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2004年02月18日
ホイジンガ
以前(1998/01/11)の記述を再編集してweblogに移行させます。ちょっと長いのですが。
ホイジンガによむ同時代の著作家 その1
ホイジンガは20世紀初頭の歴史思想家、美術史家である。オランダ人。彼はドイツのナチの政権掌握に警世の書をだした。それが「朝の影の中に」(中公文庫、堀越孝一訳)である。他の本では「中世の秋」が有名。
オルテガの「大衆の反逆」とともにこの本を読むと元気になれるので、よく読んでいる。いまやこの本はくたくたになりかけている。また戦後書かれたアドルノと対にして読むと面白い。
私の気になる人々のことを彼も書いている。たとえばリルケ、ニーチェなど。ちょっと抜き出してみよう。
以前も指摘したが第9章「生の礼拝」にリルケのことが出てくる。
『おどろくべき迷妄ではある。人々は、知識、理解にはげしくおそいかかる。ところが、いつもきまって生半可な知識、誤解にたよってのことである。・・・ことばはすべて知識をふくんでいる。生それ自体との直接の接触にはいろうと、とりわけ熱心につとめている詩にしてからが(私の脳裏にあるのはホイットマンであり、また、リルケの詩句である)、一個の精神形式、すなわち知識であることに変わりはないのだ。・・・』
そして第18章「理性と自然を排除する美的表現」(p172)
『・・・詩が、ここに、精神によって事物の根底にふれるという、そのもっとも本質的な機能を、以前にもましてより高度に発揮するであろうことは。・・・詩は理性から離れた。・・・さほど詩的感受性にめぐまれていないものにとっては、リルケやポール・ヴァレリーはよくわからない。そのわからなさかげんは、とうていゲーテやバイロンとその同時代人との関係の比ではないのである。』
というわけでリルケの「マルテの日記」の例のウエーベルンが曲(op 8)をつけた詩を次に。
ホイジンガによむ同時代の著作家 その2
昨日のべたリルケの詩。「マルテの日記」に出てくる詩を二つ楽しんでみましょう。(望月市恵 訳 岩波文庫)マルテはあるパーティ会場に来ています。そこにデンマーク出身の女性がいて目が合ったところです。そこにパーティに来ていた皆が女性に歌をせがみます。マルテの意に反して彼女は歌い出します。
1
君思うたびゆりかごにゆらるるごとく
美し(うまし)疲れのおぼゆる。
臥床(ふしど)に涙して目ざめしことを
君に告げざらまし。
わがために眠らざる夜あるも
秘めて告げざる君、
この美しき渇きを
癒すことなく
心に秘めばや。
相思う二人を見ずや、
心をつぐれば
偽りのあるを。
2
思いてひとりのいや増すは君のみ。姿を変えしめるのは君ひとり。
しばし姿をとどめ、いつしか枝のそよぎと聞こえ、
悔いを残さぬ香りとにおう。
ああ、ちぎりし者みな去りぬ。
君のみあらたに生まれてやむことなし。
君をとどめしことなければ、君を失う日もあらじ。
いかがですか?あなたには詩心はありましたか?ほんとはドイツ語でやりたいですね!ウエーベルンのCDを買えばドイツ語で聞けますよ。
こちらはずっと以前にアップした「豹」という詩。映画「レナードの朝」でキーになる場面に出てきた詩です。これが私のファーストリルケショック。そのころは私はまだこのようにさまざまな芸術家、著作家が響き合う地平にはいなかった。どうしてこのころの作品にひかれるのでしょうね。
リルケの他の有名な詩はドゥイノの悲歌などがあります。
ホイジンガは同時代の芸術・文化にも強い関心を抱いていたことがわかります。
ホイジンガによむ同時代の著作家 その3
一方ゲーテの方ですが、ホイジンガがリルケとの引き合いで難しいと言っているだけで今のところコメントを見つけていないので、かわりにゲーテの詩が出てくるミラン・クンデラの小説を引き合いに出しましょう。
私の好きな小説家ミランクンデラの「不滅」には、ゲーテ君とベッティーナちゃんの話が語られるのですが当然それにコメントしたリルケ氏も引き合いに出されます。まあ、それはおいておいて、この小説は一時期読むのをやめていた私に小説を読む楽しさを思い出させてくれた本です。小説やクラシック音楽の一つの価値は再体験が楽しいことですが、これはまさしくそれを満たす一冊。
この小説のキーにはゲーテの次の詩が使われています。
旅人の夜の歌
山々の頂に
憩いあり、
木々の梢に
かそけき風の
そよぎもなく。
小鳥は森で黙すのみ。
待てよかし、やがては
汝にも憩い来たらん。
どうですか?描写はビジュアルに展開されますね。詩想は単純です。森はしずかだ。あなたも静かに休めるでしょう、と。
上の小説ではこれは美しいドイツ語の詩として主人公に解釈されるのですが、これは主人公の父が死ぬときにリフレインであらわれて力強い表現を勝ち得ます。すなわち主人公は父と幼年時代にこの詩を読み、野原を歩く場面が描写されます。しかし後年その父の死の場面で、2人の思い出深いこの詩を読み合います。そのとき、主人公はこの詩にこめられた死の情景にはじめて気付き、父が死を理解していることを突然悟ります。
上の小説にはこの詩の韻のふみかたの解析もしてあってとても面白いです。
これはまさに交響的なもの、という意味は、部分は全体で、全体は部分であるというヨーロッパ芸術のテーゼを体現しています。そのため再読がおもしろく、さまざまな場面が交錯しています。
さて詩の評価を、この詩だけで決めるわけにはまいりませんが、リルケの3編に比べればあきらかにわかりやすいですね。
ではホイジンガは詩についてどう考えているでしょうか?
第18章「理性と自然を排除する美的表現」より
『あらゆる時代の詩芸術には、つねに理性的脈絡がむすびついている。詩が狂気没我の域にまで高められた場合でも、それに変わりはない。詩の本質は想像力における美であるとはいっても、詩はそれを言葉によって、ということはすなわち思想として表現するのである。・・・想像力がいかに高く翔ようとも、詩のキャンバスは、論理的に表現された思想なのである。
・・・実に18世紀の奥深く、ロマンティシズムの台頭を見るまで、詩と理性の釣合の関係は、ほとんどくずれていないと見てよいのである。・・・詩芸術がようやく理性的脈絡を意識的に放棄するにいたったのは、この世紀末葉にいたってからのことであった。大詩人たちは論理による理解可能性という基準を詩からはぎとった。・・・じゅうぶん考えられるところであろう、詩が、ここに、精神によって事物の根底にふれるという、そのもっとも本質的な機能を、以前にもましてより高度に発揮するであろうことは。』
リルケにかぎらずシェーンベルクらに使われた表現主義の詩(ヒルデガルド・ヨーネ、アルベール・ジロー、ゲオルゲ)がいかに難解なのかはようやくここで納得できました。ただ、ホイジンガとさらに対話を続けるためにこれら歴史の検証作業をしてみたいですね!
最後にふたたびゲーテで今日はしめましょう。(ドイツ詩集 片山 敏彦著)
悲しみの歓喜
な渇きはてそ かぎりなし
愛の思いゆ 湧くなみだ
なかば渇きし まみにこそ
世は荒れはてて 見ゆるなれ
な乾きはてそ さちうすき
愛の思いゆ 湧くなみだ
ホイジンガによむ同時代の著作家 その4
次はわれらがニーチェ。ニーチェは死後ではあったがナチスに利用されたのである。記述は第15章ヒロイズムにでてくる(p146)。
『ニーチェ・・・精神の格闘を通じて、人間の至高の価値についての思念を展開した。生の価値についてのつきつめた懐疑を通って、ニーチェは、英雄の理想を宣明するにいたったのである。ここに英雄の理想は、国家組織とか社会共同体とかと呼ばれるものすべてを遠く背後に残し、精神の領域の高みへとのぼった。幻想の予言者の理念であり、詩人や賢者のものである。・・・
ヒロイズム理想の腐敗は、1890年頃、ひろい範囲にわたってみられたニーチェ哲学の皮相な流行に起因しているのであって・・・世紀末の凡愚の徒は、あたかも偉大な兄弟と目するかのように、「超人」についてかたった。このニーチェの思想の時ならぬ大衆化こそ、うたがいなくこんにちヒロイズムをもって宣伝の具とし、政治のプログラムと持ち上げようとする思潮の起源となったのである。
・・・この英雄という栄誉の名辞は・・・聖人という言葉同様、つねに、ただ死者に対してのみ向けられてきたのである。それは生者から死者に対して贈られる感謝のしるしであった。戦いに赴くのは、英雄になろうとしてのことではなかった、義務を果たそうとしてのことだったのである。』
この義務という概念はホイジンガにあっては非常に強力な概念で、義務に従わねばならないといいきる。戦争は反対だが兵士としての義務は果たさねばならないと考えていたようだ。私はソクラテスが悪法もまた法なりといってしんでいったのを思い出すがつながるだろうか?それからノブレス・オブリージュという概念がある。高貴なる者の義務という意味か。大衆論は基本的には自分が高貴であろうとしなさい。そしてうまくいかないときでも投げ出さずになんとか解決策を見いだしなさい、というのをいろいろな先達の行動をあげつつ(=伝統概念?)のべていくものだと思うが、情緒的な解釈だろうか。
ニーチェのツァラトウストラの「山上の木」よりの引用
『・・・高貴なものは、万人にとっての邪魔者だということを知らなければならない。
善人たちにとっても、高貴な者は、邪魔者なのだ。・・・
高貴な者は新しいものを求め、一つの新しい徳を創造しようとする。善人のほうは、古いものを愛し、古いものが保持されることを願うものだ。
しかし、高貴な者の危険をいうなら、それは善人になることより、むしろ鉄面皮な者、冷笑する者、否定するものとなることだ。
・・・あなたの魂のなかの英雄を投げ捨てるな!あなたの最高の希望を聖なるものとして保ってくれ!』
とある。ここにはニーチェのもつ思想の危険性をみずから示している。さらに詳しくは山本君の書いた文章を参照してください。
ニーチェときたらやっぱりアドルノを引き合いに出したいものです。ミニマ・モラリア(三光長治 訳、法政大学出版局)より
『道徳のためにひとこと
ニーチェが古来の偽りを攻撃するために唱えた背徳主義にしても、歴史の判決を免れるものではない。宗教とまぎれもなく宗教の世俗版である哲学が解体するとともに、節制を目的にしたさまざまの禁制は確かな裏付けのある実体性を失った。・・・まだ、みんなに行き渡るほど十分にものがないのだから辛抱しなければいけないというお説教にもある程度の根拠があった。・・・つい目と鼻の先で物資のありあまっている現状からすれば節制を強いられた当の市民にしても節約なぞということは余計なお題目のように思わざるを得ないのである。ニーチェの君主道徳に含まれていた、生きるためにはつかみ取りをしなければいけないという考えは、19世紀の牧師のお説教よりも見え透いた嘘になってしまった。・・・今日における高貴の美徳は、他人に先じて美味い取り分にありつくことにはないであろう。むしろ取ることにうんざりして、ニーチェにおいては精神化された形でしか出てこない「贈り与える徳」を現実に実行することにあるだろう。80年前に生を存分に謳歌することには自由主義下の抑圧にたいして抵抗するという意味があった。しかし現今では禁欲主義の理想が、気違いじみた経済の利潤追求に対する抵抗という点でもっと大きな意味を持っている。』
と当時の社会と現在(1945年のアメリカ)を経済的な違いから考察し、「社会に反抗して生きる」というありかたの違い浮き彫りにしています。ホイジンガが1930年代中盤にヨーロッパでニーチェについて教訓的な生き方の知恵として考察したことと亡命してアメリカに渡ったアドルノとはこのように違うわけです。(ミニマ・モラリアってこんなに面白い本だったのね。)
『ニーチェの「贈り与える徳」より
あなた方はまだあなた方自身を探し求めなかった。そこでたまたま、私を見いだすことになった。信仰者とはいつもそうしたものだ。だから、信仰するといってもたいしたことはない。
いま、私があなたがたに求めることは、私をすて、あなた方自身を見いだせということだ。』
ホイジンガはニーチェの思想についてよりもニーチェの思想を利用したものへの怒りを露わにしている。もうすこしホイジンガとニーチェの関係を探りたいがあいにくここまで。後日チャンスがあればそのときまた。
あすは短く絵画について述べます。
ホイジンガによむ同時代の著作家 その5
あなたは同時代の芸術を愛好しているだろうか?画家ではだれがすきだろうか?作曲家はだれが好きだろうか?芸術家というのはだれでもミケランジェロや、セザンヌ、パウル・クレー、あるいはモーツアルトやベートーベンといった亡霊と比べられているのである。比較的近代ではあるがそれら亡霊がまだ肉体を所有し、その創作にいかしていたころ、はたしてどれだけ評価されていたのだろうか?ただ私としては過去の作品をしった判定者がどのような評価をしているのかというところにしか興味がない。なぜなら、訓練された、あるいは、理解しようとしている者にしか届かないメッセージだってあるのだ。
「ある作品を真に愛する人たちというのは、その作品の内面および彼ら自身の内心をながめるに、少なくともその作品を作るのに用いたと同じほどの欲望と時間を消費するもののことだ。」「だが、その作品をおそれ、その作品から逃げている人たちの方が功利的だ」(ポール・ヴァレリー)
ホイジンガはどの程度現代芸術(彼から見た)を見通していたのだろうか?
『絵画および音楽(p175)
詩芸術における理性の放棄に照応するのが、造形美術における現実の視覚的形態の忌避である。芸術は自然を模倣する、とアリストテレスはいい、彼以後、幾世紀ものあいだ、このドグマは揺らぐことはなかった。・・・印象主義といえども、この目が見、精神がそれと認知する現実の形態との関わり合いを、けっして放棄してしまったわけではないのである。
ゴヤとオディロン・ルドンとを結ぶ線は、さらにカンディンスキー、モンドリアンといった画家たちにつながる。彼等は自然のオブジェ、かたちある事物をはっきりと画家ではすてさり、作られるべき形を求める。ここにかれらの芸術は、人々に普通にそなわる認識手段との結びつきを、いっさい放棄するのである。イメージという概念が、その従来の意味を失うのである。』
カンディンスキーはシェーンベルクと同時代に抽象画へと突入していく。彼の絵は当時まだ最先端の絵だったはずだ。モンドリアンも同様である。ここにゴヤや前世紀のルドンから外挿線をひいているのだ。ゴヤやルドンの評価はどれだけだったのだろうか?もちろん今日ではそれらの距離は近いことが論じられているが、うまれてまだ10年程度のどんどん変遷をしていくカンディンスキーやモンドリアンの絵に共通点を見いだしている。今日、それは可能であろうか?
では音楽は?ホイジンガは?
『ワグナーから無音階音楽にかけてひかれる線が、すでに見た詩と絵画の場合と同種の文化の歩みを示す第三のしるしといえるかどうか、この点については、なにしろ専門的な知識に欠けているので、私は判断を保留せざるを得ない。』
残念ながらかれはそういうことは語っていない。新ウイーン楽派や他の音楽についてどう思っているのだろうか?
ホイジンガはかなり現代芸術にも気をくばっており、それは19世紀から続く様式喪失と非理性化の時代と位置づけているのだ。ただし、かれはこれらには批判的ではない。
『かかる破壊的諸要因の協働によく対抗しうる釣合の力は、これを至高の倫理的、形而上的諸価値のうちにのみ求めることができよう。理性への回帰というだけでは渦から抜け出し得ないのである。』
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投稿者 iida : 2004年02月18日 00:56
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