伝統概念について

  山本和寛著

  永遠の賜より

  36-44ページその2




 さて、伝統ということについてであるが、先日、大学院博士後期課程の発表展があり、形成デザイン専攻の人の発表に私はとっても興味を持った。芸大の博士後期課程はたとえ実技専攻の人であっても自分の制作と関連する論文を提出しなければならない。(我々は論文のみだが)その人は寝殿造りの屋内空間における装飾論(屏風具に見られる大和絵表現の現代への展開)と称した論文を付していた。

 しばしば美学において日本の芸術における”間”の問題が取り上げられる。日本では”間が悪い””間を間違う””間抜け”の語に見られるように三、四次元的空間概念に関して独特の感性が見られる。日本建築における間の構造はいうにおよばず床の間におかれる掛け軸、生け花など、間を生かし、空間を磁場とする芸術の発達が見られるのである。音楽に関しても音を要素として構築する西洋音楽における休符と邦楽における間は性質的に異なっているといえる。(これは邦楽家の友人が強調していた。)老子の無用の用を持ち出すまでもなく、日本においては中国よりもこの”間の感性”が洗練されているのである。絵画に関しては水墨画などに見られる余白の問題が従来強調されてきた。しかし、美術史を勉強すると自ずと分かってくるのだが、南宋院体水墨画様式に始まる馬遠、夏珪らの余白を強調した画風は室町時代に日本でも流行するのだが、マンネリに陥っていたずらに余白ばかりの思わせぶりな絵画へと惰してしまう。安土桃山時代に近づくとこの傾向を打破する狩野派を始めとする新動向が出てくるのだが、彼らはそれまで中国にならい掛け軸中心であった絵画を主に襖や屏風といった障屏画に描くようになるのである。

 大ざっぱにいえば、これは中世絵画から近代絵画の形式転換の重要な要素である。しかし、ここに見逃してはならない伝統的な”間の感性”が生かされているのである。襖や屏風といった屋内空間の演出道具は西洋の閉鎖的な壁と比べて著しい相違である。西洋でもフレスコ画という壁画の発達は見られたが、絵画空間よりも絵画の成立する支持体、場(トポス)の性質において本質的に異なっているといえるのである。これは気候にも関係する要因があるのだと思うが中国における障屏具ですら、日本のものほど可動的ではない。日本では開放的な建築空間を襖、屏風という可動的で空間を自由にシュミレーションする道具を用いて演出し、そこに絵画空間を作り上げるのである。

 近世が進むにつれてさらには光をへだてつつもそれを通過させる障子による空間を発達させ、谷崎潤一郎氏の讃える陰翳の世界をつくりあげるのであるが。この間の感性をたどっていくと国風文化の形成期、平安時代にいきつく。いうまでもなく、寝殿造りは開放的な室内空間であり貴族達は屏風、几帳を主として(襖は近世以後の発達である)これらを組み合わせることによって目的に応じた空間設定で生活を演出してきた。ここに初期大和絵の発生土壌が見られるのである。(周知のように源氏物語絵巻東屋の巻きの画中画がそれを示している。)”空間をダイナミックに演出する絵画に生かされた伝統的間の感性”これは半年前から私が興味を持っていた話題であるが形成デザインの博士論文にまさにこれに対応する一つの解答が示されていた。筆者の山野氏は源氏物語を精読し、その文章中に示される障屏具の機能性、空間演出等を作中人物の会話(和歌のやりとりなど)等含めて考察、分類し、源氏物語などを参照して寝殿造りの屋内空間における装飾論一般を論じている。さらにモダニズム初期、ル・コルビジェやミース・ファンデルローエの建築における開放的空間(このへんは建築家の学生に聞いて下さい)について論じてこれと寝殿造りの類似性を指摘し、大和絵の装飾的特性を生かした空間表現について総合的に考えつつ自らの創作活動に言及しているのである。彼はこの論文を制作するのにあたって芸術学科の日本・東洋美術史の教授達の指導を受けたそうである。(論文のレジメを同封しておいた。)

 伝統ということを考える時、われわれのような立場にあるものは単に社会的慣習、技法の伝承ということに加え、こういった創造的なあり方も含めて文化、芸術の流れを考えている。伝統とは生かすべきものであって保守すべきものではないと思う。だいたい保守すべきというような伝統はいずれ消え去る運命にあるのではないのか。西部すすむがどんなに日本のビジネス文明を否定してみたところでそれはある意味で必然としておこってきた現象だし、そこに日本的社会形成土壌の多くを指摘できるではないか。それを伝統といってみることさえできるのである。彼のような社会学者が批判のよりどころとして伝統という概念を引っぱり出してみたところで我々のような人文科学の立場のにある者にたいして説得力を持たないし、あまりにも粗雑な利用にしか見えないのである。伝統という概念は都合のいいものをなんでもとりこめるから悪用されやすいものである。戦時中の国粋主義がいい例だ。もちろん私は君の伝統に対する真剣な考え方にけちをつけたいわけではない。でも、反省的思弁でもなんでもとりこんでゆくその概念の拡張にいささか抵抗をおぼえるのだ。間の感性でもそれを日本文化になんでもあてはめてゆく態度はつつしまなければならない。絵巻において間の感性を絵画と詞の関係にあてはめようとするのを私がいささかためらうのもそのためである。

 伝統に何やら倫理的ニュアンスが加味されてくるとそれは断然うさんくさいものに見えてくる。「大錯覚時代」伝統喪失p165で西部氏が「人間の生き方にいかなる形を与えるかという意識がモダニティにほかならず・・・・」と言ってみせるあたりからこの人のモダニズム、ひいてはポスト・モダニズムに対する”大錯覚”が始まっているように私には思われる。

 芸術を社会と結びつけるのは結構だが、ゲーテの言うように”芸術は人を社会と最も結びつけるものであると同時に社会から最も解放させるもの”であることを忘れてはならない。

 伝統という縦方向から歴史を見るだけではなく近代、近世、中世、古代とそれぞれの時代における経済、思想、文化を横方向(諸外国とのつながり)からもとらえて総合的、立体的に歴史を把握すべきだと思う。正倉院宝物などを見ているとこの時代唐からの流入を通じ、はるかギリシア、ペルシャの文化がこの国にたどりついているのがわかる。伝統を西部氏のように「先人達の生きる知恵」と漠然と言ってみせるだけでは単なる表層的、句括的概念としか思えないし、文化の流れを勉強するものにとってはあまり説得力を持たないのである。

 少々言いすぎたかもしれないが、まあ気を悪くせずに反論して下さい。手ごたえある反論を期待したい。


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