室生寺

 私の友人は10年前の1989/4/9に室生寺に行きノートにその訪問記を残していて、また彼はそこから私宛にはがきも出してくれているのである。

 はがきはこう始まる:

「朝から雨が降っている。けぶるように降っている。山頂のほうから白い霧がおりてきて冷雨を落としていく。」

 彼からの手紙をwebに編集しながら私も行きたくなってきた。私が訪れた(1999/5/1)日は彼とは対照的にすばらしくいい天気だった。

 室生寺はいままで2回いったがいずれも辿り着いたら5時くらいでほとんどみることができなかった。重要な建築物と仏様が数多くあるのだが、御存じ1998年の台風で5重の塔が破損し、その修理代金をかせぐために東京に出稼ぎにいっていた。

 室生寺は8世紀から9世紀初頭にかけて興福寺の僧賢けいが建立したという。創建時のものは塔と金堂のみということだ。ということは現在は金堂のみになってしまったということだ。

 お寺にはいっていくとはじめに弥勒堂、金堂がある。

 弥勒堂(鎌倉時代・重文)には弥勒菩薩(平安初期・重文)と釈迦如来座像(平安・国宝)があるがいずれも留守。

 金堂(平安初期・国宝)はシンプルな建築物。柱が横に並んでいる建築物はなぜか興味がわく。柱が重なって見えると美しいからだ。

 金堂には中央に釈迦如来立像(平安初期・国宝)、薬師如来像、地蔵菩薩像などがあるはずだがあったのは釈迦如来立像と12神将の3体だけ。しかし、釈迦如来立像のうらにあり通常光背でみることのできない帝釈天曼陀羅をみることができた。いかにも大陸の石窟寺院にあるような曼陀羅。

 山本君のからのはがきによると

「室生寺金堂の軒先からぽたぽたとしずくがたれている。奥に並ぶ諸尊の中央は平安初期の薬師如来立像。華麗な蓮波式衣文にはわずかだが切金が残っている。背光背には炎のようにうねる繧繝彩色の唐草に化佛が描かれている。典雅だが秘儀的な密教美術の傑作。」

 とのこと。

 その後、本堂(鎌倉時代・国宝)をみた(右写真)。この中の如意輪観音(平安初期・重文)をみる。これはまじですごい。向かってひだりに身をくねらせひざをたてて、そのひざにひじをつきている。手は6本でている。法輪、蓮、薬つぼ、じゅず?をもっている。この仏さんの光背は2重になっていて大きくて奥にある方の光背は仏さまのアウラに見え、実に幻想的な雰囲気。夢中になり5分はみた。ここは靴をぬいであがれるのでいかれた方はあがるといいです。

 さてここで気になったのは屋根の造型の美しさ。屋根の裏から支える組み物には力の表現がある。これは二手先だろうか(下、本堂)。これはコリント式柱頭への日本風の応答ではないかと思う。ただしはりをいれないと強度に問題があるのか、はりがはいってしまう、すると柱頭にはみえなくなってしまうのだが。そして金堂から本堂へと時代が下るにつれこのしきられた空間のなかで装飾が過大になってくると組み物は柱の柱頭には見えなくなってしまう。


 その後、五重塔をみにいく。どこまで修復できたのかな。ありゃ。足場でまるで見えない。ばらばらにして組み立てているそうですね。足場からのぞくとわずかに軒の下がみえた。また、太い杉が切り倒されていて塔の奥にはごろごろころがっていました。ちなみにこの倒した杉の木をスライスして鍋敷きにして一枚千円にしてうってました。

 それはともかく山本君は私にくれたはがきでは

「この寺の小さな五重の塔は天平の古様式を伝える平安初期の創建、下から見上げると緑の中にくっきりと映えて可憐ともいえる品のよさがある。五重の塔は内部空間に入ることができないからどうしても彫刻的に見てしまう。」

と書いています。彼からの絵はがきはこの五重の塔。残念ながら私は実物はみたことがないことになってしまった。

 その後、ひたすらあるいて、奥の院にもいきました。地獄絵図があって閻魔大王が描かれています。ごく最近のものです。

 この図では右に地獄の釜があってそこから出てきた餓鬼を鬼が追い回しています。左の釜では溶岩にでも焚かれています。熱そうです。ロマネスクの一例としてコンクのタンパン彫刻を示しましょう。これにも地獄の大王(下左)があらわされています。また地獄にいくか天国かというのはミカエル天使(下右)のはかりできまりますが日本ではその閻魔大王のひとにらみできまるのでしょうか。

 一方天国(浄土)は左上に天女とともに描かれています。あそこにいけるように生活しましょうね。というわけですね。天国よりも地獄により興味があるのは洋の東西を問わない様です。


 しゃくなげがすばらしく美しく、写真マニアのかたも熱心にとってました。




(1999/5/1 土 訪問&25記)



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