という質問がありました。その理由について今回は述べておきましょう。
その答えは簡単で、私は1988年の夏、大学生3回生のときに友人・山本君につれられ、イギリス、フランス、イタリアというコースを約40日かけてまわったのです。その友人は東京芸術大学に通っていました。私は名古屋工業大学で化学を学んでいましたが、いわゆる芸術鑑賞がすきで彼からはいろいろ教えてもらっていました。友人は卒業論文の課題にロマネスクの彫刻をえらんでいました。ただしどの教会にすればいいかは決めかねていましたので実地調査ということです。
さてではなぜ、その山本君がこのページを作っていないのか?カンのするどいあなたは不審に思うでしょう。そう、その友人は大学院にすすんで大学院1年生のときに亡くなってしまったのです。1992年1月のことです。
山本君についてのプロフィールや私とのつきあいはこちらにまとめてあります。
つまりこのページは山本和寛君の追悼ページの一つなのです。
このサイトの経緯についてすこし述べておくと、先ほどのページにもありますが山本君と私は100通を超える手紙の交換をしていました。はじめに、友人の追悼ページとして「山本君にささぐ」というページを立ち上げ彼が私に送ってくれた手紙を掲載することにしました。なにしろ、彼の手紙にあるようなキーワードでインタネットを検索しても関連ページはすくなかったものですから。これのきっかけには、山本君の御家族が彼が私にあてた手紙や断筆の論文や皆の追悼文からなる文集「永遠の賜」が完成していたことも大きな理由でした。左写真はこの文集の表紙写真につかわれたサンジール教会の彫刻です。
この「山本君にささぐ」のページにはアドルノやニーチェや芸術論などが書かれています。どうぞ興味ある方は是非御覧下さい。そしてこのページのコンテンツの一つに1988年のヨーロッパ旅行記を作成しました。これがもともとのロマネスクのページです。しかしこれではロマネスクについてわかっている人しかわからないので、ロマネスクとはというページも作成をはじめ、各教会や彫刻のイコノグラフィーなどの説明をはじめたのです。ある程度まとまってきたのでカウンターをつけてもらいました、最近ではむしろこちらのページの方がメインになってきました。
山本君は4回生のときはサンジールを研究テーマにえらびました。それで現在それをテーマにした彼の卒業論文を打ち込み中なのです。
さて、ではなぜ彼はロマネスクに興味をもっていったのでしょう?じつはこれはよくわかっていません。彼の手紙をトレースしてもつかめないのです。この原因は私がロマネスクにそれほど興味をもっていなかったため手紙にそんなことまでかかなかったのか、我々のやり取りの中で彼にとっては当時は重要なことがあったためかかなかったのか、が考えられます。もちろん手紙の中でロマネスクを語ったことは多いです。これは今後紹介していきましょう。
今後はこれらサイトをもうすこし融合していけるよう作っていくとよさそうですね。
(1999/Mar/13 記)
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