第3章 <<ファサード彫刻の図象学的諸問題>>
5 十字軍顕彰図像プログラム説 その1
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十字軍顕彰図像プログラム説はC. A. ファーガスンの博士論文として1975年に発表された。('77年出版)この説はサン・ジルと聖地との密接な交流に着目し、ファサードの図像プログラムを十字軍の活動と関連付けて説明しようとするものである。ファーガスンのアプローチは社会的背景を主要な論拠とする点において反異端の図像プログラム説と共通している。また、WSタンパンの図像解釈を確信とする点も同じである。 この説によるとWSタンパンの天使に突き倒されるシナゴーガの特異な表現は、第一回十字軍によるエルサレム占領の隠喩であると解釈される。その根拠とされるのはシナゴーガの頭から抜け落ちる宝冠[Pl. 51]である。ファーガスンはこの宝冠をイスラム教徒の聖所「岩のドーム」(Qubba al-Sakhra, Dome of the Rock)[Pl. 52] [fig.11]の寓意とみなした。[77]この岩のドームは、1099年のエルサレム占領の際に十字軍の手によって占領、略奪され、イスラム教徒、ユダヤ人の大虐殺が行われた場所である。すなわち、天使によって突き倒されるシナゴーガは、十字軍によって征服される異教徒の寓意像とみなされるわけである。 タンパン左端の二人のローマ人(異邦人)は十字軍に重ねあわされるとともにサン・ジルに拠点をおいていた二つの騎士団(テンプル騎士団、ホスピタル騎士団)と結びつけられる。[78] 彼らの賛美はキリスト同様エクレシアにも向けられると解釈されているが、このエクレシアには特に東方教会(Orientalis Ecclesia)の寓意が付与される。なぜなら彼女はビザンティン皇女のドレスをまとっているからである。[79][Pl. 53] ファーガスンの説明によるとこれらの図像は1146年の教皇エウゲニウス3世の大勅書(Quantum Praedecessore)を反映していることになる。この勅書は第一回十字軍の勝利の意義を確認すると共に、異教徒に脅かされた東方教会の解放を呼びかけ、第二回十字軍を喚起するものであった。[80]ファーガスンはこの解釈をさらに発展させて北扉口の『エルサレム入城』を第二回十字軍と結びつける。すなわちキリスト一行の入城を、待望された新十字軍のエルサレム到着の隠喩と説明するのである。これに関連してエルサレムの城壁内に聳える建物は岩のドームと同定されている。[81][Pl. 54] 最終的にファーガスンは、ファサードの図像プログラムがクリュニー第八修道院長ペトルス・ヴェネラービリス(尊者ピエール 1092年頃-1156年)によって起草されたと考えている。[82] すなわち、ペトルス・ヴェネラービリスの著したイスラム教徒反駁の書『サラセンの異端駁論』(Liber Contra Sectam sive haeresim Saracenorum)の内容が図像プログラムの性格に対応していると主張するのである。これらの著作をひいてファーガスンは「ペトルスはイスラム教徒を異端であると論証した」[83]と結論し、中央扉口のフリーズゾーンをペトルスの教義に基づく反異端のステイトメントとして次のように解釈した。 「キリストが最も愛したヨハネがキリストの胸で眠る姿は運命的(fateful)な否認を予徴するものである。また教会の長として選ばれた弟子ペテロはキリストに否認を予言され驚愕する様子で表わされている。そして最後にユダの裏切り-キリストの選んだ弟子三人はそれぞれキリストに対する否定の段階を示している。受動的な無関心(passive disregard)から故意の(deliverate)否定、そして計画的な(premeditated)裏切りである」[84] 当然、こうした解釈に対してJ. F.スコットは反論する。福音書を忠実に読むならばヨハネは眠っているのではなく裏切り者の名を尋ねていることは明白であり、これについては既に本章で説明した通りである。 |
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2000/5/20
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