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 日本初演オペラ「狂ってゆくレンツ」を1999/3/27にみました。

東京室内歌劇場公演

「狂ってゆくレンツ」(W.リーム作曲)

指揮:若杉 弘

演出:実相寺 昭雄

キャスト

 レンツ:大島 幾雄(27、29日)

     小森 輝彦(28日)

 オーベルリーン:小鉄 和広(27、29日)

         堀野 浩史(28日)

 カウフマン:経種 廉彦(27、29日)

       大間知 覚(28日)

 アンサンブル:赤星 啓子(Sop. 1)

        薗田 真木子(Sop.2)

        愛甲 久美(Alt 1)

        佐々木 理江(Alt 2)

        松平 敬(Bas. 1)

        内田 弘一郎(Bas. 2)(全日に出演)

 3月27日(土)18:30開演

   28日(日)14:00開演

   29日(月)18:30開演

 於 新国立劇場小劇場

 ベルクのオペラ「ヴォイツェック」の原作を書いたビューヒナーの原作でw. リーム(1952-)の作曲。なんとリーム20才代の作曲。リームは現代ドイツ作曲家の中堅で新ウィーン楽派のあとに置くのにふさわしい作曲家であると目されている。なお実相寺氏はウルトラマン、ウルトラセブンの演出もやっている。シリアス芸術もエンターテイメントも談合している!それはともかくもう一回ウルトラマンに興味がでてくる。

 オペラの感想は、非常によかった。感動した。オペラのテーマは「ヴォイツェック」同様救いのない個人をつくりだした社会への告発である。それは皆が実は見ようとしないでふたをかぶせている領域である。われわれは20世紀にはいって個人の生き方というものに確かな自信をもてなくなった状態になんらピリオドを打っていないことに気がつくべきなのです。テーマの一つに狂気が描かれているのだが狂気とはなにか。あなたは自分がどうして狂っていないとおもっているのか?逆説的には自分は正常だと思っている人は狂っているというのが成り立っているのである。このテーマに興味のある方は私の友人がまとめたこの引用集を読んでほしい。その一つに

19.諸種のメランコリーはドイツでは経済、産業の飛躍的発展に伴って増加しました。(フーベルトゥス・テレンバッハ)

というものがある。これこそが今回のテーマだ。

 あらすじは詩人レンツが狂っていく様子が描かれていくのだが、レンツは実在の人物で1751-1792を生きている。当時ゲーテのまねばかりしていたといわれていたというが「家庭教師」「軍人達」がオペラに取り上げられており、再評価されつつ人物であるという。

 レンツは狂っていくのだが社会的な正常人に介護してもらったり、教会に祝福されたりするのだが狂気は破滅へとすすんでいく、挿話的に近所の女の子の死をかつての恋人の死と誤解してしまうなどがえがかれ、痛ましい劇の進行である。救いはない。

 もはやいやしというのが個人のたましいにおいてなんらすくいとならないのだ。この状況は今日でもうさんくさい「ヒーリング」「ポジティブシンキング」という言葉に生き残っている。どうしてそのような人々を再生産するような社会を作ってきているのかというのがヴォイツェックと同様のテーマである。結局のところ20世紀文学や表現主義芸術を経て、そういう考えをわすれ快楽にいきるしかないことが学生運動で暗に我々の世代に残ってしまっている気がする。現実に処するといってもなにか空ろで空虚なことは我々はよく知っている。気がつかないだけだ。言い方をかえよう「あなたが本当にしたいことはなんですか?」

 本当によく考え抜かれた真実の芸術はそういう我々に気がつかせてくれるだけでなく、我々は明日からまた生きていかなければいけないことを教えてくれる。

 音楽は声が主役3人と声楽アンサンブル6人と室内管弦楽。

編成はオーボエ2、クラリネット、ファゴット、トランペット、トロンボーン各1、チェロ3、チェンバロ、打楽器。

 と管楽器主体のもの。ドラムの連打が印象的。マーラーとかベルクの世界を濃厚に感じさせる。管楽器の持続音がかさねあわされてトーンクラスターまでは行かないけれど音色を重視したもの。また、具体的な音というものは存在しなかった。ところどころ幸せであるべき音楽がチェンバロなどで提示されるがどんどん混濁し、はじめからそんな形跡はなかったような音楽になってしまう。

 松平氏によると

冒頭のチェロの和音(h−f−fis)が全曲の最も大事なテーマとなっており、最後もこの和音だという。

 2景に出てくるハ短調風の旋律(g−c−d−es−d)もそれに継ぐ重要なモチーフとなっているそうだ。

 モチーフの展開技法自体はヴァーグナー以来のものを基礎としていているそうだが、私には一回聞いただけではわからなかくて残念。

 ドラマをもりあげる音楽としては非常によかった。間奏曲は最後のものをのぞいてそれほど長くなくベルクのように音楽として自立しえるかどうかというのは判断つかなかった。私の知るリームの曲はいずれも曲をもりあげかなり構築感のある作曲をするタイプで、もりあげながらどこか不安感を与える曲である。たとえば弦楽四重奏曲4番の第二楽章の異常なもりあがりとそのカタストロフの対称性。

 台本がレンツの内面を極度に集約的にあらわそうとしていることからリームのこの求心的な表現は非常に説得力がある。さきほどのべたドラマをもりあげる音楽としては非常によかったというのはこの意味である。

 声楽パートもすばらしかった。レンツ役の人を見ていてぐいぐい引き込まれていったのは脚本や音楽がよかったせいもあるかもしれないが大島 幾男氏の声の充実が大きかった。声楽アンサンブルがあって適宜補足的なことをうたうのだが、主役をひきたてよいアンサンブルだった。

 この声楽アンサンブルは、スコアの冒頭に以下のような注意書きがあるという:

「6人の声(6 Stimme)は脇役でも合唱でもない。主としてレンツの心のあるじを演じ、しばしば自然(木、山など)や実際の人物(農民など)も演ずる。」

 私がもっとも印象的だったのは台本のよさともとれる言い方になるが

 フリーデリケの死をなぜ知ったのか?という問いにレンツが「壁に書いてある謎の文字で知ったのです」とうたうところ。

 そして台本のあまりにうつくしすぎる言葉

「あなたには普通は静けさと呼ばれている、地平線のめぐりで叫びをあげている恐ろしい声がきこえませんか?」

 演出はモノトーンを使い暗い劇場、モニターを使うことがやや不条理っぽい感じ(ベルクのルルで映画を使うことと呼応しているか?)、それともアンサンブルとして声楽アンサンブルに参加しているのかと考えたが、これも松平氏によると「あまり深い意図はない様です。真後ろや真横を向いた演技を多用したいという現実的な目的からなのですが普段ならお客さんには見えないようにするモニタを、どうせなら見せてしまえ!という発想の様です。でもお客さんが色々想像してしまうのもちょっと狙っていると思います。」とのことである。

 最後に。幸運にも日本初演の初日にみることができた。もう一度みたい。是非再演されるべきである。

 謝辞:声楽アンサンブルの松平氏に感謝

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 付記:シェーンベルクMLを開催しています。トラフィックは週に1ー2通。このオフ会としてメンバー4人であつまり、このオペラを聴きにいきました。現代音楽好きの4人という大変めずらしい構成です。参加者はSNさんFさんSakaiさんと飯田。仲間にはいりたい?飯田にメールください

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