第二章 <<ファサードの成立事情>>

 3  スカエナエ・フロンス

 サン・ジルのファサードに顕著な古代建築の影響は早くから三連式アーチをもつ古代の凱旋門に由来するものとしてみなされてきた。R. ハーマンはこれをうけて独自のプラン変更理論を展開させたが、原プランのデザインを凱旋門に近づけるためにいささか強引ともいえる修正をほどこしたといえる。V.ラサールは凱旋門をモデルとすることに基本的に同意するが、位階性を持って列状に配された彫像については古代ローマの戦勝記念碑(Trophee Romain)と結びつけている。この戦勝記念碑の頂点には皇帝が立ち、その下には将軍たちが、そして底部には被征服者が表わされる。[46]

 こうした従来の説明に対し近年新たな見解が提起されている。すなわち、古代ローマ劇場の前舞台、スカエナエ・フロンスをファサードの直接的なモデルとみなすA. ボルグ、C. ファーガスン、W. ザウアーレンダーの説である。[47] 両者の類似性を初めて公に指摘したのは1972年のA.ボルグの研究であるが、彼は、列柱によって支えられた三連扉口構成と壁龕におさまる形の彫像装飾がスカエナエ・フロンスにおいて一般的であった事実を挙げ、アルルやオランジェに残る古代劇場の影響を示唆している。数年前ボルグとはそれぞれ別途にファーガスン、ザウアーレンダーが同様の見解を示しているが、より徹底してこれを増強したのはファーガスンであった。彼女は9世紀以降中世全期にわたって広く流布していた『ヴィトルヴィウスの建築の書』の第五書六章八節に着目する。

「スカエナエそのものは次に明らかにされるような自身の割り付けをもっている;中央の扉口は王宮の前庭にあるように設けられ、左右に客用の扉がある・・・スカエナエの種類は三つある;一つは悲劇の、他は喜劇の、第三は諷刺劇のスカエナエと呼ばれるもの。これらの装飾は手法において互いに異なり別々である;というのは悲劇のスカエナエは円柱や破風や彫像やその他王者に属するもので構成され、喜劇のスカエナエは私人の邸宅や露台の外観また一般建築の手法を模して配置された窓の情景を持ち、諷刺劇のスカエナエは樹木や洞窟や山やその他の庭師のつくる景色にかたどった田舎の風物で装飾される。」[48]

 ここに説かれる悲劇のスカエナエは、サン・ジルのファサードの構成と確かに類似している。プロヴァンス地方に残る古代劇場は必ずしもこの悲劇のスカエナエにのっとったものとはいえないが、ファーガスンはスペインや北アフリカに残る保存状態のよい作例を挙げ、サン・ジルのファサードは寸法的にも『ヴィトルヴィウスの建築の書』の劇場に関する記述に直接ならったものであると主張している。[49] [fig.4 (左)参照] また、彼女は独立二重円柱がスカエナエ・フロンスの中央扉口に広くみられた純粋に装飾的要素であることも指摘した。[50]

 M. F. ハーン(M. F. Hearn)によれば建築モチーフとしてのスカエナエ・フロンスは中世美術(特にカロリング朝)において聖なる人物や象徴の背景として用いられる伝統があった。簡略化されたスカエナエ・フロンスの翻案は、たとえば石棺彫刻やモザイク、写本挿絵に見ることができる。[51]

 サン・ジルのファサードはモニュメンタルな古代建築の様相を呈しており、プロヴァンス地方のみならず12世紀の「プロト・ルネッサンス」全体を代表する建築といってよい。しかし、これを単に外観から判断し、古代建築の直接的な模倣の産物とすることはできない。むしろ、中世において連綿と引き継がれてきた伝統をふまえたうえでのキリスト教的解釈の結果としてみなすべきであろう。スカエナエ・フロンスは王者キリストの聖なる悲劇(受難伝)の舞台として翻案されたのである。

 

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