山本和寛君は私の高校-大学時代の友人で、親友といえる間柄でした。

1967年生まれ。

名古屋北校で一年の時に同じクラスでした。
彼は東京芸術大学に進学し、美学を学び、大学院に進学しました。
一方、私は名古屋工業大学で応用化学を学び、やはり、大学院に進学しました。
しかし、修士課程もあと3カ月というときに彼は病気によりこの世を去りました。
(1992年1月4日)

 彼と私は手紙をやりとりし、いろいろ話し合いました。
なんせ東京と名古屋ですから実際にあうのは数カ月に一度、電話もあまりせず、もっぱら手紙でそのときどきに興味をもっていたことや考えていることなどをネタに文通してました。

 大学3年生のときに一緒にヨーロッパにいきロマネスク彫刻やルネッサンス芸術を見てきました。

 そして大学の卒業論文および大学院修士の研究テーマとしてかれはサン・ジール・デュ・ガールをえらびました(→卒業論文)。

 ロマネスクのページはそのときの資料をもとに私が書いたものです。

 お互いに影響受けあい、私は縁のなかったいわゆる芸術のすばらしさを知ることになりました。私の場合これらの趣味は今でも継続しています。彼も手紙の中で文系に似つかわしくないほど物理をはじめとする科学について述べているのは読んでいただければわかってもらえると思います。

 手紙はまだデジタルが普及していないころで、ワープロがやっとという頃でしたので、すべて手書きです。手書きなんて今では考えられませんね。

その手紙をここにアップすることで、彼の冥福を祈ります。

もはや、どこにもいない彼はヴァーチャルなネットがふさわしいのかもしれません。

 よく話し合った内容は哲学-現代思想で、はじめて彼がそれに熱中し出した大学1年のころ二人で奈良をまわったのですが行きの電車のなかでずっと彼がレヴィ・ストロースの構造主義について数学との対応関係を話していたことを思い出します。当時は私は現代思想なぞよんだことも聞いたこともなかったわけで、いまはかなりそれらに興味をもっているわけですからかなりの人生の変更をここでうけたわけです。

 ただ今では当時ほどのんびり本を読む時間がとれないのが残念ですが。

 彼の手紙をいまでも後生大事にもっているのは単なるノスタルジーではなく実際そこから進むべき道が見えてくるからです。といってもそれは文化といわれる芸術、音楽、美術、文学、思想であるとかの分野ではあるのですが。たいてい私がいいなあとおもったことがらは彼の手紙の中にその片鱗を見つけることができ、今彼が生きていたらまた、どれだけ話ができるのだろうかと、思います。


 山本家の皆様は和寛君が私にくれた手紙の原稿を一冊の本にまとめられました。

 このwebにあるのはその山本家の努力のたまものである遺文集からの写しです。
ページはそのページを示しています。

 彼の関係者はメールいただけると幸いです。

 慎んで彼の冥福を祈ります。

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1997/11/04 改訂

1998/05/08 改訂

1998/05/19 改訂