第三章

幾つかの注目すべき歌曲に関する考察

《渚にて》について (注8)

 《渚にて》はシェーンベルクの生前には出版されなかった歌曲であるがシェーンベルクの歌曲創作の中で特別な位置を占めている重要な作品である。この曲の清書された自筆譜にはシェーンベルク自身によって次の様な書き込みがされている。

 この歌曲は《ゲオルゲ歌曲集[Op.15]》より前に、そしてOp.14の歌曲、すなわち、〈この冬の日々に〉及び〈私が感謝することは許されていない〉と同時に作曲された。いずれにせよ、歌詞が原因でこの曲を出版することはできなかった。(注9)

 そしてこの書き込みの左側に「Op.14 No.3」と記されていて、この「No.3」の部分は上から線を引いて削除されている。自筆譜に記された日付けなどからOp.14の2曲の歌曲は1908年の2月2日に完成されていて、《ゲオルゲ歌曲集》の方は遅くとも同じ年の3月15日には作曲が開始されていることが分かるので、上の書き込みの内容と合わせて考えると《渚にて》は2月2日から3月15日の間に作曲されたと考えるのが自然であろう。しかしこの曲の草稿には1909年2月8日完成と書かれていて、この日付けは上に挙げた書き込みの内容と矛盾してしまう。メゴードは、この日付けの「1909年」の部分が「1908年」の書き誤りではないかと述べている。もしこの仮説が正しければ、書き込みの内容と完成の日付けとの間の矛盾点は解消され、この仮説から更にもう一つの仮説を呈示することができる。それは「《渚にて》はシェーンベルクが初めて無調のスタイルで完成された曲である」というものである。この仮定によるとOp.14の2つの歌曲の後に《渚にて》が作曲され、その後《ゲオルゲ歌曲集》が書き始められたことになり、「Op.14-3」という当初計画されていた作品番号にも納得がいく。これより、この仮説を作曲様式の分析を通してより強固なものとしたい。

 それまでのシェーンベルクの作品の多くと同様、この曲も冒頭のピアノのパッセージの展開によって構成されている(譜例16)。

  ● 譜例16へのリンク

 このパッセージは大きく3つの要素に分けられる。まずアウフタクトの急速に上昇する音形(Jモチーフとする)、1小節目の冒頭の和音(Kモチーフ(注10)とする)、それから1小節目に左手で奏される断片的な音形(Lモチーフとする)である。Jモチーフはさらに始めの3音(J1モチーフとする)と後の4音(J2モチーフとする)という2つの部分に分けられる。Lモチーフはしばしば始めの3音のみが取り出されて展開している(L3モチーフとする)。

 これらのモチーフの展開で特徴的なのは、オクターヴ以外の移高が極めて制限されていることである。L3モチーフは殆ど歌唱声部でのみ展開されるが、同じ移高形が繰り返し使用されることが多い(譜例17、18)。

  ● 譜例17へのリンク

  ● 譜例18へのリンク

 9小節目では1度反行形で表れた後は同じ移行形の逆行形で3度表れる。17小節目ではピアノ声部で1度逆行形(ちなみに9小節目と同じ移高形)で表れた後、歌唱声部で同じ移高形の反行形で2度表れる。これを図式化すると次の様になる。

 9小節目〜11小節目  I (f) - R (h) - R (h)

 17小節目〜18小節目 R (h) - I (e) - I (e)(注11)

 このモチーフがはっきりと展開されているのはこの2箇所のみであるから、如何にこのモチーフの展開が制限されているか分かるであろう。Lモチーフはどちらかというと副次的な役割のモチーフであるが、このモチーフは全く移高されない(譜例19、20)。

  ● 譜例19へのリンク

  ● 譜例20へのリンク

 JモチーフはしばしばJ1モチーフだけが独立して展開されることが多いが、J2モチーフは単独であらわれることはなく、常にJ1モチーフと一緒に表れる。またJ2モチーフは冒頭のみ c-d-fis-b の形で表れ、その後表れる時には、始めのc音が h

音に変わって h-d-fis-b の形で表れるが、移高は全くなされない。J1モチーフも基本的に移高はされないが、15小節目から16小節目にかけて移高形で2回だけ例外的に表れる(移高されたJ1モチーフを j1モチーフと表記する)(譜例21)。

 Kモチーフは殆ど常に和音の形で表れるが15小節目でのみ分散和音の形で表れる(譜例21)。また基本的に移高や転回形での使用はされないが2度だけ4度上に移高される(譜例22、23)。尚この場合は和音の構成音が1音省略され、3音の和音となっている(この変化形をkモチーフとする)。

  ● 譜例21へのリンク

  ● 譜例22へのリンク

  ● 譜例23へのリンク

 20小節目においては1拍目からの連続5度による音形に対応してkモチーフが変化しているが、この変化した和音は、Kモチーフの転回形となっている。なおKモチーフが転回形であらわれるのはここだけである。

 この曲では、JモチーフとKモチーフが最も重要なモチーフとして展開されているが、この2つのモチーフの展開の様子を以下にまとめてみた。

  1小節目アウフタクト J

  1小節目 1拍目 K

       4拍目 K(3小節目まで引き延ばされる)

  3小節目 4拍目 J

  4小節目 1拍目 J

       2拍目 J

       3拍目 J

       4拍目 J2

  5小節目 2拍目 J1

       3拍目 J1

       4拍目 J1

  6小節目 3拍目 J1

       4拍目 J1+K

  7小節目 2拍目 J1

       3拍目 J1

  8小節目 1拍目 K

       3拍目 K(若干の変化を伴う)

  9小節目 1拍目 k

       2拍目 k

  12小節目 1拍目 J1+K(次頁の譜例24参照)

       2拍目 J2+K

       3拍目 J1+K

       4拍目 J2+K

  13小節目 1拍目 J1+K

       2拍目 J2+K

  15小節目 2拍目 K(分散和音に変化)

       3拍目 K(分散和音に変化)

       4拍目 j〜j

  16小節目 1拍目  j1

  19小節目 4拍目 k

  20小節目 3拍目 k〜K(転回形)

       4拍目 k〜K(転回形)〜J1

 

 これを見ると、移高や変奏が制限されることによって異常なまでに固定化されたK、L両モチーフが、いかに全曲にわたって繰り返し現れるかが良く分かるであろう。これはシェーンベルクの他の作品(調性、無調のいずれの作品においても)では見ることができない非常に特異な現象である。

 また、この曲において伝統的な調性原理は廃止されているが、主要モチーフの音高が固定されているため、特定の音高が強調されてしまう傾向がある。それは、J1モチーフの最後の音のg音である。このg音の前がd音であるのでJ1モチーフで単独で表れた場合、皮肉にもト長調のドミナント〜トニックという、解消してしまったはずの古典的な和声進行を連想してしまうのだ。このJ1モチーフは曲の最も終わりの部分にも表れるのでこの傾向は更に強まる。このg音は、17小節以降の歌唱声部にもしばしば表れる。また13小節目の3拍目からピアノによってこの曲のクライマックスが形成されるが(譜例24)、この部分の連打される和音の最低音はやはりg音である。

 ● 譜例24へのリンク

 このように、「調性」という、放棄してしまった大きな音楽構造上の支えの代わりとして、音高が固定され変形が極めて制限されたモチーフの多用という手段が取られ、(おそらくシェーンベルクの意志に反して)特定の音が強調される結果となった。これは、伝統的な3和音による支配から解放されても、特定の音高の強調によって楽曲の統一感を高めるといった調性音楽の重要な原理からは完全に脱却していないという、シェーンベルクの不安定な状態を反映している。

 また、この曲では伝統的な和声進行どころか、和声進行自体が殆ど見られない。この曲のほとんどの場面では、ある和音が現れてもそれはただ単調な鐘の音の様に繰り返されるだけである。もちろん幾つかの和音が連なっている部分もあるのだが(譜例25)、鐘の音がたまたま数種類続けて聞こえるようなものであり、和声「進行」という洗練された有機的なつながりとしては知覚されない。

 ● 譜例25へのリンク

 次にあげる《ゲオルゲ歌曲集》の一節(第7曲 )と比べてみると和声進行における洗練の度合いの違いが良く分かるであろう(譜例26)。

 ● 譜例26へのリンク

 もし、「1909年2月8日完成」という草稿譜の書き込みの内容が正しく、清書譜の《渚にて》が《ゲオルゲ歌曲集》より前に作曲されたという書き込みの内容の方が偽りであったとしたら、(1909年の2月には《ゲオルゲ歌曲集》の半分程の歌曲が作曲されていると思われるので)《渚にて》の作曲にあたって《ゲオルゲ歌曲集》で身に付けた作曲技術が退行してしまったと言わざるを得なくなる。

 これは、常に芸術的上昇を目指すシェーンベルクにおいてまずあり得ないことであり、Op.14 〜《渚にて》〜《ゲオルゲ歌曲集》という順番で作曲が行われたと、私は考える。

 以上の論議を総括すると、この《渚にて》は、調性音楽から無調音楽への移行の際に作曲された過渡的な実験作で、作曲技法的には未熟さを露呈している失敗作であり、この曲の完成度の低さがシェーンベルクにこの曲の公表を躊躇させた、という結論を予想する人もいるかもしれない。確かに無調音楽の作曲技法の習熟と言う面では未熟な点があることも否定できないが、無調音楽の誕生という歴史的瞬間に生まれたこの曲には、他の作品には見られないような魅力が感じられる。この曲は、「調性」というガイドラインの全くない、真っ白なキャンパスに初めて書いた絵の様な存在であり、未知の世界を手探りで進むような緊張感がひしひしと感じられる。また、冒頭に見られるような衝動的で表現主義的なパッセージに満ちており、これはそれまでの歌曲に見られなっかった全く新しい傾向である。


←戻る