第2章

和声について

 シェーンベルクは自分自身の作曲様式について、彼独自の用語を用いて説明しているが、1903年から1908年に到る歌曲の理解には、これらの用語の理解は不可欠である。

 ここでは、これらの用語の中で和声に関する最も重要なもの2つを取り上げたい。

 1つは、「拡大された調性 extended tonality 」(注12)、もう1つは、「不協和音の解放 emancipation of the dissonance 」(注13)である。

これらの言葉は、シェーンベルクの音楽的革新が、単なる奇抜な効果を狙ったものではなく、それまでの音楽の伝統からの連続的な発展としてなされたものであると言うことを象徴的に表している。そして、特に1903年から1908年の歌曲の作曲様式に、これらの用語の示す概念が色濃く反映されている。

 18世紀から19世紀にわたるソナタ形式の発展過程などにみられるように、音楽は様々な要素の「拡大」によって成長してきた。特に、19世紀のロマン派の作曲家達の作品において、この「拡大」の傾向は著しく大きくなってきた。こうした傾向の原動力となったのは、ロマン派の作曲家の多くが共有していた、「音楽は、何ものかを“表現”するべきだ。」(注14)という思想である。例えば、ヴァーグナー Wagnerはこうした思想の代表的な持ち主で ある。彼はオペラの作曲において、ドラマと音楽の高次元な結び付きを生涯に渡って追求したが、その結果「歌劇」の様々な要素を拡大した「楽劇」という新たな概念を打ち立てた。この新たな音楽形式では、時には1時間以上に渡って、音楽が途切れなく展開して行くが、この前例のない程長大な音楽を構築するために、和声や調性の概念は著しく拡大された。《トリスタンとイゾルデ Tristan und Isolde 》の音楽はこの現象を説明する最適な例であろう。この楽劇においては、多くの非和声音や絶えまない転調によって、特定の調性に所属している安定感が薄められ、この楽劇の官能的な性格が高められている。より正確には、この官能的なドラマの、音楽による最高の表現を実現するために、必然的に和声や調性の概念が拡大された、と表現すべきであろう。つまりヴァーグナーにおいては、ドラマが彼の音楽概念を拡大させた、と言える。

 シェーンベルクの様々な音楽的革新も、詩やドラマなどの音楽外の要素を起源として生まれた。Op.1や Op.2の歌曲、《グレの歌》、《浄夜 Verkla:rte Nacht 》、《ペレアスとメリザンド》などの若き日のシェーンベルクの作品はデーメル Dehmelやヤコブセン Jacobsen らの文学作品からの刺激無しには決して生まれ得なかったものであり、これらの音楽外の要素が、それぞれの作品の和声構造、音楽形式、オーケストレーションなどの様々な音楽構造を著しく拡大している。また今挙げた作品は1903年以前のシェーンベルクの主要作品のすべてであり、この事実から若き日のシェーンベルクが様々な文学作品から作曲上のインスピレーションを得ていたことを推測することができる。シェーンベルクは1900年前後にデーメルの詩に基づく作品を多く残しているが(Op.2の歌曲や生前出版されなかったいくつかの歌曲、《浄夜》)、そのデーメル本人に宛てた手紙の中で彼は次のように記している。

 あなたの詩は、作曲家としてのわたしの発展に決定的な影響を与えました。それらの詩によって初めてわたしは叙情的な様式の中に新しい音を見い出していく気になったのです。あるいはむしろ、あなたの詩をよく調べないで、ただ単にそれが私の心の中でかきたてるものを音楽に反映させることによって、新しい音を見い出したのです。(注15)

 この手紙は先程の推測が正しいものであることを示す重要な根拠となるであろう。

また、1903年の半ばにヴィーンへ戻って来てから最初に完成された作品はOp.3やOp.6に含まれるいくつかの歌曲であり、これらの作品の作曲で得た成果を発展させる形で《弦楽四重奏曲第1番》や《室内交響曲第1番》といった絶対音楽の名作が生まれたことも忘れてはいけない。

 それでは、どのように音楽外の要素が音楽的要素影響を及ぼすのであろうか?

 シェーンベルクはこの瞬間について次の様に説明している。

 メロディが、もし音楽構造の要求だけに従うなら、テキストが要求するのと違った方向に発展するかも知れないのである。メロディは長すぎたり短すぎたりするかも知れない。クライマックスが早すぎたり、遅すぎたりするかも知れない。あるいはクライマックスは全く無いかも知れない。目立ったコントラストが無いかも知れないし、強調が弱すぎるかも知れない。アクセントは、もっと弱いかも知れない.....(注16)。

 このような状況でテキストとメロディ(もちろんこの言葉を「音楽」と読み替えても良いだろう)の方向性を一致させるためには音楽構造自体を変化させる必要がある。ヴァーグナーはこの過程で「楽劇」を生み出し、シェーンベルクは「拡大された調性」という新しい概念を得たのである。

 それでは「拡大された調性」とはどういった概念なのであろうか?

 ロマン派までの音楽では、和声進行を豊かにするために多彩な転調が多く見られていた。シェーンベルクも最も初期においてはこの考え方で作曲をしていたが、この考え方は「モノトナリティ(単一調性)」という概念の導入によって放棄されるようになる。

 かつて、理論家達は全音階的進行に借用音や借用和音が混入してくると、たとえ非カデンツ的小部分におけるものでも、転調として考えていた。

 これは、せまい、時代遅れの調性概念である。一つの調性が決定的に、しかもかなりの間にわたって放棄され、和声的にも主題的にも新しい調性が確立しない限り転調を語るべきではない。(注17)

 この、かつては、転調している、と考えられていた部分、すなわち、ある曲の主となる調性からあたかも独立した調のように扱われる小部分を、シェーンベルクは「調域 region 」と呼んでいる。モノトナリティという新しい概念についてシェーンベルクは次の様に説明している。

 一つの作品にはただ一つの調性のみが存在し、従来は他の調性にあると考えられていたそれぞれの小部分は「調域」、つまり原調の中に包含された和声的コントラストに過ぎないのである。(注18)

 この[モノトナリティの]原理に従えば、直接であれ間接であれ、近親関係であれ遠隔関係であれ、トニカからの離反は、全て原調内にある、と考えられる。(注19)

 従来の転調の考え方では、ある概念の範囲にある調性をたくさん組み合わせることによって調性を擬似的に豊かに見せていたが、シェーンベルクはこの現象を一つの調性の中の出来事であると解釈し直すことによって、一つの調性に含まれる和声の種類を飛躍的に拡大し、これをシェーンベルクは「拡大された調性」と呼んだのである。この発想の転換によって一つの調性に留まったままでも、かつて無い程の豊かな和声進行を実現することができるようになった。シェーンベルクは彼の『和声法』の中で「拡大された調性はまた、私の第1期(1896〜1906)の作風の特徴でもある。」(注20)と述べ彼自身の作品の実例を取り上げ分析をしている。ここで取り上げられている作品はOp.6からの2つの歌曲と《室内交響曲第一番》であるが、これらはいずれも1905年から1906年の作品であり、この周辺の時期が、「拡大された調性」によって作曲されたもっとも典型的な時期であると言えるであろう。従って、この論文で取り上げている1903年から1908年の歌曲はすべて、典型的な「拡大された調性」の様式で作曲されていると言えるであろう。

 この、調性概念の拡大とともに和声の概念も拡大されたが、このことをシェーンベルクは「不協和音の解放」と総括している。彼はこのことを次の様に説明している。

 この[不協和音の解放の]理論に従うと、不協和音は一連の倍音中の、より遠い協和音に過ぎないのである。より遠い倍音の、基音との類似性は、次第に減じるが、両者の「理解しやすさ」は協和音のそれと同じなのである。[中略]かつての時代、「短3度」の解放が正当化されたのと同じように、今や「不協和音」の解放は正当である。(注21)

 ただし、シェーンベルクは和声に関して、何の規律もなく好き勝手に和音を羅列することを推奨している訳ではない。

 多くの現代作曲家達は、「新しい」響きを求めて単純なメロディに不協和な音を付け加える。だが、このようなことをすると、付け加えられた音が予期しない機能を発揮するかもしれない、ということを彼等は見落している。

 また、他の作曲家達は、主題と無関係なハーモニーを用いることによって、主題の調性感をぼかそうとする。[中略]このような状態では、和声は非論理的かつ無機能的である。(注22)

 少し分析してみると良く判るが、シェーンベルクは非常に論理的に、伝統的な和声の概念を「拡大」しているのであって、決して伝統的な和声の概念を粉々に打ち砕いて全く新しいものを生み出している訳ではないのである。

 シェーンベルクは《ペレアスとメリザンド》の中で、2つの重要な和声概念の拡大への伏線を敷いている。一つ目が全音音階を使った和声、もう一つが完全4度の堆積による和声(4度和声)である。これら2つの新しい和声は《ペレアスとメリザンド》では非常に慎重に、そして非常に控え目に使われているが、その数年後に作曲された《室内交響曲第1番》ではこれらの新しい和声が至る所で使われ、彼の無調のスタイルによる作品の中にもこれらの和音を容易に見つけることができる。


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