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2007年05月11日

音楽によってひき起される感情の起源は何か?

バッハをはじめとした瞑想あるいはなにか超越したものを突きつける音楽がひきおこす感情は西洋文化(キリスト教を含む)がセットで提供した感情なのか、普遍的な感情なのか、昔友達と議論したことがある。

決して答えのでることではないのだが。

当時私たちははレヴィーストロースなどの「現代」思想の本をよしとしていた。

西洋文明から遠く離れた人々がバッハを聴いたらどういう気持ちになるのか、音楽といえるのか、
その逆にそこの人々の音楽を私たちが聴いたら彼らの感情を私たちが追体験できるのか、
そういうことは実証できるのか、だれかが検証してレポートしているのか、

とうじはいろいろ考えた。

最近そういうことをバッハの二つのバイオリンの協奏曲を小学生ー高校生の子供が演奏したものを
きいて思い出した。
この曲の第二楽章はきわめて深い瞑想を必要とする。
そう私が知ったのは20年も前のことだが、聴けば聴くほどさらに深い感情がひき起されることが
自分の体験でわかった。キリスト者でない私とはキリスト者ではやはり受け取り方はちがうのだろう、
だけどもそれを言語化して1000人の証言をまとめたら面白い本になるだろうな、とか思う。

昔、友人と京都から奈良まで寺院見物にいく電車でこのようなことが問題になった。
だから友人は私にいくつかの手紙をまとめたのである。
バッハのカンタータおよびニーチェのツァラトウストラのキリスト教(前編)
バッハのカンタータおよびニーチェのツァラトウストラのキリスト教(後編)

バッハは音楽の父であるとともに教会音楽家であったのでキリスト教の問題がかなりついてまわる。
モーツァルトだって、フリーメイソンなどの側面がかなり厄介だ。未完のレクイエムはどうか。
ベートーベンになると普遍啓蒙主義っぽいところでかなり宗教とはきりはなして考えてもよいかもしれ
ないが、ミサ曲などある、いままで聴いたことないので私はよく知らない。

また、聞く側がごちゃごちゃいうほか、演奏する人のいい分も全く違えば、そういうこと考えなくて
書かれた音を演奏すればよい、といういい分もあるし、たのしければなんでもいい、
さらにはバッハを聴いていれば音楽を好きである、というステータスを得られる、というものまである。

いずれにせよそれぞれいい分があるので他のいい分がうまく言語化されている場合は私の音楽聴取には
役に立つ。それは間違いない。

バッハの瞑想的な祈るような音楽は私自身が20年経過することで受け取り方が違ってきている。
チェリストのアンナー・ビルスマは以前は歌うように無伴奏チェロを演奏したが今は語るように
演奏したいとかつて語っていた。

朝の支度をするのでまた後日書きたくなったら書きます。

投稿者 iida : 2007年05月11日 06:31