ディジョンの考古学博物館の第7弾で最後。
前回からケルト-ガロローマンの遺物を紹介していて、今回はその流れである。
これでディジョン考古学博物館の所蔵品の紹介を終わる。
ロマネスクのことをしらべに入った考古学館だが、むしろケルトやガロ-ローマンの延長線上にロマネスクをおくことで随分ロマネスクの形態が理解できたと思う。木彫りの彫刻や石碑はずいぶんヨーロッパ古層を照らしてくれているような気がする。また、ローマの人体表現をとりいれながらもどこかコミカルなところで止めてしまうこの感覚はベズレーなどの柱頭彫刻の人体像を思い起こさせる。このコミカルな表現はもちろん枠の法則とあいまってロマネスクの形態をききめていったのであろう。
このガロローマンの時点でギリシア=ローマンの表現をよしとしていたらロマネスクとして蔑視されてしまったような表現はそだたなかったかもしれない。もしくはロマネスクをギリシア=ローマンの表現をよしとしていったゴシックやルネッサンスへの比較的短期の移行期としてみたほうがすっきりするのかもしれないが、宗教的にも偶像崇拝の否定など、アイルランドのキリスト教の伝播、ローマ時代のキリスト教、カトリック教会のキリスト教もあり、話は複雑になりそうだ。
考古学的観点や図像学に歴史をからめていくとケルト、ゲルマン、ローマ支配、民族大移動を具体的資料をあさらずにすますことは無理だと思われる。たとえばここではローマの貴族が荘園においていたような遺物と、それを見てコピーをつくったケルト人(農村部?)のものとはかなり違ってきているであろうが遺物(美術作品)だけ見ていても判然としない。またケルトの図像学をはじめてもアイルランドのケルトのものやゲルマンのものと区別がついていかない。
プレロマネスクというにはあまりに長い千年期を十分とはいえない資料で研究は大変だと思うが、ヨーロッパ初期として片付けられているこの分野の発展を期待している。これらの研究の発展こそが19世紀後半から20世紀のロマネスク図像学の研究を書き換えるのに役立つのではないだろうか?
もし、このページを御覧になられて製作年代などの情報をお持ちの方は情報提供いただけると幸いです。
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