第2章

旋律線について

 シェーンベルクのどの作品においても、豊かな旋律線を見い出す事ができる。レイホヴィッツ Leibowitz が《グレの歌》の中の、ある旋律線について述べている次の文章の内容は、もちろんすべてのシェーンベルクの作品にもあてはまる。

 そこには非常に確実な、それ自身で充足している旋律構造が見られ、それが新しい発見への道を示しているのである。この時代の旋律の大部分が、シェーンベルクの同時代人の最も偉大な人によって書かれたものでさえも(シュトラウスや、ドビュッシー Debussy でさえ)、それ自身では意味が少なく、和声の伴奏とともにはじめて本当の意義を勝ち得ているのに対して、この旋律は完全な物それ自体なのである。例えばこの旋律をシュトラウスの歌曲の大部分の旋律と比較することは大いに意義をもっている。人々はシュトラウスの声楽声部の貧しさ、 有名なあの、人を「恍惚とさせるような」歌曲〈明日 Morgen 〉においてさえもに、ショックを感じざるをえないであろう(注10)。

 この文章にある「新しい発見への道」という表現には補足が必要であるが、それはシェーンベルクの歌曲の旋律構造を調べることによって、その意味が明らかになるであろう。

 シェーンベルクの旋律線の最も大きな特徴は、幅広い音程の跳躍である。特に7度をこえる音程の跳躍が数多く見られるが、逆に、延々と続く同音反復や単純な分散和音に基づく音形を見つけることは難しい。ここに、歌曲の歌唱声部からのいくつかの例をあげる(譜例1、2、3)(注11)。



 これらの例を見て分かるように、旋律は複雑な曲線を描いているので、この、旋律線だけの譜例から調性や和声の構造を類推することは難しいであろう。言い方を変えれば、旋律線が和声からの束縛を逃れて旋律そのものとして存在しようという傾向が見られる、と言える。具体的な事象で説明すると、短い時間にオクターヴ内のできるだけ多くの音を詰め込もうとする傾向が見られる(特に譜例3の初めの6小節間でオクターヴ内のすべての半音が現れる。)。このことによって、旋律線は多様性を得るが、同時に旋律が調性の枠組みから抜け出ようとする傾向が顕著になる。つまり、ここで生み出された旋律線の多様性が、先に述べた「新しい発見への道」、すなわち「無調性ヘの道」を切り開くのである。譜例1のA, Bと記したところの音程はそれぞれ減8度(=長7度)と短9度であり(この2つの音程は無調による作曲をはじめた頃にシェーンベルクだけでなく、弟子のベルクやヴェ−ベルン Webern も多用した、無調的な響きを作りやすい音程である)、こうした音程を含むパッセージをしばしば見受けられるが、このことは、調性期においても無調期においても、シェーンベルクの旋律線の間に本質的な違いのないことを証明する一つの材料となっている。また譜例2のCでは増9度という広い音程が使われているが、こうした幅広い跳躍は非常に表情的であり、無調期以後においてもよく好んで用いられた。

 こうした、未来にもつながる要素を含んだ豊かな旋律線は、もちろんピアノ声部にも見られ、歌唱声部の旋律線との複雑で有機的な結びつきを示しているが、このことは後で触れる。


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