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2004年02月22日

−全体ではなく部分の中で強力な科学精神−



山本和寛 著
1988年11月23日



 まずは、導入としてF. Nietzscheの引用を許してほしい。


−全体ではなく部分の中で強力な学精神−


切り離された最も小さい科学の領域は、純粋に客観的に取り扱われる。ところが一般的な大きい科学は、全体として見るとなんのために?どんな利益のために?という問いーいうまでもなく至って客観的でない問いーを口に出す。こうして利益を顧慮するために科学は全体としては部分の場合より非個人的に扱われないのである。


ところで知のピラミッド全体の頂点としての哲学の場合となると、思わずも認識に最高の利益があるものと認めようとする魂胆を潜めている。だからあらゆる哲学の中にはあれほど多量の天翔る形而上学があり、つまらなく見える物理学の解決に対するあれほどの毛嫌いがあるのだ。なぜなら生に対する認識の意義はできる限り大きく見えるべきものだから。ここに学の個々の分野と哲学との間の敵対関係がある。後者は芸術の欲するのと同じこと、つまり生活と行動にできる限りの深さと意義を与えようと欲する。前者にあっては認識を求めるだけでそれ以上なにも求めないーたとえどんな結果になろうとも。


その手のうちで哲学を認識弁護論にしてしまわなかったような哲学者は今までのところまだ、一人としていなかった。認識に最高有用性を認めねばならぬという、少なくともこの一点では、どんな哲学者も楽天的である。彼らはみな論理の暴虐に服している。そしてこの論理というやつはその本質上楽天論なのである。



<<科学的の認識の起源はスコラ学の唯名論(nominalism)に始まる>>


 こういった歴史主義的言説を目にすると君はいつかのようにやれやれといった面もちで哲学の帝国主義的還元のやぼったさをぐちるかもしれない。しかし私はなにもここで歴史的出どころをふりかざして話を展開させようという意図はない。18世紀的な意味での全人的認識体系を志向する哲学に対し近代以降に発展した個別領域の専門学の総称として科学という語を提示したいだけである。私が自然科学、人文科学、社会科学などと門切り型にあえて分類してみせたのもそうした意図があったからである。(もっとも人文学 humanitas
[フマニタス] という伝統ある美しい呼称に科などという無粋な字をはさみこんだのは別の意味での皮肉をこめていたからだが)


 「専門化は結果ではなくすべての研究の進歩の原因」であるとするHeideggerの言葉を信じるならば、現代におけるこれほど細分化した学問の形態は必然であったともいえよう。さて”自然科学以外は科学と思っていない”という君にとって方法論的問題に関してまず自分の学問は一個の学問として成り立つという議論から始めなければならない人文・社会諸学における客観性とは自然科学の純然たる客観性からは区別されねばならないのであろうか?


 ではその純然たる客観性とはいったいどんなもので何によって保証されているのか?こういったことを問い直すことから始めたい。


 君は自然科学者とは”したこと”や”あったこと”のうちに真実を見いだす人々であると定義し、人文学者を”言説のなかに真実を見いだす」人々として見なしているようだが、それが「言説」であるにせよないにせよ、ある著作、絵画、彫刻、建築、音楽を創り出すということ、そしてそれに感動するということは”したこと””あったこと”とはいえないのだろうか?君の方法論からすれば、人間の精神的文化的活動とはすべて言説というものにくくられて”したこと””あったこと”ではないことになってしまう。すなわち、世界とは物理法則という抽象観念のみが立ち働く場所であり、それによって説明されうるものが”したこと”や”あったこと”になるわけだろうか?こういった存在論的理屈をこねずとも君のいうことには十分反論することができる。たとえばある美術史学者がある作品の制作年代、作者を数々の実証(たとえば、制作契約書の発見)によって完璧なまでに証明したとする。このことは”したこと””あったこと”を証明したことにはならないのか?それは「言説」であって主観的なものであり、君が言うところの「ものの見方でいくつも結果がでること”なのだろうか?シャンポリオンがエジプトの象徴文字を解読したという事実を君の論法で疑いだしたらそれこそエジプト文明は地上に”あったこと”ではないことになりかねない。実証という客観性が自然科学の独占物であると考えるのは大間違いである。むろん、人文・社会諸学の目的とは本来こういった実証なのではない。しかし、”ものの見方でいくつも結果がでる”として”言説の中に真実を見いだす人々”と人文・社会諸学をわりきるのだけはやめていただきたい。少なくとも実証によって基礎を構築した後に人文・社会諸学の本来の考察が始まるということを忘れないでほしい。



 「したことやあったことに真実を見いだす人々ではなく、「したこと、あったことについて一つの説明を試みる人々」として自然科学者は自らが語りうる限界を自覚すべきであろう。次に、一部の無反省な科学者がおのれの客観性のほとんど唯一の拠り所としてすがっている(?)いや、その目的としているように見える実証について(少なくとも人文・社会諸学にとって実証は基礎であって目的ではない)検討してみる。君は「物理学者はある一定の事象を選択し、条件付けることによって定理など導き出さないし、それは物理学者の嫌っていることである。」と述べているが、物理学の門外漢にすぎぬ私はそういわれてしまえば、そうですかとしかいいようがないが、あえて質問してみたい。では古典物理学においてその方法をなしていた実験という行為をどう説明するのであろうか。実験とはある一定の事象を選択し、条件付けることではないと言えるのであろうか。


 落下という事象を選択し、真空ポンプというもので空気を抜くという条件付けをしなければ例のガリレオの推測した法則は実証されないのではないのか?


われわれの生活世界における自然では物理法則そのままの現象など私には考えられない。科学の法則とは自然をある特殊な環境に人工的にへんかさせた時のみあらわれるものなのではなかろうか?


 世界は物理法則に従っているのではなく人間が限定した条件において一律に変化させられているのではなかろうか?



 こういう言いかたをすることは、君が言うように「物理学者が嫌うこと」かもしれない。断片的な知識をかじり読みしたにすぎないが、たしかに量子力学以後、化学、生物学の一部すら素粒子論によって説明され、法則が普遍的になっていくという興奮を物理学者が味わっているのは私にも何となく理解できる。しかし、だからといって自分達がこれらの法則を日常世界からおそろしくかけ離れ、変形してしまった状況もしくは理論によってのみ導き出したものであることを無視すべきではなかろう。


 こういった認識を欠いた無反省な科学者は実験室の中で成り立つ現象は外でも成り立つはずだと世界を空気ポンプで真空状態に変えようとするに等しいこと−世界の実験室化を始めるわけである。ファインマンにとって広島はおそらく格好の実験室であったに違いない。


 ガリレイが<<私は精神によって捉える mente coucipio>>と言った時、またアインシュタインが『物理学はいかに創られたか』において<<この慣性の法則は実験から直接に導かれるものではなく、ただ観察と矛盾しない純粋の思索によってのみ得られる>>と言った時、そこには精神、あるいは純粋なる思索という「どんな対象に関心を持つべきか」といった価値基準があったはずである。それは「どんな有効な観測手段が利用可能か」という無反省な興味とは厳密に区別せねばならない。後者による興味のみが押し進められるならばHeideggerの指摘する次のような状況が生み出される



「近代の本質的現象であり、我々が考えていることの証拠とされがちである科学を考察すると、それは一定の軌道にのせられた迷いのない考え方の極端に走ったものであり、従ってそれは配慮的なものを抹殺する。科学は計算機のごとく考えないことを理想としている。」


こういった状況下では、科学自体が一つの言説−−考えないことを理想とする言説でなくてなんであろう。



 物理学的法則の客観性、普遍性とは少しで多くの人が考えないですむ状況を仮定したものなのだろうか?しかし、これほど専門化した知をすべての人々が理解できようはずがない。つまり、巨額の資金を投じた特殊な装置のもとで生じる異常な条件下で立ち現れる、もしくは推測される現象を物理学者が専門知をふりしぼって説明したものを人々は無批判に(つまり考えずに)客観性、普遍性として受け入れるわけである。多くの人々の場合、物理法則とは、それを理解せずとも生活世界に何らかの一定の作用を及ぼすことに有効であればそれでいいわけで、その作用とは生活世界をそれらの法則にしたがって作りかえていくこと(=自然開発)に他ならない。


 物理学者が私の法則は普遍であるといったときその法則は、時間に左右されないというニュアンスを含んでいる。つまり、ある一定の条件を作り出せば、例えば、BC
3000年のエジプトに真空管を持ち込んだとしたら、物は同時に落ちるだろうということである。しかし、同時に、これは時間に対する物理法則の面性を言い表している。つまり我々と世界とのactualな関わりの流れとしての時間(歴史)は、一定の法則性という視座におさまった物理学者の説明できるところではないということである。


 物理学はまさに、このとき、この場所で成立した生き生きとした現象を記述できようか?−たとえそれが可能であったとしてもそれはおそらく無意味であろう。記述という行為自体が、時間という老人の娘であるの宿命であるとするなら、人文・社会諸学とは別の意味で科学もその限界を知るべきなのである。



 科学の志向する価値とは、君が言うところの「したこと、あったこと」を実証するのみに限定されるのだろうか?いや、科学も人間の精神活動の一つとして考えるなら、そうではなく、また、そうあってはならないと私は考える。無反省な興味がつき動かす、実証は自らを問わないことであたかも客観性なるものを保持しているようにふるまうが、こういった実証のいきつくところは考えないという白痴的世界でなくてなんであろうか?


 考えるということは、対象に対する単なる興味から生じるものではなく、世界に対する関わり方(生きること)と切り離すことのできない世界に対する何らかの主体性をもった態度なのだといったら、理想主義的だといって嘲笑を買うかもしれない。


 たしかに、生活世界とはそんなに単純なものではない。


 ”理論は実践のためにある”という言説には抗しがたい力がある。考えることを”理論”、生きることを”実践”と割りきり、考えることと生きることを一致させようとするこの手の言説は通俗的な意味での常識になっている。しかしそれは私に言わせるなら生きることと考えること一致なのではなく生きることと考えることの癒着なのである。


 この”理論とは実践のためにある”は裏をかえして言えば”実践とは理論のためにある”とかわるところはない。



<<科学に罪はない、科学を悪用するものがいけないのだ>>


というもっともらしい言説は前述したように、科学自体が、世界を実験室に作り変えていこうとする魂胆を無意識に秘めているという点において、論駁されねばならない。科学は錬金術時代に頼っていた直観というものを放棄し、実証のみに安住するようになった時から世界を自分の法則に作りかえていこうとする野望(工学)と「ために」言葉を通じて癒着したのである。一般人が科学という言葉を聞いて自然科学と工学とを混同して連想するのはもっともなことなのだ。これらはわかちがたく癒着しているのだから。


 長々と科学についてあれこれ言ったが、君が聞きたい肝心なことについてはほとんど答えていないように思うかもしれない。しかし、学問を大学という権威に寄生する人間の精神的活動の1つの形態として、文字通り、学び問うという姿においてとらえる観点から見ることは”生きることと考えること”といういささか漠然としたテーマにすこしでも具体性をもたせるものとして必要なことと思われる。


 1つの手紙があまりに長くなっても散漫になるため、今回はこれで打ち切る。次回からは人文・社会学をその方法論を含めて、批判検討し、芸術について価値論を含めて、私の意見を展開させたい。


 しかし、最終的に私がまとめたいものは”生きること”と”考えること”についての私見であることには変わりがないことはあらかじめことわっておく。


 自然科学についての私の素人意見は君にとって聞き苦しいものであったかもしれない。しかし、これは最終的な論の一部であるということを考慮に入れて、言説の機能性質においてではなく言説が指し示そうとしている内容において反応してほしい。


 現在私は学校の発表と試験が近づき多忙である。


 次回の手紙は12月中旬になるだろう



1988.11.23


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投稿者 iida : 13:46 | コメント (0) | トラックバック

2004年02月18日

ホイジンガ

以前(1998/01/11)の記述を再編集してweblogに移行させます。ちょっと長いのですが。

ホイジンガによむ同時代の著作家 その1

 ホイジンガは20世紀初頭の歴史思想家、美術史家である。オランダ人。彼はドイツのナチの政権掌握に警世の書をだした。それが「朝の影の中に」(中公文庫、堀越孝一訳)である。他の本では「中世の秋」が有名。

 オルテガの「大衆の反逆」とともにこの本を読むと元気になれるので、よく読んでいる。いまやこの本はくたくたになりかけている。また戦後書かれたアドルノと対にして読むと面白い。

 私の気になる人々のことを彼も書いている。たとえばリルケ、ニーチェなど。ちょっと抜き出してみよう。

以前も指摘したが第9章「生の礼拝」にリルケのことが出てくる。

『おどろくべき迷妄ではある。人々は、知識、理解にはげしくおそいかかる。ところが、いつもきまって生半可な知識、誤解にたよってのことである。・・・ことばはすべて知識をふくんでいる。生それ自体との直接の接触にはいろうと、とりわけ熱心につとめている詩にしてからが(私の脳裏にあるのはホイットマンであり、また、リルケの詩句である)、一個の精神形式、すなわち知識であることに変わりはないのだ。・・・』

そして第18章「理性と自然を排除する美的表現」(p172)

『・・・詩が、ここに、精神によって事物の根底にふれるという、そのもっとも本質的な機能を、以前にもましてより高度に発揮するであろうことは。・・・詩は理性から離れた。・・・さほど詩的感受性にめぐまれていないものにとっては、リルケやポール・ヴァレリーはよくわからない。そのわからなさかげんは、とうていゲーテやバイロンとその同時代人との関係の比ではないのである。』

というわけでリルケの「マルテの日記」の例のウエーベルンが曲(op 8)をつけた詩を次に。

ホイジンガによむ同時代の著作家 その2

 昨日のべたリルケの詩。「マルテの日記」に出てくる詩を二つ楽しんでみましょう。(望月市恵 訳 岩波文庫)マルテはあるパーティ会場に来ています。そこにデンマーク出身の女性がいて目が合ったところです。そこにパーティに来ていた皆が女性に歌をせがみます。マルテの意に反して彼女は歌い出します。

君思うたびゆりかごにゆらるるごとく
美し(うまし)疲れのおぼゆる。
臥床(ふしど)に涙して目ざめしことを
君に告げざらまし。
わがために眠らざる夜あるも
秘めて告げざる君、
この美しき渇きを
癒すことなく
心に秘めばや。

相思う二人を見ずや、
心をつぐれば
偽りのあるを。

思いてひとりのいや増すは君のみ。姿を変えしめるのは君ひとり。
しばし姿をとどめ、いつしか枝のそよぎと聞こえ、
悔いを残さぬ香りとにおう。
ああ、ちぎりし者みな去りぬ。
君のみあらたに生まれてやむことなし。
君をとどめしことなければ、君を失う日もあらじ。

いかがですか?あなたには詩心はありましたか?ほんとはドイツ語でやりたいですね!ウエーベルンのCDを買えばドイツ語で聞けますよ。

こちらはずっと以前にアップした「豹」という詩。映画「レナードの朝」でキーになる場面に出てきた詩です。これが私のファーストリルケショック。そのころは私はまだこのようにさまざまな芸術家、著作家が響き合う地平にはいなかった。どうしてこのころの作品にひかれるのでしょうね。

リルケの他の有名な詩はドゥイノの悲歌などがあります。

ホイジンガは同時代の芸術・文化にも強い関心を抱いていたことがわかります。

ホイジンガによむ同時代の著作家 その3

一方ゲーテの方ですが、ホイジンガがリルケとの引き合いで難しいと言っているだけで今のところコメントを見つけていないので、かわりにゲーテの詩が出てくるミラン・クンデラの小説を引き合いに出しましょう。

私の好きな小説家ミランクンデラの「不滅」には、ゲーテ君とベッティーナちゃんの話が語られるのですが当然それにコメントしたリルケ氏も引き合いに出されます。まあ、それはおいておいて、この小説は一時期読むのをやめていた私に小説を読む楽しさを思い出させてくれた本です。小説やクラシック音楽の一つの価値は再体験が楽しいことですが、これはまさしくそれを満たす一冊。

この小説のキーにはゲーテの次の詩が使われています。

旅人の夜の歌

山々の頂に
憩いあり、
木々の梢に
かそけき風の
そよぎもなく。
小鳥は森で黙すのみ。
待てよかし、やがては
汝にも憩い来たらん。

 どうですか?描写はビジュアルに展開されますね。詩想は単純です。森はしずかだ。あなたも静かに休めるでしょう、と。

 上の小説ではこれは美しいドイツ語の詩として主人公に解釈されるのですが、これは主人公の父が死ぬときにリフレインであらわれて力強い表現を勝ち得ます。すなわち主人公は父と幼年時代にこの詩を読み、野原を歩く場面が描写されます。しかし後年その父の死の場面で、2人の思い出深いこの詩を読み合います。そのとき、主人公はこの詩にこめられた死の情景にはじめて気付き、父が死を理解していることを突然悟ります。

上の小説にはこの詩の韻のふみかたの解析もしてあってとても面白いです。

これはまさに交響的なもの、という意味は、部分は全体で、全体は部分であるというヨーロッパ芸術のテーゼを体現しています。そのため再読がおもしろく、さまざまな場面が交錯しています。

 さて詩の評価を、この詩だけで決めるわけにはまいりませんが、リルケの3編に比べればあきらかにわかりやすいですね。

ではホイジンガは詩についてどう考えているでしょうか?

第18章「理性と自然を排除する美的表現」より

『あらゆる時代の詩芸術には、つねに理性的脈絡がむすびついている。詩が狂気没我の域にまで高められた場合でも、それに変わりはない。詩の本質は想像力における美であるとはいっても、詩はそれを言葉によって、ということはすなわち思想として表現するのである。・・・想像力がいかに高く翔ようとも、詩のキャンバスは、論理的に表現された思想なのである。

・・・実に18世紀の奥深く、ロマンティシズムの台頭を見るまで、詩と理性の釣合の関係は、ほとんどくずれていないと見てよいのである。・・・詩芸術がようやく理性的脈絡を意識的に放棄するにいたったのは、この世紀末葉にいたってからのことであった。大詩人たちは論理による理解可能性という基準を詩からはぎとった。・・・じゅうぶん考えられるところであろう、詩が、ここに、精神によって事物の根底にふれるという、そのもっとも本質的な機能を、以前にもましてより高度に発揮するであろうことは。』

リルケにかぎらずシェーンベルクらに使われた表現主義の詩(ヒルデガルド・ヨーネ、アルベール・ジロー、ゲオルゲ)がいかに難解なのかはようやくここで納得できました。ただ、ホイジンガとさらに対話を続けるためにこれら歴史の検証作業をしてみたいですね!

最後にふたたびゲーテで今日はしめましょう。(ドイツ詩集 片山 敏彦著)

悲しみの歓喜

な渇きはてそ かぎりなし
愛の思いゆ 湧くなみだ
なかば渇きし まみにこそ
世は荒れはてて 見ゆるなれ
な乾きはてそ さちうすき
愛の思いゆ 湧くなみだ


ホイジンガによむ同時代の著作家 その4

次はわれらがニーチェ。ニーチェは死後ではあったがナチスに利用されたのである。記述は第15章ヒロイズムにでてくる(p146)。

『ニーチェ・・・精神の格闘を通じて、人間の至高の価値についての思念を展開した。生の価値についてのつきつめた懐疑を通って、ニーチェは、英雄の理想を宣明するにいたったのである。ここに英雄の理想は、国家組織とか社会共同体とかと呼ばれるものすべてを遠く背後に残し、精神の領域の高みへとのぼった。幻想の予言者の理念であり、詩人や賢者のものである。・・・

 ヒロイズム理想の腐敗は、1890年頃、ひろい範囲にわたってみられたニーチェ哲学の皮相な流行に起因しているのであって・・・世紀末の凡愚の徒は、あたかも偉大な兄弟と目するかのように、「超人」についてかたった。このニーチェの思想の時ならぬ大衆化こそ、うたがいなくこんにちヒロイズムをもって宣伝の具とし、政治のプログラムと持ち上げようとする思潮の起源となったのである。

・・・この英雄という栄誉の名辞は・・・聖人という言葉同様、つねに、ただ死者に対してのみ向けられてきたのである。それは生者から死者に対して贈られる感謝のしるしであった。戦いに赴くのは、英雄になろうとしてのことではなかった、義務を果たそうとしてのことだったのである。』

この義務という概念はホイジンガにあっては非常に強力な概念で、義務に従わねばならないといいきる。戦争は反対だが兵士としての義務は果たさねばならないと考えていたようだ。私はソクラテスが悪法もまた法なりといってしんでいったのを思い出すがつながるだろうか?それからノブレス・オブリージュという概念がある。高貴なる者の義務という意味か。大衆論は基本的には自分が高貴であろうとしなさい。そしてうまくいかないときでも投げ出さずになんとか解決策を見いだしなさい、というのをいろいろな先達の行動をあげつつ(=伝統概念?)のべていくものだと思うが、情緒的な解釈だろうか。

ニーチェのツァラトウストラの「山上の木」よりの引用

『・・・高貴なものは、万人にとっての邪魔者だということを知らなければならない。

 善人たちにとっても、高貴な者は、邪魔者なのだ。・・・

 高貴な者は新しいものを求め、一つの新しい徳を創造しようとする。善人のほうは、古いものを愛し、古いものが保持されることを願うものだ。

 しかし、高貴な者の危険をいうなら、それは善人になることより、むしろ鉄面皮な者、冷笑する者、否定するものとなることだ。

・・・あなたの魂のなかの英雄を投げ捨てるな!あなたの最高の希望を聖なるものとして保ってくれ!』

とある。ここにはニーチェのもつ思想の危険性をみずから示している。さらに詳しくは山本君の書いた文章を参照してください。

 ニーチェときたらやっぱりアドルノを引き合いに出したいものです。ミニマ・モラリア(三光長治 訳、法政大学出版局)より

『道徳のためにひとこと

ニーチェが古来の偽りを攻撃するために唱えた背徳主義にしても、歴史の判決を免れるものではない。宗教とまぎれもなく宗教の世俗版である哲学が解体するとともに、節制を目的にしたさまざまの禁制は確かな裏付けのある実体性を失った。・・・まだ、みんなに行き渡るほど十分にものがないのだから辛抱しなければいけないというお説教にもある程度の根拠があった。・・・つい目と鼻の先で物資のありあまっている現状からすれば節制を強いられた当の市民にしても節約なぞということは余計なお題目のように思わざるを得ないのである。ニーチェの君主道徳に含まれていた、生きるためにはつかみ取りをしなければいけないという考えは、19世紀の牧師のお説教よりも見え透いた嘘になってしまった。・・・今日における高貴の美徳は、他人に先じて美味い取り分にありつくことにはないであろう。むしろ取ることにうんざりして、ニーチェにおいては精神化された形でしか出てこない「贈り与える徳」を現実に実行することにあるだろう。80年前に生を存分に謳歌することには自由主義下の抑圧にたいして抵抗するという意味があった。しかし現今では禁欲主義の理想が、気違いじみた経済の利潤追求に対する抵抗という点でもっと大きな意味を持っている。』

と当時の社会と現在(1945年のアメリカ)を経済的な違いから考察し、「社会に反抗して生きる」というありかたの違い浮き彫りにしています。ホイジンガが1930年代中盤にヨーロッパでニーチェについて教訓的な生き方の知恵として考察したことと亡命してアメリカに渡ったアドルノとはこのように違うわけです。(ミニマ・モラリアってこんなに面白い本だったのね。)

『ニーチェの「贈り与える徳」より

あなた方はまだあなた方自身を探し求めなかった。そこでたまたま、私を見いだすことになった。信仰者とはいつもそうしたものだ。だから、信仰するといってもたいしたことはない。

いま、私があなたがたに求めることは、私をすて、あなた方自身を見いだせということだ。』

ホイジンガはニーチェの思想についてよりもニーチェの思想を利用したものへの怒りを露わにしている。もうすこしホイジンガとニーチェの関係を探りたいがあいにくここまで。後日チャンスがあればそのときまた。

あすは短く絵画について述べます。


ホイジンガによむ同時代の著作家 その5

あなたは同時代の芸術を愛好しているだろうか?画家ではだれがすきだろうか?作曲家はだれが好きだろうか?芸術家というのはだれでもミケランジェロや、セザンヌ、パウル・クレー、あるいはモーツアルトやベートーベンといった亡霊と比べられているのである。比較的近代ではあるがそれら亡霊がまだ肉体を所有し、その創作にいかしていたころ、はたしてどれだけ評価されていたのだろうか?ただ私としては過去の作品をしった判定者がどのような評価をしているのかというところにしか興味がない。なぜなら、訓練された、あるいは、理解しようとしている者にしか届かないメッセージだってあるのだ。

「ある作品を真に愛する人たちというのは、その作品の内面および彼ら自身の内心をながめるに、少なくともその作品を作るのに用いたと同じほどの欲望と時間を消費するもののことだ。」「だが、その作品をおそれ、その作品から逃げている人たちの方が功利的だ」(ポール・ヴァレリー)

ホイジンガはどの程度現代芸術(彼から見た)を見通していたのだろうか?

『絵画および音楽(p175)

 詩芸術における理性の放棄に照応するのが、造形美術における現実の視覚的形態の忌避である。芸術は自然を模倣する、とアリストテレスはいい、彼以後、幾世紀ものあいだ、このドグマは揺らぐことはなかった。・・・印象主義といえども、この目が見、精神がそれと認知する現実の形態との関わり合いを、けっして放棄してしまったわけではないのである。

 ゴヤとオディロン・ルドンとを結ぶ線は、さらにカンディンスキー、モンドリアンといった画家たちにつながる。彼等は自然のオブジェ、かたちある事物をはっきりと画家ではすてさり、作られるべき形を求める。ここにかれらの芸術は、人々に普通にそなわる認識手段との結びつきを、いっさい放棄するのである。イメージという概念が、その従来の意味を失うのである。』

カンディンスキーはシェーンベルクと同時代に抽象画へと突入していく。彼の絵は当時まだ最先端の絵だったはずだ。モンドリアンも同様である。ここにゴヤや前世紀のルドンから外挿線をひいているのだ。ゴヤやルドンの評価はどれだけだったのだろうか?もちろん今日ではそれらの距離は近いことが論じられているが、うまれてまだ10年程度のどんどん変遷をしていくカンディンスキーやモンドリアンの絵に共通点を見いだしている。今日、それは可能であろうか?

では音楽は?ホイジンガは?

 『ワグナーから無音階音楽にかけてひかれる線が、すでに見た詩と絵画の場合と同種の文化の歩みを示す第三のしるしといえるかどうか、この点については、なにしろ専門的な知識に欠けているので、私は判断を保留せざるを得ない。』

残念ながらかれはそういうことは語っていない。新ウイーン楽派や他の音楽についてどう思っているのだろうか?

ホイジンガはかなり現代芸術にも気をくばっており、それは19世紀から続く様式喪失と非理性化の時代と位置づけているのだ。ただし、かれはこれらには批判的ではない。

『かかる破壊的諸要因の協働によく対抗しうる釣合の力は、これを至高の倫理的、形而上的諸価値のうちにのみ求めることができよう。理性への回帰というだけでは渦から抜け出し得ないのである。』

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2004年02月01日

サン・ジール::フリーズ::お金を返すユダ・神殿浄化

更新しました。
お金を返すユダ・神殿浄化

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