やめてしまうということもあった。東大には当時のぼのぼののキャラクターのリス君が「いじめる?いじめる?」とやっていたという。なぜ地方大学生がこんなことをごちゃごちゃ気にしたかというと、西部氏は当時NHKの市民大学講座で大衆論を論じたあとで、私はその大衆論が大変気に入ってしまったのである。それはオルテガ、ホイジンガといった思想家を軸にベブレン、ボードリヤールをからませたものだった(全然違ってたりして)。それで諸君やら新潮45やらに人事問題やら大衆論やら、その手の話題がもりあがっていた。中沢新一氏の本も何冊か買って読んだ。

 当時私はこんなことに興味を持っていたから東京芸術大学で美術史を学んでいる山本君とは東京と名古屋でこの手の話題で手紙をやりとりしていた。(続く)

山本君の手紙を読んでみる

今日はラジオでペーターシュライアーのシューベルトのライブをやっていた。私はディスカウのしかきいたことがなかったのでなかなかに違いがでて興味深かった。ただ、ライブのせいかのりがよすぎで雑に聞こえるきもした。しょうがないので一曲目のドイツ語に目をとおすもまだまだ。

その後なぜかバルトークのコントラスツを聴きたくなる。これはベニーグッドマンがバルトークに委嘱したもの。弦楽四重奏の6番とモチーフがにているが、ジャズを意識してか弦楽四重奏ほど沈鬱な表情はみられない。Naxosレーベルのものをきいた。

さらにウエーベルンの作品8を聴く。うーむ。たかだか6分程度でも歌詞をしこしずつフォローしていると聴き方も変わってくるものだ。ウエーベルンはマルテの日記を読んでどんな感想だったのだろうか?彼の講演集をあさればでてくるのかしらん。

古本屋で不幸なことにいい本がいっぱいあった。お金にプロペラがついてとんでいった。

アルバン・ベルク フォルカー・シェルリース著 叢書ムジカ・ゼピュロス \1500-

西洋音楽史 柴田南雄 \1400-

ミニマ・モラリア アドルノ 三光長春訳 叢書・ウニベルシタス \2800-

ドイツ詩集 片山敏彦 みすず書房 \1400-

買うのはいいのだが読まないのである。ショーペンハウエルによればいいことなのかも(爆)。

最後のドイツ詩集リルケとゲオルゲの詩の解説があった。そしてベートーベンへの言及!

(1997/12/16 Tue)

昔話2

山本君は高校時代学校祭のときにふたりではなしていたとき突然、砂に真・善・美と書きだした。いまだったらプラトンかねといけてたかもしれないが当時はそういうわけもいかなかった。その後、彼のイデア論に延々とつきあわれるはめになった。

 高校一年のときにかれは私の前の席にすわっていた。読書子のつねとして読んだ本の報告や冊数を競い合うことにあるがてんでかなわなかった。当時私が読んだ本にはクレオパトラは実は黒ちゃん(黒人)ではないか?という本があり(本は不明)、歴史に詳しいかれとは大いに議論になった。実際のところ記録をあたるとどうなのだろう?その後の顛末としてはフォローしていないが。かれは歴史に詳しかった。今はエピソードを思い出せないが。

 私は中学時代の戦車のプラモデルの解説を読んでだんだんと第二次世界大戦のころの歴史に興味をもつようになっていた。といってもしれたものだが。なぜ優秀な戦車をつくったドイツが戦争に負けなけりゃいけなかったのか納得がいかなくなったからである(これとにたようないわれ方をしているのは日本の零戦であろう)。ついでにいえばこの中学生の頃ガンダムがブームで私もガンダムのロボットをつくった(あ、モビルスーツというんだっけ)。でかいジオン軍?側のロボット。このころドイツがなぜ負けたか理解してきた頃だから、当然ガンダムのストーリー、衣服、シンボルの与え方はあっという間に理解した。この時点でアニメに見切りをつけた(ガンダムファンの方ごめんなさいね)。歴史のほうがおもしろい。というわけでかれとは歴史のことについて話し合うとき、私がなんとか相づちをうつほどには聞いていて楽しかった。ワイマール憲法からドイツが軍国化していったなりゆきなぞをしゃべっていた。

 読んだ本以外にはキリスト教も山本君とは話題になる。それはニーチェを介してだった。今考えると不幸ではある。ニーチェなんぞは横目でとおりすぎてればよかったのである。ただニーチェのざくざくときってはった式の箴言がかっこよかったのだ。私はとにかく科学的な目をもってと称して、マリアが処女懐胎なんておこしたなんてデマを信じるような宗教はテンでだめだ。とか、奇跡がおこるならなぜ現代でもおこらない?式のことをいっていた。これを今ここにかくのすら恥ずかしい。なぜならロマネスク教会の彫刻をしらべたり聖書を読むこともあるし、それを記述もしているのだから。当時山本君はどのようなことをいったかはよく覚えていない。ただ若者ゆえの長いが、しかし不毛な議論がつづいていたことしかおぼえていない。(つづく。え?もういいって?)

日比さんの連載第3回ですね。みなさまよろしく。私は未完成交響曲へのコメントが気に入りました。読んでいただけた人はbbsもどうぞ。

現代音楽を聴くあなた。グバイドゥーリナさんの講演の様子SNさんによってレポートされてます。(いつも事前了承なしにダイレクトにリンク張ってもうしわけありません)なかなかごついおばさんのようですね(失礼かしら)。

SN氏のサイトのアクセスナンバー1000は私がふみました(合掌)

グバイドゥーリナといえばわたしにはノーノのお手伝いをした曲:La lontananza nostalgica utopia futura (1988-1989)が印象的。でも彼女自身の曲はきいたことないなあ。この曲もなんだかばちでこすったうなるような音響です。

現代音楽における沈黙や静寂はウエーベルンも関係しているのでしょうか?(現代音楽のオリジンの一人という意味以外に)

がばっとカノッサさんのところで原稿が大量にFTPされてましたね。ところでヴィヨンの詩のはじめの「ひとーつ」というのは アーン と発音するんでしょうか(笑)今読んでる最中です。読んだらまたコメントしますね。ここにつどうみなさまも氏のサイトいかが?

あさっては研究発表会。それがすんだらこんどは年の瀬25日にも講演がある。OHPを必死になってつくってます。それをwebに公開するかというとしないんだな〜。というより論文にするまで書きたくないんだな。でも学会発表で予稿集を書いてるわけだから公開してもいい気もするが。

(1997/12/17 Wed)

昔ばなし3。しかし遠い目をせずに。

山本君は高校のとき美術部でいろいろ作品をかいていた。私も美術選択だったのでおなじ美術の時間をすごしたが彼の絵はかっこよかった。私はというと中学生か小学生のような絵をかいていた。特にモチーフを組み合わせてポスターなぞ書く際にはおおきな差がついていた。ポスターが課題にのぼったとき私は火の用心かなんかを選んだがとにかく自分でいやになるくらいのセンスのなさでどう見ても小学生の冬のポスターだ。それはわかっているのだがどうなおしたらいいのかわからなかった。一方山本君は核廃絶かなんかで漆黒の大地に十字架がならびオレンジ色に夕日というちらりとみるとおおーと思えるポスターだった。まあ、彼は美術部の部長をひきうけ、芸術大学に進学しようとしているのだから私ごときがかなうわけもないが。

 彼は致命的に数学や理科が苦手だった。その裏返しにかれは大学入学後科学史の本を読んでいた。たとえばウエルナー・ハイゼンベルクの科学と教育についての本「現代物理学の自然像(尾崎辰之助 訳、みすず書房)。ウエルナーハイゼンベルクはご存じだろうか?彼はドイツの科学者で量子力学の創始者の一人である。

 量子力学の世界は我々の日常の常識は通用しない。物質は波であり粒子である。というとなんだか宗教じみているが、物質が波か粒子かは実はどうだっていい。原子レベルになると、物質が従う計算をする際に粒子としてふるまうように、また、波として振る舞うように計算すると都合がよいというだけのことなのだ。科学というのはひとえに物質の振る舞いを計算してしまえることを目的としている。ハイゼンベルクはそれまでの直感的な粒子モデルではなく”計算できる”量だけをもちいてその関係式から量子力学を定式化した。これは行列力学といわれ、とても非直感的なやりかただった。

 ともかくそういう物理の天才であるハイゼンベルクの書いた本をなぜ見つけたのかかれは大学時代によんでいた。量子力学の科学史あたりは量子力学自身がわかりやすいとはいえないためにあまり本になってないはずだ。そういう彼は私に手紙をくれて時間について論じている(中世の時間論)。それは時間の観念論について述べてあるものだ。ここでは村上陽一郎の文章を引用している。ただ、山本君自身が科学的時間論についていうことはこの原稿では避けられている。

 まあ、しかし残念なことに科学を研究しているものにとっては科学史なぞどうでもいいことではある。たとえば上のハイゼンベルクの手記を読んで量子力学の計算ができるようになるかというとほとんど全く関係がない。以前書いたが科学上の偉人について研究するよりは彼が発展させた方法を適用して他の系をどのように解析したかが、科学のテキストである。(つづく)

高校に写真をとりにいっただけで頭の中でどわーとしていたこれらの思い出を書きたくてしょうがなくなりました。昔話を好む年ではありませんが、どんどん彼について忘れていってしまうのでここらで書いてしまうのもいいかもしれません。もうしばらくおつきあいください。なるべく雑談系のはなしも挿入していきますので。

マックのハードディスクノートンをつかってオプティマイズしたらすごく速くなりました。やっぱり利くものなのですね。以前はこまめに手入れしていたので、効き目を感じなかったのでほっといたせいです。なんとこの間にOSを5回くらいは書き換えています(笑)

(1997/12/18 Thu)

昔話4 (記憶ってあいまい)

山本君と美術作品について述べあうようになったのはいつのころか思い出せないのであるが、なにか切っ掛けがあったのだろうか?クラスがいっしょだったことがそんなにきくとも思えないのだが。高校一年生のときは同じクラスで席が前後だったときに仲良くなったと思う。夏休みに読書カードなんぞを提出するのだがかれは30〜50枚くらい出してたんじゃないかな。僕が20枚くらい。彼に勧められて川端康成の雪国を読んで感激したことをなぜか覚えている。あるいは彼は勧めたんじゃなくて馬鹿にしたのかもしれない。よく覚えていない。とにかくなんらかの形で話題に上ったはずだ。雪国。あの小説の雰囲気というのは大学時代読んで激変した。なんでこの人働かないひとなんだろうか?とか働かなくていったいどこでお金を得ているのだろう?もちろん本中でそういう話がでてきて、遺産かなんかだったと思う。今本が手元からでてこないので確かめようがないが。それはともかくふらりとやってきて温泉街で麻(?)の着物のうちなおし。かなりの贅沢品。温泉街に浸りきり。芸者をよぶ。こんなこと当時やってる人いたんだろうか?モデルはいたんだろうと考えると不思議である。夏目漱石の登場人物も今の社会とはえらくちがう。お金をかせがずにすごしている不思議な人たち。もちろんそれなりに説明はされるのだがいまではそういうモデルになるような生活の人が見あたらない気がする。なんていってるとまたぞろ、それらの作品を確かめたくなってきた。日本だってちょっと昔の小説をよめばよくわからない世界に突入する。もちろんえがかれている世界が特殊なものならかまわないのだが。

 山本君は語学を得意としていなくて得意だったのはちょっと変わった友人M君である。私も赤点すれすれであった。特にレベルの高い学校ではない。たかだか10人くらいがストレートで国公立にいく高校だ。断っておくがこのような学校だから私は高校時代に物理の大学のテキストを広げていても先生に怒られずにすんでいたのだ。そしてそういうことのできていた私の高校はとても好きだ。それで、二人とも英語を苦手としていたのでM君にわからないところをきけばよかったのだがそこはわかものの特権、プライドがやたら高くきかなかった。であてられるとこたえられず、ずーっと教室でたってた。僕が先生ならきっと部屋からでていかせるかしただろう(無理か)。私の場合専門を勉強し始めてから英語がいかに大事かよくわかった。この高校時代にそれなりに英語のセンスをみにつければよかったと思っている。

 山本君の場合は後年フランスロマネスクの彫刻を研究するのに語学が堪能でないためにフランス語の収得に頭をなやませていた。もしかれがうまくフランス語はなせていたら二人のフランスの旅行はもうすこしスムーズだったろう。高校時代山本君は私のことをあたまがいいと信じていたようだ。なぜなら私はかしこそうな顔をしているから。いやいやこれはほんとである。おまけにいつも難しそうな本を読んでいたのである。クラスメートは4月の第一週にはかならずこれどうやったらいいの?とききにくるがわたしがうーんとうなっていると(全然勉強なんてしてなかったのでほんとにわからなかった)次からもうこない。(笑)そういう私をかれは脱俗したような人だと形容した。これは当たっていたかもしれない。後年の大学の研究室での6年におよぶ修業期間、社会不適応者とよくいわれたものだ。

(まだまだ続く。え?やめてくれって?T_T)

カノッサさんのサイトの特別講議第20回

瞑想の意味って具体的には洋の東西でおなじなのでしょうか?瞑想の具体的な指南書とかあったら面白いとおもいますが。女性修道院についてはアベラールとエロイーズに話が出てるのですが、12世紀頃は男性を含む宿泊客は修道者と一緒にワインなぞを飲んで(ワインはキリストの血でもあるわけだから)風紀が乱れていたようですね。アベラールに規律を作ってくれと懇願していました。きっとあっちの修道院には美人がいるなんて行く輩がいたと思います(今、あんただけだよ、って思った人)。

瞑想について不思議に思ったのは、瞑想をなぜ語り合わねばならないのか?ということです。ということは瞑想には語り合うべき内容がもられているということです。日本だったら座禅の瞑想を語り合うなんて発想はしないと思います。いかがでせう。

なんだか私の職場のサーバが不調なので(たぶんハブらしい)アップロードがおくれました。ユニックスマシンにはFTPできるのですがNTマシンにはFTPできなかったのです。で、これがおいてあるのはNTサーバなのでFTPができませんでした。ハブといってもただのハブをスイッチングハブに変えただけらしいです。(機種不明)

(1997/12/19 Fri)

 昔話5(今もあのころも)

 高校の授業はそれはひどいものでみんなずーっとしゃべっている。それに乗じてわれわれも読んだ本のはなしなんぞをしていた。そういうことがあって前回かいた、プラトンの真・善・美を校庭の砂に書いて話をするはめになったのだ....山本君は大学の3回生くらいからフランスの11〜12世紀のロマネスク彫刻を専攻することをきめたが高校時代は特にこだわりはなかったはずだ。彼が美術部であることは以前かいたが油絵、素描などがのこっていて私の部屋には鉛筆による素描がある。

また、かれは三好達治の「測量船」をもとに絵を書いた。その絵をスキャナで取り込んでお見せしたいのだが今スキャナがてもとにない。絵は老婆と婦人だろうか。海のうえに老婆が半ばうつむき加減で右を向きそのうしろに婦人の顔が老婆に隠れて半分見える。詩だけはここに掲載しよう。

蝶のような私の郷愁!・・・・・。
蝶はいくつかまがきを越え、午後の街角に海を見る・・・。
私は壁に海を聴く・・・。
私は本を閉ぢる。私は壁に凭れる。隣の部屋で二時が打つ。
「海、遠い海よ!と私は紙にしたためる。----海よ、
僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。
そして母よ、仏蘭西人の言葉ではあなたの中に海がある。」
(三好達治「測量船」)
Mere -母(2文字目のeには ' が付く)
la mer - 海

 ここにみる蝶とは何の象徴なのだろうか?蝶のような私の郷愁。蝶は美しいが、弱々しい。そしてひらひらと日の中を舞うことのできる存在である。郷愁はあちらこちらと記憶がさまようのにふさわしい。

 まなざしははじめ蝶にあるが3行目、蝶のまなざしが海にいたったとき作者(そして我々)ははじめて自意識にもどる。まなざしは聴覚になる。作者は蝶をみていたわけではない。ぼくなら蝶の視点で海をみたい。そして海の音に時計の音がかぶさる。しかしここで疑問、はたしてほんとに海の音をきいているように想像するべきだろうか?僕は記憶のなかの海の音をおもいだしている気持ちになるべきだと思う。なぜならそれは母と海の入り組んだ深い関係があるからである。

 海と母の日本語とフランス語の絶妙な言葉あそびがここにはある。ホイジンガもオルテガも言葉遊びの名手だったではないか?上等な言葉遊びは気品あるものだ。

 母は何をいみしているのだろう?この詩は仏蘭西でかかれたのだろうか?母はわれわれを海のように包み込んでくれる。そして郷愁は母に捧げられている。

 私はこの詩をようやく受け止められるようになってきた。こういう詩は私はすごく苦手で、今回ようやくコメントする気になったのものだ。こういうときに私が一番最初に目がいくのは内的な統一性を洗い出そうとすることだ。今回ここでかいたことでようやく5年かかってここの詩を味わうことができた。

 彼はこの詩を引用することで何をいいたかったのだろうか?いずれにせよ近いうちに引用のもとになった絵をとりこんでみます。

(つづく)

水野さんによるウエーベルンの連載第二回、生涯と人柄を紹介です。あなたはウエーベルンの音楽聴くようになりました?わたしは最近毎日聴いています。シューベルトと交代でね!

アニメ「ウテナ」はなんでも近親相姦あり、ホモあり、の同人誌路線らしいと情報が(どっからじゃ)。昨日だったのですが見るの忘れた!もう数ヶ月みてない。来週最終回とのこと。どうやら最近路線変更がされたらしいとのことが。ちなみにこの情報をくれた方(職場のO氏)はポケモンでフラッシュがでて被害がでて、自主規制の道をとるのなら、ウテナだってフィルターかけるなりしてもうすこしフラッシュを押さえるべきといってました。ポケモンもみたかったな。

アニメの絵って僕がいまいち素直にみれないのはなんかコンプレックスを刺激する絵だからです。中学2年生くらいまでは普通にみてたのにね。なんかコンプレックスをおしてるぞ〜って感じしませんか?でもなぜそう感じるのだろう?ウテナの最終回をみてみればわかるかもしれない!?

そういや最近映画も見てないや。といっても25日すぎるまで全然落ちつかないんだけど。なんかヨーロッパ系のいい映画やってないかな。上の思い出を書きつづっているうちにフェリーニの「8と1/2」を思い出してしまいました。

もうすぐアクセスカウンタ1000いきそうですね。みなさまありがとうございます。アクセスログを読んでいるとこのページはリピーターのみ。他のページからこのwhatsnewページにリンクをはってもなぜかみなさま入ってこられない。なぜ?

光合成のページが結構読まれているのですが、全然更新してない。どうしよう。。。。ロマネスクのページはようやく最近認知されてきた気配が。。。。このページの更新をやめてしまえばあちらこちら手をだせるなと思いながらも最近は昔話ばかりだし。でもこれっていいわけだよね。当面はこのスタイルをつづけます。

先日紹介したハイゼンベルクの本をまとめられたらおもしろいと考えていますが、いつも企画倒れです。しばらくおまちください。

もっかかくれディレクトリにおいてある光と物質も全然筆がすすまん!

う、カノッサさん中世のメーリングリストこんなにハイレベルなんてとてもついていけそうにない。。。。ROMなんていらないですよね(T_T)

snさんのサイトにグバイドゥーリナさんの初演のレポートがでていました。ウエーベルンのことを投稿してくださった水野さんも聞きに行ったそうです。

(1997/12/20 Sat)

先日の三好達治の詩の続き  海は碧 空も青

先日は蝶と共に海を見、海を思い浮かべながら母を思い浮かべた。蝶のような私の郷愁。このフレーズの後で感嘆符がつくのはなぜだろう。ここで感嘆符がついていなかったら表現の意図するものが変わってきたろうか。私はこの詩をここ数日毎日リフレインしているがこの感嘆符は頭の中のリフレインには効果的だった。では私は何を思う。今はまだ母とは毎日顔を合わせているので母を思って郷愁にひたりはしない。私にとってこの詩は海を思い出すことが大きいのである。

 私にとっての海?僕は山本君が亡くなった次の春、一人旅をしようとおもった。学会で名古屋から京都にでたのでそのまま大阪へ。そしてそこからバスに乗り鳥取の砂丘を見に行った。

 そしてひろい砂丘を前にして僕は4時間そこにたたずんだ。たしかにらくだはいて月の砂漠を演出するにはいいかもしれない。写真はとらなかった。

 僕はその海を思い出す。日本海は陰鬱としがちであるといわれるが私がいったときはよく晴れていた。しかしたとえ晴れていても、その先入観からか日本海の海はなまめかしいのだ。それは彼とその二年前に二人でいった東北の象潟と芭蕉をむりやり結びつけたいのかもしれない。同じ晴れていても東海近辺で見る海よりもたしかに暗いとおもった。

 鳥取の砂漠で私はぼんやりとすごした。食事と少々砂漠の山を登った以外、海をずーっと4時間見続けていたのだから。本を読んでいたわけではないし、ともかく海をみていた。今でもそれができるかはわからない。(つづく)

今日は昨日体調がわるかったのでFTPするまえに力つきてしまいました。毎週週末はこればっかりだけど。 午後3時頃FTPしました。

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