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2008年05月13日
ワーグナー:ワルキューレ
ワーグナーのワルキューレ第一幕は不倫にして近親相姦、というおそるべきドラマ。
しかもそれはフリッカによって第二幕でさばかれる。
第一幕の音楽は嵐の音楽でもあるとともに、運命への恐れの音楽でもある。
運命は今絶好調だとしても、それは儚い、という恐ろしさが序曲から聞こえてくる。
第一幕の最後のノートゥングを抜く音楽は麻薬である。
ワーグナーの音楽は聴いていると私の生気をすいとるのに、私はまだききたいと思う。
やめてモーツァルトにすればずっと幸せになれるのに、バッハにすればもっと
すがすがしくなれるのに。でもこのノートゥングを抜くときの
エキセントリックな感情を味わうためにいちばんいいのは一幕をとおしてきくことだ。
こうしてまた私の生気はすいとられる。
この音楽は脳みそのしわがつるつるになる気がする。
もう、目の前のそれしかない、し、目の前だけ気になる。
そこから抜け出ては行けない。
この手のシチュエーション、
幸せ絶好調なときにマーラーが交響曲6番で死の予感や亡き子を忍ぶ歌を
かいちゃったりする気持ち、に通じるのか、
シェーンベルクの音楽の浄夜、や期待にも通じる。
たしかに後期ロマン派がワーグナーから聞こえる。
私にはそういうものは昔は聞こえなかった。
むしろ神話のナンセンスなところが邪魔をして音楽のそういう内容を聞き取れていなかった。
来月はジークフリートと神々の黄昏をじっくりとバレンボイムのDVDできこうかと。
家人がアマチュアオーケストラでワルキューレ1幕をやったのが、わたしのほうが
その後取り付かれたようになってしまい、家人は次の課題曲に夢中。。。
投稿者 iida : 2008年05月13日 22:00