シノーポリ氏追悼

Author: iida <romanesque@mac.com>

2001/4/23 記

 シノーポリ氏が亡くなってしまった。なんでもアイーダの演奏中だったそうだ。まだ54歳でたくさん指揮活動や私のようにコンサートにいけない地方在住者には録音を残してほしかった。

 氏は指揮者になる前には心理学を学んだとかで音楽の心理学的解釈という観点から評論されることも多かったようだし、このようなレッテルがつくとなかなか人はそこから自由になれないものだ。

 また、私にとって印象的だったのはややおかまっぽいしぐさをのぞいての話だが、エジプトのヒエログラム(象形文字)の解読を趣味としていたということだ。テレビでのインタビューで、朝6時には机に向かい一時間象形文字の解読をして、7時から仕事をするとか。指揮をする時間はマチネをのぞいて普通の働いている人の休憩時間なのだから15時間くらい働いているのだろうか。

 さて、彼の芸風はみなさんはいかがお持ちだろうか?私はCD でしかしらないのが残念だが、CD ではテンポゆっくり目で最近はやりの細かさで、原色ギラギラというなかなか濃い印象をもっている。

 氏のレパートリーは近現代ものが得意でマーラーは定評があるのではないだろうか。またワーグナーのオペラやイタリアオペラもレーザーディスクがでていて人気の程を伺わせる。

 もちろんこのサイトの興味の中心である新ウィーン楽派も氏のレパートリーに入っている。

 私の気に入っているCDをあげればずばりマーラーの交響曲9番/フィルハーモニアオーケストラ(1995)である。

 このCDが発売された時私はこの曲の奥深さに魅了され、聴いても聴いても様々な解釈ができるというかただイマジネーションの塊を私達の頭に注ぎ込んでくれるこの巨大な音のスープにいつも溺れ、現実逃避的な作用を与えながらも、そしていつも自分を見つめさせる哲学的な人類のアーカイブの一つ、をどのように聴いたらいいのか、ますますはまっていったときだった。そしてそれはちょうど私にとって学業をひと段落終え次のステップへと向かっていった時でもあった。

 マーラーの交響曲9番についての言葉は以下のお二人の言葉が最適だろう。

シェーンベルク曰く・・・・
マーラーの「第9交響曲」は極めて異例です。そこでは作曲者はほとんどもはや発言の主体ではありません。まるでこの作品にはもう一人の隠れた作曲者がいて、マーラーを単にメガフォンとして使っているとしか思えないほどです。この作品を支えているのは、もはや一人称的音調ではありません。この作品がもたらすものは、動物的なぬくもりを断念することができ、精神的な冷気のなかで快感をおぼえるような人間のもとにしか見られない美についての、いわば客観的な、ほとんど情熱というものを欠いた証言です。 ・・・・「第9交響曲」は一つの限界であるように思われます。そこを越えようとする者は、死ぬほかはないのです。

アドルノ曰く

マーラーの交響曲9番について・・・・
あとに残るのは粉々の破片と、ここちよくもむなしい慰めの甘美さ

 さて、私はといえば、マーラーのこの交響曲のシノーポリ氏の演奏は第一楽章が一番気に入っている。第一楽章にはクライマックスがいくつかあるがそこで歩みをとめたように丹念に描かれているのを聴くと音が沸騰しているのを見るようである。このような音の組み合わせと運動は音楽ではなくて人間の心理描写でもなくてなにかもっと抽象的ななにか、幾何学とか、宇宙のはじまりとか、なにかそのような永遠に属するものの一瞬のスケッチというべき物であるが、やはり音楽に違いない。私はいつもそのクライマックスを感じるためにCD をとりだす。今日も私は感じることができた。一日のあれこれということが見事に浄化され明日への英気につながる。

 第二楽章以降ももちろんそれぞれにすばらしい音楽である。第4楽章の演奏は感情というよりはやはり抽象的な音を描いている点はみのがせない。この極度にポリフォニックな楽章は音の透明性とうらはらにとらえ難い面をもっている。それとも美という感情といいのがれてもいいかもしれない。生身あるいはロマンチックな感情との親和性が高いのはむしろ第3楽章の気がする。ここらへんは主観的なことなのでなんともいえないのだが。

 氏のマーラーはほとんどすべて発売されていると思うが私のもっているのは3、5、6、大地の歌である。同時期の録音の3番も好きな演奏であるが、5、6番は音質が他のものとくらべるとわるいせいかいまいちのれないのである。

 シェーンベルクのものではお馴染み「月に憑かれたピエロ」(Teldec 1999)をLuisa Castellaniを迎えて好演している。同じCD には「期待」もおさめられている。どちらもシェーンベルクの表現主義期の曲でシノーポリ氏のように心理学を学んだものとしてはこってりしてるかと思いきや、結構あっさりとおりすぎていく演奏である。また「グレの歌」(Teldec 1996)も演奏・音質ともに満足できる。

 ベルクの「叙情組曲」は極度にロマンチックでもよい音楽だが意外とそうしていない。むしろ感情をおさえることで私達にさまざまな音楽=感情的イメージが湧くようにして細かに味付けしているのかもしれない。

 ウェーベルン(Teldec)は私はいまでも苦手なのでコメントできない。

 以上述べてきたようにシノーポリ氏は類い稀な才能と力のもちぬしであった。未発表録音に新ウィーン楽派のマテリアルがでてくることを望んでいる。最後に氏の栄誉を思い出しながら黙祷する、ということでこの章を閉じるとしよう。 

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