ここに紹介するフォントネ修道院にはこれまで紹介してきたような聖書を題材にした彫刻や怪物などのそれはない。ヴェズレーのサント・マドレーヌやオータンのサン・ラザールにはタンパンおよび柱頭に見事な彫刻が彫られていた。しかし、それらをよしとしなかったのがシトー派の考え方である。サントマドレーヌなどはクリュニー派に属していたが、フォントネはシトー派に属する。シトー派はクリュニー派への批判からはじまる。クリュニー派が世俗化、権力化していくことを批判し清貧、禁欲を旨とした。すなわち、ラヴェンナのロムアルドゥスが初期キリスト教の砂漠の修道生活を提案し、カマルドリの隠修士グループの戒律崇拝の気運が高まっていたそうである。
シトー派の創設は1075年にロベール(聖ロベルドゥス)がおこなった。はじめはモレムの森に隠れたが1098年に荒涼の土地シトーに移りすみ修道院を建設した。1112年にはベルナールが加わり、シトー派は名声を高めていった。フォントネはベルナールによって1118年に創設され、最盛期には300人の修道士を擁していたという。
シトー派の修道院は
母院 シトー修道院
分院(父院) ラ・フェルテ、ポンチニ、モリモンおよびクレルボー
娘印 12世紀後半には525を数えた
大規模になっていき有名なル・トロネ(1136年)、セナンク(1148年)およびシルヴァカーヌ(1147年)が他にある。しかしこれ以外はシトー派の建築物はほとんど残っていないそうである。実際フォントネも18世紀には製紙工場になっていたそうである。
フォントネはベルナールの意志を表わしたといわれている。ベルナールは修道院への平信徒の立ち入りを拒否し、クレルヴォーでは修道院は魂のみが入るところで肉体を捨てよ、と説いたという。そして絵画や彫刻やステンドグラスによる装飾を拒否した。教会からそれらの装飾を取り除いたにも関わらず、フォントネは非常に美しい空間である。それは機能と力学的なバランスが絶妙なところに現出するフォルムの美しさである。以下具体的に見ていこう。
参考文献
●フランス・ロマネスク、饗庭孝男、 山川出版社、1999年
●聖なる空間をめぐる、前川道郎、フランス中世の聖堂、学芸出版社、1998年
●ブルゴーニュ・ロマネスクの旅 池田健二、第16回ロマネスクの旅のパンフレット、1999年
1.聖堂 (2000/11/11 その2を追加)
2.回廊 (2000/12/16 アーチと柱頭彫刻を追加)
3.集会室 (2001/1/15)
4.書写室(僧室?)(2001/1/27)
5.寝室 (2001/1/27)
6.鍛冶場
7.聖堂外側
8.ハト小屋
9.その他
10.リンク:フォントネの正式サイト<http://www.abbayedefontenay.com/>
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