フランス・ロマネスク>オータンのサンラザール>タンパン
オータンのサンラーザールのタンパン (konemann社のromanesqueによると1130-1145年)はフランスロマネスク彫刻の中でも格別な部類に入る。聖ラザロをまつっていただけあってこのタンパンは表現から内容まで充実しているのである。また、彫刻家によるサイン「ギスレベルトゥス我を作れり」があることも重要である。ロマネスク時代はまだ彫刻家がサインすることは一般的ではなかったという。さらに、大きな破損をまぬがれている。このため人物の表情までみることができる。
タンパンのテーマは『マタイによる福音書』による「最後の審判」となっている。お馴染みの構図である中央に再臨したキリスト、キリストの左側には罪人の審判、右側には義人達が描かれている。このタンパンの内容については「同時代人の見た中世ヨーロッパ(1989)」 アローン・Ya・グレーヴィッチ著 中沢敦夫訳 平凡社(1995)に二重の意味があらわされているとして記述してあるので、後日なんとか議論をしておきたいとおもっている。
以下具体的に見ていこう。
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教会全体がロマネスク様式が強く残されているので、ヴィオレ・ル・デュックの修復によるこのポーチは似つかわしいがあたかも古代遺跡の中にあるようにも見える。 タンパンがうめこまれているアーチはロマネスク建築の構造生成原理であることが特によくわかるポーチである。 |
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もうすこしタンパンをクローズアップ。 中央にアーモンド型のマンドルラにつつまれたキリストがわかる。 サムネール写真をクリックして拡大写真を表示してもらえば、このタンパンは3段の構成になっていることがわかる。キリストはそのうち上2層を貫いている。 最上層はプロポーションの普通の彫刻。二段目はプロポーションが引き延ばされた彫刻。最下層もややひきのばされていはいる。最下層は棺桶から出てきた人々をあらわしている。 |
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中央のキリスト キリストは立ち、手をひろげている。手は全体プロポーションからかなり大きく感じる。下半身のほうが大きく見える。 どことなく表情がない。顎鬚をはやしている。頭の後ろには環をもつのは仏像と同じか。その頭部の両側、マンドルラの外に丸い物が左右に一つづつあるが、月と太陽とのこと。 着衣はかなり細かくひだがほられているがレリーフ的な処理で立体感は少ない。布の流れもどことなく様式化したようなものでリアルさは狙われていない。 マンドルラには言葉が刻まれているがキリストの右には「すべてを支配しただ一人君臨する」、左には「罪に導かれた者をさばき、罰を与える」と読めるそうだ。キリストの足下には有名な「ギスレベルトゥス我を作れり」が読める。 マンドルラは4人の天使でもちあげている。キリストの右手上方には顔が破損しているが聖母マリアとのこと。 |
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中心部はミカエル大天使と悪魔の魂の計量で、類似のものはコンクにもある。コンクのものはキリスト中央にあるが、オータンではキリストの左手で繰り広げられているのが異なっている。 大天使も悪魔もともに引き延ばされた形をしているかと思えば小さな小人もあらわされていてプロポーションの統一はされていないし、いわゆる枠の法則(枠一杯に人物表現をしたというもの)も小人にはあてはまらない。この写真でもわかりにくいが目には黒い石がはいっている。 一番下の段の人々の足下に注目するとそれぞれ棺桶があることがわかる。したがってこれらの人々は地獄側に蘇ったという設定になっていて人々は地獄におびえているのである。実際頭を大きな手でつかまれている人物がいる。グレーヴィッチ先生は審判と復活の順序について中世では2重のスタンダードがあることを指摘しているので後日のべたいのだが、結論は出していなかったと思います。 |
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こちらは義人とのこと。9人の使徒がいてペトロは鍵を手にしていて天国の門を司っている。向かって一番左端の建物は天上のエルサレムで、天使達が魂を持ち上げている。 またロマネスク期の「最後の審判」は黙示録的な性格を持つといわれるのは、ここであるように天使がラッパを吹いているからである。ラッパを吹く天使はキリストを中心軸にして対称の位置に置かれている。 左写真の3段目中央の天使は人々の向かう方向を指差している。そのせいか人気彫刻となっている。 |
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タンパンを取り巻くのは2重のヴッシールで内側は植物唐草文様とその外側には「12ヶ月の労働」や「黄道12宮」である。 |
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キリストの足下の天使。天使を境に非対称に義人と罪人が描かれているのがよくわかる。もし復活するなら天国の方に復活したいものです。以下にきざまれた碑を紹介する(グレーヴィッチ)。 天国に入る人々 かくのごとくよみがえる、 地獄にいく人々 恐怖にふるえよ、 |
議論
オータンのタンパンの紹介を行った。テーマは『マタイによる福音書』による「最後の審判」で、中央に大きな立像のキリストをもち、中央軸ではキリストの右手には義人、左手には罪人が描かれている。水平方向には大きくみて3段になっていて、中段には義人、罪人の世界が描かれ、最下段は棺桶から蘇った人々が描かれている。
ロマネスク期のタンパンのテーマの重要なものは3つで「黙示録のキリスト」、「天国にのぼるキリスト」、そして「審判をするためにあらわれたキリスト」だという。ここでは3つめの「最後の審判」である。
「最後の審判」は義人と罪人をわける審判である。義人とは飢えた者に食を与え、渇いた者に水を与え、貧者に着物を与えた慈愛の人をいうという。「父に祝福されたものよ、来なさい。世の始めからあなた方に用意されていた王国を継ぐのです。」罪人には「私のもとを去れ、呪われよ、悪魔が持つ永遠の火に入れ」という。では最後の審判はいつだったのか?紀元1000年説があったが何もおこらなかった。2000年たった今でもおこらなかった。フーコーによれば中世哲学の問いとは、「現に過ぎ去っていくのは何なのか。われわれ人間のものであるこの「時間」とはなんなのか。われらに約束されている神の再来はいつ、いかにしておこるのか。余計なものとして存在しているこの「時間」をどうすればいいのか。そして、われわれ、この移ろいゆくものでしかないわれわれとは何なのか。」というものだという。
すでに本ホームページで紹介している「最後の審判」はコンクがあるが、人体表現の大きな違いはコンクにくらべて異様に引き延ばされているものがいること、棺桶から蘇った人々が描かれていることにある。
コンク(左写真)ではキリストは着座であるがオータンでは立像である。どちらも正面を向いているが、オータンでは手を大きく広げていて、審判者というにはやや異様な感じを与える。コンクでは王のような威厳があらわされている。
どちらの義人の世界も、義人の列があらわされているる。罪人の世界はオータンではミカエル大天使と悪魔の魂の計量が大きく取り上げられているが、コンクでは中央キリストの下に位置している。またリヴァイアタンはオータンでは向かって右端だがコンクでは中央におかれて罪人の世界への入り口となっている。
タンパンをとりまくヴッシールはオータンの2重のものにくらべてコンクは持っていない。
これらのことから同じロマネスク期でもタンパンの構図はかなり異なっていることがわかるが、義人、罪人の向きは守られている。キリスト教初期(4〜6世紀)の表現では羊と山羊をわける表現がすでにこのような向きになっている(ラヴェンナのモザイク)。最後の審判で時代が下り有名なものはミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の壁画があるが、これも同方向になっており、他の図像を見ても変更はされなかったようだ。
18世紀には古典主義にあこがれた当時の人々により漆喰でぬりかためられ、1837年まで取り除かれなかった。キリストの頭部は行方不明で1948年に発見されもとにもどされたという。当時の人々には奇怪で醜悪なものとうつったという。
ブルゴーニュにはラザロ由来のこの教会があり、すぐ近くにはマグダラのマリアの教会-ヴェズレーのサンマドレーヌ(タンパン1125-1130)がある。同一地域にありながら全体的な構成には類似があるものの、各人物などの共通な彫刻表現はあまりないように思われる。
全体的な構成で類似しているのは2重ヴッシール、最下層に人々の列がならぶことである。
以上のことからオータンのサンラザールが特異な表現を取り、ロマネスク的な世界観をあますところなくあらわした充実した作品で、保存状態もよいために鑑賞や研究に適した作品でもあることを見ていただけたと思う。ここへ山本君と初めて訪れたときの彼の日記はこちら1988年の山本君の旅行日記です。あわせて御覧下さい。
リファレンス:
西洋絵画の主題物語 美術出版社 1997
ブルゴーニュ・ロマネスクの旅 池田健二、第16回ロマネスクの旅のパンフレット、1999年