第3章 <<ファサード彫刻の図象学的諸問題>>
2 フリーズ・ゾーンの図像学的考察
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『ペテロの否認の予言』に続くのはWMまぐさの『洗足』[Pl. 21]である。ヨハネ伝を唯一の典拠とするこの場面は説話的順序のみならず、その内容において『最後の晩餐』の伏線をなしている。すなわち、イエスはこの場面においてユダの裏切りを暗に示唆するのである。
こうした文脈から考えて『洗足』と同じWMまぐさにある『最後の晩餐』がヨハネ伝を典拠とすることは明らかである。事実ここでは他の福音書にはない描写、すなわちヨハネがイエスの胸に寄り掛かっている姿が見られる。[Pl. 39参照] 従来の図像解釈はこの『最後の晩餐』に関して聖体の秘蹟(sacrament)の教義を強調してきた。しかし、テクストを忠実に解釈するJ. F. スコットは、むしろ「ユダの裏切りの予言」を場面の主題と見なしている。[56]
フリーズに描かれたキリストは右手を一人の人物の方に伸ばしている。破損により細部は分らないが、これは明らかにユダに食物を与えるしぐさである。ユダはのけぞって自らを指差している。[Pl. 39参照] 裏切り者が出て行った直後にイエスは次のような言葉を述べることになる。
このテクストはWMタンパンの図像『栄光のキリスト』(マイェイスタス・ドミニ)に直接的に対応している。この事実を初めて指摘したスコットは一つの解釈の可能性として示唆するにとどめているが、[57] 筆者はこれを従来確認されることのなかった『神の顕現』(テオファネイア)のヴァリエーションを示すものとして積極的に取り上げたい。 周知のようにY. クリスト(Yves christe)は『栄光のキリスト』を『神の顕現』のイコノグラフィーの形態として分析した。[58] 『神の顕現』は史伝的テオファネイア(洗礼、変容、復活、冥府下り、精霊降臨)と終末的テオファネイア(再臨、最後の審判、黙示録の幻想)に大別され、『栄光のキリスト』はこれら一連のイコノグラフィーにおいて特定の主題の具現化、もしくは普遍的表現としてあらわれる。サン・ジルの『栄光のキリスト』についてはクリストは何ら言及していないが、この図像が『神の顕現』としての『栄光のキリスト』を終末論的な意味に限定して解釈している。しかし、すでに見た通りサン・ジルの『栄光のキリスト』は『ユダの裏切り』(受難の成就)という新訳聖書の説話的文脈に基づく図像であり、史伝的テオネファイアの一形態として解釈されるべきものである。ただし、ここにおいては霊的現象として『神の顕現』が起っているのではない。むしろ、「人の子の栄光」というキリストの言葉に『神の顕現』が重ね合わせているのである。この意味においてサン・ジルの『栄光のキリスト』は神学的イデオロギーの観念的表現と言える。すなわち、偽ディオニュシオスの説く、不可視のものの可視的表現としてのイマージュである。[59] |
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