はじめに

 20世紀における最も重要で最も影響力のある作曲家として、アルノルト・シェーンベルク Arnold Schönbergの名前が挙げられることに(好き嫌いは別として)同意しない人はいないであろう。そのシェーンベルクの歌曲で最も重要視されているのは

《シュテファン・ゲオルゲの「架空庭園の書」からの15の詩 Fünfzehn Gedichte aus Das Buch der hängenden Gärten von Stefan George, Op.15》(以下《ゲオルゲ歌曲集》と表記する)

である。どの音楽史の本を開いても、シェーンベルクがこの《ゲオルゲ歌曲集》において「無調」という全く新しい概念を確立した、という内容の文章を容易に見つけることができる。つまりこの歌曲集は音楽史上において非常に重要な意義を持った作品であり、その意義の大きさは、例えばシューベルトSchubert の《冬の旅 Winterreise 》に匹敵すると筆者は考える。

 それどころかこの曲は、歌曲だけではなく、音楽全体の根本的な概念を覆したのであるから、《冬の旅》以上の存在意義を持っていると言える。しかし残念ながらこの《ゲオルゲ歌曲集》の演奏頻度は《冬の旅》と比べて圧倒的に低い。こうした比較をするのが馬鹿げている程の差がある。つまりこの曲は、文献上での評価のみでその曲名が知られ、実際に鳴り響く音は殆ど聴かれたことのない、いわば「机上の」音楽である。

 また、この曲は音楽史上で非常に重要な作品なのだから、当然シェーンベルクの作品の中でも特別な位置を占めていることは疑いがない。この《ゲオルゲ歌曲集》は1910年1月14日に初演されたが(注1)、その時のプログラムの序文にシェーンベルクは次の様に記している。

 [《ゲオルゲ歌曲集》において]はじめて、多年目の前に漂っていた表現と形式との理想に近寄るのに成功した。今まで私には、これを実現する力も確実さも足りなかった。しかし、今、私はこの道に決定的に足を踏み入れた。私は、自分が、従来の美学のあらゆる制約を打ち破ったということに気付いた。(注2)

 シェーンベルクの「無調宣言」といえるこの文章はシェーンベルク関係の文献にしばしば引用されていて、シェーンベルクの創作活動におけるこの曲の重要性の大きさを反映している。それにも関わらず、この曲の演奏頻度は、シェーンベルクの作品の中でも多い方であるとは決して言えない。ここ数カ月のシェーンベルクの作品の演奏記録の資料を付表 (注3)に示してあるが、これを見れば《ゲオルゲ歌曲集》の音楽史における評価と実際の演奏頻度との大きな落差は歴然であろう。この資料にはある程度より規模の大きな演奏会の記録しか記されていないので、この資料が正確に演奏状況を反映しているとは言いがたいが、そうした不正確さを差し引いても、この様な重大な作品が稀にしか演奏されないと言う事実は十分認定できる。

 この《ゲオルゲ歌曲集》以外にもシェーンベルクは多くの優れた歌曲を残しているが、こちらの演奏頻度も極めて少ないと言わざるを得ない。付表の資料には反映されてはいないが、筆者の個人的な主観ではOp.2の歌曲集からの曲は比較的演奏されていると感じるものの、その他の作品の演奏は殆ど行われていないと感じる。ちなみに付表の中で記録されている《ゲオルゲ歌曲集》以外の歌曲作品は《キャバレー・ソング Brettl-Lieder》のみである。

 シェーンベルクの歌曲作品のほとんどは1900年を挟む前後10年間に作曲されているが、これと同時期に多くの歌曲作品を残した人としてはマーラー(Mahler) やR.シュトラウス (R. Strauss) の名が挙げられる。この二人の歌曲作品の演奏頻度とシェーンベルクの歌曲作品のそれとを比較してみれば、シェーンベルクの歌曲作品の受容の遅れは誰の目にも明らかである。この受容の遅れは、シェーンベルクの歌曲の移調された楽譜が出版されていないことからも判断することができる。

 このことはシェーンベルクの歌曲研究の現状にも現れている。先に述べた通り《ゲオルゲ歌曲集》は少なくとも「机上」における評価は極めて高いので、この歌曲集についての様々な研究が存在する。しかしそれ以外の歌曲についての研究はあまり進んでいないのが現状である。個々の歌曲についての断片的な研究は幾つか見つけることができるが、私の知る限りシェーンベルクの歌曲創作についての総括的で決定的な研究は現在存在しない。

 しかし、これらの事実はシェーンベルクの《ゲオルゲ歌曲集》以外の歌曲が研究や演奏に値しない、つまらない作品であることを意味するものではない。それどころか、これらの歌曲は、シューベルト、シューマンSchumann 、ブラームス Brahms 、ヴォルフ Wolf 、マーラー、R. シュトラウスなどの優れた歌曲作品と同列に扱われるべき重要な作品であり、シェーンベルクの創作活動の中においても極めて重要な意味を持っている。

 後で詳述するが、特に1903年から1908年の間に作曲された歌曲は、1908年に《ゲオルゲ歌曲集》で確立される無調による作曲様式への発展過程の縮図となっていて、歌曲史の中でも特別な位置を占めている。また、これらの歌曲は「無調音楽前夜」とでも呼ぶべき音楽史における特殊な地点に存在するため、この時期以前、あるいはこの時期以後のどの歌曲にも見られない独特な緊張感があり、それがこれらの歌曲の魅力となっている。

 この論文では、第1章においてまず、1903年から1908年の歌曲がシェーンベルクの歌曲創作の中でどのような位置を占めているか確認し、第2章以下でこれらの歌曲について、主に作曲技法の面から分析する。従って、これらの作品の歌詞については一切触れない。この私の分析方針は、以下に引用するシェーンベルクのテキストに関する考え方に由来している。

 数年前のことであるが、私は自分の良く知っているシューベルトの歌曲の原詩の筋を全く知らなかったことに気付いて大層恥ずかしい思いをした。しかし、いざその詩を読み終えてみると、それによってその歌曲の理解に役立つものを何一つ得てはいないことに気付いたのである。何故なら、その詩は私のその音楽についての考えを少しも変えることを要求しなかったからである。

 それどころか、たとえその詩を知らなくても、その内容---その本当の内容を言葉で表された単なるうわっつらに固執していた場合よりも、恐らくはるかに深く掴んでいたことが明白になったからである。[中略]詩に合わせて作曲される音楽のすべてにおいて、詩の筋の運びを正確に再現することは、肖像画がモデルに似ているかどうかということと同じで、芸術的価値とは無関係である。[中略]デクラメイションやテンポやダイナミクスなどに示されるような音楽と歌詞との表面的な一致などというものは、内部の一致とはほとんど関係がなく、そのようなことはモデルの模写と同じ段階の初歩的なことがらにすぎないのだ。(注4)

注1 J. Rufer, Das Werk Arnold Schönbergs (Kassel: Bärenreiter, 1959), p.192.

注2 ハンス・ハインツ・シュトゥッケンシュミット『シェーンベルク』 吉田秀和訳、東京:音楽之友社、1959年、56頁。

注3 本論文77頁以降を参照のこと。

注4 アルノルト・シェーンベルク「音楽と詩の関連性」(The Relationship to the Text) 、『音楽の様式と思想』 上田昭訳、東京:山一書房、1973年、235〜237頁。

←戻る