ヨーロッパ中世の時間:山本和寛

 ヨーロッパ中世の時間について

  1988年頃?

  山本和寛著



 測定可能な、数に基づくシンボルによる時間観念は、ガリレイやニュートンによる数学や物理学上の発見を通じてヨーロッパに現われた訳だが、それを生み出した因子を考えることは興味深い課題である。それについて、ハンガリー生まれの物理学者Geza Szamosiは次のように記している。

 『こうした問いに簡単で明快な回答が用意されていることはめったにない。・・・計量的時間という発想が進化する上でのひとつの重要で、またありそうな決定的な因子は、西洋音楽の類を見ない発達である。計量的時間が歴史上初めて発見され、研究され、用いられたのはとりわけ西洋的な音楽形式、多声音楽とその整然とした記譜法の理論と実践においてのことである』『The Twine Dimensions Inventing Time & Space』(松浦俊輔訳)

つまり、独立した計量的時間観念は中世以来発展させられた西洋音楽のポリフォニーの記譜法理論と楽曲の実際の演奏というモデルを因子としてもたらされたというのである。
(BSブリタニカ「ポリフォーン」NO4 永田仁「予言する音楽」参照)

 周知のように中世の大学において音楽は自由七学芸(アルトゥス・リベラーリス)のうち幾何・算術・天文学とともに数学系の四科を形成していた。バロック時代に至ってもその影響はなお根強く、ドイツの音楽理論書の多くは音楽を依然として「数学的-学科」と定義している。哲学者ライプニッツによれば音楽は「魂が知らず知らずのうちに数を数えること」にほかならなかった。
またキルヒャーによれば音楽は鳴り響く数であると同時に鳴り響く幾何学でもある。<<カノン>>の旋律の厳格な幾何学的秩序はバロック式庭園の整然たる秩序になぞらえることができる。

 初期キリスト教時代の教父、聖アウグスティヌスは、六巻にわたる大著「De musica--音楽について」を著し、その中で「音楽とはよく調節づけることの学である」(1・1・2)と述べている。彼はまたニュートンの絶対時間の定義以前に、時間間隔を単位との比較によって計量した最初の記述を残している。

 十二世紀から十三世紀というのは、ヨーロッパの骨格が定まっていく時代でもある。リズム・モードに関していえば、<<リズムという語の語源はギリシア語のrhythmosから来ており、しかもこの語はschema(形・図式)という語と密接な関係があったことを知ることができる>>

 リズムのシェーマ性--つまり幾つかの音を一つの纏まりとして捉えていく考え方--が最初に現われた時代として記憶されるべきである。しかし同時に、当時のリズムが声楽を基準にして考えられていたことを忘れてはならない。

 旋律はネウマ(西洋中世の単旋聖歌で一音節ごとに歌うべき一音符または一連の音符を示す記号)の連なりとしてあり。ネウマは音節の連なりからなっていたが、この旋律の「区切 distinctio」はこうした音節の連なりの中の適当な息継ぎの場所だったのである。つまり時間を組織する仕方が始めからある図式に基づいているというよりは「加算的」--音楽学者 クルト・ザックスの言う「付加的 additive」な在り方をしており、しかもテンポの取り方もゆっくりと打たれる手の打拍が基準となっていて極めてアナログ的な在り方をしていたのである。こうした傾向の中にあってリズム・モードは、等質な音価の集合としてある拍節的時間組織法、つまり、「分割的(divisive)リズム」法(クルトザックス)への第一歩を踏み出していたのである。(前記ポリフォーンNo4. 戸澤義夫「音学は時と以下に対話してきたか」参照)

 ちなみにザックスは著書『リズムとテンポ』pp173-178において十三世紀ノートルダム学派のリズムの付加的(additive)表現の概念をゴシック芸術全体にあてはめようとしている。たとえば、パリのノートルダム大聖堂の正面ファサードの有名な「諸王の回廊(ギャラリー)」を例にとろう。同封した絵葉書を見てほしい:扉口(ポルターユ)の上方に並ぶ王の彫像は左・中・右で数が異なる。いわば、この彫刻群は次第に付け加えられ”いくつかの組をなしてそのファサードを横切って並んでいる”(ザックス)また、中世におけるキリストの秘蹟劇の舞台mystery stageではベツレヘムの馬小屋やマグダラのマリアの香油店、キリストの墓といったものは、次々と用いられる順序で左から右へと仕切られた部屋となって配列されていて、俳優はそれにしたがって動かねばならなかった。総合は意図されておらず支配的な考え方はx+y+zであった。この点で、ノートルダム学派の音楽も同様にふるまったのである。

 ポリフォニーの声部は統一された同時的知覚の構成部分とは考えられず、まず定旋律、すなわちテノールが作られ、次にduplum(第二声部)がそして、最後にトリプルムtriplum(第三声部)さらにquadruplum(第四声部)である。尚、こういった概念を私なりに絵画・彫刻の領域に広げるならば、Saint-Gillesの受難伝レリーフ(十二世紀中頃)は個々の場面のdditiveな連続体とみなすことができる。フリーズという形式を考えれば当然といえば当然なのだが、このフリーズ、特に北扉口の部分における中世の秘蹟劇の舞台の影響はE.Maleが指摘するところである。また、ケーラーの示唆する、初期中世写本画の空間相もルネサンスの遠近法を持った総合空間と対比させるとadditiveな空間の重なりとして見える。なお遠近法による三次元的絵画空間、アルスノヴァにおける多声音楽の成立は軌を一にする現象といえる(らしい)

 さて、西洋音楽の近代性の基盤、ひいては近代的時間の母胎が教会の、より正確に言うと、修道院の生活の仕方にあったことは重要な事実である。(Jアタリ「時間の歴史」今野國雄「修道院」参照)

 すなわち、当時のまだ農耕のリズムで生きていたヨーロッパ世界の中で、自然のリズムとは独立した一定のスケジュールに従って規則正しく生活や労働を行うという習慣は先ず修道院で成立した。元々は東方で発生した修道院は四、五世紀の頃に、西洋に入り、その後、各地でその数を増やしていくにつれて、自らがいわば「大時計」となって六世紀の半ば”過ぎ”に整えられたサン・ブノワの修道会会則規律の従う生活習慣を広め、先ず修道院を、ついで教会を「様々な活動に対する恒常的な運動の場」(J・アタリ)としていく。すなわち、中世の初期の時代に、修道院では既にして己の「外」にむしろ喜んで従うべき外在的時間を戒律として見出していたのである。この生活態度が各地に広まっていくためには当然のことながら時間がかかるが、ほぼ確立される頃に多声音楽(ポリフォニー)が成立するのである。

 かつて、数学者ポアンカレは、数学とは「異なるものを同じものと見なす技術(art)である」と言った。
 数学は「約束を守る」ところから論理性が出てくる。
よく言われることであろうが、トポロジーでは連続的に途中で一対一対応をこわさないような変化をさせて、不変であるような性質のみを見ようと「約束する」。こう約束すればドーナツとコーヒーカップを同じものとみなせる。約束の性格は数学の各々の分野で異なるが、約束があることはすべての数学に共通している。円を見て、これが、我々の人生に関係を持つもの、たとえば、円満とか、完全無比などを連想するのは、あるいはそういう意味をつけるのは数学の受取り手の側であって数学のなかではない。

 数学はそういうもの全部を切り取って捨てたところに成立しているのであって、そこでは先に述べた約束ごとだけが生きているわけである。物理学を理想型とする近代自然科学がこうした数学の論理性を用いることで飛躍的発展を遂げたことはあらてめて言うまでもない。
ではかつての自由七学芸(アルトゥス リベラーリス)であった算術、幾何学、天文学、音楽において数とは何であったのか。

 この時代、あらゆる領域において数は意思と不可分であった。音楽は他の諸学芸よりも長くこの形態をとどめることとなる。(かくして科学と音楽は分離する。)

 音楽において数の担っていた象徴的意味についてバッハを例にとって考えてみる。
バッハ最晩年の作品<<ミサ曲ロ短調>>(私が君に送った----あの曲だ)のうち『ニケーア信条(クレド)信仰告白』は次のように分析される。
「クレド」はミサ曲を前後相称の十字架にたとえると、その中央に位置しており、バッハの作品では(3X3)曲に分かれる。

 この「クレド」をふたたび十字架にたとえると、その中央にあたる 曲目には「十字架につけられ(クルチィフィクスス)」の章がくる。この章を中心とした降臨・受難・復活の章が、ミサ曲における核心の部分をなす。キリスト教の神は父と子と精霊の三位一体として3の数で象徴されるため、拍子はつの曲を通じて拍子である。

 さて、このうち降臨の章は声部でかかれ49(7x7)小節の長さを持つ。この7はキリスト教の伝統によって神の恵みと祝福をあらわし、またマリアを象徴する数である。これに対し、十字架の章は律法ないし掟を示す数である。これに対し、十字架の章は律法ないし掟を示す数である10の声部で綴られており、低音の主題が13回繰り返される(13は受難の象徴)。

 「十字架に付けられ crucifixus」の鋭い音型は5つの音符によりなるが、5は古来キリストが受けた傷(聖疵)の数とされている。一方復活を昇天・再臨を述べる章は神の救済の完成を示す数である17(10+7)の声部を持ち、その主題はバッハ自身の復活への願いを示すかのように、彼の名前を暗示する14の数で作られている。(アルファベットを順次数に置き換えると、B=2 A=1 C=3 H=8 したがって、---BACH=14となる。)こうした数で文字で暗示する手法のほか、聖書の関連部分(預言や典拠の箇所など)を数によって暗示する手法もバッハはおりおりに用いた。(礒山 雅「バロック音楽」参照)

村上陽一郎が次のようなことを書いている。-------------
ある国際会議で、一見奇妙な問題が暫し議論された。アメリカの学者がこんな質問をしたのだ。
「恐竜のいたころに時間はあったのか」。
それに対して、ウイーンからきた世界的に名の知られた素粒子論の専門家が実にはっきりと「なかった」と答えたことから、事態は紛糾した。・・・・・結局、上のような議論が最終的に示唆し続けてきたのは時間が本質的に人間に属する。と言うことではなかったか。というのがここでの一応の私の(村上)結論である。時間を「点」として取り扱うという可能性を提起したのは人間である。ニュートン物理学は、一見そうした構造で組み立てられているかのような印象を与えるがそうした構造も、人間の理念的モデルに違いない。そして、それが人間の認識する世界の事情に完全には合わないということを考えるのも人間にほかならない。「持続」もまた人間において初めて「持続」たり得るということができる。

 恐竜が生きていた頃、世界の変化や持続が対自的に問題にされることはなかったという意味で、確かに時間は人間的だが、しかし、もう少し積極的な意味でこの点は考えられなければならない。
つまり、ものごとを「対自的」に考える、というときに初めてわれわれは「時間」を対自的に考える、ということだけではない。
ものごと一切を「対自化」した瞬間にその背後に問題とされる形で「時間」が姿を現わすからである。
(村上陽一郎「時間の考現学」)

<<科学的方法の基礎は、自然は客観性をもつという公準である>>
とジャック・モノーは述べている。

かかる客観性が認識理論ではとらえきれなくなったのが量子力学なのだろうか?しかし、自然を認識するのが他でもない人間であり、自然という対自的概念自体人間が生み出したものである以上、時間を問うあらゆる思弁(相対性理論も含めて)は、人間に対する自省と結びついていかざるを得ないように思われる。

<<意味を持った空間と時間の流れ>>としての歴史を学ぶ立場としては、量子力学がいかにして人間を問題とするのかに興味をひかれる。
君はどのように考えているのだろうか。

PS 今週金曜から土曜にかけて名大工学部に文献を探しにいく。お昼に名工大に立寄るかもしれないのでよろしく。できたら昼食でも一緒に。(建築史関係の本です。)


by 山本和寛


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