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2004年06月19日
拝啓シェーンベルク様
貴兄の室内交響曲OP9番を改めてCDでですが聞きました。
ここにあるのは強烈な闘争心、世に認められたい野心、なぐさめにはならない世間からつまはじきにされている絶望でした。
これを聞いていた時はすこし疲れてきた時で、なぜなら毎日なにかの締め切りがある状態で、追われている感覚だったのです。私の中にもあるわずかな闘争心がつかれて眠りにおちていたものを呼び覚まされたのです。
主題の野蛮なまでに荒々しい雰囲気は音色の極端な付加でぎらぎらした渇望したような気分にしてくれます。もう一つの対比的な主題にあるのはなぐさめです。しかしなぐさめは癒されない。徹底的に闘争的な雰囲気と対比され、昇華されるまで変形され続けます。
こんなんではこちらが参ってしまいます。この精神的強度にどう向き合えばよいのか。このような不安定な音楽に身をまかす訳にいけません。これまでに100回きいたでしょうか?もっと聞いた?200回?
何度聞いても決められたストーリーで納得できる訳ではないのです。
結論は何度聞いてもよくわからないのです。そこにいたるまでの私が毎回違う。私の引出されてくる感情が毎回違うのですから当然です。今日は激しく闘争的になりました。
そのあとはピアノ協奏曲でした。
貴兄の室内交響曲での満たされない若い自負がぜんぜんしぼんでないないのですね。これを書かれた時はベルリンに亡命した時でしたっけ?
12音だからというよりは曲の表出を古典的な作品を思い出させながらも強烈にアピールしてきます。
ここまではギーレン/ブレンデルで聴いたのです。あまりに恣意的な演奏なのでしょうか。
バイオリン協奏曲。
難曲中の難曲と知られてますが、Boukez/Amoyalのコンビは美しく描き出しながらも貴兄の感情のより微細に表現されたスコアを演奏してくれています。
作曲スタイルを発見してもまだまだ追求するべく音楽的感情、表現力があることに気づかされます。
10年くらい前貴兄の弦楽四重奏2番に大きな慰め、書式の不安定さ、頼るべきものを見失った喪失感に共感しました。当時の私は大学院生でなかなか論文が書けないのを貴兄の不安感に共通するように感じたのです。10年経って私も成長し論文を書いたり研究を展開できるようにはなりました。しかし、貴兄がいつも感じていたようにまだまだ優れた作品を世に残していない、という感覚。作品が世に受け入れられていないという感じが最近は共感します。
こちらの状況がかわるにつれ読み取れるものが変わるという意味では祇園精舎の鐘の音、という日本には古典的な世界観があります。貴兄の音楽からインスピレーションをもらって私もクリエーティブに活動していきたいとますます感じました。
敬具