第3章 <<ファサード彫刻の図象学的諸問題>>

6 使徒像の解釈

[Fig. 4] ドゥッガ 古代ローマ劇場 スカエナエ・フロンス再現図(Pfeiffer)

[Pl. 57] サン・ジル使徒像頭部

 従来のサン・ジルに関する研究は、個別的な同定は別として、全体の図像プログラムにおける使徒像の解釈を等閑視してきたと言える。唯一、R. ハーマンがプラン変更の立場から使徒像が『最後の審判』図像へと取り込まれる過程を想定しているが、この解釈については問題点が多い。(第二章第二節および本章ニ節参照)たとえば、変更以前のプランとしてハーマンの提示した再現第二図の図像配置はかなり不自然なものといえよう。(fig. 4参照)このプランにおいてハーマンは使徒像に凱旋門彫刻の翻案としての意味を付与するにすぎない。たとえ使徒像に終末論的解釈が成り立つと仮定しても、これらの彫像の配置は現状のプランを措定してこそ、ファサード全体の図像プログラムにおける使徒像の解釈が可能となるのである。

 本節は使徒像の解釈を精密な論として展開することを意図するものではない。ここでは解釈の前提となるいくつかの発想を示唆することで今後の研究の課題を確認するにとどめたい。図像解釈の研究において様々な図像伝統を比較検討する作業は不可欠であるが、本節の目的はこうした比較への一つの指標を提示することに限定される。

 まず第一に強調すべき事実は、使徒像の頭部の背後にすべからく柱頭が認められることである。[Pl. 57 参照] 従来無視されるか、軽く言及されるにすぎなかったこれらの柱頭は明らかに使徒像が教会堂を支える柱としての意味を担っているということを示している。この点においてサン・ジルの使徒像は広義の意味での人像柱ということができる。

 造型発展史的評価は別として(この問題については第五章で検討する)図像としての人像柱には確固たる伝統があった。[94] 特に建物を支える柱としての人像柱には中世神学上の有力な論拠がある。例えばE. パノフスキーが『Abbot Suger of St. -Denis』で述べるところによると、サン・ドニの修道院長シュジェールは新しい聖歌隊席を使徒と預言者の柱になぞらえている。彼はその際、『エペソ人への手紙』の以下のテクストを引用した。[95]

 「・・・またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト御自身が隅のかしら石である。このキリストにあって建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、聖なる神のすまいとなるのである。」(エペソ2:20-22)

 ここでは十ニ使徒に教会の土台というメタフォリカルな意味が付与されている。サン・ジルの使徒像がファサードを支える下部構造をなすことはこうした文脈との関連を想起させる。サン・ジルの使徒像はタンパンやまぐさといった、絵画的な空間に配されているのではない。また、モワサックの「天国の鍵を持つ聖ペテロ像」のように壁面において展示(display)されているのでもない。これらの彫像はファサード全体を支える建築構造の要素として意図されているのである。従って、建築空間と彫像の配置とが必ずしも結び付かない「最後の審判」のような主題をサン・ジルの使徒像の解釈に適用することは難しい。

 建築と十ニ使徒の配置が結び付く主題としては「天上のエルサレム」が考えられる。サン・タンブロージョ(Sant'Ambrogio*1)の石棺を代表とする一群の「城門石棺」やチヴァーテ(Civate)の壁画に見られるように、しばしば「天上のエルサレム」の城門には十ニ使徒が配されることがある。[96] 人像柱としての使徒像と「天上のエルサレム」を結び付ける確たる根拠はなにもないが、中世の教会ファサードが普遍的に「天上のエルサレム」の城門のヴィジョンと重ねあわされていたことを考えれば、こうしたコンテクストも検討すべきであろう。

 サン・ジルのファサードが古代ローマのスカエナエ・フロンスに倣ったプランであり、壁龕におさまる使徒像が古代彫刻に影響された配置だとしても、人像柱の神学的な意味を無視するわけにはいかない。従来の研究は古代の影響を強調するあまり、使徒像のこうした中世的な側面を見落としてきたのではないだろうか。サン・ジルの使徒像は古代彫刻のコンテクストにおいてではなく、(当然のことながら)あくまでも中世のイコノグラフィー体系において理解されなくてはならないのである。

*1 Sant'Ambrogio : iidaによる紹介記事

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2000/8/29

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