第3章 <<ファサード彫刻の図象学的諸問題>>

2 フリーズ・ゾーンの図像学的考察

[pl. 23] サン・ジル『栄光のキリスト(タンパン部分)と最後の晩餐(タンパン下のフリーズ部分)』

[Pl. 40] サン・ジュリアン・ド・ジョンジー
タンパン
栄光のキリスト(1130年頃)

[pl. 41] サン・ジャック・デ・ゲレ
    南翼壁面
    栄光のキリスト(1200年頃)

[pl. 26]  三人の兵士(ペテロの否認)

[Pl. 42] ペテロの否認 (右端)

 まぐさの位置に『最後の晩餐』図像を配する扉口は比較的数が少ない。このうちサン・ジルとの比較で注目すべき作例はブルゴーニュ地方のサン・ジュリアン・ド・ジョンジー(Saint-Julien-de-Jonzy) [Pl. 40]である。この教会の『最後の晩餐』はサン・ジルとほぼ同様の構成を示し、明らかにヨハネ伝を典拠としている。(ただしユダはテーブルの前に配されている)タンパンにはマンドルラを背景としてキリストが座し、二人の天使が左右からこれを支えている。Y. クリストは典拠を示さずこの図像を『キリスト昇天』とみなしているが、まぐさとの関連を無視した彼の解釈は受け入れがたい。H. フォションが同定したようにこの図像は広義の意味での『栄光のキリスト』であろう。四福音記者の象徴を伴うか否かはここではあまり重要ではない。『最後の晩餐』のテーマが『ユダの裏切りの予言』であり、この場面の直後に救世主の栄光が確認される文脈を考えれば、タンパンの図像がまぐさと内容的に関連していることは明らかである。





 ロマネスク美術における『神の顕現』の図像体系は、偽ディオニュシオス、スコトゥス・エリウゲナの象徴主義的神学を母体としてクリュニー修道院を中心に形成されたものである。[60] クリュニーに程近いサン・ジュリアン・ド・ジョンジーにこうした内容の図像がみられることはサン・ジルの図像プログラムの源泉がクリュニーにあることを示唆している。サン・ジュリアン・ド・ジョンジーが1130年頃に位置付けられ年代的にサン・ジルを若干先行することもこれを裏付けると言えよう。
 絵画作品においてはロワール川流域のサン・ジャック・デ・ゲレ(Saint-Jacques-des-Guerets 1200年頃)の壁画が興味深い比較例となる。[Pl. 41] ここでも『最後の晩餐』は明らかにヨハネ伝を典拠としている。画面上部の『栄光のキリスト』は四福音記者像を伴うが、ルカの牛とマタイのライオンは片足をそれぞれ画面下部の『最後の晩餐』に重ね、二つの画面の有機的関連を示唆している。






 WMr-3の3人の兵士の解釈に関しては筆者は基本的にJ. F. スコットの説を支持する。[第一章三節参照] 彼女の考えるようにこのブロック(転用物)はWMr-4左端の人物背景として挿入されたのであろう。[Pls. 26, 42参照] この人物像はキリストが引き立てられて行く場面に向かって右手を挙げ、足を踏み出そうとしているように見える。しかし、その顔は思いとどまるかのようにうつむいている。福音書の文脈からいってこの人物をペテロとみなすことに特に支障はない。(彼に特徴的な縮れ毛と顎髭も一致している)ペテロは総督官邸には現われないためキリストが引き立てられていくのは大司祭カヤパの中庭である。R. ハーマンは伝統的な『ペテロの否認』の図像が女召使と鶏を伴っていることに留意してこの解釈を撤回したが、転用物の同化という成立過程を考えれば伝統的型にあてはまらない表現もある程度説明できる。

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