サンタ・マリア・デレ・グラツィエ
レオナルド「最後の晩餐」
現在このレオナルドを見るには予約制になっているようで電話で予約する必要がある。直接窓口にいっても電話で予約して下さいといわれるのだが、その奥で電話かけているので、なかなか空しい。
電話で、時間指定もうけるのだが、私の場合、当然英語。それで向こうが時間を英語でいえなかったのか、私がいつ?ときくと、????とかいって、え?いつ?ときくと午後とかいっていたので、午後か?ときくと、そうだ、とかいっているので午後3時にいったら実は午後2時だったようで、チケットを発行されたものの、いきなり入場制限マシーンでけられて入ることができず、もう一度チケットをとりなおしてもらった。もちろんこういう時はこちらも悪いんだろうけど、そちらが午後っていった、の一点張りでおした。ただし今度はその日の午後6時。
なんと一回の入場で15人程度で、一回15-20分の制限付き。ドアも2重か3重になってて汚染された外気をとざすようにしているそうだ。
フラッシュをたかなければ撮影オッケーなのでトライしてみるにいいかも。
さて、絵画についてすこしふれておこう。
1495-1498頃の製作とする説が有力のようだ。1726年の修復から6回もの修復がおこなわれているそうで、現在はブランビッラ女史が一人で修復をおこなったそうだ。
さて、周辺事情はガイドブックをみてもらうとして(お勧めは、イタリア美術鑑賞紀行、宮下孝晴 美術出版社。ここでもかなり参考にしています。また当地で購入できるガイドブックもお勧めです。)、さっそくを絵をみてみましょう。
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正面 中央がキリスト。周りは12使徒。ここでは不幸なユダがキリストに「お前達のなかでだれかが私を裏切るだろう」といわれるシーンである。また、第二テーマは聖体の秘跡(パンとワインがキリストの肉と血)だといわれている。 部屋に目をやると遠近感の強調した様子がテレビで解説されていたが、実際に見るとかなり奥行きがありパースが狂ってるようにも見える。床がせりあがっていることもわかる(日埜さんの指摘に納得する)。遠近法の中心はキリストの右のこめかみ、むかって左の方、である。 しばしキリストの不動の中心と使徒の群像のどよめきと、それをとりかこむ部屋の構図を楽しんでほしい。 |
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はじめにキリストを見てみよう。 逆光である。この逆光は上の写真で教会のくらい身廊から祭室から光がさしこむ内陣に向けての光をアナロジカルに思い浮かべてしまう。 逆光にキリストを置くことでマンドルラの光背をしめしているようにも見える。この逆光を塗りつぶしてしまったらどんな絵になっていただだろうか。 キリストは赤と青の衣をつけ両腕をひらいて三角形をつくりあげている。完全に不動で完全に正三角形で完全に作品のコアに相応しい色彩の塊でもある。 向かって右にはトマスが人さし指をあげている。ピリポは胸に手をあてている。 向かって左にはピンクのヴェールをかけたヨハネ。横顔が見えるのはペテロである。ユダはこの向こう。 キリストの顔に着目。彼は身内の裏切りを決して裁く顔をしていない。聖書を読むと私には彼は運命を受け入れるどころか作為的な受難劇のシナリオを自作自演しているかのよう。これは私にはアリストテレスの悲劇の要素にマッチして劇の進行を非常にドラマチックに必然性をもってすすめているように思える。 |
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向かって左のグループ 使徒は左から、バルトロマイ、小ヤコブ、アンデレ、ユダ、ペテロ、ヨハネ。この群は2つに別れており、ユダがうしろにのけぞり、ペテロが顔をだすことでダイナミックな構図をとっている。一方、その左では大きな動きはないが、バルトロマイが身を乗り出すことによって、ここで人の列が閉じているようにしてあるようだ。この2群はまた台形をとり、強固な人物群の構図を形成している。
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キリストの右側 なかなか面白い。 左から、トマス、大ヤコブ、ピリポ、マタイ、タダイ、シモン。 上とくらべるとわかるがキリストの両翼は人が集まる動きをみせている。やはり2群にわけている。 トマスの天をさす仕草は非常に印象的だ。右の列の終点はシモンで、二人がシモンをみて、シモンで視線を閉じて列を終わらせている。 色彩の動きはどうだろうか。青はキリストに対して使徒の救心性のある動きとカップリングしているのに対し赤は平板な広がりでベースをなしている気がする。 この作品のあまりのすばらしさにふれたなら、作品を感じるなどといわずに作品をいかにレオナルドが知恵を絞ってつくりあげたかを想像してみるのも楽しい。 |
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振り返ろう。キリストの磔刑図である。 拡大してみるとわかるが(モニタがあかるくて補正が目立つモニタはこちらの未補正のデータを見て下さい)、天使が飛んで血をすくっている。典型的な中世絵画である。 足下には人物がたくさんいて、いろいろな物語が共存している。 私はこのときレオナルドの絵画の急進的な要素に惹かれた。彼は構図、内容、色彩、絵画のレベルでまさにルネッサンスどころかレオナルディズムを30歳にして作り上げたことを。これはまさにロマネスクからはじまる中世様式への決別であり、断層でもある。 さて、そうはいってもこの絵も三廊に対応させて、面白い。中世絵画の好きな貴女、貴兄にはぴったりでしょう。 ジョヴァンニ・ドナートの作品1495年。 今、サンタマリアデレグラツィエのガイドブックをみたら、やはりというべきか、「レオナルドと比較されるのは不幸」とかかれている(汗)
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最後におわかれで振り返る。 この食堂の向こうで最後の晩餐は繰り広げられているのである。ドメニコ会の修道士は食事をしながら最後の晩餐に立ち会うようにしくまれていたようだ。これは装飾的な効果ではなく、再体験されるべきドラマなのだ。 遠近法の消失点もこの部屋のどこからかみたら、綺麗にまとまるかもしれない。 もはや言葉は不要。チャオ。レオナルド! |
*写真はクリックで大きくなります。写真はデジカメNikon cool pix 900で撮影後画像補正をかけてあります。クリックして出てくる像は撮影時のサイズです。
1999/12/12 作成
2000/6/18 公開
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