第2章 それぞれの歌曲の作曲年代 前に述べたように、シェーンベルクは1903年7月にそれまで滞在していたベルリンを離れてヴィーンヘ戻ってきた。
そして、この生活の外面的な変化に呼応してシェーンベルクの創作活動も一段高い次元を歩み始める。
この時期から始まったシェーンベルクの作曲技法の追求は、《ゲオルゲ歌曲集》における無調による作曲様式の確立で一つのピークを迎える。
ヴィーンへ戻ってきてからまず完成したのはOp.3やOp.6に含まれる数曲の歌曲であり、それから2つの弦楽四重奏曲や《室内交響曲第1番》といった重要な器楽曲が作曲された。
これらの大作の作曲の合間に、Op.6、Op.12、Op.14といった歌曲が作曲されている。これらの作品の作曲時期は以下のとおりである(注2)。
1903年秋(注3) 〈警告 Warnung, Op. 3-3 〉改訂稿完成
1903年11月9日 〈興奮 Aufgeregten, Op. 3-2 〉完成
11月10日 〈練習を積んだ心 Geubtes Herz, Op. 3-5 〉完成
12月18日 〈夢の生活 Traumleben, Op. 6-1 〉完成
12月19日 〈見捨てられた Verlassen, Op. 6-4 〉完成
1904年1月23日 〈ガゼール Ghasel, Op. 6-5 〉完成
1904年春〜05年秋 《 弦楽四重奏曲第1番、Op.7 》作曲
1905年9月6日 〈すべてのもの Alles, Op. 6-2 〉完成
10月15日 〈さすらいびと Der Wanderer, Op. 6-8 〉完成
10月18日 〈道端で Am Wegrand, Op. 6-6 〉完成
10月26日 〈誘惑 Lockung, Op. 6-7 〉完成
10月28日 〈少女の歌 Mädchenlied, Op. 6-3 〉完成
1905年冬〜1906年7月16日 《室内交響曲第1番 Kammersymphonie, Op. 9 》作曲
1907年4月 〈決死隊 Der verlorene Haufen, Op. 12-2 〉完成
4月28日 〈ジェイン・グレイ Jane Grey, Op. 12-1 〉完成
1907年3月〜1908夏 《弦楽四重奏曲第2番、Op. 10 》作曲
1907年12月17日 〈私が感謝することは許されていない
Ich darf nicht dankend, Op.14-1 〉完成
1908年2月2日 〈この冬の日々に In disen Wintertagen, Op.14-2 〉完成
1908年2月?(注4) 《渚にて Am Strande 》完成
1908年3月頃〜1909年初め 《ゲオルゲ歌曲集、Op. 15 》作曲
《ゲオルゲ歌曲集》を除くこれらの歌曲を、作曲年代から大きく2つのグループに分ける事ができる。
一つがOp.3とOp.6のグループであり、もう一つがOp.12とOp.14のグループである。
Op.3とOp.6のグループは《弦楽四重奏曲第1番》の前後に作曲され、
Op.12とOp.14のグループは《弦楽四重奏曲第2番》と並行して作曲されている。
そしてこの2つのグループの間には《室内交響曲第1番》が作曲されている。
このような作曲年代上の歌曲と器楽曲の関連は単に日付上のものだけではなく、シェーンベルクの創作活動の発展においても深いつながりがある。
シェーンベルクは、Op.12の《2つのバラード》は《弦楽四重奏曲第2番》の先駆であり、この弦楽四重奏曲で示唆された調性の放棄ヘの過程は、Op.14の《2つの歌曲》を経て《ゲオルゲ歌曲集》で進められたと述べている(注5)。
つまり、歌曲で試みられたある種の作曲上の問題が同時期の器楽曲で発展させられたり、あるいはその逆の現象が起きたりしているのである。