
ベルクの生涯の後半
ベルクの愛した女達と音楽の関係
ベルクの後半の音楽できってもきれないのは女であろう。叙情組曲では曲の音列に相手と自分のイニシャルをいれたり、不倫の彷徨する恋をあらわすトリスタンとイゾルデの和音を鳴らすためにそれができる音列を採用したり、ヴァイオリン協奏曲では若い頃女中に孕ませた子供の暮らす地方の民謡をいれこんだりして、そのこだわりぶりは半端ではない。
ベートーベンの不滅の恋だってドラマとして十分興味深いが音楽の構成要素にはそれはあまり入ってないだろう。ベルクの曲はこれら個人的なものを直接音楽にとりこみミクロな構成法を自在にあやつって曲を構成したことにある。しかし、それらを調べるためにミクロなプライベートなエピソードに属することを暴きたてることはのぞき趣味なのかもしれない。
ベルクは17歳の頃女中のマリー・ショイフルを愛しアルビーネという子が生まれた(1902年)。この子はケルンテルン地方でベルクの両親に明らかにされずに育てられていた。
その後妻になるヘレーネと彼女の両親に反対されながらも結婚にこぎ着ける。1911年のことであった。彼女の間にはおびただしい数の手紙が残されているという(公開されたものでも569通)。
「僕は君を愛することによって、君の中にある、世界のすべての女性美を愛するのです。こうして僕はもっとも広汎な男、全世界のドン・ファンなのです」
最後にハンナ・フックス・ロベッティンとの不倫の恋がくる。ハンナとは1925年にしりあい、すぐに熱烈な恋愛関係に落ち入ったという。だがどこまでの関係なのか、どの程度続いたのかはわからないが14通の手紙が残されている。ヘレーネとは離婚しなかった。
後半の作曲活動はこのハンナのためになされている。叙情組曲とバイオリン協奏曲。ベルクは残した曲はすべて傑作というとんでもない作曲家だが、とりわけこの2曲はよく演奏される。どちらもハンナに関係あるモチーフが見えている。
例えば叙情組曲ではアルバンベルクのイニシャルAB(イ・変ロ)が音にそのまま用いられており 23 は自身の運命の数だという。この運命の数はすべての楽章の小節数、メトロノーム記号を支配しているという。同様にハンナ・フックスのHF(ロ・へ)が用いられており運命の数としては10が用いられている。
そしてこの曲には報われない彷徨する愛の象徴として「トリスタンとイゾルデ」の引用がされると同時にツェムリンスキーの「叙情交響曲」の中のタゴールの歌詞「わたしはあなたのもの、あなたはわたしのもの」を引用している。終楽章はボードレールの詩の引用である。
お前に、唯一愛するお前に向かって
この心が落ち込んだ深い谷間から私は叫ぶ。
そこは死の国だ。空気は鉛のようであり、
闇の中に呪詛と恐怖がたぎる。
ベルクはオペラ「ルル」を書いていたがその途中アルマ・マーラー=ヴェルフルの子マノン・グロピウスが亡くなった時にレクイエムとしてバイオリン協奏曲を作曲することになった。そこには上で書いたように隠し子アルビーノが育てられたケルンテルン地方の民謡とバッハのカンタータの引用がなされている。協奏曲ではあるが2部形式で4楽章になっていて、民謡の部分は第二楽章にでてくる。これは本当の民謡で歌詞がもともとついているものだったようだ。歌詞の部分はこうである。
「小鳥が起こしてくれなければ今もミッツィーのベッドで眠りこけていた」
ミッツィーはマリーのニックネームで初恋のマリー・ショイフルである。大胆すぎる。
ハンナ・フックスについては導入部は10小節(ハンナ・フックスの数)、最終楽章は230小節(二人の数をかけたもの)のほかにもおびただしい箇所で言及されているという。
このようにバイオリン協奏曲はベルクの最初と最後の恋にふかく根差していることがわかってきている。
後半生のベルクはハンナ・フックスへの激しい恋慕のもとに作曲活動をおこなってっきたと言える。冷たい論理と熱い恋情が同居しそれが相互に言及しあっているところにバッハからつながるような堅固な音楽のスタイルと魂の内在という西洋音楽の神髄をみることができると思うのだがいかがであろうか。
(1998/7/7 )
編集 飯田
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