Alban Bergの人物像、音楽、CDレヴュー
CD レヴュー M.Mizuno Wozzeck: Metzmacher / Hamburg
・《ヴォツェック》(CD 輸入盤 EMI 7243 556865 2 7)
スコウフス(Br)、デノケ(S)、メリット(T)他
I・メッツマッハー/ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団
ベルクはオペラが一番面白い! と思わせるディスク、それがメッツマッハーの<ヴォツェック>です。
”このオペラを鑑賞する時は理論的・美学的なことは忘れて頂きたい。”、”オペラの始まりから終わりまで、音楽形式については誰も気付かない。オペラのイデーのみで観客は満たされる。そのことに私は成功したと感じている。”というようなことを講演や著作で作曲家自身が述べていることからも、ベルクは高度なテクニックを駆使してこの作品を作曲しながら、観客にはその仕掛けを気付かせず、音楽のみで満足させることを意図し、その結果についても、かなり自信を持っていたようです。オペラに名作は数あれど、この作品は20世紀の名作というだけでなく、あらゆる名作の中で、音楽的にも優れ、様式、形式に多くの工夫があるという点では、色々な聴き方が出来る作品といえます。それらを少しでも多く理解するには、このディスクは最も可能性を秘めていると思います。
メッツマッハーは20世紀の作品を得意とし、最近はオペラでも実績をあげてレパートリーを拡げているようです。今までの録音ではあまり比較できるようなディスクがない作品が多く特徴を掴みかねていましたが、このディスクである程度わかってきました。
薄いグレーの背景に、上半身裸にパンツ、靴下のヴォツェックが右隅にいるという特異なジャケットは、今まで登場した<ヴォツェック>のディスクとは明らかに違い、妙に興味をそそります。ジャケットの印象と演奏とは必ずしも一致しませんが、このディスクの場合は、ジャケットどおりの明快そのものの演奏であり、ヴォツェックの特有の暗さ、悲劇性はあまり感じられません。
話題のバリトン、スコウフスは言うまでもなく、大尉、マリー等の重要な役から、他の声楽陣についても全く不満がありません。これは好みの問題であり、声楽曲が元々苦手な私には歌い手が優れているかどうかの判断がつきません。(優れているという言葉を今まで軽率に使ってきましたが、これは反省します。)個別の役柄では好みの歌手が他のディスクにいることも確かですが、初演から80年弱を経て上演の機会も増え、メディアの発達あり、新しいディスクの方が歌い方がこなれてきているような感があります。他のディスクに比べて歌唱にメリハリがあるように思われますが指揮者の指示でしょうか?また発音も明瞭で、場面にはよく合っていますが、ドイツ語が時にきつく感じることもありました。
演奏は、第一幕第一場のジーグにおける大尉の”笑い”のタイミングが見事に決まっています。第一幕第三場マリーとマルガレーテの口論とそれに続く子守唄の部分も印象的です。また、第ニ幕第三場が室内オケ編成であることもはっきりわかります。この作品のクライマックスともいえる第三幕第二場の−この作品で唯一のトゥッティ−ロ音のクレッシェンドも1回目と2回目のダイナミックレンジに明確な差をつけています。
メッツマッハーの耳の良さ、リズム感の良さ、筋の通った強靭さは確認出来ましたが、全ての場に均等にウェイトが置かれているようで、ある意味伝統的といってもいいかもしれませんが、流れを重視したドラマチックなアバドやバレンボイムや、テンションの高いケーゲルの演奏とも明らかにタイプが異なり、この点は好みが分かれます。
録音は、残響は少なくシャープかつダイレクト、定位も良好です。ちょうど目の高さに舞台があるとように聴こえます。ライヴということですが、足音などは聴こえないので、劇場の雰囲気はさほど伝わって来ません。しかしながら、個々の楽器が明確に聴き分けられることは、形式上の多様性の把握の助けになります。ただ、聴いていると、曲の形式等に気がいってしまい、いつのまにかドラマそっちのけになっていることもしばしばで、他のディスクに比べかなり疲れることも事実です。その証拠として、他のディスクに切替えると、アバド、バレンボイムはもちろんのこと、ケーゲル盤であってもホッします。音楽に心地よく浸ることは出来なくなるかもしれませんが、このディスクを聴いて<ヴォツェック>をより理解することは、他のディスクの聴き方も変えてしまいます。リファレンスとして手許に置く価値のあるディスクだと思います。
(2002/4/13 公開)
編集 飯田
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