ラッヘンマン 「マッチ売りの少女」
2000年3月4日(土)6:10p.m. サントリーホール
演奏会形式・日本初演
指揮:秋山和慶
演奏:東京交響楽団東京交響楽団のホームページ <http://www.tokyosymphony.com/>
ラッヘンマン 「マッチ売りの少女」の少女を聴く。by iida(マックザナイフ風)
この曲は傑作です。非常に厳しい音の世界で、とても凍てついた音楽で特種奏法の連続なのですが「マッチ売りの少女」というストーリーにそって最後まで実に美しく透明な音の世界が繰り広げられていきます。
プレトーク
ラッヘンマン氏と細川俊夫氏のプレトークがありました。ラッヘンマン氏は「マッチ売りの少女」と彼の友人がテロリストとして活動したことに対し、「社会がそうさせた面があるのではないか」と述べました。
また、細川氏は「日本の音楽界はコンベンショナル」だとのべ、その中で氏の音楽が実現されたことが画期的だとのべました。
音楽の流れ
ストーリーは「マッチ売りの少女」が進行する中、テロリストに走ったラッヘンマン氏の友人について、レオナルド・ダ・ビンチのテキストが挿入される。マッチ売りの少女はマッチをすって火の中に幻影をみる。最後は凍死だ。
音響
全体の特徴は極端に細分化された音がほとんど特種奏法で極端に細分化されて分奏される。ウェーベルンはすでに点描音楽を作曲したがラッヘンマン氏の場合はさらに徹底している点と声楽の言葉までアルファベットの単位まで分解されているのでオペラとはいってもアリアがあるというようなものではなかった。オーケストラは舞台上に一つと二階席に10ほどあった。また、ランダムにまぜられるCD音源がある。これもごく短いものが次々と繰り広げられる。そしてPAによる音の拡散。声楽と語りと笙がはいっている。
特種奏法
特種奏法として目につくのはクリック(舌打ち音)でえんえんと演奏するシーンや、手をさすって出すシーン、発泡スチロールをこすりあわせるところが、見ていてとりあえずわかる。それ以外はその楽器からあまりでないような音がでているというしかいいようがない。またPAで音がとばされているのでどの楽器の音かもわからないし、さらにCDで音がまじってくるので音と楽器の関係の確定は不可能。
演奏会の楽屋裏で団員の持ち込んだチーズをかじっていたねずみから聞いた話では、ホルンではマウスピースをひっくり返して吹き込むとか、弦楽器のスルポンティチェリも厳密に駒のどこらへんからどこらへんと移動していくとか、手をさするときは十字にしてさするのだとかきちんときめられているのだという。そういう特種奏法をラッヘンマン氏は演奏可能であることやその効果をたしかめてあるのでだれも文句はいえずについてきたでちゅ〜といっていた。譜面台にのこっていた残留思念をよみとろうと演奏会終了日の夜中にサントリーホールの倉庫にいくと、息をすったりはいたりするときの摩擦音にも音程が厳密にきめられており、そういう音にも表情をつけていく必要があるとコーチをうけた演奏者が苦労している様子がエクトプラズムのようにさまよっているのを見た。
はじめ
出だしの美しさは特に印象的。冬の凍てついたシーンだときいていたのでその先入観は絶大だがかなり音が重ねられてトーンクラスターのようにも聴こえるが非常に音が会場に充満して聴こえたのが印象的。
途中印象にのこったこと
マッチ売りの少女が街に出ていく様子はテキストによってかたられたので、街の寒い様子や街の雑踏を聞こうとしたが、街の雑踏はまさしく分解された音で街に流れる音楽や騒音までもが完全にこなごなになって提示されているようだった。例えばマーラーの交響曲4番やシェーンベルクの弦楽四重奏の2番といった挿入にくらべるよりもべリオのシンフォニアをさらに細かくやっていった感じ。
またPAによって音がとびまわるのは一音一音別の方角から聴こえ、極端な場合ではぐるりと宙で一周したこともあったように思った。
マッチをする音は声楽の摩擦音ではっせられていたように思うがもちろん、ガチョウがみえたりとかはしなかった。ここらへんでテロリストのグードゥルン・エンスリンの手紙がエピソード的にはいるのだが、もちろんわからなかったのだが、「60年代」と聴こえたところではないかと思う。たぶんここらで私の神経はまいってしまいしばらく意識がなかったようだ。
その後レオナルド・ダ・ビンチのテキストが読み上げられるが、最後の節はきれぎれ。そもそもきれぎれに提示されることが標準としている作品にこのテキストが流れ込んでいく妙な一体感があった。
おばあさんを見ようと少女は必死にもっているだけのマッチをする。それが発泡スチロールでこすっているシーンのようだ。この発泡スチロールも4つの擦り方があるそうだ、と旧東ドイツでスパイをしていた男に500MHz G4チップを渡したら情報がはいった。このあと少女の死が打楽器などで暗示される(まるでベルクのバイオリン協奏曲だ)。もちろんかなり抽象的な響きだった。またこういう響きは私達は差異を聴き取れないことを痛感した。とてもではないがこのような複雑な響きを認識できる程こちらの耳がきたえられていない。
場面にあわせてプロジェクタから映像がながれた。抽象画の場合もあったが、私が気に入ったのは氷のわれた湖?のアップ。氷の塊が流れていく。あと、赤い抽象画が印象的だった。
最後
最後のシーンはまた静謐で美しい音楽だった。笙がなり笙そっくりのならし方をした弦楽器がそれをささえているようだ。ピアノ二台で交互に最高音で音をひびかせず、かんかんかんかん、と音をかなでながらしずかに音が消えていく。
追っかけ
ストーカーじゃないって(笑)。松平さんの出演をみるのも愉しみの一つ。彼がまじめにやってるかチェックしにいったというわけ(爆)。ほとんど毎晩アルコールをたち巨大な譜面を開いて練習していたと、東京駅で新幹線を降りた私に伝書鳩が証言してくれた。それはともかく彼は二手にわかれたコーラスでバスを担当。もちろんチラシにもクレジットものりパンフレットに写真までのっているし、そこにはシェーンベルクの歌曲を研究したとかいてある。が、まったく彼の声はどれかわからなかった。二声くらいわかったかな(笑)。しかし、これはトップのソプラノ二人でさえ音が断片化され、コーラスとそうかわらない扱いで、たとえばアリアを美しく歌うシーンなんてないから無理はないのだ。
テキスト
マッチ売りの少女のマッチをめぐって、テロリストでデパートに放火したグードゥルン・エンスリンのテキストと火山からふきだす硫黄についてもっとよく見たいと洞くつにたつレオナルドの洞くつの迫りくる闇への恐れとすばらしいものをみたい欲求とのことで連想が結びあわされる。いわゆるポストモダン的な結びつき。ストーリーの中に挿入される程度である分まだましかも。「作曲家としての私にとって大切なのは物語とその構造だけである。そこからすべてが始まるのだ。(ラッヘンマン、当日配付パンフレットによる)」とのべている。テキストを断片化することで音楽を構成的にした手法は恐るべきものだ。
客
私は後ろの方に座っていたがS席であった。私の前のおやぢはずっと寝ていた。僕もつかれはてて寝ていたのでいばれないが。私は曲が終わった後席を立ち、ちょっと後ろのS氏のもとに行き立ったままその場で拍手し続けた。ところがそれって熱狂的に拍手する図になるらしい。S氏は「ブラボー」とかいってるし(笑)、さらに前にいこうとかいいだすのだがシャイな私にそんなことはできなかったのでその場で拍手し続けることにした。まわりの反応は好意的な拍手だったがさっさと席を立つ人もいた。またブーもでていたそうだ。さきほどのねずみを物陰からねらっていた猫がいうには「ヘルムート、いいぞお〜、お〜い、ヘルム〜ト」とニ階席で感極まって叫んでいた客がいたと煮干しニ本で教えてくれた。その後もうすこし客の反応を聞き出そうとしたら「今、あのねずみ狙ってンだよ、商売のじゃましないでくれよ」とおいはらわれてしまった。
まとめ
ある音楽作品について時系列に音楽事象をならべても、テキストにそって解釈してもそれはまったく音楽の響きにはつながらない。音は時系列の中で、ただそのときだけなって消え去り、もう二度とはもどってこない。もう一度そのおとを聴くには最初から聴かなければいけない。
ラッヘンマンのいう社会主義的な面ではややなっとくいかない面がある。少女が抑圧された社会の犠牲者であれば彼が批判する体制というものは、まさにサントリーホールにくるコンサートに1万円前後はらってしまえる余裕のある層が享受しているものではないのか。
政治的な意図はともかく、今回痛感したのは現代音楽を演奏する困難というものについてなっとくしたことだ。演奏困難な曲をたとえ演奏してもお客がよろこぶとはかぎらないし、演奏家は苦労して仕上げても二度と演奏しないかもしれないのだ。負担ばかり大きくて得られる反応が期待通りではなかったら演奏者も苦労したくないだろう。現代音楽に興味のある私はこの曲が日本ではしばらく再演されないだろうと思うと非常に残念に思う。是非、大坂、名古屋あたりでも演奏にきてほしい。そしてせめてもCD化されることを願っている。最後にこの曲はほとんど私の音楽聴取感覚を変えてしまった。まず、CDでしか聴いたことのない前衛曲が目の前で演奏されるとこれだけ音楽に表情があるのかということ。限り無く異化された演奏法ばかりでCDではただ変な音がなっているだけの音楽がともかくもみれば納得できる面があったということだ。そして今日でもパワーのある音楽がうまれていること。そういうインスピレーションは演奏者によって伝えられること。それは幸せなことではないか!
Enjoy Advant-Guard Music!
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2000/03/07