ディジョンの考古学博物館の第7弾で最後。

 前回からケルト-ガロローマンの遺物を紹介していて、今回はその流れである。

 これは前回とは違ったアングルでの地下一階。

 初期ロマネスク。

中央は刀をわきにさした人体。ローマ風の衣服が彫られていることから1世紀以降だと思うが、年代は控えなかった。

 左の文様はぶどう唐草で、ローマスタイルとともにはいってきたようだ。

 これはケルトの一品といえそうだ。すなわちギリシア=ローマスタイルの完全な人体という概念がないことが伺い知れる。しかもローマ文字がつたわっていて右側にはMIMORIA AUDACIS と読めるのでAUDACIS の墓碑であるのでテキトーに丸顔文字を彫ったわけでもないと考えられる。

 この二つの墓碑に共通しているのは九の文字をのばしたような形だが、これは斧だろうか?

 ここまでくると明らかにローマ文化の浸透、もしくはガリア地のローマ貴族の製作であろう。人体のプロポーションはかなりリアルになってきているのと衣服の形態がそれを示しているが、ローマ崩れといわれてもしかたのないレリーフである。このようなコミカルな人体表現をよりリアルにしていくことよりも、好まれたためにロマネスクの人体表現につながっていったのではないだろうか?

 あらわしている説話などはわからない。

 ぶどうが彫られている。ディジョンは現在でもワインの生産が盛んだが、それが2000年近く続いていることを示している。

 石碑レリーフは二つ上のものと同じ時代のものであろう。

 下の段の左側の男が両目を押さえているのはなぜ?

 右側に座像、左側にセーヌ川水源のことが書いてあるパネルがでているが、写真にとりたかったのは(たぶん)中央のアーチ。なんと石を梁に用いていて三角形を作っている珍しいアーチである。
 上のセーヌ川水源から見つかったブロンズである。目が強調されているところからケルトの流れであろう。
 左の女はローマの美神だろうか?非常によくできている。右は爺?
 ブロンズ、板状のもの。詳細不明だが乳房から女か?

 ブロンズ像

 この地で作られたものというよりローマから運んできたものという感じがするがいかがか?

 これでディジョン考古学博物館の所蔵品の紹介を終わる。

 ロマネスクのことをしらべに入った考古学館だが、むしろケルトやガロ-ローマンの延長線上にロマネスクをおくことで随分ロマネスクの形態が理解できたと思う。木彫りの彫刻や石碑はずいぶんヨーロッパ古層を照らしてくれているような気がする。また、ローマの人体表現をとりいれながらもどこかコミカルなところで止めてしまうこの感覚はベズレーなどの柱頭彫刻の人体像を思い起こさせる。このコミカルな表現はもちろん枠の法則とあいまってロマネスクの形態をききめていったのであろう。

 このガロローマンの時点でギリシア=ローマンの表現をよしとしていたらロマネスクとして蔑視されてしまったような表現はそだたなかったかもしれない。もしくはロマネスクをギリシア=ローマンの表現をよしとしていったゴシックやルネッサンスへの比較的短期の移行期としてみたほうがすっきりするのかもしれないが、宗教的にも偶像崇拝の否定など、アイルランドのキリスト教の伝播、ローマ時代のキリスト教、カトリック教会のキリスト教もあり、話は複雑になりそうだ。

 考古学的観点や図像学に歴史をからめていくとケルト、ゲルマン、ローマ支配、民族大移動を具体的資料をあさらずにすますことは無理だと思われる。たとえばここではローマの貴族が荘園においていたような遺物と、それを見てコピーをつくったケルト人(農村部?)のものとはかなり違ってきているであろうが遺物(美術作品)だけ見ていても判然としない。またケルトの図像学をはじめてもアイルランドのケルトのものやゲルマンのものと区別がついていかない。

 プレロマネスクというにはあまりに長い千年期を十分とはいえない資料で研究は大変だと思うが、ヨーロッパ初期として片付けられているこの分野の発展を期待している。これらの研究の発展こそが19世紀後半から20世紀のロマネスク図像学の研究を書き換えるのに役立つのではないだろうか?

 もし、このページを御覧になられて製作年代などの情報をお持ちの方は情報提供いただけると幸いです。

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