
・「シェーンベルク《ワルシャワの生き残り》他」(DG POCG 4183)
OP1,OP6,OP10,OP30,《J・S・バッハ 6声のリチェルカーレ 編曲》
アバド/ウィ−ンPO
死ぬまでオーストリアを離れなかったウェーベルンを同国最高のオーケストラが演奏したということで、買う前の期待が非常に大きかったCDをやっと手に入れました。
アバドはウィ−ンPOとは極めて相性がいいと思います。この印象はデビュー盤の《ベートーヴェン 交響曲第7番》からずっと変わっていません。自発性が強いというか我の強いオーケストラをアバドがうまくのせるのか、はたまたその逆なのか、ともかくお互いの補完関係がうまくいっているのだと思います。
さて、その演奏について、まず感心したのが《6声のリチェルカーレ》。聴く前はこの曲のかわりに《交響曲 OP21》が入っていたらと思っていたものの、聴き出した途端に引き込まれてしいました。それは作品にウェーベルンらしさが感じられたのではなく、音楽としてすばらしかったのです。このしっとりとした情感はウィーンPOならではのもの。いつまでも終らないで欲しいと思うような演奏です。精緻さではブーレーズの新盤に1歩譲るものの、抒情感では大きくリードしています。《パッサカリア OP1》以下も同様で、概ねブーレーズ盤に比べるとテンポは速めで、各楽器間のバランスにも変化を持たせたドラマチックな演奏といえます。これらは前期の作品ほど顕著に見られます。後期の《変奏曲 OP29》だけはやはりブーレーズ盤の方がいいと思う時があります。ウィーンPOの音色はまろやかで洗練されており、刺激的な音は全くなく、迫力も十分です。これは各楽器のソロにもあてはまり、音色、響きを楽しむという点でもこのCDは大きなアドヴァンテージを持っています。
・「ドラティ、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルン」(MARCURY 432 006-2)
《管弦楽のための五つの小品 OP10》
ドラティ/ロンドンSO他
1960年代前半、トップクラスはいうまでもなく中堅クラスの指揮者でも新ウィーン楽派を録音することはあまりなかった頃の録音です。残念ながらこのCDにはウェーベルンは4分強のこの作品だけしか入っていません。演奏はシェーンベルクの項で取り上げたとおりの締まった演奏ですが、各種のCDが発売されている現在、とりたててこのCDでなければというだけの魅力はなく、新ウィーン楽派の3人を聴き比べるとか、ベルクを主体に聴くならともかく、この1曲のためにこのCDを求めるということはちょっと考えものだと思います。
管弦楽作品のCDについてのまとめ
新ウィーン楽派の中でも一番繊細なウェーベルンの作品を聴くには録音の良さも大切な要素ですので、やはり録音の新しいものがいいと思います。今まで聴いてきた中では、管弦楽作品入門用として最初の1枚としては、収録曲・演奏・録音のバランスを考えれば依然としてドホナーニ盤が一番のお薦めです。また収録曲に問題がなければ、抒情感、色彩感をより求めるならアバド盤、作品の構造面に着目するなら明晰で精緻なブーレーズ盤(DG)がいいように思います。他のジャンルも含めて体系的に聴きたいということであれば最新録音ではありませんが、やはりブーレーズのウェーベルン全集(SONY)ということになります。
・「ウェーベルン歌曲集」(輸入盤 DG 447103-2)
《3つの歌曲 (1899-1903)》,《初期の8つの歌曲(1901-1904)》,《5つの歌曲(1906-1908)》,OP3,OP4,《4つの歌曲(1908-1909)》,OP12,OP23,OP25,
エルツェ(Sp)、シュナイダー(Pf)
これについては以前書いたことがありますが、当時はまだ曲についても理解以前の段階で、演奏についてもまったく自分なりの評価が出来ない状態でした。器楽曲ならまだしも、もともと声楽曲が苦手な僕にとって75分間にわたってピアノ伴奏付のともすれば単調に思える歌曲を聴くこと自体が苦痛でした。しかしその後歌詞カードの英語と格闘しながら聴き込むうちに、耳に馴染んできたこともあり、今ではウェーベルンのCDでは1番の愛聴盤?そんな訳で今回曲の感想も含めて再評価しました。
このCDには作品番号なしのものから作品番号付のものまで、ピアノ伴奏付の歌曲のほぼ全てが作曲年代順に9作品40曲が収められており、調性、無調、十二音と後戻りすることなく前進したウェーベルンの作曲の変遷がよくわかります。
初期の作品番号のない作品にみられる初々しい透明な抒情感はまた格別のもので、少なくともその世界にとどまり曲を作っていたならば死後に与えられた名声は得られなかったにしても、後年の貧困とは無縁でいられたのではなかったろうか?少なくともそのような曲の存在を知るだけでもこのCDを買う価値はあると思います。
無調以降の作品となってくると緊張感が増して来ますが、歌よりもピアノの伴奏に作風の変化が聴き取れます。ピアノにより多くのことを語らせ、ともすれば単調になりがちな無調の作品に変化を与えています。
しかしこれも後期の作品になってくると、ピアノも音数が減りだし点描的になってくるとともに弱音が主体になり、間が多くを語るようになってきます。そして歌の緊張感は後退し一種の悟りともいうべき平穏なものになってきます。楽譜を見たことがないのではっきりしたことはいえませんが、全般を通してみてもフォルテやフォルテッシモほとんどないようです。そして1曲がとても短いので、ちょっと気をそらすともう次の曲に入っているということがよくあります。
解説書によればエルツェは、シュワルツコップのマスタークラスで学び、H・ヴォルフコンクールで1位を取っている。レパートリーはバロックから現代物までと広く、オペラもモーツァルトからヒンデミットまでこなします。またピアノのシュナイダーもヘルに学び、D・F・デースカウからも教えを受け、この盤のエルツェの他にブロホヴィッツのパートナーとして活躍をしているようです。
ウェーベルンの歌曲にはシェーベルクの歌曲にある力強さ、ベルクの歌曲に渦巻く情念のかわりに透明な抒情感があります。それを表わすにはエルツェの透き通った声と、シュナイダーの繊細なピアノはとても相応しいと思います。
・《グレの歌》《新ウィーン楽派歌曲集 OP3、4より他》(DGG 431 744-2)
《グレの歌》R・クーベリック/バイエルン放送管弦楽団他
《歌曲集》F・ディースカウ(Br)、ライマン(Pf)
これは以前1枚もので出ていたものが、《グレの歌》とカップリングされCD化されたものです。これについてはシェーンベルクの項にも書いたのですが、その後に聴き込んで少し印象が変わりました。これには初期の歌が9曲入っており、上記の盤とダブる曲があったので聴き比べました。シェーンベルクは曲の性格もあって男声向きと思いますが、ウェーベルンの女声あるいは男声用の曲に関しては、たとえD・F・ディースカウをもってしても女声の方が相応しいと思います。特に初期の歌では軽さと明るさが身上なのでなおさらなのかもしれません。僕の場合、作曲された時期がたとえ1940年代であっても新ウィーン楽派の音楽から連想されるのは退廃したウィーンであり、決って脳裏をかすめるのはクリムトの絵です。それには決って緩んだ口元をして虚ろな目でこちらを見ているセクシーというよりもエロティックな女性が描かれています。そのイメージが強すぎて女声にこだわるが故の偏見なのかもしれませんが・・・・