2005年05月22日
ロマネスクへの旅 事の始まり
1986.10.14 山本君から飯田
ヨーロッパへ行きませんか?・・・といっても3年後。まずパリへ行ってルーヴルとオルセー、ポンピドーを一週間かけて見る。それから西へ行って北フランスのゴシック聖堂を見てまわる。麦畑の中のシャルトルなんかいいですね。ステンドグラスの神秘的輝き。アルザス・ロレーヌを抜けたらライン川に沿ってドイツの古城めぐり。ミュンヘンについたらノイエ・アルテのピナコークを見てノイシュバンシュタインにまで足をのばすロマンチック街道なんか最高ですね。次ぎに行くのはウィーンだ。(もしくはベルン)美術史美術館の壮麗な建築を見てからさらに南下レブレンナ峠を経てイタリアに入る。
ベネツィアで地中海を眺めた後は花の都フィレンツェでハイ・ルネッサンスをしのぶウフィツィ美術館をたずねる。アッピア街道を沿って南下し、聖地アッシジでジオットーの壁画に会うのもいいでしょう。そしていよいよ永遠の都ローマというわけです。時間と金があったらポンペイにも行きます。およそ1ヶ月をみていきます。毎月1万円ためて36万
夏にがんばれば50万はたまる。むこうで飛行機を使わない汽車と徒歩の旅ですから十分足りると思う。仏語と独語をそれまでに会得しよう。
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当時はまだロマネスクにそれほどフォーカスがあたってなかった。
パリ ルーヴル、オルセー、ポンピドー オルセーは改装中だった。あとはOK
シャルトルもOK
アルザス・ロレーヌ 行かなかった。
ドイツも行かなかった
ウィーンもいかなかった(後日家人と訪問)
イタリア アッシジ以外は行った。
旅行記1、旅行記2
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2004年09月07日
Homo Capax Infinite Finitum
-無限を入れる有限の器としての人間-
山本 和寛著
アウグスティヌスのこの美しい言葉はポジティブな意味だけに解釈されがちであるがネガティヴな意味でもとらえられねばない。
人間がいかに想像力を絶した悪を成し遂げることができるか。
歴史に問うまでもなく我々の存在範囲でも多くの事実を見聞できるのではないか。
こういったことを思弁することはつらいことであり、世にいう暗いことかもしれない。しかし、こういった思弁を欠いたまま、人生を論じてみたところでアドルノの切実なる次の言葉の前では一切が崩される。
”アウシュビッツ以後は、このわれわれの生存が肯定的なものであるといういかなる主張も単なるおしゃべりに見え、そうした主張は犠牲者たちに対する不当な行為であるという抵抗感が湧きおこらざるを得ない”
アドルノはプラトンからヘーゲルにいたる伝統的弁証法のなかで否定作用が肯定を作出するプロセスを切断することによって実践の根拠となる概念的思考、すなわち自分が話すのを聞きたい形而上学のやり口を暴き出す。かつてマルクスは「哲学者達は世界を解釈してきただけにすぎない。解釈するのではなく、世界を変革することが問題だ」と述べた。この実にあいまいな命題が根拠とする概念は唯物論という形而上学の変種である。大系化した形而学はイデオロギーへと変貌する。非同一なものを力(実践)によって均質化とするものへと。近代は理性が実践のための技術と化していく過程である。「正義があればあるほど、自由はますます少なくなる。」理性の時代と呼ばれたルネッサンスから16.17世紀に異端審問は学問的に体系化され、魔女狩りが最も盛んであった。社会を変革することを意図する啓蒙は概念と実践の結合という形を取るかぎりイデオロギーを生み出し、非同一的なものを抹殺していく。民主主義も平等という概念に奉仕する均質化の実践に他ならない。アウシュビッツでは死という画一化において一切が平等であった。
"現代思想が思想のための思想になっているように見える私には最終的に自分の社会観をうちたて、自分の人生観を打ち立てることがよいと思う”
1月28日付けの君の手紙に概念と実践の二分統一法という形而学のスタイルをかぎつけるのは私の単純な危惧にすぎないのだろうか。
現代思想は思想にたいする思想ではなかろうか。いや、そうであるべきなのだ。アウシュビッツ以後の現代、人間の生に対する真剣な反省が求められている。思想とは本来実践を志向する概念なのではなく、人間の自分自身に対する反省という行為なのだ。
孔子が「朝に道を知りては夕に死すとも可なり」と述べたのは道を探求するという行為がそのものが彼の生であったからに他ならない。
”世界と生とは一つである”(DIE WELT UND DAS LEBEN SIND EINS)
-ヴィトゲンシュタイン「論理哲学論考」-
最後にヴィトゲンシュタインの手紙から抜粋したい
-哲学を勉強することは何の役に立つのか。もし、論理学の深遠な問題などについてもっともらしい理屈がこねられるようになるだけしか哲学が君の役に立たないなら、また、もし哲学が日常生活の重要問題について君の考える力を進歩させないのなら哲学なんて意味ないじゃないか。”確実性”とか”蓋然性”とか、”認識”などについて、ちゃんと考えることは難しいことだと思う。けれども君の生活について、他人の生活について、まじめに考えること、考えようと努力することは哲学よりも難しいことなんだ。それは、学問的にははりあいのないことだし、まったくつまらないことが多い。しかし、そのつまらない時が、もっとも大切なことを考えているときなんだ-
試験で忙しい最中に君を煩わすことは私の本意ではない。また、仏教思想に興味を持ち始めたらしい君に、あえて、こういった極めて西洋的ともいえる(しかし、現代的な)思考を強いることは君にとって迷惑なことかもしれないと躊躇してはいる。
しかし、あえてアドルノについて再度言及することを許してほしい。「表層批評」はできるならしてほしくなかった。
しかし、君の返事に接して、再度、読み直し、理解したことが多くあった。この論文は戦後提出されたものでもその提言の重要性において最近とみに再検討がなされているものだ。
批判的に受けとめるにせよ、読解なしに表層だけで通りすぎるにはあまりにも深刻な問題提起を私は感じているのだが。
単に現代思想というだけで毛ぎらいすることなく君にも考えてもらいたい重要な論文である。冒頭に余計な書き込みをしたことがあるいは誤解をまねいたかもしれないが、動くものうつろいゆくものとは歴史的現象のことである。いうまでもここで論題となるアウシュビッツは歴史的事実(しかもわずか40年前の)である。
こうしたものが永遠なる理念とは無関係ではないということをアドルノは冒頭で述べているのである。君の文面を読むと一見アドルノに理解を示しているようでいて、歴史的に過去のものであるとして距離を置いているのが見て取れる。(・・・・私には戦争体験などないし・・・・)この距離がなくならない限りアドルノは理解できないであろう。
言っておくがアドルノはユダヤ人であるが、大戦中はアメリカに亡命してぬくぬくと生きのびたのである。
彼はアウシュヴィッツの当事者でない点で我々と何ら異なっていない。
アウシュヴィッツの記録に接すれば誰しもが戦慄をおぼえるであろう。そしていま、自分がこの魔手に関わらないで生きていることに密かに安心しつつも多少なりとも妙な呵責を感じるのではなかろうか。
アドルノは極度に敏感な感受性で自分の精神とひきかえにこれをえぐってみせたのである。それは単に主観的な独白ではない。いっさいの出来事の後(すなわち現在)だからこそ、客観的な契機をもって我々に関わってくることなのだ(P38下l10)
西洋形而上学が正・反・合の弁証法のスタイルをとることにより、常に肯定的実践(すなわち進歩)の思想をうながし、西洋近代を導いてきたことは我々非ヨーロッパ人の想像以上に強固な事実であるようだ。非同一的なものの抹殺によるイデオロギーが理性を利用するとどういうことになるのか。これが徹底化された形で示されたのがアウシュヴィッツなのである。形而上学を最も栄えさせたドイツ人によってこれが成し遂げられたことを無視すべきではない。
この虐殺は単なる野蛮とは異なる。
徹底したイデオロギー(一民族を完全に地上から抹殺すること)に貫かれたものであり、作業として殺人工場が機能したのである。この結果としての西欧における異常なまでの形而上学アレルギーは理解されねばならないと思う。日本において形而上学の根が浅かったのは良きにつけ悪しきにつけ確かだろう。南京大虐殺はアウシュビッツと比べるなら、やはり、性格的に異なるのではなかろうか。
しかし、このアレルギーがないことがそのまま、戦後の反省を欠く安直な姿勢につながっているように私には思えるのだが。
もちろん、形而上学のみを批判するには原因は複雑を極めているのであろうが、私の実践のための反省としての哲学、思想を君は述べるが確かに個人の実践において形而学批判をしてみたところで大した意味あいはないだろう。問題は社会全体がこうしたスタイルにはまっていくことである。私がヴィトゲンシュタインを引用したことを後になって失敗だったと思ったのはこの点での誤解を招いたからだ。(君は脱構築を始めとする現代思想をポストモダンとごっちゃに考えているみたいだね)
・・・・いまの社会はは傍観者をすっぽりと取り込んでいる以上、傍観者などいるわけなくかといって代替可能な人物というのはあまりいい考えではないと思う。たぶん私は私が死んだとき誰かが泣いてくれれば成仏できるしそれで代替可能ではないか・・・君はまだテキストを読解していない。
P39上l12を見てほしい-何百人もの人間に対する管理された虐殺とともに変質した死は、かつてこれほどまでに恐れられたことのないものになってしまった。ひとりひとりの人生経験のなかで、人生の動きとなんらかのかたちで一致するようなものとして死が現れる可能性はまったくなくなってしまった。個人は彼に残された最後の最もうらわびしいものである死奪されてしまった。
収容所において死んだのは個人ではなくサンプルであった
-アウシュヴィッツにおいては君の小市民的発想は否定されているのである。確かに平和な時代には、そういった発想は可能かもしれない。しかし、いみじくも、君が自分の死の可能性としてあげた核戦争の影をみのがしてはならない。核戦争の後に果たして君のために泣いてくれる人々は生き残っているだろうか?やはり、アドルノのいうように自我を除いた我々の社会的存在は確実に代替可能な方向へと進んでいはしまいか。それは確かにいい考えではなかろう。これに抵抗する自我のぎりぎりの叫びを君はテキストに見いだせないだろうか。
ヘーゲルの影響力をあなどってはならない。ヘーゲルを批判的にせよ受け継いだマルクスの思想がイデオロギー化して今や世界の半分を支配している現実を君はどう見るのであろうか。無反省な実証主義ははイデオロギーのかっこうの道具である。
(ここからp35)
応用科学を専攻する君だからこそ現代思想をなおざりにしてほしくないのである。
大韓航空を爆破した金賢姫にとって生は自己保存にどう関わってくるのであろうか。彼女をイデオロギーの犠牲者と見ることはできよう。しかし、彼女の生の罪科は生そのものと和解することのもはやできないものではなかろうか。(P41下段)
アドルノは言う。この罪科はどんな瞬間においても完全に意識に上ることのないものであるだけにたえず再生産されている。
金を立ち直らせるなどといって結婚を申し込むおめでたい連中はもちろんのこと彼女を好奇の目でながめる大衆にはこういった思弁がまったく欠けている。我々にとってのアウシュヴィッツとはなにか我々の生におけるアウシュヴィッツ的なものを見きわめることをアドルノは提起しているように思われる。(先週テレビで映画「ソフィーの選択」をやっていた。見ていないならヴィデオでもいいから見てほしい)
修学旅行ついでに広島を通りすぎる学生の目でアドルノを見てほしくない。過去を参照しつつ現代を見つめたいという君に対し、伝統といったあいまいな概念よりもまず、こうした反省的思弁の存在が現代思想に含まれていることを知ってもらいたかったのである。
アドルノはアルバン・ベルクに作曲をを学んだ芸術学者でもある。
彼の著した「美の理論」は我々にとって大きな課題の一つとなって
いる。
1989年
「永遠の賜」 山本君の紹介にもどる
投稿者 iida : 01:48 | コメント (0) | トラックバック
2004年02月22日
−全体ではなく部分の中で強力な科学精神−
山本和寛 著
1988年11月23日
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まずは、導入としてF. Nietzscheの引用を許してほしい。
−全体ではなく部分の中で強力な科学精神−
切り離された最も小さい科学の領域は、純粋に客観的に取り扱われる。ところが一般的な大きい科学は、全体として見るとなんのために?どんな利益のために?という問いーいうまでもなく至って客観的でない問いーを口に出す。こうして利益を顧慮するために科学は全体としては部分の場合より非個人的に扱われないのである。
ところで知のピラミッド全体の頂点としての哲学の場合となると、思わずも認識に最高の利益があるものと認めようとする魂胆を潜めている。だからあらゆる哲学の中にはあれほど多量の天翔る形而上学があり、つまらなく見える物理学の解決に対するあれほどの毛嫌いがあるのだ。なぜなら生に対する認識の意義はできる限り大きく見えるべきものだから。ここに科学の個々の分野と哲学との間の敵対関係がある。後者は芸術の欲するのと同じこと、つまり生活と行動にできる限りの深さと意義を与えようと欲する。前者にあっては認識を求めるだけでそれ以上なにも求めないーたとえどんな結果になろうとも。
その手のうちで哲学を認識弁護論にしてしまわなかったような哲学者は今までのところまだ、一人としていなかった。認識に最高有用性を認めねばならぬという、少なくともこの一点では、どんな哲学者も楽天的である。彼らはみな論理の暴虐に服している。そしてこの論理というやつはその本質上楽天論なのである。
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<<科学的の認識の起源はスコラ学の唯名論(nominalism)に始まる>>
こういった歴史主義的言説を目にすると君はいつかのようにやれやれといった面もちで哲学の帝国主義的還元のやぼったさをぐちるかもしれない。しかし私はなにもここで歴史的出どころをふりかざして話を展開させようという意図はない。18世紀的な意味での全人的認識体系を志向する哲学に対し近代以降に発展した個別領域の専門学の総称として科学という語を提示したいだけである。私が自然科学、人文科学、社会科学などと門切り型にあえて分類してみせたのもそうした意図があったからである。(もっとも人文学 humanitas
[フマニタス] という伝統ある美しい呼称に科などという無粋な字をはさみこんだのは別の意味での皮肉をこめていたからだが)
「専門化は結果ではなくすべての研究の進歩の原因」であるとするHeideggerの言葉を信じるならば、現代におけるこれほど細分化した学問の形態は必然であったともいえよう。さて”自然科学以外は科学と思っていない”という君にとって方法論的問題に関してまず自分の学問は一個の学問として成り立つという議論から始めなければならない人文・社会諸学における客観性とは自然科学の純然たる客観性からは区別されねばならないのであろうか?
ではその純然たる客観性とはいったいどんなもので何によって保証されているのか?こういったことを問い直すことから始めたい。
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君は自然科学者とは”したこと”や”あったこと”のうちに真実を見いだす人々であると定義し、人文学者を”言説のなかに真実を見いだす」人々として見なしているようだが、それが「言説」であるにせよないにせよ、ある著作、絵画、彫刻、建築、音楽を創り出すということ、そしてそれに感動するということは”したこと””あったこと”とはいえないのだろうか?君の方法論からすれば、人間の精神的文化的活動とはすべて言説というものにくくられて”したこと””あったこと”ではないことになってしまう。すなわち、世界とは物理法則という抽象観念のみが立ち働く場所であり、それによって説明されうるものが”したこと”や”あったこと”になるわけだろうか?こういった存在論的理屈をこねずとも君のいうことには十分反論することができる。たとえばある美術史学者がある作品の制作年代、作者を数々の実証(たとえば、制作契約書の発見)によって完璧なまでに証明したとする。このことは”したこと””あったこと”を証明したことにはならないのか?それは「言説」であって主観的なものであり、君が言うところの「ものの見方でいくつも結果がでること”なのだろうか?シャンポリオンがエジプトの象徴文字を解読したという事実を君の論法で疑いだしたらそれこそエジプト文明は地上に”あったこと”ではないことになりかねない。実証という客観性が自然科学の独占物であると考えるのは大間違いである。むろん、人文・社会諸学の目的とは本来こういった実証なのではない。しかし、”ものの見方でいくつも結果がでる”として”言説の中に真実を見いだす人々”と人文・社会諸学をわりきるのだけはやめていただきたい。少なくとも実証によって基礎を構築した後に人文・社会諸学の本来の考察が始まるということを忘れないでほしい。
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「したことやあったことに真実を見いだす人々ではなく、「したこと、あったことについて一つの説明を試みる人々」として自然科学者は自らが語りうる限界を自覚すべきであろう。次に、一部の無反省な科学者がおのれの客観性のほとんど唯一の拠り所としてすがっている(?)いや、その目的としているように見える実証について(少なくとも人文・社会諸学にとって実証は基礎であって目的ではない)検討してみる。君は「物理学者はある一定の事象を選択し、条件付けることによって定理など導き出さないし、それは物理学者の嫌っていることである。」と述べているが、物理学の門外漢にすぎぬ私はそういわれてしまえば、そうですかとしかいいようがないが、あえて質問してみたい。では古典物理学においてその方法をなしていた実験という行為をどう説明するのであろうか。実験とはある一定の事象を選択し、条件付けることではないと言えるのであろうか。
落下という事象を選択し、真空ポンプというもので空気を抜くという条件付けをしなければ例のガリレオの推測した法則は実証されないのではないのか?
われわれの生活世界における自然では物理法則そのままの現象など私には考えられない。科学の法則とは自然をある特殊な環境に人工的にへんかさせた時のみあらわれるものなのではなかろうか?
世界は物理法則に従っているのではなく人間が限定した条件において一律に変化させられているのではなかろうか?
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こういう言いかたをすることは、君が言うように「物理学者が嫌うこと」かもしれない。断片的な知識をかじり読みしたにすぎないが、たしかに量子力学以後、化学、生物学の一部すら素粒子論によって説明され、法則が普遍的になっていくという興奮を物理学者が味わっているのは私にも何となく理解できる。しかし、だからといって自分達がこれらの法則を日常世界からおそろしくかけ離れ、変形してしまった状況もしくは理論によってのみ導き出したものであることを無視すべきではなかろう。
こういった認識を欠いた無反省な科学者は実験室の中で成り立つ現象は外でも成り立つはずだと世界を空気ポンプで真空状態に変えようとするに等しいこと−世界の実験室化を始めるわけである。ファインマンにとって広島はおそらく格好の実験室であったに違いない。
ガリレイが<<私は精神によって捉える mente coucipio>>と言った時、またアインシュタインが『物理学はいかに創られたか』において<<この慣性の法則は実験から直接に導かれるものではなく、ただ観察と矛盾しない純粋の思索によってのみ得られる>>と言った時、そこには精神、あるいは純粋なる思索という「どんな対象に関心を持つべきか」といった価値基準があったはずである。それは「どんな有効な観測手段が利用可能か」という無反省な興味とは厳密に区別せねばならない。後者による興味のみが押し進められるならばHeideggerの指摘する次のような状況が生み出される
「近代の本質的現象であり、我々が考えていることの証拠とされがちである科学を考察すると、それは一定の軌道にのせられた迷いのない考え方の極端に走ったものであり、従ってそれは配慮的なものを抹殺する。科学は計算機のごとく考えないことを理想としている。」
こういった状況下では、科学自体が一つの言説−−考えないことを理想とする言説でなくてなんであろう。
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物理学的法則の客観性、普遍性とは少しで多くの人が考えないですむ状況を仮定したものなのだろうか?しかし、これほど専門化した知をすべての人々が理解できようはずがない。つまり、巨額の資金を投じた特殊な装置のもとで生じる異常な条件下で立ち現れる、もしくは推測される現象を物理学者が専門知をふりしぼって説明したものを人々は無批判に(つまり考えずに)客観性、普遍性として受け入れるわけである。多くの人々の場合、物理法則とは、それを理解せずとも生活世界に何らかの一定の作用を及ぼすことに有効であればそれでいいわけで、その作用とは生活世界をそれらの法則にしたがって作りかえていくこと(=自然開発)に他ならない。
物理学者が私の法則は普遍であるといったときその法則は、時間に左右されないというニュアンスを含んでいる。つまり、ある一定の条件を作り出せば、例えば、BC
3000年のエジプトに真空管を持ち込んだとしたら、物は同時に落ちるだろうということである。しかし、同時に、これは時間に対する物理法則の側面性を言い表している。つまり我々と世界とのactualな関わりの流れとしての時間(歴史)は、一定の法則性という視座におさまった物理学者の説明できるところではないということである。
物理学はまさに、このとき、この場所で成立した生き生きとした現象を記述できようか?−たとえそれが可能であったとしてもそれはおそらく無意味であろう。記述という行為自体が、時間という老人の娘である学の宿命であるとするなら、人文・社会諸学とは別の意味で科学もその限界を知るべきなのである。
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科学の志向する価値とは、君が言うところの「したこと、あったこと」を実証するのみに限定されるのだろうか?いや、科学も人間の精神活動の一つとして考えるなら、そうではなく、また、そうあってはならないと私は考える。無反省な興味がつき動かす、実証は自らを問わないことであたかも客観性なるものを保持しているようにふるまうが、こういった実証のいきつくところは考えないという白痴的世界でなくてなんであろうか?
考えるということは、対象に対する単なる興味から生じるものではなく、世界に対する関わり方(生きること)と切り離すことのできない世界に対する何らかの主体性をもった態度なのだといったら、理想主義的だといって嘲笑を買うかもしれない。
たしかに、生活世界とはそんなに単純なものではない。
”理論は実践のためにある”という言説には抗しがたい力がある。考えることを”理論”、生きることを”実践”と割りきり、考えることと生きることを一致させようとするこの手の言説は通俗的な意味での常識になっている。しかしそれは私に言わせるなら生きることと考えることの一致なのではなく生きることと考えることの癒着なのである。
この”理論とは実践のためにある”は裏をかえして言えば”実践とは理論のためにある”とかわるところはない。
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<<科学に罪はない、科学を悪用するものがいけないのだ>>
というもっともらしい言説は前述したように、科学自体が、世界を実験室に作り変えていこうとする魂胆を無意識に秘めているという点において、論駁されねばならない。科学は錬金術時代に頼っていた直観というものを放棄し、実証のみに安住するようになった時から世界を自分の法則に作りかえていこうとする野望(工学)と「ために」言葉を通じて癒着したのである。一般人が科学という言葉を聞いて自然科学と工学とを混同して連想するのはもっともなことなのだ。これらはわかちがたく癒着しているのだから。
長々と科学についてあれこれ言ったが、君が聞きたい肝心なことについてはほとんど答えていないように思うかもしれない。しかし、学問を大学という権威に寄生する人間の精神的活動の1つの形態として、文字通り、学び問うという姿においてとらえる観点から見ることは”生きることと考えること”といういささか漠然としたテーマにすこしでも具体性をもたせるものとして必要なことと思われる。
1つの手紙があまりに長くなっても散漫になるため、今回はこれで打ち切る。次回からは人文・社会学をその方法論を含めて、批判検討し、芸術について価値論を含めて、私の意見を展開させたい。
しかし、最終的に私がまとめたいものは”生きること”と”考えること”についての私見であることには変わりがないことはあらかじめことわっておく。
自然科学についての私の素人意見は君にとって聞き苦しいものであったかもしれない。しかし、これは最終的な論の一部であるということを考慮に入れて、言説の機能や性質においてではなく言説が指し示そうとしている内容において反応してほしい。
現在私は学校の発表と試験が近づき多忙である。
次回の手紙は12月中旬になるだろう
1988.11.23
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