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2009年07月24日
かつての仲間をネット上に発見
学生の頃アメリカにいって実験していたときのポスドクのおねーさんをネット上に
発見。さすがアメリカではネットでも実名登録。
mixiのようなSNSのようだが、プロフィールはログインしなくても公開していた。
彼女にメールするにはログインアカウントを作り、
いざメールをだそうとすると、どうも有料らしい。
どうしたこった。
私のアカウント(ページ?)に招待する機能は無料だったので、
それで、名前とメールアドレスをいれておくったらすぐ返事がきた。
あちらに滞在中、英語がなかなか通じないもどかしさもあったものの、
彼女は研究のことでいろいろ世話してくれた。
ラボだけでのことで、彼女はだいぶおねーさんで結婚していて、
家にいったりなどはなし。プライベートな話は英語が下手すぎて通じない。
こちらもどって継続の研究がうまくいき、その後はファックスで論文をまとめるやりとりを
していた。そのファックスを時々出してはながめる。
今見るといろいろ当時の状況が理解されたり、気持ちが当時よりも
受け止められる。
そのファックスに彼女の次の仕事探しがうまくいかずかなしい、と書いてあった。
彼女は大学につとめたかった。
当然それについて私がなにかコメントだせる英語力もなく。
今は企業につとめている。しかも結構よさげなところ。
当時2、3歳下の修士1年のイタリア系アメリカ人がおくさんが日本人だとかで
よく週末に遊びいっていた。
彼女によれば
その彼は行方不明、とのことで、それは残念だった。
彼も将来教授になる、といっていたので、
そういう人はネットで検索すれば論文などがかならずひっかかり
コレスポンディングオーサーならすぐメールをだせる。
同姓同名ならやっかいだけど。修行中と独立したとでは
研究分野が違うかもしれないけど、大きな分類では
ほとんどの人はとどまるので、わかると思う。
なのでそれはなんとなくおもっていたとおり。
ネットでなまえが見つからない場合はそういうところ(かつての生息先)から
消えた、ということになる。
仕事を得られなかったか、もっといい給料もらえる会社にいったか。
あちらでもポスドクはよい研究室ほど給料安いらしく、
ワーキングプアに近いようだ。というのはドクターとって企業に
就職すれば倍くらいもらえることもあるとか。
もっとも枠は小さいらしく競争社会である。
恩師によれば若い頃給料よくてもだんだんさがっていくシステムらしい。
管理職にならないとさがる一方。
同じことをしていたらピークはどこかにあるのは間違いない。
というわけで彼女に子供たちの写真を送ろうと思ってもなかなかいいのがないなあ。
おっさんになった私の写真を送ってもしょうもない気がするし。
彼女は当時はスリムだったけど今はどうだろうか。
投稿者 iida : 06:43
2009年07月22日
娘に弁当を持たせる
昨晩、小二の娘が私のところにきて「明日お父さん弁当作ってね」という。
お母さんにつくってもらえ、と私は即座に言ったのだが、すぐ考え直して
お父さん作るね、何がいい?と食材の検討に入った。
(我が家では弁当は私の担当で、私と家人の分をつくって家人の鞄に放り込むまでが
私の仕事。だから娘は自然に私にいいにきた、というわけ。ついでに言えば、
私が朝ご飯をサーブする。)
私はやはりタンパク質系で考えてしまって、前に作った豚肉の角煮(冷凍もの)を入れようと、
いったら娘は「野菜」と叫んで二人で冷蔵庫の野菜室をのぞいた。
なすときゅうりがあるので娘は小さく切って醤油と鰹節とあえて、という。
今朝無事早起きして、野菜を切って、ネクタリンもいれて、資源ゴミを出して(この間家人に
朝ご飯のサーブをたのんだ)、弁当をつめて、娘と学童に。
娘に友達にお父さんに弁当つくってもらった、って自慢しなよ、といったら
「うん、わかった」、と。
からあげとかはいってなくてごめんな、といったら、
「どうして?」ときく。冷凍の煮豚(これも私が休日につくったもの。ショウガでなくて
タマネギで油を煮だしたら子供に人気)という手を抜いた感大なのだが、
そういうのはあまり気にならないらしい。
今日は遅いので弁当をおいしく食べれたどうか、聞けなかったのが残念である。
2009年07月20日
中国のGDP
が今年中に日本を抜くらしい。
これで世界経済第二位から転落する、とのことである。
人口は日本が1億
中国は13億だから
生産性が1/13以内にはいってきたということで、
ますます将来の日本の地位が不安である。
そのうち、日本人は日本人の給与体系ではたらけず、
海外で海外の給与体系で働くことになるかもしれない。
最近近所で○○会の寄付をめぐって、「年金暮らしなので、」
と言う人がいたらしい。
実際、家計は大変だとは思うが、いまこれだけ大変では
私達の老後はもっと大変でないか、と想像する。というか不安になる。
さすがにご近所さんに「今、年金もらえていいですね」
というのはいやみになるのでいえないが、
私たちの子供になるとさらに厳しいことが予想される。
そのときまでに新産業が創出されて再び経済が復興されていれば
よいのだが。
投稿者 iida : 07:46
2009年07月19日
イヴの七人の娘たち(ブライアン・サイクス著)ソニーマガジンズ
ミトコンドリアDNAのDループを用いた解析から読んだヨーロッパの7つの部族(用語不正確かも)、
途中パプアニューギニアの人々の祖先などの解説も入る。
ヘイエルダールのコンチキ号について子供の頃学研の本で印象的だったのに、
その後ほとんど出てこなかったので不思議に思っていたら、この教授が否定したのですね。
遺伝子をおって人類の流れについて説明する話は知っているつもりだったけど
(日本化学会の大会でゲスト講演聴講で楽しんだことも)、ネアンデルタール人の
ゲノムついても読まれていてかなり精密な話になっているのですね。
我々クロマニヨン人がネアンデルタール人を絶滅させたのではないか、
というか虐殺?した、という話もときおり聞きますし、
ネアンデルタール人のゲノム断片の解読と解析に成功
ここではネアンデルタール人とクロマニヨン人は交雑しなかったとか。
サイクス教授は染色体数が違っていたのかもしれない、と述べています。
サイクス教授はアイスマンの遺伝子分析から手始めに古代人の化石の遺伝子分析を
手がけ、現代の分類とからめて大きく遺伝子母系系統図をまとめていった人のようです。
この本はずいぶん面白くて、一年に一回感銘を受ける本に出会うけど
そのレベルの本でした。
学会発表や論文発表の裏話も楽しめました。
投稿者 iida : 21:57
2009年07月06日
音楽〜奈良
友よ。
学生のころ君と二人で奈良に仏教美術を見に行った。
奈良の仏像を見に行くのにローカル線を選んでしまい、なかなか
奈良につかなかった。
その間僕らの会話はレヴィーストロースやらバッハなんかの話題だった。
レヴィーストロースが孤島の島のぶつぶつ交換と女の流れが対称であることを
見いだしてそれを郡論にあてはめて説明したことを、
君はうれしそうに話していたが、これまで未開の文明は原始的で野蛮であるのに
対し、文明はこれだけ進んでいる、という話を根底からくつがえしたというのが
先進国文明にすみ他の国々からの搾取でわれわれがなりたっているひけめを
ごまかして話していたような気がしてならない。
構造主義はそれほど「構造」だったわけでもなく、というか理論化がそれほどされたわけでも
なく、ポスト構造主義もなんだかさらによくわからない、むしろ文学理論との結びつきが
つよくなり考えるということを考える哲学からはずれていってしまった気がする。
当時私が夢中だったフーコーだってだんだんずれていって、履歴をさかのぼりながら
歴史や解釈においてたしかにさまざまな提案があり、私は今もその影響力の中に
あるのだから無駄ではなかった。
友よ。
哲学は神学の婢。
かつて音楽とは鳴り響かない宇宙の真理をあらわすものであった、と。
僕らがバッハに感動するとはどういうことか、
僕らはそういうことをえんえんと語り合った。
スコアでもみながら話をするならまだしも
漫談の域を抜けなかっただろうけども僕らにはそれで十分楽しめた。
バッハの音楽がぼくら東洋の人間でも感動できるのはなぜか?
感動の種類が違うのか?キリスト教でもないのになぜ、
宗教曲を音楽として聞くのか?聞けるのか?
フルトベングラーの感動はいったいなにか?
ドイツでの終戦間際の神がかった伝説の演奏と、
戦後の演奏はいったいどう違い、どう受け止められていたのか?
バッハやモーツアルトの曲がすばらしいとして、それは繰り返しきいたからすばらしく
聞こえるのか、本当にすばらしいのか、聞くだけでわかるのか、
そんなことは今だってよくわからないし、今となってはそれらの傑作音楽はすでに
知ってしまっているのではじめて聞くということ自身がなかなかないような気もする。
友よ。
私の娘が大分前に、「バッハはすごい」といった。
私はなぜ?
「バッハは子供にひけて大人も聞くから」
私は演奏は相変わらずしないが子供のバッハの演奏を聞いていたからかもしれないし、
まわりの大人もバッハはyはり別格で教えていたからかもしれない。
君が好きだった音楽家はガーディナーとモンテベルディ合唱団。
君がうきうきと何かのレコーディングがされたことを手紙でくれたね。
君がなくなってからガーディナーは古楽器だけでなくだんだんロマンの曲も
とりあげるようになってきた。
今では私もあまりフォローしなくなってきたので、しらないのだが。
君は美術なので怒濤のような美術運動が起きた1910から30年にかけての
前衛運動についてよく話題になった。
僕はそのころカンディンスキーにひかれていたけど、
ずっとあとになりシェーンベルクの音楽を好きになって調べていくと
やはりそこらへんの運動と強くリンクしていたことに気がついて、
なるほど、たしかに表現主義だ、と納得した。
君と一緒にいった奈良の寺巡りは写真はとらなかったのだろうか、
残っていない気がする。
何を見に行っただろうか?
新薬師寺、薬師寺、東福寺あたりだっただろうか。
和辻哲郎の本を読みながら。
そういう日本の中世の建築物を見た記憶はそのままヨーロッパのロマネスクへと
引き継がれる。
僕はロマネスクを見てからの方が奈良のインターナショナル性に気がついて
面白くなった。
ギリシアの神殿のような作りの記憶やプロポーショナルな
作りを無視した特徴を抽出した仏像や鬼、
仏も神もごっちゃになってまだ教義がすっきりしていない頃の
美術だ。
室生寺は君といっただろうか?
思い出せない。
平城京跡については僕らはあまり時間をとれなかった。
また近いうちに足をのばしたい。
たしか1年生に奈良に行って、2年生に京都にいったのか?
それで3年生にヨーロッパにいったのか?
今行くとまたあらたなことに気がついて楽しめるだろうか。
京都も時々行くが学会やら研究会合でなかなか観光を
深める時間もとれない。
君といくときはいくはずもない、太秦映画村には子供を連れて行った。
そのときは子供の反応も今ひとつで今の方が喜ぶかもしれない。
先日京都に会合に出かけたとき君と京都、奈良を回ったことを思い出したのだった。
ひときわ奈良への電車の中での音楽について話したことが、内容ははっきりしないが
なぜか一生懸命はなしていたことが印象的なのであった。
2009年07月05日
雪国
友よ、
高校一年生のとき君とは同じクラスで、川端康成をすすめてくれたね。
そのときは夏の読書感想文のカードの枚数を競ったのだった。
もちろん、君には惨敗だったのだが。
僕は当時雪国を読んで、女にもてていいなあ、という読後感だった。
もう一つは縮、つまり江戸時代につくられた麻の着物についての記憶がのこった。
最近20年以上ぶりに再読することとなり、まったく読後感がことなった。
不倫ものであることはわかっていたが、W不倫(?)であることは見逃していた。
芸者の身であることは当時は特に意味を見いだしていなかったが、
今ではそれがどういうことか見当つくようになった。
また文中に農業小作人をやったときの稼ぎとの比較もできるように
なっている。
当時は建前のところしか目にはいっていなかったが、
駒子は決して清潔なわけではなく、ガマガエルと蛭のイメージで、
実際(風俗関係)と幻想のイメージを交差させて、巧みに駒子像を膨らませている。
実際に駒子とあったのは3回で3回目の駒子は行男、お師匠さんがなくなり
年季奉公になったあとの駒子の絡みは怖いものがある。
当時は女の人からきてくれるなんてなんてうらやましいもて男とうつっていたもの
だった。
今ではどうだろう。
「いい女だね」のセリフ以降
島村は別れモードにはいるが
岩下志麻の映画ではそうならなかった。
島村は機が熟すとさっとべつのものに目移りするろくでなしである。
原作では縮の里を見に駒子をおいていき、かえってきてもどこに
いったかなんていわない。
映画ではにやけて縮を見にいったと答えている。これでは別れモードがわからない。
いい女というセリフのあとでも意味がわかりやすいように、駒子の追加のセリフがはいる。
原作ではこの意味がつかみにくく、それがかえって物語を深めるのに役立っている。
どうような意図は年季奉公になった理由について映画では駒子がわかりやすく
説明してくれている。
わかりやすさ、という意味では、駒子は島村の分筆作業に興味津々であるのは共通としても
映画では呼んだ別の芸者はそういうことにさっと興味をなくす様が強い対比を
浮き上がらせていた。
ついでながら岩下志麻が美人で女優として売れっ子である理由もよくわかった。
3回目の逗留は全体の分量の半分近くあり、
菊勇ねえさんが男にのぼせて店をふいにしてしまった話からはいって
駒子の私の気持ちわかる?とせまっていく気持ちと、彼女のがっかりさ
を細かく書いている。
友よ。
この小説はたしかに30代後半の男に理解され、女性にも夫(旦那)に不満という
構図から不倫を夢想させ、それを一年に一度の恋、天の河、織り姫、彦星という
イメージで美化していった物語としてかかれていると思う。
この小説は美しい日本なのかもしれないが、将来性のない男女の、
もつれた蝶に象徴されているように別れるしかない刹那の物語である。
それだって源氏物語の俗世での再生産でもある。
最初と最後、葉子のイメージをあわせて全体をラッピングした構築的な物語である。
縮について解説が続いた後、それが二人の愛の描写に落ち着く様の筆致の美しさには
仰天である。
全体の筆致はたしかに繊細でこの世界をよく伝えている。
川端康成の文庫の解説は伊藤整が書いている。
ご存知ジョイスのユリシーズを訳した人でもある。
川端康成のこの小説はエロ小説に近いことが書かれていながら
なぜ文学とみなされているか、なるほどと思った。
自分との関係で言えば、妻子ある身でこういうことしてしまうのは
理解しがたいが、それはこの50−60年でかなり日本や社会が
かわってしまったからだろう。
一言で言えば
島村は駒子との愛、というより芸者との遊びをもとめてあちこち
山歩きし、こういったことを繰り返し、
駒子も見請け人となる人を
営業中(なぜなら浜松に結婚していくと迫られた話もでてくる)
というキャバクラ恋愛営業のみかけの愛を演じたという話、
したがって駒子は島村がこなくなったら別の男に営業をかけるんだろう、という
読後感である。
こういう雰囲気は演歌の雰囲気なのだろうか。
駒子の「私の気持ちわかる?」との問いかけに、島村はなにも答えない。
何もする気がないからである。
ここで愛しているだの君だけだとか、言ってしまえば駒子は
あたしのことどうしてくれるの?と次の欲がでてくるのを
小説で描写しなくてはいけなくなる。
駒子はなにもいわないし、しない島村にがっかりしつつ、
島村には葉子にはどうしようもできないんだよ、答えさせることで「いい女」との
対比を大きく作っているのである。
君なら今はどう読み解くだろうか。
2009年07月01日
自民党まだまだ
友よ。
自民党が自爆して民主党に政治の中心がなるかと思うと、麻生さんはなかなか持ちこたえて、
その間、民主党が小自爆を繰り返している。
僕らが若い頃やはり自民党が崩壊して富山のとっつぁんになって
やはり崩壊したことを思い出す。
自民党は最悪よりまし、ということを長期政権でよく知っている。
麻生さんは支持率低下、求心力低下とかいっているわりに
なんとかやっている。
東国原やら橋下知事やらでてきて空前のポピュリズムかと思うのだが、
それでも持ちこたえている。
彼らは信用ならないよ、まだ政治家としての実績もないのに、
地方をかえるには中央から、とかいっている。
彼らは中央にいったら中央の理屈をきっとこねるよ。
友よ、僕らの頃にはバブルがあった。僕らはそれを享受した。
君は見ることなかったが、あの後バブルは崩壊した。
その後10年経ってふたたびバブルになった。
でも、今回のバブルは小さかった。
君が世を去ってから情報分野がものすごく発達した。
当時のコンピュータは絵を描いたりワープロ汎用機だったが、
いつの間にかネットにつながるのが前提になり、
今はモバイルである。
君には説明しても現実とは受け入れられないかもしれない。
僕たちはますます忙しくなり、僕たちが議論した
心の豊かさはますます低下していったように思う。
まず他人を認める余裕なんてない。
他人を認めていたら自分の席がない。
自画自賛モードをしなくてはいけなくなった。
哲学はその後、あまり一般に聞かなくなった。
社会学や経済学の方が話題になるようになった。
つまりそれだけ生きるのにすぐ役立つもの、
現状分析するようなメソッドが必要になったからかもしれない。
また私も哲学への興味が低下したからかもしれない。
友よ。
あれからどれだけ時がたったろうか。18年になるのか。
それからどれだけ私の生が深まったのだろうか?
最初にもどるが、
選挙と政権の維持には期待したいところだ。
私としては鳩兄のほうが理系出身なので科学技術にはいいのではないか、と
思っているが、鳩兄はスキャンダルになりそうだ。
民主党の代表はまた変わるかもしれない。
政治や経済が安定して
景気がよくならないと我々バブル世代は肩身が狭い。
バブルのころの楽しみはもはや若者には伝わってないのだから。
投稿者 iida : 22:53