3 ファサードの図像配置の概観
(タンパンフリーズ/まぐさ連続体)(1)
ファサードの図像配置は建築の構成に対応して大まかに上中下の三層にわけることができる。上層部はタンパンおよびフリーズ/まぐさ連続体であり、ここにはファサードを横断する長大なスケールで主としてキリストの受難伝が繰り広げられている。コーニスの下にある中層部は12使徒と天使像から構成される。これらの大型の彫像はファサードを守護する形で扉口側壁と扉口前壁に配置されている。中央扉口の基石を中心とする下層部の図像はおもに旧約聖書の予型論的主題を扱ったものである。[fig. 1参照]これら三層のうちファサードの成立過程を考える上で無視できない不規則性を内包しているのは上層部である。以下にその図像配置を概観しつつ問題の所在を明らかにしたい。
[Pl. 06] [Pl. 07] [Pl. 08] 向かって左側の北扉口から説話は始まる。タンパンには聖母子を中心としてマギの礼拝とヨセフの夢におけるエジプト逃避のお告げが表されている。[Pls. 6, 7, 8]幼児キリストを膝に抱く聖母マリアは伝統的な「知恵の玉座」(Sedes Sapientiae)の構図を示し、現在は著しく欠損してしまった切り妻屋根をもつ建築モチーフの中におさまっている。この屋根を支える左右の柱は聖母子を引き立てると同時にタンパンを均整的に三分割する。聖母は幼児キリストを紹介するようにかるく腕を上げ、キリストは左側の博士たちに応えて右手を差し伸べている。
博士たちはそれぞれ救世主への贈り物を手にしており、右から一人目は拝顔の歓喜に満たされ跪いている。一方、巧みにその背景に配された二人目は、驚嘆した様子の三人目の方へ振り向き天を目差す。明らかに後者二人はベツレヘムの星の故事を示している。すなわち、跪拝する一人と合わせてマギの礼拝の異なる場面が複合的に表現されているのである。
タンパン右側では天の御使いが右手に巻き紙を持ち、左手を毅然として天に向けてヨセフに神からのお告げを伝えている。はばたく御使いの翼はタンパンの曲面をはみだんばかりに広げられている。これを迎えるヨセフは左手を挙げて驚きを示すとともに右手で巻き紙を受け取ろうとしている。現在は欠損しているがこの巻き紙にはエジプト逃避のお告げが記されていたのであろう。
キリストの受難劇は北扉口のフリーズ・ゾーン全幅に広がる『エルサレム入城』の場面で始まる(飯田注:上のタンパンの下にみることができる)。イエスは弟子に命じてろばを準備させ[pl. 9]これにまたがり一行を率いてエルサレムの城門へ向かう。[Pl. 10, 11] イエスに続く弟子たちの行列は緩慢ではあるが繊細なリズムを伴った優雅な動勢を示している。弟子たちの頭の向きは一定ではなく統制された運動の中にも多様性がある。これと比較するとアルルのサン・トロフィーム(左)のフリーズは個々の彫像が画一的であり、もはやサン・ジルのような生き生きとした動勢はみられない。
一行の右手にはエルサレムの市民たちがキリストにまみえようと駆けつけている。彼らのうち二人は自分たちの衣を地面の上に広げ、もう二人はシュロの樹に登って葉を手折っている(飯田注:右上写真)。彼らの背後には塔を配した城壁により象徴化されたエルサレムの町がある(飯田注:一番上のタンパンの写真の右下に見ることができる)。ここには小アーケード列で飾られた建物が円蓋を頂いて聳えている。[Pl. 12] フリーズはまぐさに続いて右の隅切りへ入るが、ここにもエルサレムの市民たちがシュロの葉を手にしてキリストを迎えに出ている。シュロの樹にしがみついている愛くるしい幼児はこの部分で唯一頭部の毀損をまぬがれたものである。[Pls 13, 14] 彼らの末端に位置する人物は長いマントを羽織って肩に止めており、一人の短いテュニカを着た青年に手をひかれている。様子から察して彼は老人もしくは盲人であろう。この場面からは福音書に説かれる奇跡の予言が想起される。「盲人は見え、足なえは歩き・・・」(マタイ 11:5)
受難伝のフリーズは続いて三つのエピソードを展開させるが、これらの諸場面は互いに様式が異なっており説話的連続性からいっても不規則な配置である。すなわち『ユダの裏切りへの報酬』[Pl. 15]および『神殿を浄化するキリスト』[Pl. 16]のニ場面はいずれもアーチ装飾を背景とするが人物の肉付け、衣褶の表現にかなりの差が認められる。また、四福音書のすべてが『ユダの裏切り』を『神殿浄化』の後の出来事として記述しているのに、ここではそのような配置になっていない。続く『キリストに懇願するマリアとマルタ』[Pl. 17]と『ラザロを復活させるキリスト』[Pl. 18参照]からなる一組の主題にいたってはエルサレム入城以前のものとされている。
物理的にも中央扉口のフリーズは脇扉口のそれと比較して明らかに変則的である。フリーズブロックがまぐさよりも約10 cmほど縦に長いうえに横の厚みが極端に薄い。つまり脇扉口のフリーズが力学的に建築構造を支える要素であるのに対し、中央扉口のフリーズはR.ハーマンのいう「化粧張りとして壁面に張り付けられた長い石板」[13]という様相を呈している。このようにフリーズ・ゾーンには図像配置および建築文脈上の不規則性がすくなからず認められる。これをファサードの成立過程においていかに説明するかが従来の学説の焦点であった。
中央扉口左の隅切りは『ペテロの否認の予言』の場面を表している。[Pl. 19,20]これは初期キリスト教時代の石棺彫刻によく見られるイコノグラフィーの一つであるが構図自体はサン・ジルに独特のものである。着座した使徒の集団(右写真)は奥行の効果を出すために二列に配置され、これに少し離れて向かい合うキリストとペテロは高浮き彫りで表される。キリストはペテロの肩に手をかけて彼の否認を予言し、ペテロは驚愕して身を乗り出し己の胸を指す。キリストの予言を図示するかのようにペテロの足下には鶏がいる。
扉口側柱の頂きを飾る壮麗な鷲に支えられたまぐさは受難の核心となる二つの場面に当てられている。すなわち『洗足』[Pl. 21(右)]と『最後の晩餐』[Pl.22]である。ただし、後者についてはテーマを聖体の秘蹟ととるかユダの裏切りの予言ととるかで解釈が異なってくる。この問題については第三章で詳しく検討することにしたい。いずれにせよこれらの場面が説話の流れからいって『ペテロの否認の予言』に先行することは確かであり、ここでも順序の逆転が認められる。『洗足』の場面はペテロの洗足の拒否とその後の熱心な要請のエピソードを要約している。「主よ、では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も!」(ヨハネ13:9)エモーショナルな彼の言動は自らの頭を指差すしぐさによって表されている。『最後の晩餐』の場面は長いテーブルを前にして一列に人物が並ぶ構図である。テーブルクロスの折り目、テーブルの上の皿や盃、そして使徒たちのとる様々なしぐさに見られる細かな描写は場面の臨場感を高めている。
[Pl. 15] [Pl. 16]『神殿を浄化するキリスト』 [Pl. 17]『キリストに懇願するマリアとマルタ』 [Pl. 18]『ラザロを復活させるキリスト』 [Pl. 19]『ペテロの否認の予言』 [Pl. 20]『ペテロの否認の予言』 [Pl. 21]『洗足』 [Pl.22]『最後の晩餐』 つづく
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