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2005年05月30日
天使3 AutunのSAINT-LAZARE
オータンのサンラザールの天使は人気ものである。
進むべき道を示してくれているのだから。
タンパンの向かって左、天国側。
くわしくはこちらを。

AutunのSAINT-LAZAREの天使
ところでノーノという作曲家の曲「進むべき道はない。だが進まなければならない」という曲を思い出す。この曲のタイトルも中世の修道院の壁の書き込みだとか。いつの時代も進むべき道は悩ましいものなのでしょう。
投稿者 iida : 21:50 | コメント (0) | トラックバック
2005年05月28日
メールをいただきました。
フランス滞在中の日本の方からヴェズレーなどの彫刻の内容などをこのページを見て理解できた、とお知らせをいただきました。
うれしいおしらせありがとうございました。
その方のホームページをリンクします。ブルゴーニュ、ペリゴールなど旅行の記録が充実しています。
投稿者 iida : 23:13 | コメント (0) | トラックバック
2005年05月25日
天使2 クレルモンフェラン
キリスト者でない私にとってなんとなくなじめないのが6枚羽の天使。
クレルモンフェラン (Clermont-Ferrand)のNortre Dame du portのタンパンにはこのタイプの天使がキリストによりそっている。

投稿者 iida : 22:34 | コメント (0) | トラックバック
St. Benigne (Dijion)の天使
サンベニーニュ(ディジョン)の天使はロマネスク最初期の天使といっていいのでしょう。
クリプトの柱頭で私たちを待っています。

投稿者 iida : 01:12 | コメント (0) | トラックバック
2005年05月22日
ロマネスクへの旅 事の始まり
1986.10.14 山本君から飯田
ヨーロッパへ行きませんか?・・・といっても3年後。まずパリへ行ってルーヴルとオルセー、ポンピドーを一週間かけて見る。それから西へ行って北フランスのゴシック聖堂を見てまわる。麦畑の中のシャルトルなんかいいですね。ステンドグラスの神秘的輝き。アルザス・ロレーヌを抜けたらライン川に沿ってドイツの古城めぐり。ミュンヘンについたらノイエ・アルテのピナコークを見てノイシュバンシュタインにまで足をのばすロマンチック街道なんか最高ですね。次ぎに行くのはウィーンだ。(もしくはベルン)美術史美術館の壮麗な建築を見てからさらに南下レブレンナ峠を経てイタリアに入る。
ベネツィアで地中海を眺めた後は花の都フィレンツェでハイ・ルネッサンスをしのぶウフィツィ美術館をたずねる。アッピア街道を沿って南下し、聖地アッシジでジオットーの壁画に会うのもいいでしょう。そしていよいよ永遠の都ローマというわけです。時間と金があったらポンペイにも行きます。およそ1ヶ月をみていきます。毎月1万円ためて36万
夏にがんばれば50万はたまる。むこうで飛行機を使わない汽車と徒歩の旅ですから十分足りると思う。仏語と独語をそれまでに会得しよう。
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当時はまだロマネスクにそれほどフォーカスがあたってなかった。
パリ ルーヴル、オルセー、ポンピドー オルセーは改装中だった。あとはOK
シャルトルもOK
アルザス・ロレーヌ 行かなかった。
ドイツも行かなかった
ウィーンもいかなかった(後日家人と訪問)
イタリア アッシジ以外は行った。
旅行記1、旅行記2
投稿者 iida : 23:05 | コメント (0) | トラックバック
2005年05月20日
サモトラケのニケ Nike
リファレンスとしての古代彫刻2
サモトラケのニケ
この彫刻の美しさは翼を広げたなびく衣服から風を見ることができることにつきる。
そして船の舳先にあまりにぴったりである。

ニケ Nike
人間+翼 は天使の原型といってよいのだろうか?
当時のギリシャではどのようなエピソードがあったのか、残念ながらしらべていない。webでみてもたいした情報はなかった。
ミロのビーナスと続いてこのようなギリシャ彫刻を見るとロマネスクの世界は芸術というよりマンガの世界という感じがする。ロマネスクは工芸品であって芸術ではない、という言い方がしっくりくるか。ゴシックは標準規格であるISOを思い出させる。
私の友人の山本君はギリシャ彫刻は冷たい感じがしてそれほど好きではない、と高校時代バス停に向かう道で歩きながら話していたことを思い出す。
投稿者 iida : 23:19 | コメント (0) | トラックバック
2005年05月15日
ミロのヴィーナス Vénus de Milo
リファレンスとしての古代彫刻
ミロのヴィーナスがロマネスク彫刻に直接エコーしているわけではない。
しかし、彫刻がギリシャー>ローマと経てきたことを考えるとみておかないわけにいかない。Romanesqueの言葉の由来がRoma建築や彫刻の劣った模倣と言う意味で使われたのならば。図像の類似性という概念だけで図像系譜を語るのは微生物形態だけで微生物の分類をおこなってきた微生物学を思い出させる。しかし石の中にはDNAはない。ギリシア彫刻には当時の文献もないようだ。ローマ彫刻は当時の文献はどのくらいあるのだろうか?考慮に値する資料は何があるだろうか?とは思うものの、専門家でない私にはひどく難しい。せいぜい写真をならべ注意することだけである。
それはともかく読者諸兄よ、あまりにミロのヴィーナスは美しいではないか。
これも宗教表現だったと聞く。こういうのがごろごろしていたギリシア文化の総体というのは想像もつかない。

ミロのヴィーナス Vénus de Milo
重心、人体表現、布地の表現などをみておく必要がある。
*2005/05/20 写真を更新
投稿者 iida : 23:43 | コメント (0) | トラックバック
2005年05月12日
Vézelay ヴェズレー 外側2
身廊の外側
内側から見たので外側からも見ておきましょう。

Vézelay身廊を外側から
内陣と比較されるとよくわかると思います。
壁の厚さ、窓の小ささ、フライングバットレスのごつさ、などロマネスク期には安全係数が高めか、あるいは工法が下手で崩れるため石が厚いのかもしれない。
技術的な所に興味あるのだが私には調べようがない。
またViollet-le-Ducの手がどれだけはいったのか、によっても考え方はかわると思います。
投稿者 iida : 00:00 | コメント (0) | トラックバック
2005年05月08日
Vézelayの身廊の壁と窓
身廊の外側を紹介する前に内側のよい写真があったので紹介しましょう。
Vézelay(ヴェズレー)の身廊部の窓の広さは内陣と比べると格段に狭い。内陣の窓は柱を挟んで窓をあけることができていると比べてもらえればよりはっきりする。
これがロマネスク期の様式とともに工法の限界だったのだろう。
このことがVézelayにはいると身廊が暗く内陣が明るいという光のグラジエント効果を生み出している。進行方向が明るいというのは美しく見える効果があり、人生上のアナロジーとしては将来への希望につながるではないか。
ゴシック期の教会は身廊部分も明るいのでもっと全体が明るい。ロマネスク教会にはいると真っ暗でそのことがより厳かな雰囲気にさせているように感じられる構造上の原因である。
こちらでも以前紹介したが今回はもうすこし窓をたくさん見える写真を用意した。

Vézelayの身廊の壁と窓
窓の形、壁の厚さをゴシックとの違いからみてもらえるとより特徴がはっきりする。
集合柱の様式もゴシック期のものでは柱が密集しているように演出している。ロマネスク期のこの写真では数本である。これはまた写真が見つかったときに。
次回はこの身廊の外側を紹介しましょう。
投稿者 iida : 10:33 | コメント (0) | トラックバック
2005年05月04日
Vézelayの内陣(choir)
ヴェズレーの内陣については以前紹介しましたが、もう一度。
構造上の名前

身廊からみた内陣(choir)
注目したいのはロマネスク期の太い身廊ヴォールトがゴシック時代に入って細くなったこと。
石でできた重い天井である。
では身廊部分の外側の構造はロマネスク期ではどう工夫していたのか?
また次回に。