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2003年05月11日
南海の酋長ツイアビの演説集「パパラギ」
私はこのような生活にもあこがれるが病気になったら薬のある社会も望んでいる。
終わりのほうにサモア国立大サモア学研究所のアソフォウ・ソウ所長のコメントがでてくるがまさにそうありたいものである。1900年頃の資本主義社会では資本家と労働者という対立があったのかもしれないが、現在は「豊かな社会」である。
しかし反グローバル、反現代文明であろうとするなら、こうまでやらないとだめだろうか?私には無理である。知った上で実現できるコミュニティの存続を希望するのみである。
ここで批判されていることはヨーロッパでもオルテガやホイジンガがすでに19世紀はじめに批判している。ロマネスクまでたどれば教会精神と贅沢という観点ではベルナールが批判している。キーワードを日常生活に置き換えればほとんど同じフレームワークにはいってしまう。
「豊かな生活」「目的地」そんなものを現代社会で批判していても、それを享受していたり自分の能力のなさに置き換えた批判になりがちである。私などはサモアで生き続ける「能力」がない。
もう一点、このようないわゆる未開文明へのあこがれはヨーロッパ社会では古くからあった。キリストの栄光を隅々まで照射しようとするベズレーのタンパンはその裏返しである。未開文明の文明への転換を標榜しながら、そこにとりこまれてしまったゴーギャンのような画家がいた。もっとも彼はそこにフランス風生活をもちこんで傍観者として絵を描いたのではないか、と思われるが未調査。
投稿者 iida : 2003年05月11日 12:50