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2007年06月13日
シェーンベルク歌曲を聴いてきた。
まっちゃんのリサイタルでシェーンベルクを聴いてきました。
シェーンベルクの曲自体実は最近はご無沙汰だったので数日前からiTunes+iPodで復習。
まっちゃんのコンサートで聴くとシェーンベルクの音楽は肉体的なものなのだ、
響いてこそ美しい、と思った。
これらの曲はマイナーすぎて演奏されない。
聴衆が限定されているのに加え演奏至難。
興行的には元が取れないのは明白。
修士論文でシェーンベルクをとりあげ現代音楽に邁進してきてもシェーンベルクネタで
ホールをほとんどいっぱいにする自信ができたのはようやく最近だということではないか。
ならば聴きにいかねば、と。
初期歌曲はロマン派の最後のきらめきがある。
音楽の官能性、時間がとまったかのような音のはこび、旋律の美しさ。
旋律の展開のもどかしさもまた無調の大胆さをしっていれば味わえる。
興奮 作品3-2(1903)
練習を積んだ心 作品3-5(1903)
誘惑 作品6-7(1905)
が印象的。誘惑はピアノラインのリリックさとダイナミックさに声の演出がひときわ要求される。
無調期前後の曲は表出力の強さが印象的、いっそう音楽は横に広がる響きを見せる。
決死隊 作品12-2(1907)はシェーンベルクの心情そのものだったろうけど力強い曲。
作品14の響きの美しさと神秘的な響。
渚にて (1909) は破棄されたものの演奏するに値する曲。
ペトラルカのソネット(『セレナーデ』作品24より)(1922-23) [F.グライスレ編曲]
こんな曲を生で聴けるなんて、といわんばかりの選曲ですね(汗
後半は
月に憑かれたピエロ 作品21(1912)(全21曲) [E.シュタイン編曲]
ワルシャワの生き残り 作品46(1947) [K.フレデリック編曲]
もう圧巻。ピエロはパフォーマンスによってグロテスクにもなりユーモラスにもなり、
目の前で奇想が爆発するカタルシスを味あわないと。
ワルシャワまでくると20世紀なかばまできて音楽にも社会性がながれこんできたか、と
感じざるを得ない。
ベートーベンでナポレオンを批判して英雄が書き上げられたとしても戦争のリアルさよりも
個人の振る舞いへの批判。
ワルシャワではガス室のできごと。これは社会的な体系による徹底的な抹殺。
僕はあまり社会の出来事を重視した作品解釈はさけたいけど、これはどうしようもない。
どちらもピアノパートも大変そう。
ワルシャワのユダヤ人の合唱が力強く出てくるところは感動的。
ひさびさのシェーンベルクちょっと酔い、帰りはSさんとあれこれ喫茶店で話して別れたのでした。
投稿者 iida : 2007年06月13日 00:03